Laugh Kindly








 「倉橋、今いいか」
 平日の昼過ぎ、海藤はパソコンに向かっている倉橋に声を掛けた。
何時もならば直ぐに顔を上げて答える倉橋がなかなか応えを返さないので、海藤は視線を向けてもう一度その名を呼
んだ。
 「倉橋」
 「あ、はい」
 今度は気付いた倉橋が、ハッと立ち上がって傍に来る。
 「申し訳ありません、何か?」
普段冷静沈着な倉橋のそんな態度は珍しかったが、海藤はその理由は問わずに口を開いた。
 「どこか珍しいものを食わせる店を知らないか?」
 「どういったものがよろしいのですか?」
 「あまりありきたりじゃない方がいいんだが」
 「真琴さんとご一緒するんですか?」
 「ああ」
 「・・・・・もしかして、14日でしょうか?」
倉橋の再度の問いに、海藤の頬には僅かな苦笑が浮かんでいた。



 この世で最愛の人間とも言える恋人の真琴に、先月の14日嬉しい贈り物を貰い、自分で作った酒入りのチョコで
酔って可愛い姿を見せてもらった。
そのお返しが、今月の14日のイベントだということは海藤も知っており、その日はもう明日に迫っていた。
これまであまりイベント事には関心が無かった海藤は、改めて何をしてやったらいいのか考えても思いつくわけも無く、ありきたりだが食事に連れて行こうと思ったのだ。
 「食事はこんな時でなくても連れて行くんだがな」
 「そう、ですね」
 「それとも、あいつが喜ぶようなものを知っているか?」
 海藤に問われた倉橋は、珍しく困惑したように眉を顰めた。
 「・・・・・申し訳ありません。私も、何も思いつかなくて・・・・・」
 「いや、聞いた俺の方が悪かった」
今の真琴の傍に誰よりも近くにいるのは自分だ。その自分が何も思いつかないのに、他の人間に聞いても仕方が無い
だろう。
何より、真琴の事を誰かに聞くのはルール違反だ。
 「失礼しま〜す」
 そんな時、ノックと共に弾んだような声がして、部屋の中に綾辻が入ってきた。
 「社長、サインお願いします」
 「ああ」
部屋に入ってきた綾辻は、中の微妙な雰囲気を敏感に感じ取ったのか直ぐに倉橋に視線を向けた。
 「何かあった?」
 「あ、いえ・・・・・」
微妙に言葉を濁す倉橋は、全然誤魔化すことなど出来ていない。
綾辻は直ぐに海藤を振り返った。
 「社長、私が相談に乗れることですか?」
 「・・・・・そうだな。お前なら変わった店を知っていそうだ」
 「店?・・・・・ああ、お店」
 たったそれだけのヒントで、綾辻は海藤が言いたいことを読み取ったらしく、チラッと倉橋に視線を向けてからズバリと
言い放った。
 「食事に行くより、オーソドックスな返事の方がいいんじゃないですか?」
 「ん?」
 「まあ、人にもよるとは思いますが、マコちゃんの場合はクッキーを渡してちゃんと言葉で礼を言った方がいいと思いま
すよ」
 「・・・・・」
 「私の変な想像かもしれませんが、きっとマコちゃんなら・・・・・社長の真っ直ぐな気持ちを一番嬉しがるんじゃないで
すか?」



 綾辻の言葉が妙に胸に響き、海藤は結局美味しいという評判の菓子屋に自ら出向くことにした。
誰かに頼むのは簡単だが、手作りチョコを作ってくれた真琴の手間暇を考えると、店に足を運ぶくらい何とも思わない。
店には綾辻が同行してくれ、あれやこれやのアドバイスをくれた。
店の中はバレンタインとは違い、男の姿もちらほらあったが、夫の為なのか代わりに何個ものクッキーを買っている者も
いて、彼女達は明らかに一般の買い物客とは雰囲気が違う海藤達の姿をチラチラと見ている。
 「気になります?視線」
 「・・・・・いや」
 「・・・・・」
 海藤にとって気になるのは他人の視線ではなく、真琴の気持ちの方だ。
 「・・・・・」
 「これがお勧めみたいですよ」
 「ああ」
真琴の反応を想像しながら、海藤はそれを手にした。



