「どうだった、昴(すばる)、俺の運転」
「すっごく上手いよ!なんだかもうベテランって感じ!」
手放しで褒める昴の言葉に、鈴木はバ〜カと言いながら笑っている。
それでも、その顔の中に嬉しさが滲んでいるのを見て取って、昴は本当に羨ましいなあと溜め息をついた。
「俺も、自分の車が欲しいなあ」
「昴はもう少し待った方が良いんじゃないか」
「え〜、どう言う意味だよ」
「別に変な意味じゃないって。昴は特に交通手段に使うこともないし、急ぐことはないんじゃないかって思ってさ」
鈴木は笑いながら言うが、昴は無意識のうちに口を尖らせていた。確かに、急いで車を買う必要はないが、それでも欲しいな
と思うくらいはいいだろう。
(冗談じゃ無く、車を持つのは当分先だろうし・・・・)
昴はそう思いながら、窓の外へと視線を向ける。
大学一年生の安西昴(あんざい すばる)が運転免許証を取ったのは夏も盛りの頃だった。高校卒業する前に自動車教習
所に入学したのが春先で、ほぼ5カ月という時間を掛けてようやく手に入れた免許証だった。
それから二か月ほど経った秋の気配も濃くなった頃、昴は友人の鈴木にゆっくり遊ばないかと一泊旅行に誘われた。
それが自分の車を手に入れ、運転したいという鈴木の口実だと気付いていたが、昴もその気持ちは十二分にわかるので喜ん
で同行することにした。
ただし、それは過保護な年上の恋人には内緒だ。
自動車教習所の教官と生徒として出会い、厳しくも優しい彼の指導で運転免許証を取ることが出来た。
しかし、大人であるはずの恋人は、自分の運転する以外の車の助手席には乗るなと口うるさくいっている。妬きもちをやかれ
るのは嬉しいが、昴もたまには恋人以外の相手の運転する車にも乗ってみたかった。
結果的に、富士山を見に行き、ビジネスホテルに泊って帰るという、味もそっけもない旅だったが、昴にとっては久し振りに鈴
木と馬鹿馬鹿しい話をして、笑って・・・・・楽しい時間を過ごすことが出来た。
まだ未成年の鈴木は、親の名義で車を買ってもらった。
しかし、月々数万ずつ親には返済しているらしく、バイトの量は今まで以上に増やし、大学と共にかなりハードな日々を送ってい
ると聞いた。
鈴木にとっても、今回の旅行は久し振りの息抜きだったのだろう。
「お前もさあ、オヤジさんの車を運転させてもらったらいいじゃないか」
「・・・・・前、させてもらった」
「何て言ってた?」
「寿命が10年縮んだって」
「・・・・・まあ、10年くらいで良かったんじゃん」
多分、そうだ。学校に通っていた頃の自分の運転を目の前にすれば、きっと父親は運転することを禁止したに違いない。
いくら何度も仮免に落ちたと言っても、実際に運転する車に乗らなければ昴の技術の程を測ることは出来なかったはずだ。
(・・・・・そう考えたら、豊田先生ってすごい・・・・・チャレンジャー)
愛ゆえ、と、言ってもいいのだろうか。仮免からもう数え切れないほど昴の運転する車に乗ってくれた豊田に深く感謝すると、
何だか早く会いたくなってしまう。
今回は絶対に反対されるからと豊田には内緒の小旅行だったが、今度は豊田と一緒にどこかに行きたい。
安心出来る彼の運転する車にも乗りたいし、自分の運転だって・・・・・。
「どうする?家まで送ろうか?」
「・・・・・うん」
このまま豊田のマンションに行きたかったが、やはり一度家に帰って母に顔を見せなければ。
そう思いながら見慣れた家の近くの路地を車窓から見ていた昴は、
「・・・・・あ」
思わず声を上げてしまった。
「どうした?」
「い、家の、前・・・・・」
「え?・・・・・あ、お前んちの前に止まってる車のことか?知ってる奴?」
「・・・・・」
(知ってるも何も・・・・・)
中に人影がないかを確かめる間もなく、まるでこの車に昴が乗っていることがわかったかのように運転席のドアが開く。
そこから出てきた長身の男の姿に、運転していた鈴木がおーっと叫んだ。
「豊田先生じゃん!相変わらずイケメンだな〜っ」
「・・・・・」
