愛情の伝え方








 「ソウ様が?」
 「ええ、あなた行く?」
 「もちろんよ!」
 「じゃあ、中庭に・・・・・」
 執務室から出たシエンは、若い召使いの言葉の中に蒼の名前を聞き取って足を止めた。
(また何をしようとしているのだ?)
 数日前、カヤンと共に街に出て行った蒼は、ソリューの背中一杯に荷物を載せて帰ってきた。
また何か美味しいものでも見付けたのかと思ったが、袋の中身はカッサという、料理にもあまり使わないような実と、たく
さんの砂糖と果物だった。
 何をするのかと訊ねても、ニンマリと笑って答えてくれなかったが、見掛けを裏切って料理上手である蒼がまた何か作
るのかと考えていた。
 今朝も早くから起き出し、何かバタバタとしているようだったが・・・・・。
(中庭と言ってたな)
気になったシエンは、そのまま足を中庭に向けた。



 「・・・・・?」
(なんだ、この甘い匂いは・・・・・?)
 料理ではなく、果物の物でもない不思議な匂いは、中庭の手前の渡り廊下からずっと漂ってきた。
不快ではないが、今まで感じたことがない匂いだ。
それと共に、華やかなざわめきと、女達の付ける香料が香り、やがて元気のいい蒼の大きな声が聞こえてきた。
 「ほら!これ入れると、甘いパンできるよ!」
 「本当に美味しいですわ」
 「この味がカッサの実とはとても思えないわね〜」
 「甘さは砂糖でちょーせーできるし、甘い好きな人は砂糖いっぱいね」
 かなり言葉も覚えた蒼は、今は日常会話ならほとんど困ることはない。
まだ単語をくっ付けているという印象はあるが、それはそれで蒼らしい感じで可愛かった。
 「少し、固まりにくいから、パンにいれたり、くたものに付けたりするのがいいよ。砂糖は少し高いけど、カッサの実は安い
し、みんなも出来るね」
 「良い事を教えてくれたわ、ソウ。わたくしもかの方に手料理を差し上げられるなんて思いもよらなかったもの」
 落ち着いた女の声が嬉しそうに弾んでいる。
シエンは聞き覚えのあるその声に思わず視線を向けた。
(母上まで・・・・・?)
 「ソウ様、そのバレンタインという祝祭は、本当に女から殿方に想いを伝えてもよろしいのですか?」
 「うん。普段、あまり女の子好きって言わないでしょ?だから、特別な日なんだよ。好きな人いるなら、ぶつかってみたら
いい」
 「でも、怖い気もするけれど・・・・・」
 「駄目な時、これ食べれば元気!わーっと泣いて、すぐ元気なる!」



 有希からの手紙で、そんな時期なのかと蒼は改めて気が付いた。
あまり四季というものが感じられないこの世界。バレンタインは冬の行事だと思っていた蒼にとっては、初夏のようなこの
時期はもう2月なんだとしみじみ感じた。
 あの健気で優しい年下の友人が、あの暴君の為にそこまでしてやるのかと感心する一方、それならば蒼も夫である
シエンにチョコを贈ろうと考えた。
 エクテシアの市場で見付けた、ほのかに甘い香りのするカッサの実が、チョコレートの代用になるだろうということにはすぐ
に気が付いた。
時々料理をする為に調理場に入る蒼は、この国にもカッサの実はあり、しかもあまり重用されていないということも知っ
た。
 昨日、何度か試しに作った試作品は、砂糖の量でかなりチョコレートに近いものになると分かり、蒼は急いで有希に
手紙を贈ったが、この楽しい行事を2人だけでするのは勿体無く思った。
この国にも女性は多い。
しかし、贈り物をするのはやはり男からが多く、それも身分の違いで価値の上下も大きい。
 それならば、誰でもが手軽に、それも女の方から愛を告白する手伝いが出来るこのチョコをみんなに教えたいと、蒼は
早速王妃のアンティに相談し、乗り気になったアンティが城仕えの召使い達を集めて、即席の料理教室が開かれるこ
とになったのだ。
 「なんだか、ドキドキして、娘時代に戻った気分よ」
 「おーさまも嬉しいです、きっと」
 「そうかしら」
 「大好きな人からもらうもの、誰だって嬉しい」
 「ソウ・・・・・」
 アンティは頬を綻ばせ、ギュッと蒼の身体を抱きしめた。
 「幸せを分けてくれて、ありがとう、ソウ」
 「お、おーひさま」
 「あなたが来てくれてから、城の中は楽しい笑い声でいっぱいよ。わたくしも、こんなによい嫁をもらって嬉しいわ」
 「へへ」
照れ臭そうに笑う蒼に、召使達は口々に言った。
 「ソウ様、もう一度教えてください」
 「私もっ」
 「お願いします、ソウ様」
 「よーし!今からまた始めます!」
蒼の宣言に、楽しげな歓声が響いた。



