悪 友










 「どうした、蘇芳」

 江幻は眉を顰めている蘇芳に声を掛けた。
神官の修行中に訪れて以来来たことが無かった地下神殿を覗いた帰りだった。今はこの地下神殿の主でもある紫苑がおらず、
紅蓮も聖樹との対決に備えて慌しくしている時を狙ったのだ。
 荘厳な雰囲気の地下神殿はその場に立つだけでも不思議と気が高まるような気がして、江幻はしばらくその場に佇み、静か
に目を閉じていた。
 しかし、やはりコーヤのことが気に掛かり、こうして戻ってきたのだが、その途端に出会ってしまった蘇芳の表情には苦笑するしか
ない。
(また、コーヤが何か?)
 本来は平常心の蘇芳がこんな顔をするのはコーヤが絡んだ時だけだ。自分がいない間何があったのだろうかと、江幻は笑みを
隠しながら訊ねてみた。
 「あいつ、紅蓮のもとに行きやがった」
 「紅蓮の?何をしに?」
 「さあな。俺も衛兵に聞いて知ったくらいで、今あいつの部屋に行こうと思っていた」
 「ふ〜ん」
 何時でも前向きで、好奇心旺盛なコーヤが、この王宮の主である紅蓮に対して言いたいことや聞きたいことがあるというのも
分かるが、よくそれを紅蓮が受け入れているなと驚く。
 父王、紅芭(こうは)の愛妾が人間の血を引く者で、2人の間に子までなしたということもあり、紅蓮にとっては人間は父を誑か
せ、母を泣かせた忌むべきものという意識が大きかったはずだが、いったいどの時点で紅蓮はコーヤを受け入れるようになったのだ
ろうか。
(そんなことを言ったら、蘇芳が暴れかねないがな)
 紅蓮とはまた違った意味で、世の中を冷め切った目で見ていた蘇芳。
江幻はふと、蘇芳と初めて出会った時のことを思い浮かべてしまった。










 「賑やかそうだ」
 店の奥から聞こえてくる歓声に、消毒用のアルコールを買いに来た江幻は視線を向けた。
商売女や遊び人風な男達が囲っている中心にいるらしい人物は、人の壁でその顔はほとんど見えないが、チラチラと目に映るの
は黒髪だ。
 「ああ、あれは最近この辺りで商売を始めた占術師だよ」
 「占術師?」
 「まだ若いが良く当たるってさ」
 「へえ」
 どんな人物なのか、ふと興味が湧いた。
 「それに、滅茶苦茶な商売してるって噂でさ。女は抱かせれば見料はただ、男はめっぽうぼったくるらしい」
 「なに、それ」
(面白い)
よほど女好きなのだろうが、当たると評判になるくらいならば客は多いのだろう。
ますます興味をかきたてられた江幻はそのまま集団へと近付いていき・・・・・やがて、まだ若々しい声が耳に届いた。

 「ああ、恋人は出来るな。次に月が丸くなった時」
 「本当っ?」
 「うん。オネエサン、それまで俺と遊ばない?」
 「・・・・・」
(本当に誘ってる)
 店主の言葉の通り、その声は占術をした相手である女を誘っていて、女もどうやらその気になっているようだ。
(気は・・・・・珍しい、赤いな)
まだまだ修行中の身である自分が感じ取れるということは、占術師としての能力はとても高いのだろう。感じる気配の若々しさと
相反する気の大きさ。
江幻は口元に自然と浮かぶ笑みを消せないまま、そっと背伸びをして相手を見た。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(気付いた)
 周りにはまだ多くの人がいて、そう簡単に忍び寄った江幻の姿は見えなかったはずなのに、視線を向けた自分の目とまるで合
わせるようにこちらを見た男の目は、赤み掛かった紫の瞳だった。




 15歳になったばかりの蘇芳は、既に自分の力だけで生活し、生きていた。
己の出生が人には言えないものだと分かっていたし、わざわざ言って政変の種をまくつもりは無かった。多分、自分は既に全て
に諦めているのだと蘇芳は冷静に判断している。
 父と呼ぶ男がこの世界の王で。
母と呼ぶものが人間の血を引く女などと、人に言ったとしても信じてもらえるはずも無い。王族の血統にしか現れないという赤い
瞳も、中途半端な色で、蘇芳は生まれた時から自分はこの世界にとって不要な存在なのだと思っていた。

