海藤&真琴の場合
「社長はどうするんです?週末」
部下である綾辻の言葉に顔を上げた海藤は、特に決めていないと答えた。
その日が何の日か、当然海藤も知っていたが、そう答えることしか出来ないのが現状だった。綾辻もそれを知っているの
でそれ以上は言わず、ただ苦笑を零しながら大変ですねと言ってきた。
「でも、1日くらい何とかなるんじゃありません?」
「・・・・・」
「マコちゃん、社長と一緒にいるだけでも嬉しいと思いますけど」
「・・・・・そうだな」
海藤自身、ただ傍にいてやるだけでも出来ないだろうかと考えている。先月14日、恋人同士にとっては意味のあるイベ
ントの時に、1人きりで過ごさせてしまうという寂しい思いをさせてしまった。
いや、辛うじて間に合いはしたものの、それでも恋人に対して申し訳なかったという思いは強い。だからこそ、今月の14
日には、何とか・・・・・そう、思っていた。
大東組系開成会会長、海藤貴士(かいどう たかし)の恋人は、今年の春大学4年生に進級する西原真琴(にしは
ら まこと)という青年だ。
自分から無理矢理始めた関係は、真琴も受け入れてくれたことにより両想いとなり、今は一緒に暮らしているし、互い
の両親にも紹介済みだ。
もちろん、男同士の関係がおおっぴらに出来るものではないと分かっていたが、それでも海藤は真琴以上に愛せる相
手は今後出てこないだろうと確信出来たし、真琴も真摯な愛情を向けてくれている。
ただ、ヤクザの組を率いている自分と、普通の大学生である真琴の時間がすれ違ってしまうことは多く、特に3月という
この時期、海藤のその多忙さはかなりのものだった。
自分の生きて行く世界で確固たる地位を築くためには仕方のないことだが、だからといって愛する者を寂しがらせていい
とは思わない。
真琴は一時の遊びの相手ではなく、生涯連れ添う相手だ。その相手に対し、海藤は誠実でいたいと思っていた。
「お前は何か考えているのか?」
海藤にさりげなくアドバイスしてくれようとしている綾辻は、自分の組の幹部だ。
モデルのような華やかな容姿と、女言葉を操る、少々変わった男だが、その手腕は海藤も認め、安心して組を任せられ
るほどの男だった。
その綾辻にも同性の恋人がいることを知っている海藤は、自分ほどではないものの多忙な男の現状を聞いてみようと
思った。
「もちろん。私はイベントを大事にする方ですもの」
「・・・・・」
「ま、相手が喜ぶかどうかは分かりませんけどね」
「確かにな」
その恋人という男の顔を思い浮かべ、海藤も思わず笑んでしまう。生真面目でストイックな男が、どんな顔をして綾辻
の考えたプランを聞くのか少し見たい気もしてしまった。
しかし、どちらかと言えばその恋人の方により肩入れをしている海藤は、ほどほどにしておけと付け加える。
綾辻の思考とまともに付き合ってしまうと、その相手の方が疲れてしまうことが目に見えていたからだ。
「大事にしてくれ」
「社長、父親みたい」
クスクス笑う綾辻に返す言葉もなく、海藤は止まってしまった仕事の手を再び動かし始めた。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
その夜、日付が変わらないうちにマンションに帰った海藤は、出迎えてくれた真琴の笑顔に笑みを返した。
バイトがある時はともかく、普段は先に休んでいるようにと伝えているのだが、真琴はハイと答えるものの、そうした日はほ
とんどない。
海藤にしても、真琴の笑顔が見たいし、日常のことを楽しそうに話してくれる真琴の言葉を聞きたくて、起きているからと
いって叱ることはとても無理だ。
「夕飯は?」
「お前は食べたのか?」
「え・・・・・っと」
どうやら今夜も、食事をしないで待っていてくれたらしい。
「じゃあ、一緒に作るか」
「俺がっ」
「2人でした方が早いだろう」
着替えるからと告げ、何度か真琴の頭を撫でてから自室に向かった海藤は、ほうっと溜め息をつく。
(嬉しいと思うから・・・・・駄目だな)
自分の方が真琴に無理をさせていることが分かっていても、海藤はなかなかそれを改めることが出来なかった。
(疲れてるみたいだなあ)
真琴は鍋焼きうどんの出汁を温めながら思った。
海藤の忙しさは2月からずっと続いていて、綾辻に聞いてみると(海藤本人には聞けなかったので)3月いっぱいはこんな
日が続くと言っていた。
何時がピークなのかは分からないが、自分にも何か出来ないだろうかと真琴は考える。
少なくとも先月のように、たった1つのイベントで海藤に気遣わせることだけはしたくなかった。
(ホワイトデーはしなくったっていいんだし)
元気で、ちゃんと帰って来てくれたら、それだけでとても嬉しいと思う。
「うどんか」
そんなことを考えていた真琴は、不意に聞こえてきた海藤の声に慌てて顔を上げた。
