アレッシオ&友春編
「に、日本に来たら、あなたを守ってくれる人が少なくて心配だし・・・・・今度・・・・・今度は、あの、僕が、イタリアに
遊びに行きます、から」
最愛の恋人、高塚友春(たかつか ともはる)のその言葉を聞いてから、もう半年経ってしまった。
もちろん、その言葉通り直ぐに友春がイタリアに来るとは思わなかったが、それでももしかしてという思いが何度も自分
を襲い、そのたびに苦笑を零していた。
アレッシオ・ケイ・カッサーノ。
イタリアの富豪であると同時に、イタリアマフィア、カッサーノ家の首領であるアレッシオは、日本で見付けた友春を強引
にイタリアに連れ去ったものの、彼の願いを受け、日本に帰してやった。
それ以降も、事あるごとに日本を訪れ、愛を囁いてきたアレッシオの気持ちを受け入れてくれたのか、それとも諦めた
のかは分からないが、当初の怯えたように自分を見つめていた友春の視線が、最近は随分変わったと思う。
自らイタリアに行くと言った言葉からもそれは良く分かるが、実際に友春がイタリアに来ることはなかった。
アレッシオ自身、表と裏の仕事が同時期に忙しくなり、日本に行く時間もままならなくて、メールや電話でしか友春とコ
ンタクトを取れなかった。
友春をガードしている部下からは、近況の報告は受けている。しかし、アレッシオはもちろん自分自身の目で友春の
姿を見たいし、甘い身体を感じたい。
我慢も、そろそろ限界のような気がしていた。
「ナツ」
その日、アレッシオは屋敷の執事、香田夏也(こうだ なつや)を呼んだ。
半年ほど前に諸事情から新しく執事になったばかりの香田。友春と同じ日本人だが、外国生活が長く、色々と修羅
場をくぐっている香田は、友春とは全く違うタイプだった。
簡単には人を信じないアレッシオも、香田のことはかなり信用していた。
「来週は時間が空くな?」
「連続した休みは4日間だけですが」
「・・・・・それなら十分だな」
日本に行き、ゆっくりと友春を愛する時間くらいはあるだろう。
「アレッシオ様も、我慢強くなられましたね」
アレッシオが何を思っているのか分かっている香田は、静かに微笑みながら言った。
「そうか?」
「以前のあなたなら、ひと月も我慢出来ずに日本に行かれたと思います」
「・・・・・なぜだと思う?」
「友春様の気持ちを、信じられるようになったからではないですか?」
「・・・・・」
(さすがに、良く見ているな)
屋敷内全般の管理だけではなく、主人であるアレッシオの肉体的、精神的な世話もする執事なだけに、アレッシオの
変化にも当の昔に気がついていたようだ。
普段それを口や態度には出さず、淡々と仕事をしている香田を、アレッシオはやはり優秀な男だと思った。
「日本の学校はまだ休みではないな」
「はい。ですが、この時期ならばそれほどに忙しいというわけでは無いでしょう」
「そうか」
もちろん、友春がどんなに忙しくても攫うつもりだったが、出来れば彼が嫌な思いをするのは避けたい。
(・・・・・この私がそんなことを考えるなんてな)
この、イタリアマフィア、カッサーノ家の首領である自分が、平凡な日本人の青年を気遣うとは、昔の自分ならば全く考
えられなかったことだ。
それでも、そんな自分がそれ程嫌ではない・・・・・そう思えることも、何だか少しおかしかった。
日本行きを決めたアレッシオは、次々に仕事を片付けていった。
友春と会えると思えば、面白くない相手との話し合いも、化粧の濃い女との食事も、平然とした顔で全て受け流すこ
とが出来る。
友春への連絡も、今回は秘密にした。彼の驚いた顔は何度見ても可愛くて、それを見るだけでも十分日本に行く
価値があるとさえ思えた。
しかし・・・・・。
「ジャンニが撃たれた?」
「はい」
日本行きが二日後に迫った夜遅く、入ってきた報告は面白くない話だった。