(お、怒ってるよ〜)
こちらを見ながら、豊田の口角が上がるのが見える。まるで魔王が堕ちてくる獲物を見て笑っているようだと想像してしまい、
昴は青褪めたままブルッと身を震わせた。
隣では、鈴木がにこやかに豊田と話している。
教官仕様のスーツ姿ではなく、ニットセーターにジーンズというラフな格好の彼は、時折意味深にこちらへと視線を向けてきた。
(ど、どうしよ・・・・・)
「で、昴は結局2、3時間しか運転しなかったっけ?」
「え、あ、うん」
いきなり鈴木に話を振られ、昴は焦って頷く。
もっと運転したかったのは山々だったが、鈴木の新車に少しでも傷を付けるのが怖くてほとんどハンドルは握らなかった。
「少しくらいかすったって良かったんだぞ」
「だ、だって・・・・・」
「さすがにそれは出来ないんじゃないか?」
「そうですかねえ。最初に傷付けたのが昴だったら諦めもつくんですけど」
元々人見知りをしない友人だが、どうしてこれほど緊張せずに豊田と話せるのかと感心してしまう。
「・・・・・そう、ダブルに宿泊、か」
「貧乏学生ですから出来るだけ金を掛けないようにってしてたんですけど、たまたま部屋が空いていたらしくってホテルの人がど
うかって言ってくれて。料金もシングルのままだったし、昴は細いから邪魔になんなかったし、な?」
「う、うん」
話しかけないで欲しいと思っていても、昴と豊田の関係を知らない(?)鈴木には何も言うことは出来ない。
そして豊田も、普段教習所で他の生徒に見せるような頼りがいのある大人の顔をして鈴木と対しているので、鈴木本人は本当
に偶然、ここで会ったのだと思っているのかもしれない。
ただ・・・・・少なからず豊田の私生活の顔も見てきた昴は、彼が凄く怒っているらしいということは身を持って感じていた。
「あー、昴、俺この後バイトが入ってるんだ」
「え?」
十分ほどの立ち話の後、鈴木は唐突にそう言った。ここで一人にされてしまうのだろうか、昴は思わず鈴木の腕を縋るように掴ん
でしまう。
「か、帰るの?」
「このまま直接行かなきゃ間に合わないみたいだ。昴、また大学でな」
「あっ」
ポンっと昴の肩を叩いた鈴木は、車に乗る前にもう一度豊田に何かを言って頭を下げてから去っていく。
遠くなる真新しい車を呆然と見送っていた昴は、不意に肩を抱き寄せられて身体が震えた。
「・・・・・昴」
「あ、あのっ」
「一応、家に顔を出す間だけ待ってやる」
「!」
「逃げられると思うなよ」
低く響く魅惑的な声は、どこか楽しそうな雰囲気を纏っている。しかし、そんな雰囲気とはまるで違う迫ってくる恐ろしさをヒシヒ
シと感じて、昴はコクンと唾を飲み込むしかなかった。
家族は豊田の来訪を歓迎した。
不器用な昴が運転免許証を取れたのも豊田のおかげだと感謝していて、このまま昴を連れだすということにも二つ返事でOKを
出したくらいだ。
「い、いいの?」
「もちろんよ」
旅行から帰ったその足でと、もしかしたら反対されるかもしれないと心のどこかで考えていたのに、そんな雰囲気はまるっきりな
い。豊田も、
「私も今日明日と時間が空きまして、久し振りに昴君の運転する車に乗って見たいと思いました。今からですから一泊すること
になると思いますが、どうぞご心配なく」
安西家から万全の信頼を得ている豊田の言葉はそのまま受け入れられ、昴はそのまま豊田の車に乗せられて・・・・・彼のマ
ンションへと向かう車中に、いた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・っ」
(ど、どうして無言なんだろ・・・・・)
黙って旅行に行ってしまったことを怒っているということはよくわかっている。昴にとってはただの友人とのドライブ旅行でしかな
かったが、恋人である豊田にとってはまた違う認識があるのかもしれない。
それならそれで、直ぐにでも責めてもらった方が黙っていたことを謝れるのに、こうも沈黙が続いたのでは昴の方から何も言うこと
が出来なかった。
