秋月&日和の場合








 「あの、14日、会えますか?」

 それは先月と全く同じ言葉だったが、沢木日和(さわき ひより)にとっては全く別の意味が込められていた。
2月14日。
バレンタインのその日に、仮にも特別な付き合いをしている(身体の付き合いも込み)
相手に対し、イベントで必要なチョ
コレートも買わないまま会ったことはさすがに後悔していた日和。
 さらに、その後恋人が用意してくれた豪華なディナー(デザートにチョコ系のケーキやアイスがてんこ盛りに用意されてい
た)のお返しをさすがにしなければならないだろうと思った。
 ただし、日和の恋人は普通の女の子ではない。
弐織組(にしきぐみ)系東京紅陣会(とうきょうこうじんかい)若頭、秋月甲斐(あきづき かい)。そう、恋人は日和と同じ
男で、なおかつヤクザという生業だった。

 始めはどうして自分が男にと思っていた日和も、今では秋月の自分に対する思いの深さに絆され、好意といっていい
感情を抱いている。
ただ、まだ少し恥ずかしくて素直に態度や言葉で示すことが出来ず、こういうイベントはかなり気持ち的に楽に行動出来
るのでありがたいとも思っていた。

 今回も秋月は了承してくれ、日和は数日前に買い求めたクッキーを手に車を待った。
チョコレートとは違い、今回は男がお返しを買うイベントなので恥ずかしいこともなく選ぶことが出来たし、秋月がどんなふ
うな顔をするのか、待っている間中楽しみだった。




 「日和」
 「あ」
 家の前に止まった高級外車の運転席から降り立った秋月はやはりカッコいい。
思わず見惚れて次の言葉が出ない日和に何を思ったのか、秋月は車の中から2つの紙袋を取り出しながら言った。
 「母親と姉貴は?」
 「え?」
(どうして、母さんと舞?)
 会うなり2人のことを聞かれて戸惑ったものの、日和は素直に返事をする。
 「母さんは家にいます。舞・・・・・姉は京都に」
 「ああ、そうだったな。じゃあ、もう一つは送るか」
 「送るって、あの?」
 「チョコレートの礼」
 「・・・・・あっ」
そこでようやく、日和は母と姉が秋月にチョコレートを渡したことと、今男が持っている紙袋を繋げて考えることが出来た。
まさか秋月がわざわざ2人にお返しまでくれるとは思わなかったし、母達もそれを期待していなかったはずだ。
それが、こうして準備をしてくれているのを見ると嬉しい気持ちと同時になんだか・・・・・複雑だった。
(これだけじゃ、ないよな)
 ヤクザということは置いておいても、秋月ほどの容貌ならばそれこそ多くのチョコレートを貰ったはずだ。その一つ一つに
こうして礼をしているのかと思うとそのマメさがちょっと・・・・・。
 「・・・・・」
 「日和?」
 「・・・・・どうぞ」
 それでも、ここで腹を立ててしまってはそれこそ子供だ。
日和は何とか平常を装い、秋月を家に招き入れた。




 日和の母親と姉だけにはきちんと礼をしなければならないと考えた秋月だったが、喜ぶと思っていた日和の態度はなぜ
か微妙だった。
 気分を損なうことをしただろうかと考えたが思い当らず、秋月は走り出した車の中、日和とその名前を呼んでみる。
 「何ですか?」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「どうした?あれじゃ駄目だったか?」
 「え?」
女の喜ぶもので、それでもあまり高額なものは受け取ってもらえないだろうとブランド物のスカーフとハンカチをセットにして
渡したのだが、もしかしたらそのチョイスは間違っていたのだろうか?
(結構、喜んでくれていたと思うが)
 「食べ物の方が良かったか?」
 先のこともあり、日和の家族の好みはちゃんと把握していた方がいいと聞き返した秋月の横顔をしばらく見つめてきた
日和は、なぜか唐突にごめんなさいと謝ってきた。
 「日和?」
 「・・・・・ちょっと、嫌な気分になったから」
 「・・・・・」
 それが自分のどの態度なのかと秋月は眉を顰めたが、続いて言う日和の言葉は秋月の感情を一気に浮上させるもの
だった。

 「秋月さん、チョコいっぱい貰ったんだろうなって思って・・・・・母さんや舞にお返しを渡してくれるように、他の人にも渡して
るのかなって考えると、ちょっと・・・・・嫌だなって」
 本当にちょっとだけですよと、付け加える日和の顔は赤く、自分でも恥ずかしいことを言っているという自覚はあるのだろ
う。
 「貰ってない」
 「え?」
 「事務所に届く物は知らないが、俺は直接受け取っていない。お前から以外は」
 「・・・・・そ、そうなんですか」
 何と言っていいのか分からないのだろう、日和はそう言ったきり窓の外へと顔を向けたが、こちらから見える耳や首筋は
鮮やかに赤くなっている。