ファミリーの1人であるジャンニが、飲み屋で足を撃たれたというのだ。それは、抗争の前触れではなく、単に酒の上での
口論の末ということだったが、その相手が拙かった。
「相手は刑務警察か?」
「そうです」
「・・・・・直ぐにウーゴに連絡を」
口論の相手は、警察官の息子だった。
マフィアのファミリーの一員と、警察関係者。どちらに利があるのかは考えるまでも無く、アレッシオは本格的に警察が動
く前にと、深夜にも係わらず管轄する警察の管理職についている男に電話をした。
マフィアを取り締まる側にいるといっても、その関係は表裏一体で、ある部分では手を結ぶこともある。
特にカッサーノ家はアレッシオに代替わりをしてから経済的に貢献をしているので、かなりの部分において恩恵を受けて
いた。
「・・・・・ああ、ウーゴ、私だ」
この話し合いは部下には任せず、アレッシオが直接対応した。それだけでも相手に対してはプレッシャーを与えること
が出来る。
「アレッシオ様」
数分後、電話を切ったアレッシオは、険しい表情を崩さないまま香田に言った。
「警察には話を着けた。しかし、ジャンニにも厳しい対応をしなければならない。気がついたら呼び出せ」
歩けるようになってからでは遅い。気がつけば這ってでもアレッシオの前にやってきて、自分の不徳を詫びさせなければな
らない。
こんな馬鹿馬鹿しい問題で、警察に目をつけられるなど言語道断だった。
香田を下がらせたアレッシオは、書斎の椅子に座ったまま目を閉じた。
せっかく友春に会いに行くつもりだったのに、この分ではそれもまた先送りになってしまいそうだ。その事実だけでもジャンニ
を責めそうになってしまうが、私的な感情で動くことは首領の立場としては許されなくて・・・・・。
トントン
その時、ドアがノックされた。
香田が気を利かせてワインでも持ってきたのかもしれないが、今はそれを飲む気も無い。
黙っていれば敏い男はそのまま引き下がるはずだったが、なぜかドアは静かに開けられてしまった。
「・・・・・ケイ?」
「!」
小さな声が、静まり返った部屋に響いた途端、アレッシオは文字通り椅子から飛び上がった。
「トモッ?」
アレッシオをその名前で呼ぶのは、両親以外たった1人しか許していない。そして、その1人は今日本にいるはずだった
が・・・・・。
「ケイ」
ドアの隙間から顔を覗かせているのは、確かに愛しい友春だった。
アレッシオが贈った真っ白なコートを着て、白いニットの帽子を被って・・・・・文字通り、綺麗な白兎は、驚きで目を見
開くアレッシオに向かって、少しだけ目を伏せながら言った。
「あ、あの、連絡もしないで、ごめんなさい。空港から、香田さんには連絡をいれたんですけど、ケイ、忙し・・・・・っ」
最後まで言う前に、友春の前に歩み寄ったアレッシオは細い腕を掴んで部屋の中に引きずり込むと同時に、友春に
噛み付くようなキスをする。
「んっ」
小さな声も、匂いも、身体の感触も、間違いなく焦がれた友春のものだ。
時間は掛かってしまったが、約束通り、友春はこうして自らイタリアに来てくれた。サプライズ的なものになったのは香田の
思惑にもよるだろうが、今は男に罰を与えるという気持ちも無い。
思う様その唇を貪ったアレッシオが少しだけ口を離すと、友春が息も絶え絶えに言った。
「・・・・・んぁっ、はっ、はっ・・・・・ケ、イ、遅くなって、ごめんなさい。僕、なかなか、気持ちが決まらなくって・・・・・でも、
約束、守りたくて・・・・・」
「トモ・・・・・」
「こ、怖かったけど・・・・・ちゃん、と、ここまで、1人で来ました」
拙いイタリア語で話してくれる友春がどれだけの勇気を振り絞ってこのイタリアの地に来たのか、きっとアレッシオの考えて
いる以上のものだろう。
自分が日本に行くよりも、こうして友春がイタリアに来てくれたことに大きな価値があると、アレッシオは友春の身体を強く
抱きしめ、その耳元に愛の言葉を囁いた。
end