綾辻&倉橋編






 1階の事務所の前までやってきた倉橋克己(くらはし かつみ)は、中から漏れ聞こえてくる賑やかな声に眉を顰めた。
(また、さぼっているな)
 本来なら部下の仕事を監視する役割を持つ男が、率先してさぼっている様子が目の前に見えるようだ。早速注意しなければと
ドアを開き掛けた倉橋は、
 「じゃあ、綾辻(あやつじ)幹部はどんなクリスマスが理想なんですか?」
聞こえてきたその言葉に動きが止まった。

 大東組系開成会。その中で幹部という役割を貰っているものの、倉橋自身はまだまだ未熟だと思っていた。
倉橋が理想とするのは、同じ大東組の幹部である綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)で、彼の人脈の広さと、見識の深さ、どんな時
でも余裕を持って対処する姿がとても凄いと思っていた。
 ただし、彼は仕事は出来るものの、それと同時にどうもさぼり癖もあり、倉橋の方が頻繁に彼を怒鳴るというシチュエーションが
多かった。
 そんな彼と、男同士でありながら付き合い始めてどのくらい経つだろうか。
人間的に欠陥だらけの自分が、性格に多少難はあっても周りから見れば十分素晴らしい人間である綾辻と付き合っていること
が今でも時々信じられない気分だった。

(理想のクリスマス・・・・・)
 もう明日がクリスマスイブという日。
きっと、綾辻は色々と考えてくれているのだろうが、倉橋は自分が何も思い付いていないことに少々焦っていた。
今更どこかのレストランに予約をしても仕方が無いだろうし、第一男同士でそういった雰囲気たっぷりの場所で食事をするのは恥
ずかしくてとても出来ない。
 しかし、プレゼントくらいは何かと考えていた倉橋にとっては、事務所の中から聞こえてくる会話はとても気になるものだった。
(どうせならば、欲しい物でも言ってくれたら・・・・・)
 「そうね〜、可愛い恋人と一緒に過ごせるのが一番だけど〜」
 「綾辻幹部っ、恋人いるんですかっ?」
 「可愛いってっ?」
 「ふふ、美人だけど、と〜っても可愛いのよ〜。眼鏡が似合うクールビューティーなの」
 「・・・・・っ」
(な、何を言っているんだ、あの人はっ)
いくら特定の名前を出さなかったとしてもあまりに恥ずかし過ぎる。
居たたまれない思いをしながらも、倉橋は早くその続きを言ってくれと願った。
 「私は結構マニュアル派だから、眺めの良いレストランで食事をして、雰囲気の良いバーでプレゼント交換して、ホテルのスイー
トで朝までっていうのが理想かな」
 「あ、案外普通ですね」
 「恋する男なんてそんなものよ」
 「・・・・・」
 倉橋はそっとドアから離れ、真剣な表情のままエレベーターに乗り込んだ。
 「レストランに、バーに・・・・・スイート?」
(そんなもの、今日予約が取れるのか?・・・・・っ)
 「わ、私は何を・・・・・」
何時の間にか、綾辻の望むとおりにしなければと思っていた自分が恥ずかしくなり、倉橋は今聞いた話を忘れようと首を振る。
しかし、一度聞いてしまった話を忘れることはとても出来なくて、何だか胸の奥に重い物をしまい込んだような気がしたまま、自分
のオフィスへと戻るしかなかった。



 「ふふふ」
 綾辻が急に声を出して楽しそうに笑ったので、周りの組員達はどうしたんですかと聞いてくる。
 「内緒」
(克己、しっかり聞いてくれたわよねえ)
倉橋がオフィスを出た時、偶然それを見た綾辻の部下の久保が携帯を慣らして教えてくれた。
もちろん、初めから見張っているわけではなかったが、綾辻の真意を知っている腹心の部下は、気が進まないながらも協力をして
くれたのだ。
 そして、頃合いを見計らってクリスマスプレゼントの話をしたが、確実にそれを聞いているだろう倉橋がどんな行動をとるのか、綾
辻は想像するだけで楽しい気分だ。

 「クリスマス?平日ですから、もちろん通常の仕事をしますよ」

 いくらヤクザだと、世間からは乖離した世界で生きているとはいえ、最近ではその思考は一般人とそれほど変わらない。その中
で、倉橋の言葉はいっそ潔いが、恋人としては少々物足りないと思ってしまうのも確かだった。
 だから、少しだけ罠を仕掛けてみた。
真面目な彼は、恋人という関係にも真面目で、きっと今頃知恵熱が出るくらい、色々と考えてくれているのではないだろうか。
(どんな答えが出てくるのか楽しみ)
 結果的に特別な夜にならなくても、もしかしたら自分が想像している以上のことをしてくれたとしても、綾辻にとっては倉橋と共に
いる時間が幸せなのだ。
そのオプションがどんなものになるのか、25日までのお楽しみだなと思いながら、綾辻は自分の仕事にようやく取りかかった。