この沈黙を耐えるのもそろそろ限界で、昴は手をギュッと握り締めて何とか喉に絡まる声を押し出した。
「あ、の」
「・・・・・」
「あの、先生」
すると、即座に豊田は否定してくる。
「違うだろう」
昴の方を向かないまま言う豊田は、それ以上を説明してくれなかった。
「え?」
「・・・・・」
無言の圧力が身体全体に圧し掛かってきて、昴はようやく自分の失敗を悟る。
「・・・・・っ、さ、理、さん」
教習所を卒業し、教官と生徒という括りから解放されて、昴は豊田から名前で呼ぶようにと言われていた。
なんだか気恥ずかしくも思い、なかなか豊田の名前を呼ぶことに慣れなかったが、それでも今は出来るだけ呼ぶようにはなってい
た。ただ、それでも緊張してしまうと、どうしても慣れた呼び方になってしまう。
それを注意されたのだと本能的に気付いて名前を呼び直せば、豊田が空いた手で頭を撫でてくれた。
少しは機嫌が直ったのかと思い、昴も肩から力を抜く。
「昴」
「は、はい」
「説明してみろ」
「・・・・・はい」
覚悟していたことだ。昴は大きく深呼吸をした。
鈴木の言葉でも十分わかったはずだろうが、豊田は昴に自分の言葉できちんと説明しろというのだろう。
どんなふうに今回の話が生まれ、どんな旅程だったか、本当にただ2人共運転をしたかったのだと一生懸命説明をした。
最後までそれを聞いてくれていた豊田は、何時の間にか出ていたバイパスの脇にあった駐車スペースに車を止める。
「・・・・・」
少し暗くはなってきたが、それでもまだ行きかう車の中のドライバーの姿も見えるくらいなのに、
「んむっ」
いきなり、身を乗り出して来たかと思うと深いキスをされた。
「んんっ」
シートに阻まれて身を捩ることも出来ず、昴は口腔内を思う様蹂躙される。
久し振りの深いキス。歯列だけでなく、喉の奥の方まで舌を這わされ、昴の目尻に涙が滲んだ。息苦しくて仕方がないのに、押
し返す胸はびくともしなくて・・・・・やがて、昴はくったりとシートに背を預けてしまった。
チュク
妙に生々しい水音をたて、ようやく唇が解放された。
途端にハァハァと荒い呼吸を整えていた昴に、豊田は直ぐには声を掛けてくれなかった。
まだ、怒っている。
だから、こんなふうに乱暴なキスをしてきたんだと泣きそうな気分になった昴は、そのまま身体を丸めて豊田から逃げようと向きを
変えようとした。
すると、思いがけなくギュッと背中から抱き込まれる。
「悪い」
「・・・・・っ」
「怖がらせたか?」
怖いというよりも、悲しかった。好きな相手とするキスは何時だって嬉しくて、幸せな気分になるはずなのに、今のキスは濃厚な
ものの反面、触れている唇がとても冷たく感じてしまい、こみ上げてくる涙が止まらなかった。
声が出なくて、それでも自分の気持ちを伝えなければと、昴は何度も首を横に振る。しばらくして、耳元に微かに笑う気配がし
た。
「泣くな」
「・・・・・ふ・・・・・っ」
「忙しくてお前に会えなかったのは俺のせいなのに、他の男と旅行に行ったって言われて・・・・・妬いた」
「・・・・・や、いた?」
(先生、が?)
昴にとって完璧な大人の男である豊田。何時だって冷静で感情を荒立てることもなく、昴をからかう余裕のある人だった。
そんな豊田が、たかが一泊友人と旅行をしただけで・・・・・そう、昴の認識ではたったそれだけのことなのに、こんなにもピリピリと
感情を荒立てるなど考えもしていなかった。
「や、妬いてたって・・・・・ど、どうして?」
思わず疑問を口にすると、豊田は呆れたように溜め息をつく。
「考えてみろ。俺がお前以外の誰かと黙って一泊旅行をした。・・・・・どう思う?」
「どう、って・・・・・」
(友達だったら、おかしなことなんて・・・・・で、も・・・・・)
普通ならそう思うだろうが、自分も豊田も、同性を恋人に持つ身だ。例え同行するのが同性の友人だとしても、何かの拍子で間
違いがということが絶対にないとは言えないかもしれない。
その相手が、昴の知らない相手だったら?
