AYATSUJI SIDE
「ねえ、克己、今度の20日は空けていてくれるでしょう?飛び切り美味しい魚を食べさせてくれる店に連れて行くから」
あまり肉を食べず・・・・・いや、そもそも食の細い恋人だが、新鮮な魚料理は僅かによく食べてくれる。恥ずかしがり屋の恋人は
口では文句を言いながらも、きっと仕方ないという態度で頷くだろう・・・・・そう思って言ったのだが、
「誕生日なんて、何もしなくて結構です。祝ってもらおうとは思っていませんから」
「克己?」
瞬時に返ってきた恋人の返事に、綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)はどうしてと聞き返した。
せっかく恋人といえる関係になってから初めて迎える重要なイベントだ。イベント好きな女ではないが、綾辻は5月に入ってからも
う張り切っていた。
しかし、綾辻の思惑とは裏腹に、倉橋は全くそういったイベントに興味は無さそうで・・・・・いや、意図して避けているようにも思
えた。
知り合ってから数年とはいえ、綾辻は倉橋をじっと見てきたと思う。だからこそ、彼の心の動きは、多分分かるような気がした。
人一倍周りを気遣う倉橋。だからこそ、自分との関係を他の人間に知られたくは無いのだろうし・・・・・。
(怖いんだろうな)
普通、男2人で食事に行っても、その関係を怪しむ者はいない。それなのに倉橋が必要以上に気にするのは、実際に自分達
が恋人といってもいい関係だからで。
(仕方ないわね)
これ以上押しても倉橋は逃げるだけだろう。
綾辻は俯く倉橋に悟られないように溜め息を飲み込んで言った。
「分かったわ」
「・・・・・え?」
綾辻がそう言うと、倉橋は驚いたように視線を向けてきた。
「誕生日は祝わない、それでいいのね?」
「え、ええ」
自分からそう言ってきたくせに、倉橋の眼差しはどこか不安そうだ。しかし、ここで綾辻が何かを言っても、きっと倉橋は否定して
くるのは分かっているので、綾辻はそのまま背を向けた。
それから、綾辻は出来るだけ倉橋との接触を避けた。
それは、倉橋の言ったことを怒っているわけではなく、彼が自分とのことで戸惑っているのならば、少し距離を置いてやった方がい
いと思ったのだ。
いや、そこには多少の意地悪が入っていたことも否定出来ない。
自分の想いを軽く見られていることが少しばかり悔しくて、もっと、2人の関係を考えて欲しくて、必要以上に倉橋を無視したかも
しれない。
それと同時に、倉橋の視線が自分を追っているのが背中がゾクゾクするほど心地良く、時折顰める眉間に泣きそうな気配を感
じ取って苦笑が漏れた。
基本的に、自分は苛めっ子体質なのかもしれない。好きな相手を泣かして喜ぶ、小学生のガキのようなことをこの歳になってま
でやっているのだ。
「綾辻幹部」
「ん?な〜に、くーちゃん」
外に出た時、運転している久保(くぼ)が声を掛けてきた。
綾辻の補佐的な役目を担っているこの男は、自分のボスである男の少し捻くれた性格も把握しているようで、呆れたように意見
をしてきた。
「いったい、何があったんですか?」
「何って?」
「倉橋幹部と、全然話していないでしょ」
「全然ってことないわよ?ちゃんと大事なことは話してるし」
「仕事上だけじゃありませんか。普段はどんなに邪険にされても部屋まで押し掛けて行って遊んでいるくせに、ここ数日は、全然
倉橋幹部の部屋に行ってないでしょう?」
「・・・・・」
(よく見てるわね〜)
核心をついてくる久保の言葉に、綾辻は楽しそうな笑みを浮かべた。
自分が目を掛けている者が察しがいいのは心強い。たまにはうんざりとする時もあるが。
ただ、今回のことは多少あからさまなところがあったので、気づかれるのも時間の問題だったかもしれない。そう思いながら、綾辻
はバックミラー越しに自分を見る久保に向かって笑みを向けた。
「だって、私の方が意地悪されたのよ」
「何ですか、それ」
「冷たくされたんだもん」
「・・・・・そんな言い方をしても可愛くありませんよ」
「もう、くーちゃんは私に厳しいんだから」
「・・・・・私以上にあなたに優しい人なんていますか」
呆れたような久保の言葉に、綾辻はプッとふき出した。
「本当に、心配ないって。ただの痴話喧嘩」
結果的に言えば、自分はそうだと思っている。自分が倉橋を好きな限り、そして、倉橋も自分のことを想ってくれている限り、こん
なことは他愛の無い喧嘩と言っていいと思う。
(私が折れたら、そこで終わっちゃうんだもん)
綾辻がそんな事を考えている間、倉橋の方も相当に煮詰まったらしい。とうとう、普段の彼ならば絶対に頼らない相手に連絡を
