108つの煩悩 エトセトラ






                                                           『』内は日本語です。




昂耀帝&千里の場合







 松風は、千里に色んな楽しい話をしてくれる。
姉のように優しい彼女に千里はとても懐いていて、今もその話の一つ一つが千里にとっては物珍しいもので、足を崩した楽な姿
勢で興味深くその話に聞き入っていた。
 「へえ、じゃあ、お正月はやっぱり賑やかなんだ」
 「賑やか・・・・・そうですね、民にとっては良い休息の時間にもなるでしょうし。ただ、御上は大変お忙しく、御身体を壊されない
かと毎年心配致します」
 「え?どうして?」
 「宮内の行事はほとんど御上がいらっしゃらなければ始まらないことばかりですもの」
 「ふ〜ん」
(あいつ、ちゃんと帝の仕事もしてるんだ・・・・・)
千里は意外だというように頷いた。
千里のイメージからすれば、昂耀帝はタダのスケベで我が儘な暴君で、男の自分を無理矢理犯すという暴挙を犯す男だ。
そんな昂耀帝が真面目に帝の仕事をしているなんて全く想像がつかない。
 「あ、除夜の鐘は?つくの?」
 「じょやのかね、ですか?それはどういったものでしょうか?」
 「え?知らない?」
 「申し訳ありません、お聞きしたことが無くて・・・・・」
 申し訳無さそうに頭を下げる松風に、千里は謝る必要は全く無いのだと慌てて首を横に振った。
正月の一連の行事があるというので、てっきり大晦日も普通に除夜の鐘をついているのかと思ったのだが、どうやらそれはこの時
代(世界)ではしていないらしい。
(変なトコでずれてるんだよな)
 「ああ、ここにおったのか」
 その時、御簾の向こうから声が聞こえた。
声で誰かが分かった千里は、眉を潜めて表情を硬くする。
(せっかく松風と話していたのに・・・・・)
招かざる客だなと、千里は渋々というようにゆっくりと振り返った。



 少し前から、昂耀帝は2人が楽しそうに話している様子をずっと見ていた。
自分の前ではけして見せてくれない千里の寛いだ表情・・・・・それが自分の行いのせいである事は十分承知していたが、それで
も寂しいという思いはあった。
(私の前でも少しはあのような表情を見せてくれればいいものを・・・・・)
 しかし、矜持の高い昂耀帝にとって、誰かに何かを懇願することは今までに無かったし、これからも多分無いと思う。それは千里
が相手でも同様だった。
 「御上」
 声を掛けると、松風は直ぐに深々と頭を下げて自分を迎えてくれるが、千里は少し不機嫌そうな表情のまま視線だけをこちらに
向けている。
これが千里以外ならば、間違いなく手打ちにされてもおかしくは無い行動だった。
 「茶の時間か」
 「ご用意致しましょうか?」
 「ああ」
 鷹揚に頷くと、松風は直ぐに立ち上がって行く。
部屋の中に2人きりになってしまった昂耀帝と千里は、しばらくはお互い口も開かなかった。
(こんな時は、あちらから声を掛けるものだが・・・・・)
気を遣うのはあくまでも相手で、昂耀帝は何時もされる側だった。しかし、千里相手ではそんな常識も全く通用しない。
自分が黙っていればこのまま席を立ちかねない千里に、昂耀帝は自ら声を掛けることにした。
 「松風と何を話しておった?」
 「何って・・・・・別に」
 「そんな事はないであろう。楽しそうな表情であったが」
 そのまま答えないかもしれないと思ったが、今はわりと気持ちが落ち着いているのか千里はポツンと口を開いた。
 「・・・・・この国の行事の話を聞いてただけ」
 「行事?」
 「お正月のこととか・・・・・ああ、そういえば、彰正って108つの煩悩なんて無さそう」
 「108つ?煩悩とは何だ?」
千里が自分から話し掛けてくれるということの嬉しさももちろんだが、聞き慣れないその言葉を不思議に思い、昂耀帝は思わず
聞き返してしまった。