 そんな自分だったが、潜在能力というものは思ったよりもあったらしく、たいした修行をしなくても他人の気が視え、未来が視え
た。
 視る相手には占術でと言うが、多分これは自分の身体の中に流れる血が視せているものだろう。
一見煩わしいと思える力も、1人で生きていくのには便利だった。金を稼げるし、寄ってくる女達と快楽を貪りあうことも出来る。
15歳ではあるが、既にかなりの数の女を抱いてきた蘇芳は、子供でありながら男の魅力を併せ持つ、危うい存在になっていた。

 「ああ、恋人は出来るな。次に月が丸くなった時」
 「本当っ?」
 「うん。オネエサン、それまで俺と遊ばない?」
 今日も、酒場にやってきて女を占ってやった。
玉には近いうちに現れる女の伴侶が映っていたのでそれを言ってやると、嬉しそうな歓声を上げながらも蘇芳に誘うような眼差し
を向けてきていることには気付いていた。
 女の誘いを断るほどに無粋ではないつもりの蘇芳が誘えば、女は嫌だと言いながらしなだれかかってくる。その豊満な身体を抱
きとめた時、蘇芳は異質な気を感じ取った。
(・・・・・誰だ?)
 それは、自分の周りにいる者達のものではない。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(赤い・・・・・髪?)
鮮やかな赤毛の男と目が合った。




 「オネエサン、後でね」
 立ち上がった男が自分の方へ近付いてきた。
近視鏡を掛けたその顔は一見禁欲的で、知性的にも見えるが、先ほどの言葉や態度を見ていればどうやら見掛けと性格はま
るで違うらしい。
 「俺に用?」
 「え?」
 「ずっと、こっちを見てたから」
 「ああ、ごめん」
 素直に謝ると、男は少し驚いたように目を見張ってから、直ぐに目を細めて笑った。その表情はとても大人びている。
 「この辺りでは見ないけど?」
 「森に住んでいる。神官と医者の勉強をしている江幻というんだ」
まずは自らが名乗ると、男は案外簡単に名前を教えてくれた。
 「俺は、占術師の蘇芳。良かったら占ってやろうか?」
 「遠慮しておく。私は金を持っていないし、第一自分の未来を知りたいとは思わないしね」
 「江幻」
 「それよりも、聞いていいかな?蘇芳、お前の気は生まれ持ってのものか?それとも鍛錬して身に付けたものか・・・・・どちらに
せよ、こんなに強い気の持ち主に会うのは珍しいし」
紫を帯びた瞳に力が込められるのが分かった。
(視なくてもいいと言ったのに)
こちらの意見は通らず、蘇芳は勝手に江幻の未来を視ているらしい。その先に待っているのがどんなものかは全く分からないが、
江幻はそれを知っても自分は驚くことは無いだろうと思えた。
 「・・・・・不思議だな」
 「ん?」
 「お前の側に、不思議な気が視える。でも、現れるのはもっと先だ」
 「不思議な・・・・・面白そうだな」
 それは、今自分の周りにはいない存在と出会うということなのだろう。どんな相手か、想像するだけでも楽しいと思わず笑ってし
まうと、
 「怖くは無いのか?」
蘇芳は不思議そうに訊ねてきた。
 「どうして?お前が視る未来は当たるんだろう?確実に訪れる未来なら、いっそ楽しんだ方がいいんじゃないか」
 「ははっ、変わってるな、お前」
 江幻のどの言葉に引っ掛かったのかは分からないが、蘇芳は江幻の目の前で腹を抱えて笑っている。その姿は歳相応の少年
のようで(実は江幻も同じ歳なのだが)、自分も誘われるように笑い出すと、止まらなくなってしまった。




 それから、江幻は町にやってくると蘇芳に会うようになった。
蘇芳の生活ぶりはあいも変わらず、女遊びも止む気配は無かったが、それでも江幻が訊ねていけばそちらを優先して会ってくれ
るようになっていた。

 そのうち、江幻は蘇芳の出生の秘密を知った。
江幻から訊ねたわけではなく、蘇芳も聞いてくれと迫ったわけではなかったが、2人で過ごす時間が増えるにつれ、遠い昔話の一
つというように蘇芳は口にしていた。
 確かに驚いたが、江幻はそれで蘇芳の瞳の色のわけが分かり、納得しただけで十分だった。
この頃にはもう、今目の前にいる蘇芳は王の外腹の子ではなく、己と気の合う友人の1人となっていたからだ。