取った。
なぜ綾辻がそれを知ったかといえば、その本人から連絡があったからだ。
『いったい、何があったんですか』
「え?」
挨拶も無く、突然そう切り出した小田切(おだぎり)に、綾辻は思わずとぼけた返事を返してしまった。
普段一緒に飲む時も、店で偶然会ったらその流れで・・・・・そんな感じだったので、わざわざ小田切がこうして自分に連絡を取っ
てくる理由が全く分からなかったのだ。
『倉橋さんから連絡がありまして』
「克己から?小田切さんに?」
(そんなの、絶対にありえない感じがするんだけど・・・・・)
『そんな風に驚かれるといじけますよ』
楽しそうに笑って言う小田切に、いじけるという言葉は全く似合わない気がする。ただ、そう言い返しても帰ってくる言葉が怖いと
思った綾辻は、それでと先を促した。
「克己、いったい何の用で・・・・・」
『言ったら、面白くないでしょう?』
「・・・・・」
(なら、どうして連絡してきたんだって話になるけど)
もちろん、言えなかった。
「ヒントだけでも教えてくれないかしら?」
『あなたにとっては悪い話じゃないと思いますよ、多分』
意味深な小田切の言いように、綾辻は全く見当がつかずにいた。
倉橋が自分のことを誰かに愚痴るとしたら、小田切というのは一番最後の選択・・・・・いや、絶対にありえない人選だ。第一、倉
橋が小田切に容易に自分達のことを話すはずがないだろう。
『まあ、楽しみになさっていてください』
「あっ」
結局、倉橋の用件というのが何だったのかは分からないまま、電話は唐突に切れてしまった。
一瞬、掛けなおそうとも思ったが、綾辻は諦める。あの様子では、小田切は絶対に口を割らないだろう。
「克己・・・・・いったい、何をしようとしているのかしら」
6月1日 ----------------------- 。
『ユウ、今日は誕生日だろ?出て来いよ、飲もうぜ』
『ユウ、プレゼントがあるの。たまには遊びましょうよ』
『一つジイサンになったよなあ。若さを忘れないうちにナンパしないか?』
朝から間を置かずに掛かってくる電話。
交友関係の広い綾辻は、夜の遊び相手にまで本当の誕生日を教えているわけではなかったが、知っている者達からは祝いの言
葉と共に、誘いの文句もついてきた。数年前までならば、その中でも気の合う仲間達と大勢で楽しく騒いでいたものだが、特定の
相手・・・・・倉橋と出会ってからはそんな機会も失っていた。
それを寂しいとは思っていない。普通の付き合いならば何時でも出来るからだ。
ただ、特別な日は・・・・・特に誕生日なんかは、出来れは一番大切な人と過ごしたいと思ったが・・・・・。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(あ〜あ、また1人で悩んでる)
朝から、倉橋は何度も視界の中に入ってきた。自分も倉橋を見ていたし、それ以上に倉橋が自分を見ているからだ。
何か言いたげに、それでも、自分からは言い出せないようで、綾辻に向かって何度も必死にシグナルを送ってくるものの、いざ、綾
辻が視線を向けようとすると、その直前に自分から目を逸らす。
(逃げてちゃ、何も出来ないんだけど)
綾辻も小田切の発言が気になって、何とか倉橋から聞き出そうとしたが叶わない。
そうこうしているうちに時間は過ぎていき、何時の間にか夕方になった。
「あら?」
見ているだけでは話は進まないと綾辻は倉橋の部屋に足を向けたが、そこに目指す相手はいなかった。しかし、デスクの上には
まだ書類が広げられているし、明らかにまだいると分かる。
「・・・・・」
(お茶でも入れに行ったのかしら)
そのままキッチンに足を向けた綾辻は、
ガシャッ
何かがぶつかる音を耳にして足を早め、少し開いていたドアから中を覗いて、
「何してるのっ」
思わず、そう叫んでしまった。
サイホンを倒したらしく(綾辻が勝手に持ってきて置いたもの)、床にはコーヒーが零れていたが、綾辻の目に映ったのはコーヒーで
濡れた手を呆然と見下ろしている倉橋の姿だった。
綾辻は直ぐにその手を取り、水で冷やし始める。
「あ、綾辻さん?」
「火傷はとにかく冷やすの!こんなに綺麗な手に痕が残っちゃったらどうするのよっ」
綺麗なこの白い手に火傷の痕が残ったら大変だと、綾辻は自分の服の袖が濡れるのも構わずに、暫くの間ずっと手を冷やし続
けた。
「あ、ありがとうございました」
小さな声で礼を言ってくる倉橋に、綾辻は先に部屋に戻っているようにと言った。
キッチンの中も片付けなければならないが、コーヒーの香りは別に嫌なものでもないので急ぐことでもないだろう。
