甘くない愛をあなたに
「ユキ様、書状が届いておりますが」
「僕に?誰から?」
「バリハンの皇太子妃からです」
「蒼さんからっ?」
それまでウンパを教師にエクテシアの祝祭について勉強していた有希は、パッと立ち上がると慌てて手紙を持ってきた
衛兵に駆け寄った。
こんな風な有希を見るのは珍しく、ウンパは不思議そうに訊ねた。
「バリハンの皇太子妃と書簡のやりとりでもなさってるんですか?」
「うん。凄く楽しいんだよ」
言葉以上に楽しそうな表情で、有希は早速渡された書簡に目を通した。
エクテシアの王妃である杜沢有希(もりさわ ゆき)と、バリハンの皇太子である五月蒼(さつき そう)が、お互いの婚
儀を終えてエクテシアの国境の地で会ってから既に2ヶ月以上経っていた。
同じ日本人で、同じ高校生。同じ様に不思議な縁でこの世界に迷い込んできた2人は、それぞれに愛する伴侶を得
て(同性だが)、この世界で生きることになった。
それでもやはり元の世界は恋しい。
寂しさを埋めるかのように、2人は何度か手紙を交わしていた。
どんなに急いだとしても、片道数週間は掛かる手紙。携帯があったら本当にいいのにと、互いに愚痴も言い合った。
日本語で書かれている手紙を読むと、この世界に自分が1人ではないと実感出来るのだ。
前回送った手紙には、有希はもう直ぐ訪れるはずのイベント・・・・・この世界にいるのにおかしいかもしれないが、バレ
ンタインの事を蒼に相談した。
日本の事を忘れない為にも、日本での行事やイベントをこまめに行ってきた有希は今が丁度その時期だなと気が付い
た時、せっかくなのでアルティウスに手作りの物を送ろうと思った。
この世界では、男が男にプレゼントを贈ってもおかしいとは思われない。いや、そもそもそんなイベントはこの国には無く、
有希が始めて行うのだ。
ただし、料理が得意というほどではない有希は、この世界の何を使ってチョコらしきものを作っていいのか分からなくて
悩んだ時、この国を訪れた時の蒼の料理の腕前を思い出した。
この世界の材料を使って作られた料理の数々は全てが美味しくて、有希は蒼の意外な才能に感嘆の声をあげたもの
だ。
そんな蒼ならば、どんな材料を使えばいいのか大体の見当がつくかもしれない・・・・・そう思った有希は早速手紙を出
し、その返事が今日届いたのだ。
【有希、健気過ぎ!あのランボー者にはやっぱりもったいない!】
蒼らしい元気な字で書かれた手紙はそんな文章から始まり、自分もシエンにチョコ(もどき)を贈る事にしたという報告
と、帰国する時に見て回った市場にあったそれらしきものの名前、そして簡単に作り方を書いていてくれた。
「ウンパ、今から市場に行きたいんだけど」
「街に下りられるんですか?何かいる物があれば使いに頼みますが」
「駄目だよ。これは僕が行かなくちゃ意味が無いんだ」
「?」
全く意味が分からないウンパは不思議そうに首を傾げた。
謁見を終えたアルティウスの耳に入ったのは、最愛の妃である有希の不思議な行動だった。
「街に?」
どうやら何時もの勉強の時間を切り上げて街に出て、なにやらたくさんの物を買い込んできたらしい。
(・・・・・何事だ?)
有希宛にバリハンの皇太子妃、あの生意気な蒼からの書簡が届いたという報告は受けたが、もしかしたら何か怪しげ
なことでも書いてあったのかと考える。
一度見せてくれた蒼の手紙は全く読めず、仮に2人が不審な内容の話を書いてたとしても分からない。
生意気な少年の顔を思い浮かべたアルティウスは眉を顰めると直ぐに王座から立ち上がった。
「王、どちらへ?」
「ユキのもとだ」
想像するよりも実際に聞いた方がよほど早いだろう。
無駄なことが嫌いなアルティウスらしい行動だった。
有希がいる場所は意外にも食室で、その場に近付くにつれて甘い香りがした。
「ユキめ・・・・・何を・・・・・」
顰め面のままアルティウスは中に入ろうとしたが、その時中で話す有希の声が聞こえてきた。
「凄い!本当にチョコの匂いがする!見た目はスープなのに!」
「お、王妃様、あまり火の傍に寄られては・・・・・っ」
「ユキ様、私がしますから!」
「大丈夫!これを溶かすくらい僕だって出来るよ」
「しかし、もしもお身体に傷がつかれては・・・・・」
どうやら、何かを作ろうとしている有希を、料理長とウンパが引き止めているようだ。
(ますます怪しい・・・・・)
「怪我なんてしないって。もし、したとしてもアルティウスには内緒だから」
「!」
(私には申さぬと・・・・・っ?)
