伊崎&楓の場合








 楓は綺麗な眉を顰めた。
不機嫌な理由など一つしかない。大切で大事な恋人が、もう一週間以上も自分に構ってくれないからだ。
 いや、そういう言い方は少し違うかもしれない。毎晩楓の部屋を訪れ、少し話しをしてくれるのだが、それもせいぜい30
分ほどで、それ以上は恋人の疲れた顔を見た楓が追い返していた。
 「全く、恭祐の他でデキる奴はいないのか?」
(兄さんにハッパ掛けておかないとっ)

 大東組系日向組の次男である日向楓(ひゅうが かえで)の恋人は、日向組の若頭である伊崎恭祐(いさき きょうす
け)だ。
 幼い頃は世話係をしてくれていた伊崎を幼いころから慕っていた楓は、何時しかその感情は恋心に変化した。
迫って迫って、押し倒して。ようやく手に入れた大好きな恋人だが、伊崎は楓だけのものではなく、日向組の中心人物で
もあって、なかなか容易にイチャイチャ出来る時間が無いのが不満で仕方が無い。
 ただ、楓も伊崎の有能さを分かっていたし、組にとって大事な存在であることも分かっているので、思うほどに我が儘も
言っていないのが現状だった。




 「坊ちゃん!」
 伊崎か来ないのならば自分から行けばいい。
そう思った楓が事務所に向かうと、中にいた数人の組員達が掛け寄ってきた。
世間では近寄りがたいヤクザと言われる者達だが、楓にとっては幼いころから見慣れているのでむしろ可愛いとさえ思え
る男達だ。
自分に迫って来ても恐れることなどなく、反対に伊崎の所在を訊ねた。
 「若頭は出掛けられました」
 「・・・・・」
(また・・・・・)
 時期的に上部組織の中でも様々な行事があるようで、毎年伊崎は忙しく動いている。
その上、組の仕事にまで目を配っていたら寝る暇もないだろう。
 「・・・・・兄さん、恭祐ばっかり働かせてるんじゃない?」
 「そ、そんなことありませんよっ」
 「組長も忙しくされています!」
 口々に言う組員は兄を慕っているのでそう言うだろうが、楓の認識では兄は伊崎に頼り過ぎだと思う。
今夜にでも文句を言おうかと思っていた時、
 「坊ちゃん、明日の件ですが」
 「明日?」
不意に古参の組員がそう切り出してきた。
 「何のこと?」
 「チョコレートのお礼ですよ」
 「・・・・・ああ、そのこと」
 毎年、2月14日のバレンタインに、組員にはチョコレートを渡しているが、それは楓にとっては日頃の労いの意味が強い
のでお返しは期待などしていない。
ただ、組員達はそうもいかないらしく、ホワイトデーには毎年皆金を出し合ってプレゼントをくれていた。
 「別に気にしなくっていいのに」
 「そんなわけにはいきませんよ!」
 「俺達の感謝の気持ちなんですから!」
 若い組員達は勢い込んでそう言い、年配の組員達は苦笑をしている。
皆が自分を大切に思ってくれる気持ちは嬉しいので、楓は笑いながらありがとうと答えた。
 「みんな金が無いんだから、何でも券でもいいんだぞ?お使い券とか、宿題をしてくれる券とか」
 「俺達が大学の勉強なんて分かるはず無いですよ〜」
 「だから、例えばだって」
 「と、とにかく、今年は絶対坊ちゃんが喜んでくれるお返しですから!」
そう前置きして切り出された話に、楓の頬にはたちまち嬉しそうな笑みが浮かんだ。




 伊崎は深い溜め息をついた。
3月は多忙で、なかなか自分で自由に出来る時間は無い。自分自身の身体のことはいいものの、大切な恋人のことを
思えば溜め息を止めることが出来ないのだ。

 愛しい恋人である楓は組の子息でもあるので伊崎の仕事には理解を示してくれてはいるが、それでもあまり構わない
でいるのも可哀想だと思う。
 いや、伊崎自身、楓が足りないと思うのだが、朝早くや夜遅くという時間帯では楓が可哀想で、その結果もう随分長
い間キスしかしていない。

 絶世の美女にも劣らない、完璧な美貌の主。それ以上に可愛い恋人に寂しい思いをずっとさせていれば、何時しか
愛想を尽かされてしまう可能性もある。
(今日は14日か・・・・・)
 今日はホワイトデー、それも日曜日だ。なんとか少しは時間を取ろうと思いながら朝食の席に着いた伊崎は、そこで思
い掛けない光景を目にした。
 「遅いぞ、恭祐」
 「・・・・・すみません」
 「ほら、早く飯」
 「・・・・・」
(何か・・・・・)
 伊崎は妙に上機嫌の楓の横顔を見て違和感を覚えた。
昨日まではどこかイライラとして、それでもそれを伊崎に感じさせないようにとしていた様子が見てとれたのに、今日は一
転して楽しそうに笑っている。
両隣りにいる父や兄と話す時も、給仕をしている組員に話し掛ける時も、楓は何時になくにこやかで・・・・・しかし、どうや
らそれを戸惑っているのは伊崎だけらしく、その場にいる者は皆、楓の笑顔に癒され、楽しんでいた。
 「・・・・・」
(いったい、何があった?)
 昨夜は遅くなり、楓の部屋に訪ねることも出来なかったので、楓の変化が何時からなのかがはっきり分からない。
食事を済ませてから訊ねようと決め、伊崎も食事を始めた。