 12月25日、午後5時。

 開成会の事務所ビルは閑散としていた。
会長である海藤(かいどう)が、約束がある者は帰宅して良いという許可を出してくれたので、若い組員達のほとんどや、家庭を
持っている者達は、いそいそと事務所を後にした。
(結局・・・・・何も無し、か)
 綾辻は苦笑交じりに自分のオフィスから出た。
今この時まで倉橋からは何のリアクションも無く、それどころか、何時も以上の仕事を押し付けられたような気がする。
 それもまあ仕方が無いかと思いながら、綾辻は事務所の中に残っている者数人、貧乏くじを引いてしまった者達に、鮨とピザ、
そしてコンビニのケーキでも差し入れしてやろうかと思った。
 「あら」
 「・・・・・」
 部屋を出て直ぐ、綾辻は簡易キッチンに入っていく倉橋の後ろ姿を見掛ける。
コーヒーでも飲むのならついでに入れてもらおうかと思い、そのまま後を追った綾辻は、
 「え?」
 「・・・・・!」
そこに並べられたものに思わず声を上げると、倉橋がパッと振り向いた。



 クリスマスをどう過ごすか。プレゼントを何にするか。
考えても考えても分からないまま、時間は何時の間にか過ぎてしまった。
 きっと、何かを期待しているだろう綾辻に何の約束も出来ないまま、25日は予定のある者達は早々に帰すという海藤の言葉
に従えば、事務所に残る者は予想以上に少なく、倉橋はせめて日が変わる時間までは自分は残ることを決意した。
 そうなると、自然に綾辻も残ることになってしまって・・・・・せめて、今日が特別な夜だということをちゃんと意識していることを見
せるためにも、ケーキくらいはと、夕方事務所を抜け出して買いに行ったが・・・・・どうしても、クリスマスケーキを買う勇気が持て
ず、ロールケーキを買ってしまった。
 「・・・・・こんなものでいいのか・・・・・」
 これも、倉橋的にはケーキなのだが、クリスマスの特別な・・・・・と、言えば違うかもしれない。
仕事中だからとワインも用意出来ず、入れたのはコーヒー。これをどういう顔をして綾辻の元へ運ぼうか・・・・・そんなことを考え
ていた矢先、

 カチャ

ドアが開く音と共に、
 「あら」
珍しく驚いたような男の声を耳にした倉橋は、はっと振り向き、その存在を目に映した瞬間、顔が燃えるように熱くなったのを感じ
た。



 何時もお茶を入れる時に使うトレーの上に並べられた、ロールケーキとコーヒー。
2つずつあるのは、もちろん倉橋がそれらを食べるから・・・・・と、いうわけではないだろう。
(これが・・・・・克己風のクリスマス、か)
 綾辻はこみ上げてくる笑みを消すことが出来なかった。あまりにも倉橋らしくて、微笑ましくて、何だかこれだけで気分が高揚し
てしまう。
 ただ、人一倍シャイで生真面目な倉橋をからかってしまうと、今夜は本当になにも無いクリスマスになってしまいかねないので、
綾辻は出来るだけ何時もと同じように声を掛けた。
 「なあに、1人だけでお茶の時間?」
 「え・・・・・」
 綾辻がクリスマスのことを言わなかったので意外に思ったのか、倉橋の表情が僅かに変わったが、直ぐに何時もと変わらない
表情で静かに頷いてくる。
 「いいえ、私だけじゃなく、あなたも頑張って仕事をして下さるので・・・・・」
 「じゃあ、もう1つは私の?」
 「・・・・・コンビニのケーキですが」
 「私の大好物」
 少しわざとらしいかと思ったが、倉橋はそこには引っ掛からなかったようで、明らかにホッとした表情になっている。
(事務所に残ってるの、私だけじゃないんだけど)
倉橋の言い方ならば、他の組員達にも用意しなければおかしいのだが・・・・・もちろん、そんなことを指摘するつもりはない。
 「じゃあ、私の部屋で一服」
 「はい」
 せっかくの倉橋のプレゼントを無にせずに、存分に味わう方法。
誰の目にも届かない場所で、可愛いことをしてくれた恋人に、キスの一つでも贈ろうと思う。
 実はこっそりとプレゼントも用意しているのだが、今夜渡してしまえばますます倉橋が悩んでしまうだろうと思うので、これは明日
にでも、こっそりベッドの枕元に置こうか。
(それが、正しい恋人同士の姿だもの)
良い子にはちゃんと、サンタがプレゼントを渡してくれる。それは、歳など関係無いしとほくそ笑みながら、綾辻は倉橋が持とうとし
たトレーを自分が持った。





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