それまでの会話の流れはいっさい消えてしまい、アルティウスの耳の中には有希のその言葉しか残らなかった。
もちろん、愛する妃である有希が、夫である自分に隠し事をするなど許すはずもなく、アルティウスは必死で怒りを抑え
ながらも中に踏み入った。
「私に話さぬとは、一体何の悪巧みだ?」
「ア、アルティウスッ?」
いきなり姿を現せたアルティウスに驚いたのは有希だけではなく、その場にいたウンパも料理番達もいっせいに跪いて
礼をとった。
「ユキ、私に申さぬこととは何だ?」
「・・・・・聞いてた?」
「しかと、この耳で」
有希は困ったような顔で、自分の手元に視線を落とす。
その視線を追い掛けたアルティウスは、石の鍋の中にある黒い液体を見てますます眉を顰めた。
「何だ、それは。毒か?」
まさか有希がそんなものを作っているとは思わなかったが、その中身はどう見ても食べ物には見えなかった。
しかし、アルティウスのその暴言にはさすがに有希もムッとしたらしく、可愛らしい顔に皺を寄せてアルティウスを睨んでき
た。
「アルティウスにはもうあげないから!」
【カッサって実はカカオと同じなんだよ。皮を剥いて、中身を溶かしたらチョコの香りがするし、そこに砂糖を入れればそ
れらしくなる。ただ、ちょっと苦味は残るし、上手く固まるかは分かんないけど、それはそれで面白いよ】
蒼が教えてくれた実は、普段は苦いその味と色で調味料として僅かに使われるものらしい。
市場ではかなり安く買え、有希はさっそく蒼の言った通り調理を始めた。
色と匂いは確かにチョコレートだったが味は苦く、有希は多めに砂糖を入れて何度も味見をして・・・・・ようやく、《甘くな
いチョコレート》といったところまできた。
もちろん有希は誰かにチョコをあげるのは初めてで、それも大切なアルティウスの為に作っているのに、それを毒だと言
われて腹が立たないわけがない。
「アルティウスにはもうあげないから!」
「毒などいらぬ」
「毒なんかじゃないよ!これはチョコレートって言って、好きな人にあげるお菓子なんだから!」
「・・・・・何?」
「アルティウスがいらないなら、他の人にあげるからいいよ!子供達や将軍や、ディーガやマクシーにだって!」
「な、ならぬ!そなた今好きな者にやると言ったではないか!私以外にやる必要はない!」
「アルティウス、毒だって言った!」
「煩い!それは全て私がもらう!」
傍から聞いていれば馬鹿馬鹿しいほどの痴話喧嘩で、料理番達とウンパは苦笑しながらその場を離れる。
「しかし、あれが菓子だとは・・・・・確かに甘い味はしたが」
「熱を取ると固まるらしいですよ。変わった食べ物ですよね」
「王妃様は変わった調理法をご存知だ。これからも色々ご指南頂こうか・・・・・」
料理長の言葉に苦笑を零しながら、ウンパはチラッと振り返った。
(ユキ様・・・・・大丈夫かな・・・・・)
その頃−
「ア、アルティウスッ、まだ熱いよ!」
「そなたの想いは全て私のものだからな!誰にもやらぬ!」
有希から遠い世界の祝祭の話を聞いたアルティウスは、まだ冷めていないチョコ(もどき)をそのまま口に含んだ。
「・・・・・っ」
「ほらっ、熱いでしょ?」
「・・・・・熱くない!」
甘く、苦い不思議な味のするドロッとしたスープを休みなく口にするアルティウスは半ば意地になっている。
とにかく、有希の愛は全て自分の物だと、甘い液体を口にするアルティウスを見ていると、有希は先ほどまで怒っていた
自分がバカらしくなった。
普段は威風堂々とした王者が、自分の事に関する時だけ子供のようになるのが照れ臭いが嬉しい。
「アルティウス」
「なんだっ」
「大好き」
「・・・・・っ!」
いきなり告白した有希の言葉を聞いた途端、ブッとチョコ(もどき)を口からふき出したアルティウスを見て笑いながら、有
希はこれから毎年アルティウスにチョコを贈るのも楽しいかもと考えていた。
end
アルティウス&有希編です。
異世界でのバレンタインは難しいです(泣)。
それでも、久し振りにおバカなアルを書けて楽しかった。