 「お帰りなさい」
 何時もよりは少しだけ早い午後八時の帰宅に、笑顔で出迎えた真琴は何時もと変わらない様子だった。
多分、真琴にとっては今日という日はそんなにも意味がある日ではないのかもしれない。
それでも、海藤は手にした紙袋を渡す切っ掛けを考えながらリビングに向かうと、部屋の隅に重なった紙袋とダンボー
ルが目に入った。
 「あれは?」
 「あ、あれ、お返しなんです」
 「お返し?」
 「先月のバレンタインに、日頃お世話になっている意味を込めて、家族とかバイト先の人にもチョコを渡したんですけ
ど、そのお返しにって。手作りだから安い物なのに、なんたか藁しべ長者になったみたい」
 照れくさそうに笑う真琴の顔は嬉しそうだ。
海藤は、黙って荷物に視線を向けたままだ。
 「実家のみんなは宅配便で今日届くようにしてくれてたみたいで、お礼と一緒にまた野菜やパンもいっぱい送ってきた
んですよ」
 「良かったじゃないか」
 「また、一緒に料理作りましょうね」
真琴の言葉に笑みを向けて頷きながら、海藤は手にした紙袋をどうしようかと迷った。
今更という感じがして渡すタイミングが分からない。
(・・・・・参ったな)
 「お風呂、お先にどうぞ」
 「ああ」
 ベットルームに入った海藤は、部屋の隅に紙袋を置いた。
確かに真琴の口からも自分以外の人間にもチョコをやったという話は聞いていたが、皆律儀にもお返しをしてくるなどと
は思ってもみなかった。
真琴が嬉しそうな顔を見るのは楽しいが、これでは自分は二番煎じになってしまうだろう。
 「しかたない」
(明日にでも食事に連れ出すか)
同じ様な菓子を渡しても仕方がないと思った海藤は、そのままバスルームへと向かった。



 バスルームから出た海藤は、廊下に座っていた真琴の姿に気が付いた。
 「どうした?」
 「・・・・・これ」
真琴が大事そうに胸に抱いていたのは、海藤が真琴にと用意した菓子の紙袋だった。
 「さっき、海藤さんの服を掛けようと思って寝室に行ったんですけど・・・・・っと、あの・・・・・これって、誰かに渡すもの
ですか?」
恐々と聞いてきた真琴に、海藤は苦笑を零した。
 「お前以外いるわけがないだろう」
 「・・・・・あ、ありがとう、ございます」
 「他にもいくつも貰っていたようだし、いらないかと思ったんだが・・・・・」
 「そんなことないですよ!!だって、本命チョコのお返しなんだから!」
 「・・・・・本命?」
 「他のみんなには、何時もお世話になっているお礼のつもりで渡したけど、海藤さんのは、その、恋人として、渡したつ
もりだったし・・・・・」
 「真琴・・・・・」
 「海藤さんがちゃんとこうして用意してくれたものは、やっぱり他の人のとは意味が違います。嬉しさが、違うもん」
 「・・・・・そんな菓子でも?」
 「何だって、海藤さんが俺の事を考えて贈ってくれるものは嬉しいですよ?」
 それは、真琴の本心からの言葉なのだろう。
高価で希少な物などよりも、その贈ってくれようと思う気持ちの方が嬉しいのだと。
海藤は思わず手を伸ばすと、そのまま真琴の体を抱き上げた。
 「か、海藤さん?」
 「俺も、嬉しかった。ありがとう」
改めて言う礼は照れくさいが、それに返してくれる相手の笑顔を見れば、言葉を出し惜しみすることは無いと思い知っ
た。
 「これ、一緒に食べましょうよ」
 「・・・・・明日な」
 「え?」
 「今日はもう、俺が待てない」
 「・・・・・っ」
 セクシャルな雰囲気を漂わせた言葉を耳元で囁くと、真琴の頬は赤くなり、抱き上げているその身体も熱くなったよう
な気がする。
(今日はこのまま・・・・・)
もう、この手から離したくないほどに、真琴への気持ちが溢れている。
あからさまな誘いに、それでもおずおずと手を伸ばしてくる真琴。
そんな真琴に、海藤の笑みはますます深いものになった。



(海藤さん・・・・・その顔、反則〜)
内心で真琴がそんな風に思っていたことなど、今の幸せな気分の海藤には全く気が付くことは出来なかった。




                                                                end





海藤&真琴編。
こちらも、海藤さん視点。
買った菓子の紙袋をどうしようかとじっと見ている海藤さんが可愛いです(笑)。

表題の意味は、「優しく笑って」です。どちらの笑みかは、ご想像にお任せしますね。