 蒼に声を掛けずにそのまま踵を返したシエンの顔は笑っている。
アンティの言っていた通り、蒼がこの城に来てから自分も笑ってばかりいる気がした。
(全く・・・・・人望のある妃を持つと大変だ)
 誰に対しても、たとえ王妃でも召使いでも、蒼は平等に対する。
驕りもなく、卑屈でもなく、ただ1人の人としてそこにいる蒼は、今やシエンが守ってやらなくてもこの国にとっては大事な
存在となっていた。
それはシエンも望んだことだが、どこかで淋しいと思うのは・・・・・贅沢なのだろうか。
 「王子」
 シエンに付いていたベルネが、チラッと中庭の方へ視線を向けながら呆れたように言った。
 「全く、皇太子妃であられるのに、全くその自覚がない方ですね」
 「そうだな」
 「・・・・・でも、得難い方です」
 「・・・・・」
普段厳しい意見を言うベルネのその言葉に、シエンは声を出して笑う。
 「全く・・・・・我が妃は破天荒で・・・・・この上もなく愛しい存在だ」



 数日後−


 午前中の執務を終えたシエンの元へ、愛しい妃が駈け寄ってきた。
 「シエン、はい!」
蒼が差し出したのは、まだ焼きたてのような熱いパン。
甘い香りがしているのは、先日見たカッサの実が入っているのだろう。
 「これは、何ですか?」
覗き見をしたとは言っていなかったシエンは、わざととぼけたように蒼に訊ねる。
すると、蒼は全開の笑顔をシエンに向けて言った。
 「バレンタインのチョコパン!オレが、シエン大好きってあかし!」
 「ソウ・・・・・私の為にこれを?ありがとうございます」
分かっていたこととはいえ、改めて言われると嬉しく、シエンは昼間だというのにこのまま蒼を寝所に攫って行きたくなって
しまった。
 「ソウ・・・・・」
 パンを片手に、もう片方の手で蒼を抱き寄せようとした時、蒼はひょいと身を屈めて足元の大きな籠を持ち上げた。
 「ソ、ソウ、それは?」
中には、シエンが今受け取ったばかりのパンと同じものが山ほど入っている。
 「これ?今からみんなにあげる」
 「みんなにって・・・・・これは、愛する相手に渡すものではないのですか?」
 「うん、そう。だからこれはギリだけど」
 「ギリ?」
 「でもね、やっぱりおーさまは一番えらいから、いちばんおっきなのあげるんだ!後のみんなはちっちゃいの」
 「ソウ、あの・・・・・」
 「それに、俺の心いやしてくれるとんすけにもあげるんだ。とんはぶただから甘く煮たヤサイだけど」
 途惑うシエンを尻目に一気にそう説明した蒼は、かなり大きな籠をよいしょと持ち上げて笑った。
 「みんなにくばるから!」
 「ソウ!」
あっという間に立ち去っていく蒼を、シエンは止めることが出来なかった。



(みんな、喜んでくれるかな?)
 蒼の頭の中には当たり前のようにある義理チョコの存在をシエンに説明することをすっかり忘れたまま、蒼は王ガルダに
将軍バウエル、カヤンにベルネと、何時も付いてくれている衛兵達。
世話になっている料理番やお妃教育をしてくれる教師達にまで、次々と配っては満面の笑みで礼を言っていく。
 その途中途中では、蒼からチョコパンの作り方を教わった召使い達の告白の場面とも遭遇し、なんだかこんなのも楽
しいじゃんと心から思ってしまった。
 「とん!お前にもあげる!」
 中庭の小屋の前にいるとんすけは、一番最初に見付けた時からは2倍ぐらいに体が大きくなっている。
とてももう抱き上げることは出来ないが、日向の匂いのする腹に顔を埋めての昼寝は、蒼の立派なリラックスタイムだ。
 「何時もありがと、とん」
 意味が分からないまでも、大好きな蒼に大好きな野菜を与えられて、とんすけも嬉しそうに鼻を鳴らしている。
こんなに楽しいならば、国中に広めてもいいんじゃないかと、蒼は壮大な構想を巡らしながら、早起きのせいで襲ってき
た眠気に自然と目を閉じていた。



 「・・・・・私以外にも大切な人間があんなにいるというんですね・・・・・」
 蒼に渡されたパンを見つめながら、シエンはじっと考えている。
(愛情の伝え方が足りなかったか・・・・・)
中庭でとんすけと暢気に午後寝をしている蒼は、その夜のシエンの溢れんばかりの愛情の伝達にねを上げることなど
知るよしもなかった。




                                                               end





シエン&蒼編です。蒼もだいぶ言葉が上達しました。
こちらは料理上手な蒼の活躍で、城内カップル率はうんと上がったことでしょう(笑)。
王様にも、とんすけにもバレンタインを贈った蒼。
シエンの大人気なさを身を持って知ることとなります・・・・・可哀想。