アシュラフ&悠真の場合
アシュラフ・ガーディブ・イズディハールは、午後の一時をワインを飲みながら優雅に楽しんでいた。
いや、本来ならばここに愛する妻がいればそれこそ至福の時なのだが、あいにく今日は抜けられない授業があるからと、
つれなく夫であるアシュラフを置いて行ってしまい、アシュラフは仕方なく1人で午後を過ごしているのだ。
(全く、夫よりも大学が大事だとは・・・・・)
「戻ってきたらお仕置きをしなければならないな」
それがどんなに淫らで楽しいものか、アシュラフは口元に笑みを浮かべた。
小国ながら、豊富な油田を持っているガッサーラ国の皇太子、アシュラフが、父親が石油卸会社を経営している永瀬
悠真(ながせ ゆうま)と男同士でありながら結婚して一年。
一目惚れし、まだ高校生だった悠真に会いに何度も日本へと向かって遠距離の愛をはぐくんだアシュラフにとって、この
期間はまだそれまでの飢えを満たすのに十分な時間とは言えなかった。
むしろ、日々悠真への愛を増していくアシュラフにとって、それを発散するのにはまだまだ時間が足りなくて、本当ならば
悠真を大学になど行かせずに一日中抱いていたいほどだ。
ただ、そんなことをすれば悠真が拗ねてしまうのは目に見えているし、アシュラフもこの国で暮らすために一生懸命勉強し
ている悠真の邪魔をすることは出来なくて、何とか溢れんばかりの愛を押さえているというのが現状だった。
「アシュラフ様」
そんな時、侍従長のアリー・ハサンがやってきた。
アシュラフの屋敷の全てを取り仕切るアリーはまだ若いものの有能で、なにより自分と悠真の関係を手放しで応援してく
れる大切な味方だ。
自然に、アシュラフもアリーに対しては遠慮することもなく(他の者にもしないが)、悠真とのことを惚気ていた。
「明後日のことですが」
「明後日?」
「明後日はホワイトデーです」
「ああ、そうだったな」
悠真と付き合い始めてから日本の文化も勉強している2人にとって、3月14日は普通の日とは全く違う。
「先日のバレンタインデーは、ユーマ様の機嫌をそこなってしまいましたので、今回は熟考を重ねました」
「私は良いと思ったんだがな」
「私もです。愛の証にチョコレートを贈るならば、その愛は多ければ多いほど、熱ければ熱いほどよろしいかと思ったので
すが・・・・・ユーマ様は謙虚な方ですから」
先月の2月14日。
日本では愛の告白の時や恋人にチョコレートを贈る習慣があると、ネットで調べたアリーは直ぐにアシュラフに報告し、2人
はどうすれば悠真が喜んでくれるかを考えた。
アシュラフは誰よりも大きく、溢れんばかりの愛を悠真に贈りたいと言い、それを踏まえてアリーが考えたのはチョコレート
風呂だった。
「湯船の中いっぱいにチョコレートを入れて温め、それに2人して浸かれば熱く甘い愛に包まれていると思って下さるので
はないでしょうか?」
アリーの提案にアシュラフも喜んで賛成し、当日、アシュラフに内緒で小さなチョコレートを買って贈ってくれた悠真の細
い身体を歓喜のまま抱きしめ、用意したチョコレート風呂に一緒に入ったのだが・・・・・。
「あれは何が悪かったんだろうな?」
「きっと、洗い流し難かったんではないでしょうか?私が湯加減をお聞きした時は泣いて喜んで下さったのですが」
「あの後一週間、抱かせてくれなかった」
どんなに洗い流しても体中から甘い匂いがしたとアシュラフが顔を顰めれば、申し訳ありませんとアリーは素直に頭を下
げる。この国の皇太子であるアシュラフに相応しいものをと考え、しかし、知識が乏しかったので少し失敗したが、有能な
侍従長は今回はリベンジに燃えているようだ。
「ホワイトデーにはクッキーや飴、マシュマロなどを渡すのが普通のようです」
「ありきたりな物をユーマに渡すのも面白くないな」
「はい。アシュラフ様が愛しい奥様に渡されるのですから、私も様々なものを考えました」
そう前置きしたアリーは、持っていたメモを取り出して説明を始めた。
「・・・・・」
その朝、悠真は起きた時から妙な違和感を感じていた。
何時もなら、悠真が目覚めるまで同じベッドに眠り、起きてからは過ぎるほどのスキンシップを仕掛けてくるアシュラフが、
今日はなぜか目が覚めた時にはもうベットにいなかったのだ。
「・・・・・急ぎの用事?」
全く無い可能性ではないが、それほどに急ぎならば自分に声を掛けて行ってもおかしくは無いはずだろう。
首を傾げながらベッドから起き上がり、顔を洗おうと歩き掛けた悠真は・・・・・足を止めた。
「今日って・・・・・14日?」
(ま、まさか、な)
先月14日、アシュラフはチョコレート風呂というとんでもないプレゼントをしてくれた。