 「彰正って108つの煩悩なんて無さそう」
(うん、絶対にそう)
 自分で言ったことに自分で納得して、千里はしみじみと昂耀帝の顔を見つめた。
全てが自分の思い通りになると思っているこの世界の暴君には、誰かにしてやりたいと思うことや、誰かにしてもらいたいことなどは
無くて、されて当然という立場なのだろう。
そんな人間は欲を覚える前に全て満たされているはずだ。
 「108つ?煩悩とは何だ?」
 この世界には無いらしい除夜の鐘の話をどうしたらいいのか少し考えたが、隠すことでもないなと千里はそのまま説明することに
した。
 「俺が住んでいた世界では、新年を迎える前の夜にお寺に行って鐘をつくんだ。人間には108つの煩悩・・・・・えっと、いろんな
欲があって、それを祓って新しい年を迎える為にね」
 「欲を祓う・・・・・変わったことをするな」
 「そう?」
 「しかし、なかなか興味深い」
 「え?」
 「その行事、我が国でもさせても良いな」
 「ええっ?」
(いきなり何を言い出すんだよっ?)
 千里としては、そういうこともあるんだという一つの例のようなつもりで言ったのに、それを新たに国の行事にしようといわれても困っ
てしまう。
(過去の歴史を変えちゃいけないんだよな、こういう場合)
この世界が千里のいた世界の過去かどうかはともかく、それでなくても自分という存在はイレギュラーなはずなのに、より歴史が変
わってしまって未来に変化が出てもいけない。
 「そんなの、しない方がいいんじゃない?」
 出来るだけさりげなく言ったつもりだが、どこか口調が強張っていたのか・・・・・昂耀帝が怪訝そうな視線を向けてきた。
 「なぜにそう思う?」
 「え、だって、その、あんまりいいイメージじゃないし」
 「いめえじ?」
 「自分に108つも煩悩があるなんてあんまり考えたくないんじゃない?」
あくまでも108つというのは例えだろうが。
(とにかく、変に歴史をいじんないでよ)
千里は止めておいた方がいいと再度念を押した。



 108つの煩悩を祓う。
千里の言葉に共感し、それをこの国の年中行事の1つとして取り入れてもいいのではないかと思ったのだが、どうやら千里として
はあまり勧めたい話ではないらしい。
(それにしては楽しそうに話していたがな)
 そこまで考えると、昂耀帝の頭の中に再び松風と話していた時の可愛らしい千里の表情が思い浮かんだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・な、何だよ?」
じっと千里を見つめていると、何か気配を感じ取ったのか千里がじりっと後ずさろうとした。
その手を、昂耀帝は反射的に掴む。
 「あ、彰正?」
 「確かに、煩悩を祓うことなどしない方が良いかも知れぬな。そなたを抱きたいという欲を私は捨てることなど出来ぬ」
 「ちょ、ちょっと!」
 茶を取りに行った松風はまだ戻ってこない。
いや、賢く察しいのいい女房は、この光景をちらりとでも目に入れれば近付いて来る事は無いだろうし、率先して人払いもしてく
れるだろう。
 「放せって!」
 掴まれた手を引き離そうと千里は必死にもがいているが、その様は昂耀帝の目には可愛らしくむずかる赤子のようにしか見えな
い。
(赤子にはこんな欲は感じることなど無いがな)
余裕の無い自分の気持ちに、昂耀帝は低く笑ってしまった。



 「放せって!」
 普通に話していて、どうしてこんな展開になってしまうのかは分からないが、千里はとにかく身の危険を感じて必死で昂耀帝の
手を振り払おうとする。
しかし、大きな昂耀帝の手は千里の腕から離れることは無く、強い力でそのまま相手の方へと引き寄せられてしまう。
(こ、こいつ、煩悩が無いなんて、絶対に無い!)
全てが叶うだろうこの男に改めての欲など無いと思っていたが、それは自分の見当違いだったと千里はつくづく感じていた。
どんな金持ちにも、地位のある人間にも、性欲という欲は必ずあるのだ。
(俺ってバカ〜!)
 話している内に警戒心が薄らいでしまっていたらしい自分に情けなさを感じながら、千里は昂耀帝の腕の中へと収まってしまう
前に思いっきり叫んだ。
 「もうっ、嫌いだ!」





                                                                      end