 「若頭っ、すみません!」
 しかし、食事を終えてからの伊崎に楓とゆっくりと話す時間は無かった。日曜日とはいえ、しなければならない仕事は多
く、伊崎も組長である楓の兄も、組員達も、忙しく処理をしていく。
(仕方ない、今夜にするしかないか)
 昼過ぎ、溜め息をつきながら時計を見上げた伊崎に、不意に古参の組員が声を掛けてきた。
 「若頭、坊ちゃんがお呼びです」
 「楓さんが?」
 「急いでいるみたいですが」
 「・・・・・分かった」
朝の上機嫌はもう終わったのかと、伊崎は仕事の手を止めて立ち上がる。
 「戻ったら・・・・・」
 「こちらの心配は御無用です」
 「・・・・・」
 何だかその言葉に引っ掛かる部分はあったが、伊崎は直ぐに意識を切り替える。楓が自分に一体何の用があるのか、
早くその顔を見て話を聞かなければと思った。

 「楓さん」
 楓の部屋をノックしても、中から何の返答もない。
呼んでいると聞いて直ぐに部屋にやってきたのだが、もしかしたら別の場所にということなのだろうか。
 「入りますよ」
 それでも一応声を掛けて中に入った伊崎は、
 「!」
ドアを開けるなりいきなり抱きつかれ、思わずドアに背をぶつけてその相手・・・・・楓を驚いた眼差しで見つめた。
 「楓さんっ?」
 「ふふっ」
 伊崎の首に腕を回した楓は楽しそうに笑っている。その顔はとても可愛らしいが、一体何がどうなっているのか伊崎はこ
の状況でも良く分からなかった。
 「お前、プレゼントなんだよ」
 「プレゼント・・・・・ですか?」
 「そ。皆から俺へのプレゼント」




 「最近、若頭がとても忙しくて、なかなか坊ちゃんのお世話が出来ないようですので。今回は俺達が若頭の仕事を分
担して受けますから、半日ゆっくり甘えて下さい」

 組員の言葉に、楓は思わず目を丸くした。
自分と伊崎の関係を組員達はまだ知らないはずだが、そう思わせてしまうほどに自分はイライラしていたのだろうか。
 「・・・・・恭祐が、バレンタインのお返しってこと?」
 「若頭って言うか、若頭の時間がってことですけど・・・・・」
 「・・・・・でも、忙しいんだろ?」
 「それくらいの時間、私達だって手伝えますよ」
 古参の組員が苦笑しながらそう言うのを聞いているうちに、楓はジワジワと嬉しさが湧き上がってきた。
まだ自分と伊崎の関係をおおっぴらには出来ないものの、楓は伊崎に懐いていること、伊崎が楓を可愛がっていることは
組の中でも周知のことだった。
 だからこそ、自分を喜ばすためにこんなことを思い付いたのだろうと思えば、皆の気持ちがとても嬉しかったし、最近自分
をないがしろにしている伊崎に意趣返しが出来るかもしれない。
 いや、どんなに言葉を飾ったとしても、伊崎と2人だけの時間を過ごしたいという自分の気持ちを隠しきることなど出来
ず、楓は組員達の気持ちをありがたく受け取ることにした。
 朝起きてから、今日は伊崎と2人でいられると思うと嬉しくて、楓はずっと上機嫌だった。そんな自分を伊崎が不思議そ
うに見ていることも面白くて、さらに気持ちは高揚して・・・・・。




 「私が・・・・・お返し、ですか?」
 「そう。だから、お前はちゃんと俺を満足させなきゃいけないんだよ」
 そう言う楓はずっと笑っている。その顔を見ていると、伊崎は何も言い返すことが出来なかった。
組員達がどんな理由でそんなことを考えたのか、もしかしたら自分達の関係を薄々気付いているのではないか。考えれ
ばきりが無いが、もうそんなことを考える余裕は伊崎にも無かった。
 「分かりました。ちゃんと満足させますよ」
 思いがけず出来た2人きりの時間を楽しまなければ損だ。
伊崎は楓の腰を抱き寄せ、その唇を奪いながら、どんなふうに楓を喜ばせようかと考えていた。





                                                                  end






伊崎&楓編。
今回の功労者は組員達(笑)。