楢崎&暁生編






 「ありがとうございましたー!」
 大きな声で客を見送った日野暁生(ひの あきお)は、ふうと息をついた。
昼時の一番忙しい時間を過ぎれば、少し暇な時間が訪れる。今の間に昼食も取らなければならないのだが、暁生にはその前に
考えなければならないことがあった。

 フリーターであった暁生は、1ヶ月前から弁当屋でバイトをしていた。
本当は給料の良い夜の商売も考えていたのだが、厳しい恋人が水商売だけは駄目だと頑として譲らず、暁生も彼を怒らせてま
で給料に拘っていないので、今は週に3回、午前9時から午後4時までのバイトを一生懸命こなしていた。
 昼食がついているこのバイトは案外性に合っていたのか、それとも年配のパート社員が子供のような暁生を可愛がってくれてい
るせいか、思ったよりも暁生にとっては居心地の良い場所になっている。

 「俺に付いてブラブラしてるな。ちゃんと将来のことを考えろ」

 厳しいが、至極もっともな恋人の言葉。
本当は彼の傍にいたくて、同じ世界に飛び込もうとも思っていたが、絶対に駄目だと反対されている。
お前だけはまっとうな世界にいろと言われるが、暁生は恋人の生きる世界を否定するつもりはないし、共に生きて行けたらと今で
も思っていた。

 大東組系、羽生会の幹部、楢崎久司(ならざき ひさし)。恋人はヤクザという世界に身を置いている。普通に過ごしていれば
一生出会わなかったと思うが、暁生は自分達を引き合わせてくれた神様に感謝していた。
 父親ほどに歳は違うものの、暁生は楢崎が大好きだし、楢崎も自分に好意を持ってくれている。未だ、最後まで身体を重ねて
はいないものの、それ寸前まではいっているし、今の楢崎の一番側にいるのは自分だと、自惚れでは無く感じていた。

 そんな大切な人に贈るクリスマスプレゼントは何がいいのか、暁生は12月に入ってからずっと考えていた。
本人が欲しい物を贈ることが出来れば一番いいのだが、聞けばきっと、

 「無駄使いはするな。将来の自分のために大切に使え」

そう言って、プレゼントは拒否するだろう。その気持ちは嬉しいが、少しでも何か贈りたい。
今日はもう24日、考える時間は限られていた。



 楢崎は先程から意味深な視線を向けてくる相手に、とうとう根負けして顔を上げてしまった。
 「・・・・・何の用です?」
羽生会の幹部という立場の自分が敬語を使う相手、それは会計監査の小田切(おだぎり)だ。
綺麗な顔をした麗人ではあるものの、その中身は悪魔以上に複雑怪奇な男だ。会長である上杉さえも逆らえないその人のこの
不可思議な態度は、薄気味悪く感じてもおかしくはないだろう。
 「いいえ、ただ、用意はしているのかと思って」
 「用意?」
 「暁生君へのプレゼントですよ。ブランドショップとか、あまり詳しいように見えないので、老婆心とは思いますが助言はどうかなと
ね」
 楢崎は一瞬言葉に詰まった。
 「・・・・・ありがたい話ですが、あいつはブランド物には興味無いですよ」
 「じゃあ、もう用意しているとか?」
 「・・・・・」
 「ふふ、幾らお前がイベントを気にしないと言っても、暁生君自身はどうなんでしょうね。まあ、何時でもアドバイスはしますから」
 「・・・・・ありがとうございます」

 立ち去っていく小田切の後ろ姿を見送りながら、楢崎は溜め息を押し殺した。
他人に言われなくても、楢崎自身ずっと考えていた。自分がクリスマスプレゼントを渡すと言えば子供じゃないんだと反抗されるか
もしれないと思う一方、恋人としては待っているかもしれないと。
 楢崎は今までこういったイベントを気にしたことはないし、多分誰かにプレゼントを渡した覚えはない。
この歳になって初めて恋人にプレゼントを渡そうという気分になっているのだが、いったい何を渡したら喜んでくれるのか、全く検討
が付かなかったのだ。
 暁生はブランド物には興味が無い。かといって、ゲームなどというような子供っぽいものを渡してもいいものか?
 「・・・・・」
厳つい顔のうちで、楢崎はこんなことをずっと考えている。今日はもう24日。クリスマスは明日に迫っていた。