 「ちょっと、嫌な気分になったから」

それが、嫉妬ではないとは言わない。日和は秋月を自分の恋人だと思い、その恋人が他の人間から多くの好意を寄せ
られることに不安を覚え、その好意に秋月がアクションを起こすことを面白くないと感じているのだ。
(嫉妬されるのが気持ちがいいとはな)
 それまで、見当違いの嫉妬を向けられると直ぐに愛情が冷めたはずが、日和に対しては心地良いと、嬉しいと感じてし
まう。
自分がそれだけ年を重ねて落ち着いたせいもあるかもしれないが、それ以上に日和に対する愛情が今までにないほどに
深いということだ。
 「・・・・・怒りました?」
 恐々と聞いてくる日和に、前とは反対だなと苦笑を零す。
バレンタインの時は自分の方が余裕が無かったのに、今回は日和の方が・・・・・。
(どうするかな)
 怒っていると言えば日和は落ち込み、今日の時間を楽しむことが出来なくなるかもしれない。
しかし、何でもないと答えれば、かえって愛情を疑われるかもしれないと、秋月はしばらく考えて・・・・・日和に負担の少な
いお仕置きをしてやるかと思った。




 「恋人に疑われたのは面白くないが、それだけお前が俺のことを思っているんだと考えれば悪くない」
 「え・・・・・?」
(そ、それって、何だか俺が秋月さんのことを好きでたまらないって感じに聞こえるんだけど・・・・・)
 全てが違うとは言わないものの、それでも簡単に頷けないのは日和にも多少のプライドがあるせいかもしれない。
 「・・・・・」
チラッと運転している秋月の顔を見れば、怒っているようには見えず、しかし、笑み崩れているということもなくて、自分が
感じているほどに秋月の言葉には深い意味は無いのかとさえ思ってしまった。
 「・・・・・ごめんなさい」
 そうなると、やはり素直に謝っておく方がいいかもしれないと日和がペコっと頭を下げると、秋月は違うと言ってくる。
 「恋人に対しての謝罪の言葉は違うだろ?」
 「え?」
 「考えてみろ」
 「・・・・・」
(な、何を期待してるんだろ)
どう言えば秋月は納得するのだろうか。せっかくこうして会って、自分のカバンの中にはホワイトデーのお返しも入っている
状態で、モヤモヤを持続するのはやはり避けたい。
(でも、恋人に対しての謝罪って・・・・・)
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 ヒントを貰いたいが、秋月は教えてくれないだろうということも分かっていた。
自分で考え、自分の言葉で答えろと、ずるい大人の男は暗に促しているのだ。




 ただ謝罪するだけでなく、『恋人として』という言葉が付いているのだ、日和はどう考え、答えてくれるのかと、秋月は表
面上平静を装いながらも楽しみにしていた。
 もちろん、どんな答えが出ても、始めから怒ってはいないので直ぐに許すつもりでいる。
が、せっかくのチャンスだ、何とか日和の口から嬉しい言葉を聞きたい。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 自分よりも遥か年少の少年の言葉をこんなに欲している姿など、部下達にはとても見せられないと思っていると。
 「・・・・・秋月さん」
何かを決めたような日和の声音に、秋月は何だと返事を返した。
 「えっと・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・好き、だから、許してください?」
 それは、言葉の響きからはとても感じ取れないほどに色気が無かった。
これで合っているかと教師に訊ねるような自信なさげな日和の口調に、秋月は一瞬間を置いてからぷっと吹きだす。
 「あ、秋月さん?」
 「ははは」
(まだ、早かったってことか)
 恋人同士の言葉の駆け引きは、日和にはまだ少し早かったのかもしれない。それでも『好き』という単語を口に出来た
だけ、日和の中に自分の存在は着実に根付いているのだろうと思うことにした。
 「次の信号待ちで、お前からキスしてくれたら完璧だな」
 「!」
 さて、日和はどうするだろうか。
今度こそ激しく動揺し、顔を赤くして落ち着きなくカバンに手をやっている日和。視界の中に入ったカバンの膨らみがいっ
たい何なのか、想像するだけで笑みを誘われながら、秋月は早く信号が赤になるようにと願った。





                                                                  end






秋月&日和編。
前回のバレンタインデーに引っ掛けての話です。