杉崎&三郎の場合








 トントン

研究室のドアを叩いた田中三郎(たなか さぶろう)は、ドアを開けるなり目の前で難しい表情をしている男を見て首を
傾げた。
 「どうしたんですか、センセ」
 微妙なイントネーションでそう言えば、男は端正な顔の眉間に皺を寄せたまま田中と名前を呼んでくる。
 「私は、今悩んでいる」
 「・・・・・はあ」
 「君に答えが出せるとは思わないが、せっかくここに来たんだ、聞きたいのならば話してもいい」
 「・・・・・」
(聞いて欲しいって言えば早いのに)
どうしてこんな回りくどい言い方をするのか分からないが、頭の良い人はえてしてこんな考えなのかもしれない。もう数カ月
男の側にいた三郎はその性格もかなり把握してきているので、男が言って欲しい言葉を素直に口にした。
 「教えてくれたら嬉しいですけど・・・・・」
 「そうか。そんなに知りたいのならば聞かせてやろう」

 この春、大学3年生に進学予定の三郎は、部活もサークル活動もしておらず、一心に研究をするということもなく、就
職活動をするにしてはまだ少し早くて・・・・・それなのに、ほぼ毎日大学に来ていた。
それは、この大学の准教授、杉崎桂一郎(すぎさき けいいちろう)に弁当を届けるためだ。

 杉崎は、身長は軽く180センチを越えていて、体付きもしなやかな筋肉が付いているだろうにスリムだった。
黒髪に、フレームスの眼鏡の奥の目は切れ長で、鼻も、唇も完璧な位置で、大学内でも人気は一番だが、反面随分
と不精というか、俺様な性格をしていて、その上世情に無頓着で、人の感情の機微にも疎くて、講義以外の会話には
かなり語彙が少なくて・・・・・早く言えば、変わり者だという評判も高かった。
 そんな彼になぜ弁当を作るようになったのか・・・・・それは、単位に関係する罰から始まったのだが、今では三郎も自分
の意志でここに来ているし、気難しい杉崎も三郎の存在を受け入れていた。

 「先月は何月だった?」
 「え・・・・・2月、ですよね?」
 「今月は?」
 「3月です」
 多少回りくどいが、それが杉崎の話し方だと分かっている三郎は素直に答える。
すると、腕組みをした杉崎は、そうだろうと頷いた。
 「毎年感じることだが、今年は特に大変だった」
 「・・・・・」
 「あの、くだらない菓子屋の陰謀のせいで」
 「・・・・・ああ、バレンタインですか?」
 「別に、その単語を言わなくてもいい。なぜか、何時もよりも多く押しかけてきて、ああ、田中、君も悪い。不特定多数
の女子生徒から私宛の荷物を預かってきただろう」
 「荷物って・・・・・」
(だって、俺になら渡しやすいって言ってたし・・・・・)

 その容姿で学内でも抜群の人気を誇る杉崎だが、性格のせいか浮ついたイベントを嫌うだろうとそれまで女子生徒の
多くはチョコレートを渡さなかったらしい。
しかし、三郎が研究室に出入りするようになってから、当の2人は全く気付かないが杉崎の態度はかなり軟化してきたら
しく、これならチョコくらいは受け取るのではないかと思われてしまったようだ。
 教室や廊下、研究室まで押しかけてくる女子生徒の他、なぜか三郎に預けてくる者も多かった。

 「お願いっ、サブちゃん!」
 「サブちゃんが渡したら、絶対に受け取ってくれるはずだし!」

三郎が杉崎の弁当を作っていることは既に周知のことで、三郎といる杉崎の雰囲気は特に柔らかいと敏感に感じている
らしい女子生徒達の願いを、三郎は断る理由がなかった。その時、ついでのように自分も義理チョコを貰い、人生の中で
一番の数だった。

 「君が何の考えもなく受け取り、私のところに持ってきたせいで、私は今こんなに悩んでいる」
 「何を悩むことがあるんですか?」
 「私は、貰いっぱなしなのは性に合わない」
 「ああ、ホワイトデーのお返しですか」
 ようやく、話は本筋に入ったようだ。
今日は3月12日。明後日に迫ったホワイトデーのことで杉崎が悩んでいることを知り、よく杉崎がそんな行事を知ってい
たなと感心してしまう。
 三郎が何気なく訊ねると、他の准教授から聞いたと答えた。
 「全く、菓子屋は幾つ無駄な行事を作る気だ」
 「・・・・・」
無駄だと思っているのはごく一部なのではないかと三郎は思ったが、それは今口に出さない方がいいだろうと口を噤んだ。




 いらないものを無理矢理押し付けられ、そのせいでこんなことを考えなければならないことに杉崎は憤慨していた。
数が多いのだから無視していればいいと他の准教授は笑いながら言っていたが、いくらいらないものだとはいえ、貰いっぱ
なしなのは嫌だった。
(全く・・・・・学生ならば勉強に力を込めればいいものを)
 杉崎は眉を顰めたまま、自分の目の前に立つ三郎を見る。もちろん、三郎を責めるつもりはないものの、自分が貰った
半分ほどは三郎が預かってきたものだ。