 12月25日。
暁生は臨時でバイトに入っていた。今日は弁当の他にチキンも出るので人手が足りないのだ。
 それでも、時間は午後2時から6時までで、その後はフリーだ。暁生はバイトが終わったらその足で、羽生会の事務所に楢崎を
訪ねて行くつもりだった。
(今日はいる、よな)
 年内は休みが無いと言っていた楢崎は、きっと事務所にいるはずだ。
 「・・・・・どうかな」
(無駄使いするなって言われそうだけど・・・・・)
鞄の中に入っているのは、昨日店が閉店するギリギリまで粘って考えて買ったネクタイだ。ブランドショップに足を踏み入れるのも初
めてで緊張したし、その金額にもビビッてしまったが、それでも予算の範囲で何とか楢崎に似合いそうなものを選ぶことが出来た。
(喜んでくれるかな)
 楽しみな気持ちと不安な気持ちが交差する中、店の扉が開かれる。
 「いらっしゃいま・・・・・ああ?」
顔を上げた暁生は、そこに楢崎の姿を見て思わず声を上げてしまった。
 「ど、どうして?」
 「・・・・・それを買いに来た」
 楢崎が指差すのは照り焼きにされた鳥の足だ。
 「こ、これ?」
 「2つ」
 「・・・・・」
 「頼む」
 「は、はいっ」
(ど、どうして、楢崎さんが?)
羽生会の事務所からは30分ほど離れているこの場所まで、楢崎がわざわざチキンを買いに来るなんて予想外だった。
 「・・・・・」
 丁度店の中は客が途切れていて、他の店員は奥で遅めの昼食をかき込んでいる。
2人きりの空間で、暁生は手元が動揺で揺れながらも何とか注文通りチキンを詰め、チラッと顔を上げて楢崎の向こうを見た。
(あ・・・・・車、無い)
 店のことを考えてか、前に車は停められていない。楢崎の気遣いに感謝しながら、暁生は夕方訪ねて行くことを告げるいいチャ
ンスだと、包みを差し出して言った。
 「あの、夕方事務所に・・・・・」
 「終わるのは何時だ?」
 「え・・・・・バイト?6時、だけど・・・・・」
 「迎えに来る」
 「ええっ?」
とても、楢崎が言いそうに無いセリフ。本人もそう思っているのか、少しだけぎこちなく視線を逸らした。



 らしくないことをしているのは分かっている。それでも、暁生のために行動することは嫌ではなかった。
 「もう、めぼしい店は全て予約で満席だったが、知り合いの小料理屋が何とか空いていた。これとケーキは持ち込みで、後は和
食になるが・・・・・構わないか?」
 「う、うん!全然っ、俺っ、和食大好きだし!」
 「・・・・・日本語になってないぞ。じゃあ、時間になったら来るから、しっかりと仕事をしろ」
 「はい!」
 素直に頷く暁生の顔は本当に嬉しそうで、楢崎は自分がここまで来たことが無駄ではなかったことにホッとした。
母子家庭である暁生の母親には寂しい思いをさせてしまうかもしれないが、今夜は目を瞑ってもらうしかない。
 「ありがとうございました!!」
 暁生の大きな声に見送られ、楢崎は少し歩いた所に停まっていた車に乗り込んだ。
 「事務所でよろしいんですか?」
 「ああ」
今日はヤクザの組とも言えどクリスマスで浮き足立っていて、自分自身も恋人と過ごしたいらしいトップである会長が、予定のある
者は全員帰らせろという太っ腹な命令を出してくれた。
それは楢崎も例外ではないようで、さっさと帰れというありがたい命令に、気恥ずかしいが便乗させてもらうつもりだ。
 「・・・・・どうかな」
 暁生へのクリスマスプレゼントは自転車だ。何時も徒歩かバスで移動している彼のために、小田切に紹介してもらった店で購入
した。
きっと、これに乗って羽生会の事務所にやってくる暁生の姿が今よりも頻繁に見られるようになるかもしれないが、それでも嬉しい
と思うのだから仕方がない。

 「喜んでくれるといいですね」

 にっこりと笑った小田切には、もしかしたら今後無理な注文をされるかもしれないが、今回の借りはとても大きいので覚悟だけは
していよう。
 「・・・・・俺も、浮かれているのかもしれないな」
幼い恋人と迎えるクリスマスに、自覚している以上に心が浮き足立っているようで、楢崎は自分自身に苦笑しながら、まだ6時ま
では気持ちを張り詰めていなければならないんだぞ言い聞かせる。
それでも、厳つい顔に浮かんでしまう笑みは、完全に消すことは出来ないようだった。





                                                                      end