伊崎&楓編
大東組系日向組。
未だに多くの組員を住み込みで抱えている、古き良き任侠の時代を彷彿とさせるこの組では、一年を通して様々な行事が組員
総出で執り行われている。
正月の挨拶から、節分、5月の節句、そして年末の餅つき。
日本の古くからの伝統行事は存続させるべきだと言い続けている前組長の言葉を受け、息子の現組長もそれら組員の結束を
量るものを大切にしようと思ってはいたが・・・・・。
「・・・・・誰だ、事務所にこんなものを飾ったのは」
低く、恫喝するように言えば、若い組員が恐る恐る告げてきた。
「ぼ、坊ちゃんです」
「・・・・・楓(かえで)か」
想像はしていたものの、改めてそう言われると更なる文句も言えず、日向組組長、日向雅行(ひゅうが まさゆき)は睨むようにし
て飾られているクリスマスツリーを見据えた。
歳の離れた弟、楓は、幼い頃から天使のように愛らしかった。
組のマスコット的存在になっていた楓のため、組長だった父が率先して子供の喜ぶようなイベントをしてやっていたが、クリスマスも
その一環で、毎年家と組事務所に大きなクリスマスツリーを飾るのが常だった。
古めかしい純日本家屋の家と、ヤクザの組である事務所。
どちらに飾られても違和感があるものだったが、子供の楓はとても喜んで、毎年年配の組員から下っ端の組員からまで、抱えきれ
ないほどのプレゼントを貰っていた。
楓が高校に上がった頃からクリスマスツリーを飾るのはおかしいかと、組長になった雅行は組事務所ではいっさいクリスマスの雰
囲気は出さないようにしたのだが・・・・・。
(どうして今年に限って?)
もう大学生になった楓には、それこそ子供っぽいイベントだと思うが・・・・・そう思いながら雅行がますます眉間の皺を深めた時、
「ちょっと、開けて!」
母屋から繋がるドアの向こうから、今考えていた楓の声がした。
「あ、兄さん」
まさか兄自らがドアを開けてくれたとは思わず、少しだけ驚いた声を上げた楓は直ぐににっこりと笑った。
「丁度よかった。兄さんに言っておけば安心かも」
「おい、それは何だ?」
「これ?クッキー」
「それは見れば分かる。だから、いったい何なんだ?」
「何って、皆へのクリスマスプレゼントの代わりだよ」
2、3人ならばまだしも、組にはかなりの人数の組員達がいる。それも、父の代から務めていた者から、数ヶ月前に入った者まで、
その経歴は様々で、いくら楓が組員全員が大切だと思っていても、さすがに全員分のプレゼントまでは用意出来なかった。
皆平等で、それ程元手が掛からなくて、自分でも出来るもの。
それを突き詰めた結果がこのクッキーで、数日前、年上の友人の恋人に教わって大量に作ったのだ。
「あ、兄さんのも父さんのもあるよ」
「・・・・・本当にお前が作ったのか?」
「驚いた?」
楓も、とても自分がそんなものを作れるとは思わなかったが、生地を作ってしまえば後はオーブンで焼くだけで、思った以上に簡
単に出来たというのが真相だ。
まあ、その生地作りも、友人の恋人に配合はしてもらい、楓は捏ねただけ・・・・・だが。
「・・・・・お前がこんなことをするなんて初めてじゃないか?」
「したかったけど、兄さん達が子供は気を遣うなって言ったんじゃないか」
昔から、与えられる一方だった楓。
組自体の経営は楽なものではなかっただろうし、組員達に与えられる小遣いも多くは無かっただろうが、それでも皆、楓には心をこ
めたプレゼントをしてくれた。
大東組本部の重鎮達も楓に様々なプレゼントをくれたが、楓はどんなに高価なそれよりも、皆がくれる飴や漫画本、文房具な
どが嬉しかった。
高校生までは親の庇護下だから我慢していたが、大学生になれば状況は違う。楓は自分で出来る範囲で、皆にお返しをしよ
うと思ったのだ。
「楓・・・・・」
そんな楓をどう思ったのか、嬉しそうに細められた兄の目が急に険しくなった。
(何?)
