クリスマス前の恋人同士の一コマです。
江坂&静の場合
車が走り出して直ぐ、隣に座っていた相手が頭を下げてきた。
「今日は時間を取ってくださってありがとうございます。お仕事忙しいのにすみません」
本当に申し訳ないという思いが詰まった言葉に、橘は穏やかな笑みを浮かべながらいいえと首を横に振った。今日という日を自
分も楽しみにしていたのだ。
「気になさらないで下さい。今日は本部長公認のデートですから」
少し冗談めかして言うと、相手・・・・・静はフッと口元を綻ばす。
普段は人形のように取り澄ました美貌の主だけに、こんなふうに表情が動くと驚くほどに人間味に満ちてみえた。
橘が仕えている大東組のNo.3、総本部長の江坂の恋人は、普通の大学生だった。
いや、普通という形容詞は多少語弊があるかもしれない。静の家は日本でも大企業といわれる企業のトップだし、本人の美貌
は言わずもがなである。
橘が江坂に引き抜かれたしばらく後に、彼は静と出会った。
パーティーで見初め、その身辺を調べて手に入れるまでの画策も橘の仕事だった。
(まさかあの時は、ここまで彼が執着するとは思わなかったが)
橘にとって、江坂は大東組内でも若手の出世頭で、その鋭い洞察力や素早い判断力、そして容赦ない決断力が魅力で彼
に仕えることに決めたくらいだ。
静を手に入れてからはそれに人間的な深みも加わった気がする。
ただ、それでも橘は冷静に考えていた。江坂が愛する者を手に入れてただ丸くなっただけだったとしたら、そこで見切りをつけて
いただろう。
しかし、江坂は違った。
自分の懐に入れたほんの一握りの相手に対しての許容は深くなったが、だからといって冷酷さは失わなかった。いや、愛する者を
守る為にその感覚はさらに研ぎ澄まされ、眼差しは鋭く周囲に配られている。
橘にとって一番理想の変化を江坂に与えた静を本当に得がたい人間だと思っているし、橘自身、見掛けとはまるで違う度胸
のよさを持つ静を気に入っていた。
「それで、何をなさるのかは決められたんですか?」
「はい。橘さんの意見も参考にさせてもらいました」
「そうですか」
「でも、26日のことばかり気になって、クリスマスのこと昨日まで忘れていたんです」
「ああ、だから私の出番ですか」
「明日、時間取れますか?」
珍しく焦った様子で電話をしてきた意味がようやく分かり、橘はさらに笑みを深くする。
「何だか、頼ってばかりいてすみません」
「いいえ、光栄です」
普段、殺伐とした世界に身を置いているので、こんなふうに穏やかな時間を過ごすことは貴重でもあった。
「ただいま戻りました」
オフィスを空けていたのは実質3時間ほど。
普段ならそれくらいの時間顔を合わせないこともざらにあるが、今日ばかりは直ぐに顔を上げた江坂が訊ねてきた。
「静の懸念は晴らされたのか?」
「はい」
「・・・・・」
静の友人が海外留学をするのに迷っているらしい。
そのことで相談に乗って欲しいと言われたと告げた時、江坂は表情さえ変えなかったがどこか不機嫌なオーラを漂わせていた。
そんなことくらい自分に言って欲しいと思ったのだろうし、本当はそんな江坂の空気を読めば自然と立場を譲っただろうが、その
留学先が橘の知り合いがいる国だったので、色々アドバイスが出来るかもしれないとわざと自ら申し出た。
「・・・・・」
「・・・・・」
江坂は再びパソコンの画面に視線を戻す。
「報告をした方がよろしいでしょうか?」
その様子を見ながら言えば、江坂は短く答えた。
「いや、興味は無い」
「分かりました」
「今後、静に問題が降りかからないな」
「その辺りはご心配なさらずに」
なにせ、今言っていることは静と口裏を合わせた嘘だ。今後も何も、いっさい静には関係ないことだが、そうとは知らない江坂は
下がっていいと淡々と告げる。
「失礼します」
一礼した橘は部屋を出た。
こちらから何も言い出さなかったのは意地悪かもしれないが、それも2人にとってのスパイスになるのなら、後々小言を言われるこ
とはないだろう。
「あ」
インターホンが鳴った。
既に帰ってきたのは携帯からの連絡で知っていたので、静は直ぐに玄関まで出て行くとじっと彼が入ってくるのを待つ。
防犯のため、けして自ら鍵を開けてはいけないと言い聞かされているからだ。
「・・・・・」
しばらくして、カチッと僅かな音をたててドアが開いた。
疲れた様子などいっさい見せない整った容貌の主が、どこまでも甘く自分を見つめてきてくれた。
「お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
そこまでは何時もと変わらない光景だった。しかし、なぜかその後、江坂はじっと黙って視線を向けてくる。
「・・・・・凌二さん?」