 「センセ、モテますね」

 笑いながらそう言った三郎に悪気はないのだろうが、杉崎は胸の奥がモヤモヤとしていた。せっかく、自分達の間には良
好な関係が築かれているというのに、その中に他の者が割り込んできても構わないのかと思う。
 そんな複雑な思いを抱いたまま1カ月、今度はその返礼のことを考えなければならなくなった。これ以上無駄な時間を
費やしたくはないのだが・・・・・。
 「じゃあ、センセ、これはどうです?」
 「なんだ」
 「俺がクッキーを焼きますから、それを配るっていうの。あれだけの数、幾ら一番安い物を選んだとしても相当な金額にな
るでしょう?その点、手作りなら安上がりだし」
 「・・・・・田中の手作りか?」
 「貰ったチョコ、センセ全部俺にくれたでしょ?弟達のおやつ、あれで随分助かってますし、俺、カードは別にとってありま
すからくれた人も分かりますよ」
 「・・・・・」
 人の良い笑みを浮かべながら言う三郎は、きっと杉崎のことを考えて言ってくれているのだろう。だが、当の杉崎は三郎
の提案に素直に頷くことは出来なかった。
 「田中、お前は考え違いをしている」
 「え?」
 「既製品よりも手作りの物が安いといっているが、手作りはそれだけ手間と時間を掛けるはずだ。お前にとって利益の
無い者のためにそんな労力を使うなど馬鹿馬鹿しい・・・・・違うか?」
 「え・・・・・っと」
 三郎の作る料理を、杉崎は金を出してもいいレベルだと思っている。高級料亭などとは違い、温かな家庭の、愛情の
こもった料理は三郎の性格同様ふんわりと優しく、杉崎は言葉には出さないがハマッていた。
そんな三郎の料理を、見も知らぬ不特定多数の相手に分け与えるというのは考えたくなかった。
 「・・・・・じゃあ、どうしますか?」
 「・・・・・」
 それが分かれば、今こんな顔をしていない。
ますます不機嫌になってきた杉崎に、三郎は少し考えるように首を傾げてしまった。
 「気持ちに応える気がないなら、あれ程の数だったら無視してもいいとは思いますけど・・・・・」
 「・・・・・」
 「でも、そんなのでセンセの評判が落ちるのは俺は嫌だし」
 「・・・・・嫌なのか?」
 「センセが優しい人だっていうの、俺、分かっているつもりだから」
 三郎の言葉に、杉崎はしばらくその顔を見つめ・・・・・ふいっと視線を逸らす。
(私を優しいなどと言うのは田中ぐらいだ)
自分の性格の屈折具合を、杉崎は冷静に見ているつもりだ。学生相手の仕事をしているものの、それは今の研究をす
るにはこの地位が最適だからで、本来は煩い子供の相手などしたくないというのが本音だった。
 しかし、そんな自分を三郎は違いますよと言ってくれる。
それが贔屓目の言葉だとしても、素直な三郎の言葉は杉崎にとっては心地良く、何よりも信じることが出来るものになっ
ていた。




(・・・・・どうすればいいんだろ)
 こうなると、駄菓子か何かで誤魔化せば一番金額を抑えることが出来るかもしれないと、三郎の頭の中では計算機が
点滅している。
いや、杉崎本人が誰かに特別な思いを抱いているのならまだしも、反対に迷惑だと思っているのだったら動かない方が精
神衛生的にいいのかもしれない。
それに、杉崎にチョコを渡した女子生徒達も、お返しなど期待していないんじゃないかとも思う。
(この話、もう止めた方がいいかもしれないな)
 「センセ、とりあえずお昼に・・・・・」
 「田中」
 「はい?」
 「一つ提案があるんだが」
 唐突にそう切り出した杉崎は言葉を続けた。
 「私が材料代を出して田中が菓子を作り、その菓子を私が受け取ってから、皆に配る」
 「・・・・・」
(それって、さっきの俺の話と何が違うんだろ?)
三郎が、自分がクッキーを作るからと言い出した時はあんなに嫌な顔をしたくせに、今自分が言った言葉を最良の方法
だと自慢げに言う杉崎の思考が少し分からない。
違う点と言えば、出来た菓子をいったん杉崎に渡すということだけなのだが・・・・・。
 「どう思う?」
 「はあ・・・・・センセがいいなら、俺は構いませんけど」
 「よし、これで懸案は片付いた。明日、調理室を借りる手配は整えておく。材料代は渡しておくから、適当な数が作れ
るだけ買ってきて欲しい」
 「はい」
 とにかく、杉崎の中では全てが解決したようだ。
三郎はチョコをくれた相手の人数を頭の中で思い浮かべながら、きっちりと数を計算し始めた。




 三郎の持ってきてくれた弁当。
今日は鮭の塩焼きにえんどう豆の胡麻和え。肉団子の甘酢掛けに、卵焼き。
一口一口が美味しくて、思わず頬を緩めてしまうが、何時も以上に弁当を美味しく感じるのは数日前からの懸案が片
付いたからかもしれない。
(田中の手料理を、勝手に食べさせてたまるか)
 三郎が菓子を作り、それを直接配るのは言語道断だが、いったん自分が全て受け取ってから配るのならば多少はまし
だ。
自分の物をやるだけだし、自分も三郎の手作りの菓子を食べられるし、共にいる時間も増える。
面倒な出来事を、自分にとって良い方向に変えることが出来た杉崎は、今日も三郎の美味しい手料理を食べることが
出来て幸せだと感じていた。





                                                                  end






杉崎&三郎編。
愛には程遠い2人(笑)。