綾辻&倉橋の場合
目の前にドンと置かれた紙袋に、若い組員は戸惑ったように視線を上げた。
そこに立っているのは、朝からにやけていた・・・・・しかし、十分に整った容貌のこの組の幹部だ。
「お願いね」
「お、お願いって・・・・・何ですか?」
こんなふうに聞き返しても叱られるだけだと分かっていたが、何も思いつかないので本人に訊ねるしかない。
すると、上機嫌らしい綾辻は仕方ないわねと言いながら紙袋の中を組員に見せた。
「・・・・・これ・・・・・飴、ですよね?」
「ペロペロキャンディ、知らない?」
「知ってますけど、こんなにたくさん・・・・・どうするんですか?」
「バレンタインのお返しよ」
ああと、ようやく組員は納得が出来た。この大量の、ざっと見ただけでも百単位ある飴は、2月14日、目の前にいる幹
部が貰った大量のチョコレートのお返しなのだと分かったはいいものの、量が多過ぎて、羨ましいというよりは呆気にとられ
てしまった。
大東組系開成会の幹部の1人、綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)は、古めかしい名前に似合わない、スタイリッシュでモ
デルのような容貌の男だった。
その美貌に加え性格も明るく、人付き合いも良くて、開成会のシマ内だけでなく、かなりのファンを持っていた。
先月2月14日のバレンタインには、郵送や宅急便、それに組員達にも直接預ける者もいて、そんな女の迫力に普段
強面な組員達もタジタジとなったくらいだ。
一番人気はさすがに会長の海藤・・・・・と、表向きには言われているが、ストイックで近寄り難い雰囲気の海藤に直接
チョコを渡す勇気がある者は少なく、そのうえ海藤には決めた相手がいるというのも広く知られているので、実際のチョコの
数はやはり綾辻が一番だった。
しかし、ここ数年の綾辻は、明らかに義理と分かるチョコレート以外は受け取らない。
本命が出来たのではないかと色んな女達に組員は問い詰められるが、まさか本当のことは言えなかった。
(同じ幹部の尻を追いかけてるなんて・・・・・言えないって)
「これ、全部ですか?」
「そうよー。多分足りると思うけど、足りなかったら同じの買って渡しておいて?後でお金渡すから」
「あ、あの、俺達なんかじゃなくって、綾辻幹部が直接渡した方が・・・・・」
「馬鹿ねえ」
綾辻は笑う。男が見ても色っぽいと思える笑みだが、自分たちよりもよほど強いことを知っているので見惚れるということ
はなかった。
「私みたいに、顔も頭も性格もいい男がモテるのは分かりきっているし、可愛い子達の愛情も嬉しいけど、私の心は克
己のものじゃない?」
「はあ」
「克己のことを愛しているのに、他の子達に直接お返しあげるなんて、それが10円のチョコでも克己への裏切りだと思
うの。だから、あんた達にお願いしてるのよ」
お小遣いあげるからと言う綾辻の言葉を聞きながら、組員達は顔を見合す。
そんな理由をつけても、結局は面倒臭いということなんじゃないかと思ってしまった。
2月14日に、綾辻は恋人からチョコ・・・・・ケーキを貰った。
コンビニの袋に入れられていたそれは、今まで食べたこともないくらい美味しくて、綾辻は恋人の自分に対する愛情を確
信したものだ。
愛しい恋人は、開成会幹部、倉橋克己(くらはし かつみ)。同僚といえる立場の相手は同性で、男同士の関係を
何時も悩んでいるストイックな性格だった。
そんな恋人が、自ら買ってくれたケーキの意味を十分分かっているつもりの綾辻は、3月14日を心待ちにしていた。
バレンタインの返礼が堂々と出来る日。何時もは綾辻から何も受け取ろうとしない倉橋だが、この日ばかりは有無を言
わせずに渡せる日だ。
「あら?克己は?」
他の人間から貰ったチョコの礼は組員に任せることにする。それが安い飴1つでも、綾辻自ら渡してしまえば余計な期
待を持つ者が現れてしまうかもしれないからだ。
その上で倉橋を捕まえようと思い、そう切り出した綾辻に、別の組員が恐る恐る口を開く。
「さっき、揉め事があるから来てくれって連絡があって・・・・・」
「・・・・・何、それ」
初耳だと綾辻は眉を顰めた。普段にこやかなだけに、たまに怒るとかなりの迫力があるらしい。
「ですから、丁度シマの境にある店に、向こうの奴らが押しかけてきたみたいで」
「どうして私に言わないのよ」
「あ、綾辻幹部の携帯、切れてましたからっ」
「・・・・・あー」
途中で呼び出されても面倒だからと電源を切ったことが裏目に出たらしい。自分の失態に口の中で舌を打ちながら、綾
辻は腕時計を見下ろした。
「何時に出た?」
「え・・・・・っと、二時間くらい前です」
「二時間・・・・・場所は?」
自分も向かおうと思った時、
「開けてくれ」
