相羽&藤永編
「このまま真っ直ぐ帰られますか?」
「そうだな・・・・・」
会合が終わった後、迎えの車の後部座席に乗り込んだ、清竜会(せいりゅうかい)会長、藤永清巳(ふじながきよみ)
は考えた。
あまり面白いとは思えない組関係の会合の後、出来れば口直しに楽しい酒でも飲みたいが、時間はまだ午後9時を
少し回った頃で、事務所にはあの男が残っているはずだ。
「・・・・・事務所に顔を出してから帰るとするか」
「分かりました」
「・・・・・」
別に、会いたいと思ったわけではない。今から事務所に戻り、あの男と会ったとしても、明日になればその記憶は男の
頭の中から消えてしまうのだ。
それでも、一目だけでもあの男の顔を今日の終わりに見たいと思ってしまうなんて、自分はどんなにロマンチストなのだ
と、さすがに藤永は苦笑を浮かべてしまった。
それから30分ほどして、車は清竜会の事務所ビル前に着いた。
「会長、着きました」
「・・・・・」
「会長?」
「・・・・・あの女は誰だ?」
「え?」
ビルが見えてきた時、窓の外に視線を向けていた藤永の視線の先には2つの影が見えていた。正面の玄関ではなく、そ
の横の、非常階段に続く路地に入れるその場所に立っているのは、見慣れた男と・・・・・見知らぬ女だ。
「・・・・・ああ、あれは、前から若頭に言い寄っていた飲み屋のママですよ」
「・・・・・」
「あの通り、若頭は見目はいいし、誠実な人柄でしょう?シマの女達には評判がいいんですけど、あのママは特に熱心
な信奉者の1人ですね。若頭も男だし、案外一度は寝たんじゃないですか」
「・・・・・なるほど、初めて聞くよ、その話」
「若頭は女関係のことはなかなか口に出さないですからね」
「・・・・・」
(私の耳に入るのが嫌だから、か)
それは、多分藤永の気のせいではないだろう。
あの男は、自分のことを愛してる。男が女を欲するように、自分のことを欲している。組員の言った通り、あの男は誠実な
男だ。それでも、自分の手が届かない男を前にして、日々の性欲をどう散らしているのか。
(まさか、この私相手とは・・・・・思わないだろうがな)
日を空けず抱き合っていることを、自分以外、当の本人さえ知る者はない。
毎日、眠るごとに消えてしまう男の記憶。どんなにメモをとっていても、そのことだけは記すことが出来ず、男はお互いの間
には距離があると思っている。
愛し合っているはずなのに、求め合っているはずなのに、絶対に混じり合わない2人の気持ち。誰のせいでもないが、藤
永は寂しいと思ってしまう気持ちを止めることは出来なかった。
「ごめんなさい、事務所まで相談に来てしまって」
「いや、シマのことは把握しておきたい。店の方には誰かやるから、これからは安心してもいいだろう」
清竜会の若頭、相羽裕貴(あいば ゆうき)は静かに言った。
「相羽さん」
「店まで送らせよう」
この女が自分に対して特別な思いを抱いているというのは感じている。
記憶には残っていないものの、何度もメモに出てきた名前と、その相談内容を見れば、若頭である自分に伝えなくてもい
いものも入っている。
「・・・・・相羽さんが、送ってくださらないの?」
一般的に見ても、綺麗な女だろう。20代後半で店を任せられるくらいにしっかりしているようだし、組員の噂では、身持
ちも堅いらしい。
ヤクザの情人にするにはいい女だと思うが・・・・・相羽は自分の腕に手を掛けている女のそれをさりげなく外した。
好かれて嫌な思いをするわけはないし、女に欲情を感じないことは無い。
それでも、自分の気持ちはこのまま目の前の女に向かなかった。自分の深刻な身体の事情を話すまでもない、明日にな
ればこの女のことは忘れる。