「鍋焼きうどんですよ」
「美味そうだな」
「でも、出汁の味が・・・・・」
「ん?」
海藤は少しだけ出汁をすくって口に含み、直ぐにみりんと塩で味を調えてくれる。
海藤を先生として、真琴も随分とレパートリーが増えたと思うが、彼のように足りないものが何かを直ぐに分かるまでには
まだ時間は掛かりそうだ。
いや・・・・・。
(こうして、2人で作るのが楽しいし)
たわいない会話をしながら食事を作る。そんな一時がたまらなく幸せで、真琴は早く海藤の仕事が落ち着いてくれれば
なと祈った。
お互いがホワイトデーに付いて意見を言わないまま、13日の夜が更けた。海藤が帰ってきたのは辛うじて日付が変わ
る前で、そのままシャワーを浴びていた。
今夜真琴は友人と夕食をとることになっていたので、海藤も事務所で簡単に済ませてしまったが、それはとても味気の
ないものに感じてしまった。
「・・・・・」
「真琴?」
リビングに向かうと、ソファに腰掛けたままの真琴はゆらゆらと身体を揺らして眠っている。どうやら久しぶりの友人達との
時間は楽しいものだったようだ。
「・・・・・」
海藤はその身体を抱き上げて寝室に運ぶ。そっと下しても、自分がその隣に身体をすべり込ませても、真琴が目覚め
る気配は無かった。
ただ、伸びてきた指先が、ギュッとパジャマの胸元を握ってくる様子が、無意識のうちにも求められているようでなんだか
嬉しく思う。
「おやすみ」
囁くように言って、海藤は真琴を抱きしめた。温かな身体は抱きしめるだけで安心出来て、海藤は何時しか自分も深
い眠りに誘われていた。
翌朝、真琴が目覚めた時、ベッドに海藤の姿は無かった。
彼が自分より早く起きることはよくあったので、真琴はそれを不思議には思わずに起き上がる。ただ、夕べ風呂に入った海
藤を待っていたはずなのに何時の間にか眠ってしまい、おやすみやおはようという言葉を伝えることが出来なかったのを後
悔していたが。
(今日は、早いのかな)
日曜日の今日、多分海藤はまた仕事に行くだろうが、帰宅はどうだろうかと考えた。せっかくのホワイトデー、それを伝え
るつもりは無かったが、それでも少しでも長い時間傍にいることが出来ればなと思いながらリビングに行くと、
「あ」
「おはよう」
休日仕様の服にエプロンを着けた海藤が朝食を作っていた。
「・・・・・っ」
慌てた真琴が時計を見ると、そろそろ9時になろうとしている。
「海藤さんっ、時間!」
「ああ、ゆっくり寝ていたな」
「寝坊しちゃって・・・・・って、いいんですか?仕事っ」
「今日は休みだ」
「・・・・・休み?」
「最近、ずっと忙しかったからな。たまにゆっくりと過ごしても文句は言われないだろう」
それだけ働いているんだしなと笑う海藤に、真琴はジワジワと嬉しさがこみ上げてきた。
どうせ駄目だと思っていたことが、海藤とこの日、一緒にいられるということが嬉しくて、口元が緩むのを止めることが出来
ない。
「本当に・・・・・ずっと、一緒に?」
「鬱陶しいか?」
「全然!嬉しい!!」
真琴は思わず海藤に抱きつく。絶対に離さないぞという気持ちのまま抱きしめていると、頭上で笑う気配がして、自分の
子供っぽい行動に羞恥を感じるものの、それでも真琴はこの手を離したくは無かった。
バレンタインの返礼。
2人で料理を作るのも楽しいだろうが、たまには連れだってレストランに行き、恋人としての時間を楽しんでもいいのではな
いかと思う。
綾辻に聞いて、美味しい魚料理の店を予約しているし、ホワイトデーのお返しであるクッキーは、そのデザートの時に渡
せばいいだろう。
先月のバレンタインの時ほど・・・・・真琴の手料理ほどではないが、きっと気に入ってくれるのではないだろうか。
「朝食を食べたら、昼から出掛けるか」
「え?」
「お前の行きたい所に行くぞ。どこがいい?」
「俺の行きたいとこ?・・・・・きゅ、急に言われても思い浮かばないんですけど」
そうは言うものの、真琴の表情は目まぐるしく変わっていて、色んなことを考えているのだなということは感じ取れた。
そんなに悩むのならば、真琴の願いは全て叶えてやりたいと思ってしまう。今日1日で出来ないことは、これからゆっくり
と制覇していけばいい。
もちろんそこには2人一緒にという条件は付くが、きっと真琴も同じことを考えてくれているはずだ。
「ほら、座って」
椅子を引き、まだパジャマ姿の真琴を座らせる。
今日は1日真琴を王子様のように甘やかせてやろう・・・・・海藤はそう心の中で決めながら、嬉しさと戸惑いで複雑な笑
みを浮かべている真琴に向かい、目を細めて笑い掛けた。
「楽しい1日にしような」
end
海藤&真琴編。
この2人はもう夫婦のようなものなので(苦笑)、のんびりと温かい1日を過ごしたでしょう。