それよりも、倉橋の手当てが先だと、自分の部屋から火傷に効く薬(とにかく、何でも部屋に揃っている)を持って倉橋の部屋に
行くと、彼はまだ呆然とソファの前に立ったままだった。
怯えさせないようにゆっくりとソファに座らせ、薬を塗ってやる。従順に言うことを聞く倉橋は子供のようで笑みを誘われたが、出来
るだけ笑みを見せないように言った。
「この薬、魔法の塗り薬なのよ。少しの火傷だったら痕も全然残らないから」
すると、暫くして倉橋はいきなり立ち上がった。
「克己?」
そのまま自分の机の前まで歩き、そこに置いてあった紙袋を手にして、再び戻ってくるとそのまま差し出してくる。
「何?」
「・・・・・今の、治療のお礼、です」
明らかに、嘘だ。
綾辻はチラッと倉橋を見てから紙袋の中に視線を落とす。そこには、ラッピングもしていないワインの瓶と、手の平に乗るくらいの小
さな箱が入っていた。
都合よく考えれば、これは・・・・・。
「今のがわざとじゃないんなら、都合よくこんなのを用意していたのか?」
嬉しさをひた隠し、声を落としたのが怒っていると思ったのか、倉橋は唇を噛み締めて俯く。
「克己、顔を上げろ」
「・・・・・怒って、ますか?」
気付くと、倉橋の身体を抱きしめていた。
かたくなさが解けた倉橋の口は滑らかになり、綾辻は自分も気持ちを素直に吐露する。そうなると言い合う言葉も甘い睦言とし
ての意味しか持たず、綾辻はこの臆病で頑固な恋人が愛しくて愛しくてたまらなくなった。
「やっぱり、説明は後。今は、一番欲しいものを先ずはもらっちゃおう」
数日間とはいえ、まともに視線も交わせなかった飢えを、とり合えず少し落ち着かせる為にキスをした。もちろん、今日はこのまま
マンションにお持ち帰りだ。
きっと、今日は倉橋も、意地っ張りなその口から嫌だとは言わないだろう。
思う存分倉橋の口腔を愛撫した後、腕の中でくったりとしている細い身体を抱きしめたまま、綾辻は紙袋の中を見て、ふっと苦
笑を零した。
(ワインをこのまま入れてるなんて、克己らしい)
酒を飲まない倉橋は、ワインの保存温度など気にもしていないのかもしれない。別に2人で飲めばどんな安い酒でも、それこそ
発泡酒だって上等なワインに負けないだろうが。
(それにしても、これは・・・・・)
続いて、小さな箱。全く予想のつかないそれを開けた綾辻は、らしくも無く息をのんだ。
中に入っていた・・・・・シンプルなシルバーリング。いったい倉橋はどんなつもりでこれを・・・・・そこまで思った綾辻は、ようやく小田
切の言葉の意味が判ったような気がした。
『あなたにとっては悪い話じゃないとおもいますよ、多分』
(あれは、このことだったのか)
この倉橋が、プロポーズの意味とも取れるリングを、誕生日のプレゼントにするなどとはとても思いつかないだろう。きっと、小田切
が入れ知恵したのだろうと思うが、それでも、最終的にこれを買おうと決めたのは倉橋の意思のはずだ。
「克己」
「・・・・・」
名前を呼ぶと、ぼんやりとした眼差しが向けられる。お互いの唾液で濡れた唇が艶かしく、綾辻はもう一度その唇にチュッとキス
をしてから、耳元でありがとうと囁いた。
「嬉しい」
続けて言えば、倉橋は首を竦める。その様に低く笑った綾辻は、そのままリングを自分の指にはめようとして・・・・・、
「あれ?」
(小さい?)
薬指には全く合わず、試しにしてみた小指でさえ、第一関節にようやく引っ掛かるくらいだ。
「克己、これ、リングのサイズが合わないわよ?」
「・・・・・リングじゃ、ないです」
「え?」
「指にはめる為に買ったものじゃないです。それは、アクセサリーですから」
チェーンにでも通してくださいと早口に言った倉橋は、照れているのか、それとも本気でそう思っているのか分からない。
「・・・・・素直じゃないんだから」
サイズの合ったリングを買ってくることさえ出来ない恋人のつれなさが妙に心地良い。綾辻は小指の先に辛うじてはまっているリ
ングに、倉橋に見えるようにキスをしてみせた。
「・・・・・」
何を連想したのか、倉橋の目元が見る間に染まっていく。
「もっと、違うところにキスしようか?」
「・・・・・っ、馬鹿っ」
「サイズを間違えるお前もバ〜カ」
笑いながら言った綾辻は、もう一度可愛くない言葉を言う唇をキスで塞ぐ。今度は逃げようと抗った身体だが、もちろん綾辻は
放すつもりなど毛頭無かった。
毎年来る、代わり映えの無い誕生日。
しかし、今年は・・・・・いや、今年からは、今日のように共にいられることを喜ぶ日になっていくだろう。
end
綾辻さんの誕生日。今回は綾辻さん視点。
エッチは無いですが、私的には満足(笑)。