バレンタインデーということを考えてそんなことをしてくれたようだが、悠真にすればこれほど多くのチョコを食べずに汚してし
まうのは勿体なく、べたべたと髪や肌にまとわりつくのも気持ち悪くて、ついアシュラフを怒ってしまい、そのまましばらくセッ
クスも拒んでしまった。
少し時間をおいて考えれば、それほど自分のことを考えてくれたのだろうと思うが、あの時は驚きと恥ずかしさで文句だけ
を言ってしまったことを少しだけ後悔していた。
「・・・・・」
しかし、バレンタインとは違い、ホワイトデーは外国の人間にはあまり知られていないはずだ。アシュラフも今日のことは何
も考えていないはず・・・・・悠真はそう考えた。
「あの」
「はい」
「アシュラフは、仕事?」
「もう少しお待ちいただけたら戻られますよ」
もう、何人、同じ言葉を聞いただろうか。
昼を過ぎても一向に顔を見せないアシュラフのことが気になり、悠真は召使達に訊ねたが、誰もがにこやかに笑いながら
同じ言葉を返してくる。
アシュラフがいない時は頻繁に顔を出してくれるアリーも姿を見せないのでますます気になってしまい、悠真は思い切って
アシュラフの両親がいる王宮の方へ訪ねて行ってみることにした。
「ユーマ様、どちらに?」
「王宮」
「では、乗り物を用意させますので」
「ごめんね」
歩いては少し時間が掛かってしまうので、同じ敷地内にあるといっても行き来は車が多い。
悠真は外で待っていようとそのまま玄関に向かって歩いていたが、
「?」
庭に、昨日まで無かったものを見掛けて思わず立ち止まってしまった。
「・・・・・なに、これ?」
庭にあったのは大きな天幕だった。庭が広いので一見それほど大きくないように見えていたが、側に行くと普通の家が一
軒入ってしまいそうなほどの大きさだ。
(アシュラフ、何も言ってなかったけど・・・・・)
中からは何人もの人の気配がするし、何やら香ばしい匂いもする。
考えれば考えるほど不思議で、悠真はとうとう中へ足を踏み入れてしまった。
いったい、目の前にあるのは何だろう・・・・・。分かっているはずなのに思考が追いつかなかった悠真は、いきなり身体を
抱きしめられた。
「寂しがっていると聞いたが、それでここまで来たのか?」
「ア、アシュラフ、これ・・・・・」
「本当は完成してから見せたかったんだが」
アシュラフは自慢げに笑いながら悠真の肩を抱き寄せると、目の前のものを指さしながら言った。
「菓子の家だ」
「・・・・・だよ、ね」
「ユーマ様」
茫然と同じ言葉を繰り返すと、腕まくりをしたアリーもにこやかな笑みを浮かべながら近づいてきた。
「丁度良かった。ユーマ様、やはりマシュマロや飴はどこかに入れた方がよろしいでしょうか?全てクッキーで作った方が
統一感があると思うのですが」
「ちょ、ちょっと待って、俺、混乱してるみたい」
何が起こっているのかもう一度頭の中で良く考えたいが、目の前のものは消えるわけもなく、圧倒的な存在感で悠真の
前に立ちふさがっていた。
「菓子の家などどうでしょうか?アシュラフ様の溢れるほどの愛情と、ガッサーラ国の皇太子という地位からも、普通のも
のではあまりにもユーマ様への愛情と比例致しません」
アリーの言葉にアシュラフはなるほどと思った。
どんなに高級な菓子でも、自分の他にも買った者がいる。自分の悠真に対する愛情は他の者達と比べるまでもなく大き
なもので、それを形にするには菓子の家というのはいいアイデアだと思った。
そうと決まればアシュラフは王宮や離宮だけでなく、町の菓子屋も集め、昨日の夜からずっとクッキーを焼かせた。
さすがに普通の家ほどの大きさは時間的に無理なようだが、自分と悠真が入れるほどの大きさは作りたい。
自分が指図し、アリーも手伝わせて何とか形になった時、偶然に悠真が現れたのだ。
「・・・・・どうして、こんな・・・・・」
「今日はホワイトデーだろう?ユーマから貰ったチョコレートへの些細な礼だ」
アシュラフは腕の中の悠真の頬に唇を寄せながら笑う。
「全て食べられるぞ」
「・・・・・」
「どうだ、ユーマ」
「アシュラフって・・・・・なん、か・・・・・すごい」
「そうか」
どうやら、悠真も感動してそれ以上言葉が出ないらしい。
多少手間が掛かったが、これを用意して良かったとアリーを見れば、優秀な侍従長はよろしかったですねと共に喜んでく
れている。
(今回はユーマも私の愛の証を喜んで受け取ってくれるようだな)
今夜、どんなふうに可愛らしく菓子の家の礼を言ってくれるのか。今からそれが楽しみだと思いながら、アシュラフは香ば
しいクッキーの匂いがする中、チョコレートよりも甘い悠真の唇をじっくりと味わった。
end
アシュラフ&悠真編。
トップバッターなので派手にお送りしました(笑)。