相羽の記憶の中で、唯一強烈な存在感を放っているのは、今の自分の上司であり、この裏の世界に入る切っ掛けに
なった藤永だけだ。
次々と男をくわえ込み、奔放で、遊び好きで、それでいて頭の切れる優しい男を、相羽はずっと好きなままだ。
事故で、1日の記憶を留めることが出来ない障害を負ったことが分かった時、安心したのは藤永と出会った時のことは忘
れないということだった。
繰り返し、繰り返し、初めて迎える1日の中でも、藤永の存在だけはずっと消えないのだということが分かった時、相羽
は涙が出るほど嬉しかった。
あまりにつれない藤永に苛立ったり、自分以外の男に抱かれる姿を想像し、胸が掻き毟られる思いがしたとしても、彼を
忘れないという事実だけで、薄氷を踏むような日々を過ごせていけると思った。
「・・・・・戻っていたんですか」
藤永は部屋の中に入ってきた相羽にちらりと視線を向けた。珍しく驚いた表情をしているのは、ここが相羽の部屋だか
らだろう。
「女が来ていたようだが」
「・・・・・シマの店の女ですよ。最近、性質の悪い客が来るという相談を受けました」
「それで、何とかしてやったのか。相変わらず女には優しいな」
自分の言葉に相羽の眉間に皺が寄る。言葉の中の嫌味に敏感に気づいたようだったが、それに関して言い返しては
来ない。言っても無駄だと思っているのか、それとも、会派の長である藤永をたてているからかは分からないが、そんな
相羽の態度こそが面白くないと、藤永はさらに皮肉るように続けた。
「いい女だったじゃないか。一度くらい抱いてやったか?」
「・・・・・妙に絡みますね。気に入ったんですか?あなたは男に尻を差し出す方が好きな人なのに」
「気の利いた嫌味だな」
こんな言葉を切り出すということは、相羽側も段々と感情的になってきている証拠だ。もっと本気になるといい・・・・・藤永
はそう思った。
こんなことを言いたいわけではなかった。
それでも、藤永に対する気持ちを薄々気づいているはずの本人が、自分に女を押しつけているような感じがして面白くな
い気持ちは高まってくる。
「・・・・・あの女より、よっぽど会長の方が男の喜ばし方を知っていそうですけどね」
「・・・・・試してみるか?」
綺麗な顔が、にやりと意味深な笑いを浮かべた。まるで、お前には出来ないだろうと言われているようで、相羽はじっと
その顔を見据えると大股で近付き、いきなり座っている藤永の後頭部を髪ごと掴む。
「試させてもらいますよ」
「・・・・・」
重ねた唇は、藤永の方が積極的に口を開いて舌を絡めてきた。
もちろん、ここにきて相羽も遠慮をすることなく、巧妙な愛撫を仕掛ける藤永に挑むようにキスをする。お互いの唾液さえ
交換するような濃厚なキスを交わしているのに、どちらもうっとりと目を閉じるということをせず、まるで敵対する相手を見る
ように力のこもった視線を交えた。
「・・・・・」
やがて、キスを解いた相羽は・・・・・虚しいキスをしたことを後悔するように唇を噛みしめていると、藤永の白い手が驚く
ほど優しく自分の頬に触れてきた。
「私に、何か言うことはないか?」
言いたいことならば、ある。ずっと、胸の奥底にしまっていた、この先告げることなど出来ないと思っていたこの想いを、藤
永は聞いてくれるというのだろうか。
「・・・・・俺、は・・・・・」
明日、自分は今日のことを覚えているだろうか?あやふやな気持ちのまま、言ってもいい言葉だとは思わないが、それで
も相羽はあふれ出る気持ちを止めることが出来ない。
(絶対に、覚えている・・・・・っ)
自分が何を言うか、藤永がどう応えるのか、絶対に忘れないでいようと思いながら、相羽は改めて藤永へと向き合った。
end