安斎&瑞希編





 「柳瀬(やなせ)は?」
 「会社の方に行っている。父さんから仕事をいいつかっているらしい」
 「・・・・・どうしました?あまり機嫌がよろしくないようですが」
 「・・・・・お前の気のせいだろ」
 そう言いながらも、青年の横顔は眉を顰めた厳しいものだ。せっかく綺麗な顔をしているのに勿体無いと思いながら、そ
う言えば余計に不機嫌になることが予想出来て、安斎叶(あんざい かなう)苦笑を浮かべたまま何も言わなかった。

 ボディーガードである安斎が、日本屈指の名門、東條院財閥の直系、東條院瑞希(とうじょういん みずき)の専属に
なって数ヶ月。
当初は口を利くのさえ嫌がっていた瑞希とは、今は良好とは言えないまでもまあ上手くいっている方だろう。
 彼のボディーガードになって直ぐに起きた事件のせいで、その関係は少し意図しない方向へと向かったが、それも安斎
にとっては問題にならなかった。
むしろ、絶対に手折ることの出来ない高嶺の花を、密やかに愛でることが出来る立場にいる自分が案外楽しい。
(本人にはとても言えないがな)



 瑞希は、意識して自分を避けている柳瀬が面白くなかった。
確かに、柳瀬は一度裏切ろうとしたが、それはあくまでも自分の為だった。裏切る為ではなく、過ぎた愛情のために行き
過ぎた行動を取った男を、瑞希は結局切り捨てることが出来なかった。

 結果的に、今も自分の世話係として傍においているが、柳瀬は瑞希のことを思ってかなかなか傍にいない。
初めは気が楽だったが、今は・・・・・まるで置いていかれているような気がしていた。
 「瑞希さん」
 考え込んでいた瑞希は、名前を呼ばれて顔を上げた。
 「学校はどうされます?」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・行く」
今、一番傍にいる安斎は、あれこれと文句を言うことはない。基本的に、瑞希の好きなようにさせてくれるが、かえってそ
れが一番きつい。
この男に、自分は守るに値する者かどうか試されているのだと思っている。
 「行きましょうか」
 長い間海外生活をしていた男は、ボディーガードにするには勿体無いほどにエスコートも完璧だし、知識も豊富だ。
負けてられない・・・・・今自分を一番本気にさせる男の前で情けない様子だけは見せられないと、瑞希は意識を切り替
えた。



 瑞希が学校から帰り、夕食をとってしばらくして、ようやく柳瀬が戻ってきた。
 「ただいま戻りました」
 「・・・・・随分時間が掛かったな」
 「すみません」
 「別に、父さんの用なんだから謝る必要はない」
もしかしたら、柳瀬はもうこの家に帰ってきたくないのかもしれない。いくら自分のことを思ってくれているとはいえ、言うことを
聞かない、そして、男に抱かれてしまった主人を、もう・・・・・。
(そんなの、嫌だっ)
 「柳瀬」
 柳瀬の気持ちを確かめるにはどうすれば良いのか、瑞希は考えて・・・・・そして、ふと思いついて柳瀬に命令した。
 「安斎を呼んできてくれ」
 「・・・・・こちらに、ですか?」
部屋に呼ぶのかと確認され、そうだと頷き返した。
さすがに一瞬表情を硬くした柳瀬だったが、やがて分かりましたと一礼して部屋から出て行った。

 直ぐに、安斎を連れてきた柳瀬が、一礼して部屋を出て行こうとする。その柳瀬を瑞希が呼び止めた。
 「お前も、ここにいてくれ」
 「瑞希様、私は・・・・・」
 「いいから」
そう命じれば、柳瀬は反意を示さない。表情の変化も隠し、そのまま黙って佇む柳瀬の姿を確認してから、瑞希はなに
やら楽しそうな安斎に向かって言った。
 「そのまま黙って立っていろよ」



 主人の言葉にそのまま立っていると、いきなりつかつかと近付いてきた瑞希は、安斎の首に片手を回し、グイッと下を向
かせてそのまま唇を重ねてきた。
 舌を絡ませるようなものではなく、強く押し付けるような稚拙な口付けをしてくる瑞希を、安斎は冷静に見下ろす。
この青年が、自分を欲してこんな真似をするとは思えなかった。多分、何らかの理由があるはずで・・・・・それは、間違い
なく、今燃えるような目で自分を睨んでくる男のためだろう。
 「・・・・・っ」
 しばらくして唇を離した瑞希は、その眼差しを柳瀬に向けた。
 「いいのか?」
 「・・・・・」
 「俺が、こいつと、こういうことをする関係でも構わないのか?」
 「瑞希様・・・・・」
 「俺が大切だというんなら、柳瀬、お前も戦え。正々堂々、俺の隣を守るんだ。俺は逃げる相手を欲しいとは言わない
ぞ」
 「・・・・・」
(これは・・・・・結構な口説き文句だ)
 瑞希のことを大切に・・・・・いや、ある種の特別な感情を抱いている者に対して、今の言葉は強烈なメッセージになっ
ただろう。
瑞希は、男を分かっていない。ただ、自分から離れて行こうとする者を繋ぎとめる為にこんなことを言い出したのかもしれ
ないが、妄執的に瑞希を慕う柳瀬がこの態度を曲解するとは思わないのだろうか。
(許可をもらったと思う柳瀬がどういう気持ちになるか、想像出来ないのか?)
 「・・・・・よろしいのですか?私が、お傍にいても・・・・・」
 「そう言っている。お前は俺の世話係りだろう」
 「しかし、ガードは安斎が・・・・・」
 「この男に、お前ほどの気遣いは期待出来ない。この男が獣になってしまうのを、お前に防いでもらわなければ困る」
あまりの言い様に、安斎はとうとう声を漏らして笑ってしまった。
(全く、変わったご主人様だ)



 「分かり、ました。今まで通り、常にお傍に」
 「柳瀬」
 「私の大切なご主人様を汚させるわけにはいきません」
 きっぱりと言い切った柳瀬の眼差しは、真っ直ぐに自分を見つめている。それだけで瑞希は嬉しくて、思わず頬を綻ばせ
てしまった。
 「頼むぞ、柳瀬」
 世話係には、今までのように柳瀬がついていて、ボディーガードには案外優秀な安斎がつく。
歪な三角形だが、今の瑞希にはそれが一番自分の望む形であるような気がした。



(あ〜あ。すっかり元に戻ったんじゃないのか・・・・・?)
 せっかく、その正体を暴き、本人も自主的に瑞希と距離を置いていたのに、この瑞希の発言で全てが振り出しに戻って
しまった。
瑞希の微笑みに柔らかく笑み返した柳瀬の眼差しが、自分に向けてくる時だけ熱い感情を込めたものになる。
瑞希がいくら言っても、柳瀬が瑞希に感じている感情はただの主従関係ではないだろうが、これから先も共にいる許可を
貰った柳瀬はある意味開き直ってくるかもしれない。
(それもまた、楽しいか)
 平穏だけの日々よりも、緊張感がある方がいい。それも、無粋なことではなく、こんな色っぽい話ならば参戦するのも面
白いかもしれない・・・・・安斎はそう思いながら、柳瀬の視線に不敵な笑みを返した。





                                                                 end