 蘇芳の女遊びにはついて行けなかったが、酒はよく酌み交わした。
そのたびに、蘇芳は初めて会った時に視たという不思議な気の存在について話した。
 「あれ、絶対竜人じゃないな」
 「じゃあ、誰というんだ?」
 「ん〜」
 「それは分からないのか」
 「俺も全てが視えるわけじゃないんだって」
 口を尖らせて眉を顰める蘇芳。
あれからもう十数年という時が経ち、自分達も成人して既に成熟した大人になった。付き合いの仕方は相変わらずで、頻繁に
会うことは無いものの、会えば直ぐに馴染んだ雰囲気で酒を飲む。
 「そろそろだと思うんだがなあ」
 「まあ、気長に待っているよ」
 「信じろよ。お前にとって特別な存在のはずだ」
 「じゃあ、蘇芳にとってもってことだ」
 「ん?」
 「私の大切な友だから」
 「・・・・・馬鹿か」
 既に口癖のようになっている悪態をつくものの、蘇芳の眼差しはとても穏やかで、友という言葉が否定されなかったことに江幻も
満足して笑っていた。










 そんな話を交わしてしばらく経って、江幻の前にコーヤが現れた。
何の力も持っていない人間の少年。それでも、不思議と惹きつけるものを持っているコーヤが、以前蘇芳が言っていた《不思議
な気の持ち主》だろうと確信した。
 蘇芳にも何も言わずにコーヤと引き合わせ、彼もコーヤに惹きつけられているのを見た時、江幻ははっきりと覚えていた自分と
蘇芳の会話が真実になるのだなと思った。

 「信じろよ。お前にとって特別な存在のはずだ」
 「じゃあ、蘇芳にとってもってことだ」
 「ん?」
 「私の大切な友だから」

 自分も、蘇芳も、昔の話を持ち出すことは無い。それでも、ちゃんと分かっているつもりだ。
(この存在を、大切にしないとね)
 「おい、江幻っ」
 「・・・・・あ、何?」
 「お前、俺の話を聞いているのか?」
昔のことを思い出していた江幻は、蘇芳の言葉にここが王宮内であることを改めて思い出した。そして、蘇芳がこうして不機嫌
な顔をしているわけも同時に思い出し、一緒に行こうかと切り出す。
 「・・・・・ああ」
 異母兄弟である紅蓮とは全くそりが合わず、会話もどうしても喧嘩腰になってしまうことを自覚しているらしい蘇芳は、江幻の
申し出に少し気まずそうに頷いた。
 「ったく、あいつ、今更コーヤに媚を売ったって遅いんだって」
 「媚を売っているつもりは無いんじゃないかな」
 「じゃあ、何だよ」
 「う〜ん」
(兄弟は似ているって言ったら・・・・・怒られるかも)
 蘇芳がコーヤに惹かれているように、紅蓮もコーヤに惹かれているのだと考えたら、今の紅蓮の行動はとても分かりやすい。
いくらずっと人間を忌む存在だと思っていた紅蓮でも、実際にコーヤと出会い、会話をし、その魂に触れたら、不思議な引力に
よってコーヤを好ましい存在として受け入れたということも、全く無いとは言えないはずだ。
(でも、私も簡単に引くつもりは無いけれど)
蘇芳や紅蓮とは種類は違うが、江幻もコーヤを好ましく思っている。このままこの兄弟に独占させるつもりは無かった。





 聖樹との最後の戦いはもう直ぐそこだ。
王位継承など関係ないと思っていた自分も蘇芳も、否応無くその戦いに巻き込まれている。
 その結末がどうであれ、江幻にとってはこの一連の出来事が必然だと思うし、今更自分だけがそこから逃げようとは思わない。
何より、この世界のために一生懸命何かをしようとしてくれているコーヤを支えてやりたい。
 「おい、江幻」
 「あ、コーヤ」
 「何?」
 さらに自分を追及しようとした蘇芳にそう言えば、その言葉に視線を前方に向けた蘇芳は、そこにいた小柄な姿にたちまちだら
しなく顔を緩めている。
 「コーヤ!」
 「・・・・・」
(私も、同じだろうか)
 蘇芳のように、まるで子供に戻ったような顔になってしまっているのかと頬を撫でながら、抱きしめたコーヤに嫌がられて文句を言
われている蘇芳の元へと、自分もゆっくりと近付いていった。






                                                                      end