どうしたのだろうと思った時、
「楓さん、全部運んでいいんですか?」
自分の手伝いをしてくれていた恋人の声に、楓は直ぐに笑いながら振り向いた。
「うん、こっち運んで」
「皆に、クッキー配ろうと思うんだ。でも、内緒にしておけよ?」
楓にそう言われた時、日向組若頭、伊崎恭祐(いさき きょうすけ)は、さすがに驚いたが、次に感じたのは嬉しさだった。
楓が組員達を大切に思っていることは昔から知っていたが、その気持ちをきちんと形にして表そうとしていることが嬉しかった。
大学生になり、楓の世界は確実に変わった。友人も、知り合いも多くなったが、楓の美貌に惹かれる人間は更に増え、半スト
ーカーのような者も増えた。
それでも、楓は自分の決めた目標に突き進むために、高校時代のように夜遊びもしないし、品行方正と言っていい生活を送っ
ている。
そして・・・・・自分との恋人としての関係も、より深く、濃密なものに変化していた。
実を言えば、楓とは今夜、一緒に過ごす約束をしている。
外で食事をし、ホテルに泊まって・・・・・。オーソドックスな過ごし方かもしれないが、同じ屋根の下で暮らしている自分達には、誰
の目も気にせずに共に過ごすには、こういった機会が必要だった。
「・・・・・お前が付いて行ってたのか?」
「はい、たまたま身体が空いていたものですから」
自分と楓の関係を、この組の中で唯一知っているのは楓の兄であり、組長である雅行だけだ。
今のところ暗黙の了解で見逃してもらっているが、雅行が自分達の関係を面白く思っていないことはよく分かっている。ヤクザとい
う世界に身を浸している自分とは違い、楓にだけはまっとうな世界で、きちんと幸せな結婚をしてもらいたいと思っているのだろう。
伊崎も、もちろん楓には幸せになってもらいたい。しかし、それはまだ顔の分からない誰かでは無く、自分が幸せにする・・・・・そ
う思っていた。
「あ、兄さん、俺、今夜いないから」
「え?」
「お出掛け、ね?」
にっこりと嬉しそうな笑みを自分に向けてくる楓は、よほど今夜のことが楽しみらしい。伊崎も同じ思いだが、さすがに雅行の前
で顔を綻ばすことは出来なかった。
「・・・・・おい、伊崎」
「私も、今夜は用がありますので」
「・・・・・」
雅行は自分と楓の顔を交互に見つめ、やがて厳しい顔のままふうと深い息をついた。
「何も言わなかったな、兄さん」
てっきり、小言を言われるかと思ったが、兄は渋い顔をしながらも何も言わなかった。内心覚悟をして、どういうふうに言い返そう
かとドキドキしていた楓は拍子抜けしてしまった感じだ。
「・・・・・あっ、もしかして兄さんも誰かと過ごしたりして」
「組長には、今特別な方はいないはずですが」
「カッコいいのになあ、兄さん。どうしてモテないんだろ」
顔は少々厳ついが、気持ちも真っ直ぐで男らしい。楓が女で、兄と兄弟でなかったら、絶対に好きになると思うのに、やはりヤク
ザという生業がネックなのだろうか。
「楓さん」
兄のことを考えていた楓は、伊崎に声を掛けられて顔を上げる。
端整な男の顔が、なぜか情けない苦笑を浮かべていた。
「やはり、組長の方がいい男なんですか?」
「・・・・・馬鹿」
何回言えば、この男は自分の言葉を信じてくれるのだろう。
幼い頃からこの目の前の男だけを見つめてきたと言うのに、未だに自信なさげな言葉を言うのには少々腹立たしい。
しかし、そんなふうに伊崎が自分のことをずっと見つめてくれているのも心地良くて、今の秘密の関係を楓の方は楽しんでいた。
それは、兄の20歳になればという言葉には嘘がないと信じているし、伊崎の自分への愛情ももちろん、自分自身の気持ちもしっ
かりと信じているからだ。
「兄さんは特別なんだよ」
「・・・・・あなたの特別という言葉は重いんですよ」
「じゃあ、お前は別格」
「・・・・・別格?」
「セックスするほど愛してるのはお前だけ」
そう言って、楓は伊崎の首を抱き寄せ、唇を重ねた。母屋との渡り廊下、誰が見ているかも分からないが、それでも全然構わ
なかった。
そして、そんな楓の気持ちを今度は真っ直ぐに汲み取った伊崎は、楓からのキスを自分主導のものに変えてくる。
クチュ
「んっ」
濃厚なキスは、今夜という時間のほんの摘み食いだ。
楓は、紳士な伊崎がどんな風に激しく自分を愛してくれるのだろうと想像しながら、既に身体が熱くなってくるのを自覚していた。
end