どうしたのだろうと訊ねると、苦笑した江坂が口を開いた。
「今日、橘はご友人のためになりましたか?」
「あ・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(・・・・・もしかして、凌二さん・・・・・)
江坂は、自分が嘘を付いて橘と会ったことに気付いているのではないかと、ふと思ってしまった。
自分の態度はあくまでもいつもと変わらないつもりだったが、僅かな違和感を感じ取られたのかもしれない。
「あの・・・・・」
ここで頷くのは簡単だった。橘にもわざわざ口止めをしていたし、そもそも江坂に後ろめたいことは何もしていない。
それでも・・・・・。
「ごめんなさい」
「静さん」
「俺・・・・・嘘をつきました」
相手にとって悪い意味で付いたわけではない嘘。それでも静は江坂の目を真っ直ぐに見れないことはしたくなかった。
クリスマスプレゼントを買いに行った。
静の答えはあまりにも単純で、嬉しくて、江坂は俯いてしまった静の身体をそっと抱きしめた。
「すみません」
そして、直ぐにそう謝罪する。責められるのは自分だと思っていたらしい静は、驚いたように目を瞠ってこちらを見た。
「え・・・・・?」
「無理に聞き出すような真似はしたくなかったんですが・・・・・どうしても私以外の人間があなたと秘密を共有するのが悔しかっ
たんです」
「あ、あのっ、橘さんは俺が無理を言って・・・・・っ」
「ええ、分かっています」
橘に他意がないことは十二分に分かっている。静が自分にとってどれ程大切な存在か、その警護の体制もすべて指揮してい
る橘は、冗談でも静を奪おうとは思わないはずだ。
自分と、それと静のためを思い、口を噤んだ。そう考えるのが一番自然だし、きっと間違いはない。
(多少、面白がっているかもしれないが)
それでも、小田切ほどの性悪ではないだろう。
「無理矢理言わせて申し訳ないくらいですが、私はとても嬉しいですよ」
「凌二さん・・・・・」
「あなたが私を驚かせようと思って行動してくれたこと」
クリスマスプレゼントなど、相手の欲しがるもの聞き、それを用意すれば済むだろうに、さらに驚かせようというプラス要素まで考え
てくれた静の気持ちが嬉しい。
「あなたがくれるものなら何でも嬉しいんですが」
「でも、少しでも喜んでもらいたいんです」
気持ちが落ち着いたのか、静は少しだけスネたように上目遣いにこちらを見てきた。
その表情がとても可愛くて、江坂は笑いながら軽く唇を重ねた。
気がかりなことが解消して、江坂はそのまま静の用意してくれた夕食を食べるためにテーブルに着く。
今日は静が得意にしているクリームシチューだ。温かな湯気を見るだけでも心が温まるような気持ちがするものの・・・・・。
「・・・・・静さん」
「はい?」
「・・・・・どうして、グリーンピースが入っているんですか?」
クリーム色のシチューの中、ニンジンや玉ねぎ、ジャガイモなど、当たり前の具材が煮込まれているが、その中に点在している緑
色の小さな物体は江坂の想像の範囲外のものだった。
「彩りに入れてみたんだけど・・・・・綺麗でしょう?」
「・・・・・」
(家で食べるものに彩りが必要なのか・・・・・?)
江坂はじっとテーブルの上に視線を落とす。
「どうぞ、食べてください」
「・・・・・頂きます」
江坂は静かにスプーンを手にした。
「本部長は緑の野菜が苦手ですね。特に、グリーンピースとか、ブロッコリーとか、アスパラとか。最近はあなたに合わせて何とか
召し上がってくれていますが」
(橘さんの言う通りだ・・・・・)
黙々とスプーンを動かしている江坂を見つめながら、静は小さく笑った。
別に意地悪をしているつもりはないし、栄養の面から見てもこれを入れるのは間違いではない。
(それに、これは俺にとってのクリスマスプレゼントだし)
好きな相手のことを一つ一つ知る。どんな高価なものを貰うより、ずっとずっと嬉しい。
江坂の家族や過去を知りたいと思うが、それは他人に聞くべきではないと思っているし、あの橘は絶対に話さないはずだ。ただ、
こんな些細な嗜好のことくらいはと、こっそりと教えてくれたことに感謝した。
もう直ぐ、彼の誕生日。
特別な人の特別な日。クリスマスよりも静にとっては価値のあるその日のために、江坂には誕生日が間近に迫っているということ
から目を逸らすための用心の一環だったが、思い掛けなく効果はあったようだ。
眉間に僅かな皺を寄せながらも、それでもクリームシチューを食べてくれる江坂に微笑を浮かべると、誕生日にはどんな顔をし
てくれるだろうかとワクワクしながら、静も自分も食事を始めた。
end
このカップルの第三者視点は橘さん。
この後に誕生日へと話が続きます。