若く、可愛い年下の子か、それとも落ち着いた綺麗な人か。
想像した昴はクシャッと顔を歪めた。
「・・・・・嫌です」
「・・・・・わかったか」
昴の答えはどうやら合っていたらしく、ようやく豊田の目元が弛む。
「わ、わかりまし、たっ」
「じゃあ、お前から謝罪を形にしてみろ」
謝罪の形。
そう言われた昴はしばらく考え、やがておずおずと豊田の肩に手を置いた。
「目、目を、閉じて下さい」
じっと見られているのは恥ずかしい。小さな声で言った昴に、豊田は何もかもわかったかのようにフッと笑った。
「譲歩しようか」
目を閉じると、豊田の端正な美貌が際立つ。その顔に見惚れながら、昴は今度は自分から豊田の唇に自分のそれを重ねた。
昴の方からキスをしかけたが、結局は豊田に翻弄された。
お互いの唾液で唇を濡らし、赤く腫れるまで何度も何度も角度を変えてキスを続けた豊田が満足して髪を撫でてくれている今
の状況に、昴は何だか頭の中が霞みが掛かってはっきりとした判断が出来ないままだ。
「さて、何をしてもらおうか」
「・・・・・え?」
そんな状況はよくわかっているはずの豊田の言葉に、昴は少しだけ反応した。
「恋人の誤解を生じる行動に心を痛めた俺に対して、どんな詫びをしてくれるかってこと」
「そ、そんなの・・・・・」
「このままフェラしろとは言わないが、同じくらい色っぽいことをして欲しいな」
黙って旅行に行ったことについては何度でも謝るつもりだが、それと豊田の言うことをそのまま聞くのは何か違う気がする。
戸惑う眼差しを向ける昴に、豊田は楽しそうに続けた。
「お前だって、何かしたいって思うだろう?」
「え、あ、その・・・・・」
(ど、どう、答えればいいんだ?)
車の中で、豊田のアレをアレするなんてとても出来ない。まだ空は明るく、車の通りは多くて、何か怪しいことをすれば直ぐに
人の目に晒されてしまう。
(・・・・・って、なにする気になってるんだよ、俺〜っ)
チラッと豊田の顔を見上げると、笑みを含んだ目が自分を見ている。こんな時ばかり優しげな目を向けないで欲しいと思いなが
ら、昴はとにかく出来ないこともあるのだと訴えてみた。
「く、車の中で変なことすると、危ないです」
「変なことって?」
「さ、さっき、先生が言っていたような、その・・・・・」
「その?」
豊田の手が伸びてきて、昴の頬を擽るように指先で撫でてくる。くすぐったくて首を竦めると、今度は耳元に触れてきた。
どうやら手を引っ込めてはくれないようだ。
触れてもらうのは嫌じゃないし、どうやら機嫌が直ったらしい豊田にホッとするが、今度はドンドン自分が追い詰められてきてどう
したらいいのかオロオロするばかりだ。
「・・・・・」
「昴?」
これは、多分わかってからかわれているのだ。
こうなると豊田の主導権は絶対で、結局自分は彼が満足するようなことをしてしまうだろうと昴は悟った。
「車の中じゃ無くて、俺のベッドで、ゆっくり慰めてもらおう」
耳元で囁くと、潤んだ瞳が自分を見上げてくる。
豊田は背中がゾクッとした。自分が加虐的な趣味を持っている人間だとは思わないが、昴の泣き顔は猛烈な欲望をかきたてて
しまう。
痛みではなく、快感で、まだ幼い顔を欲情の色に染めてしまいたい。
意味深に内股を撫でると、面白いように身体が跳ねた。本人はきっと否定するだろうが、昴はこの状況に明らかに感じ始めてい
るのだ。
恋人の自分に対し、何も言わずに友人と旅行したことに対する怒りは既に納まっている。
「ほどほどにしてやって下さいね」
別れ際の鈴木の言葉を聞けば自分たち2人の関係を知っているようだし、昴に対して友情以上の想いを抱いていないことはわ
かっていた。
しかし、この先昴がフラフラとよその男についていかないように、しっかりと今回のペナルティを受けてもらい、自分にとって誰が
優先すべきかをちゃんと自覚してもらわなければならない。
「昴」
もう一度、昴の唇に軽くキスをする。
触れて直ぐに離すと、今度は物足りないかのように昴の唇が追ってきたのは・・・・・きっと気のせいではない。
「行くか」
「・・・・・」
僅かに頷いたのを確認した豊田は、車線に戻るためにウインカーを上げた。
end
豊田&昴。
SとM。とりあえず上手くいっているようです(笑)。