事務所のドアの向こうから、当の本人の声が聞こえてきた。
「克己っ?」
自分でドアを開けることが出来ない怪我でもしたのかと、綾辻は素早くドアを開ける。
「・・・・・何、それ」
「すみません、ちょっと持ってください」
両手いっぱいの紙袋を持った倉橋は、何時もと代わらぬ無表情で答えた。
揉め事に借り出されるのは随分と久し振りだった。
それは組の中でも古参の者か、話が大きくなりそうな場合は綾辻が出て行くからで、見るからに文系な自分は事務所に
いることが多かった。
しかし、倉橋もこの地位になるまで全ての争いごとを避けてきたというわけではなく、多少は修羅場というものもくぐって
きた。
それに、感情の起伏が少ない分、冷静に話も出来るだろうと思って向かったのだが・・・・・。
「・・・・・何、それ」
「すみません、ちょっと持ってください」
先ほど事務所を出る時はどこに行ったのか分からなかった綾辻がそこにいて、倉橋は指に食い込むほどに重い紙袋を
持ってくれるように頼んだ。
「これ・・・・・」
「ええ、クッキーや飴です。食べますか?」
「そうじゃなくって!どうしたの?これっ」
「頂きました」
「頂いたって、誰にっ?」
「・・・・・多くの方に」
そう答えることしか出来なかった。一々顔まで覚えていられないほどに唐突な出来事だったからだ。
揉め事は案外早く解決し、そのまま倉橋は事務所に戻ろうとした。
ただ、久し振りに街に出たので、シマの様子を自分の目で見ておこう・・・・・そう思ったのは本当に気紛れだが、その気紛
れが全く予想外の出来事になってしまった。
「倉橋幹部っ」
突然に呼び止められた倉橋が振り向くと、そこにいたのは開成会が入っている飲み屋のバーテンだった。
「どうした?」
「こ、これ!」
「・・・・・」
差し出されたのは、綺麗に包装された小さな包み。男からこんなものを貰う理由が分からずにいると、バーテンは顔を赤く
しながら言葉を続けた。
「い、何時もお世話になっているので、お礼のつもりで!」
「お礼?」
「お礼です!」
直接世話をしているのは自分ではないが、そう言われて倉橋もありがとうと受け取った。組に戻って皆に分ければいい
と軽く考えたのだが・・・・・それは1人では済まなかった。
「じゃ、じゃあ、これみんな男から?」
「男性が多かったですが、女性も」
「どうして受け取るのよ!」
「どうしてって、お礼と言われて感謝されているのにつき返すことは出来ないでしょう」
なんでもないことのように言う倉橋に、綾辻は眩暈がしそうになった。
(これって、お礼にかこつけたプレゼントじゃない!)
多分、倉橋は今日がホワイトデーだということを忘れているのに違いない。今日は男から女に告白する日で、もちろん倉
橋は女ではないが、ガードがいなくて近付きやすい彼に、ここぞとばかりにプレゼント攻撃をしてきた者達をどうしてくれよう
かと思った。
(後で、カードを見てやる!)
絶対に、名前か携帯番号が書かれてあるはずで、全て自分で処理してやると、綾辻は内心の不快を押し殺してにっ
こりと笑みを浮かべる。
「良かったじゃない、みんなに慕われて」
「・・・・・私の功績ではありません」
早口にそう言って顔を背ける倉橋は、きっと照れているのだろう。そんな奥ゆかしい性格も好ましいなと思いながら、綾
辻はさりげなく倉橋が持っていた紙袋を全て受け取り、側の机の上に置いた。
「それ、私が後で見るから」
手を出すんじゃないと視線で言えば、組員達は焦ったようにはいっと答える。
「ねえ、克己」
それを見届けた綾辻は、倉橋の肩を抱き寄せた。
「あ、綾辻さんっ」
「今夜、付き合って」
「え?」
「克己の時間をちょうだい」
「・・・・・綾辻さん?」
不思議そうに聞き返す倉橋の顔は随分と幼く見え、思わずキスをしてしまいたいほどに可愛らしかったが、他にも組員
達がいる中でそんなことをしてしまえば今夜の予定はおろか、当分甘い時間を過ごすことは出来なくなるだろう。
「・・・・・」
綾辻はチラッと組員達を睨みつける。先ほどまで自分勝手な頼みごとをしていたという自覚はあるものの、恋する男は
何時でも我が儘なのだと心の中で言い訳をした。
「あっ、俺、電話を・・・・・」
「コーヒー、飲みに行こうっ」
自分の視線の意味を正確に読み取った組員達は次々に事務所から出て行き、何時の間にか事務所の中には自分
と倉橋しかいなくなる。
「綾辻さん?」
何が起こっているのかと、不安そうな眼差しを自分に向けてくる倉橋の唇を奪うのに、邪魔者はいなくなった。
綾辻は色っぽい笑みを浮かべ、自分とほぼ同じ目線の倉橋の目を見つめ返しながら、
「理由はキスの後でね」
と、形のある愛の証を渡す前に、ゆっくりと唇を重ねた。
end
綾辻&倉橋編。
甘さはちょっと控えめで。