江坂&静編
「雪・・・・・降らなかったな」
小早川静(こばやかわ しずか)は空を見つめながら呟いた。
数日前から楽しみに聞いていた天気予報は晴れだったが、当日の今日はどんよりとした、今にも雨が降ってきそうな空だ。
雪が駄目ならばせめて綺麗な月や星が見たかったなと思いながら、未練がましくじっと空を見つめていると、何だか少しだけ寒く
感じて、ブルッと身体を震わせる。
すると、その仕草を見逃さなかった手が伸びてきて、静の身体をそっと抱きしめてくれた。
「車に乗りますか?」
「・・・・・少し、歩きたいです」
「いいですよ。あなたが望むだけ歩きましょうか」
自分の気持ちに応えてくれる優しい声に、静はもう1つだけ甘えていいかなと呟く。
「手・・・・・繋いでいいですか?」
親子ではなく、友人でもなく。
恋人同士という関係ながら男同士である自分達が、街中で手を繋いで歩くのは少しおかしいかもしれない。
しかし、クリスマスの今夜は皆浮かれていて、自分達の行動に視線を向けないのではないだろうか・・・・・そんなふうに思った静
の気持に応えてくれるかのように、背中に回っていた手がしっかりと自分の手を掴んでくれた。
「手袋、外しましょうか?」
「・・・・・はい」
大学生である静の恋人は、日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の理事である江坂凌二(えさか りょうじ)だ。
始めは、父親の会社を助けてくれた恩人として、しかし、それは緩やかに愛情へと変化していった。
ヤクザという生業だが、江坂は一見してエリートビジネスマンか弁護士のように怜悧な雰囲気を身にまとっていて、端整な容貌
も少しも粗野な感じはしない。
そんな彼も、自分に好意を抱いてくれて、今も共に暮らしていた。
日々、愛されているという実感を与えてくれる江坂に感謝し、静は自分が出来る範囲の愛情を向けていたが、やはり江坂には敵
わない。
社会人と学生という差があるものの、何時まで経っても江坂に甘えてしまう自分が情けなくて・・・・・それでも、それを心地良いも
のと感じさせてくれる江坂には、この先ずっと勝てないだろうなとも思っていた。
12月25日。
世間の流れに乗るつもりは無かったが、静の好きな店で食事をして、プレゼントである新しいコートを渡して。
今、静は江坂が贈ったコートを着て、自分の隣に立っていた。
「寒くないですか?」
「はい。江坂さんは?」
「静さんと手を握っているから」
「え・・・・・」
「少しも寒くありませんよ」
街中を堂々と手を繋いで歩く。
まるで中学生のようだが、その相手が静だと思えば自慢でしかなかった。握り合っている素手も、本当に寒いとは感じない。
「・・・・・」
「・・・・・」
静がチラッと自分を見上げてくる。
微笑み掛けると、静の綺麗な笑みが返ってきて、こんな時間もたまにはいいかと思っていた。
大東組という大組織の理事をしている江坂は、歳に似合わずに相当な権力を持っていた。
しかし、それと同時に危険とは隣り合わせで、本来ならばこんなふうに暢気に街中を歩くことは出来ない立場だ。
今も、静は気付いていないだろうが、自分達の周りにはかなりの数の護衛が付いている。 いざという時、江坂は静を守るが、そ
んな江坂を守るのが男達の役割だった。
「・・・・・」
「・・・・・」
クリスマスの夜だからか、すれ違うのはカップルが多い。
例外なく、女達が自分を見るのはいいとしても、男達が静を見るのは面白くなかった。
(・・・・・このコートがいけないのか?)
膝近くまであるロングコートは優しいシルエットで、首にマフラーまでしている静は、一見女に見えないこともない。
静の美貌を女と間違えて見ているかも知れないというのも腹立たしいが、もしも男だと知っても見ているとしたら・・・・・その方が余
計に厄介だった。
(歩くだけで・・・・・つまんなくないかな)
何時もは車移動の江坂と、こうして歩くことはあまりない。
細身だが、自分以上に鍛えている彼が疲れるということは考えられないが、こうしてあても無く歩いているだけでは面白くないかもし
れないと心配になった。
「・・・・・あの」
「何です?」
「・・・・・車に戻りますか?」
立ち止まって江坂の顔を見上げれば、少し黙って静の顔を見下ろしていた彼はふっと笑い、
(え・・・・・)
チュッ
軽く、キスをしてきた。
頬ではなく、きちんと唇に。静は自分の頬がジワジワと赤くなるのを感じたが、直ぐに周りの視線が気になってしまった。
夜とはいえ、街中はイルミネーションで輝いていて、何をしているかはちゃんと分かる。現に、何人かと視線が合ってしまい、静の方
が目を逸らして俯いてしまった。
「顔を上げなさい」
そんな静に優しく言った江坂は、静の頬に手を当てて上を向かせた。
「私達は恋人同士なんですから」
「江坂さん・・・・・」
「綺麗な静さんが私の恋人だということを自慢させてください」
そう言って、再び江坂は静の手を握って歩き始めた。
自分達を見る視線が増えた。
今のキスをどう捉えられたかは分からないが、もちろん江坂は恥ずかしいなどと思うはずがないし、静にも堂々と顔を上げて欲しい
と思っている。ただ、羞恥を感じる静を好ましいと感じるのも確かだった。場所も時間も構わず、羞恥も無く街中でくっ付いている
女よりはよほど可憐だ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・江坂さんて、魔法使いみたいですね」
やがて、照れ隠しのように静が口を開いた。
「魔法使い?私が?」
「俺の、して欲しいこと、望んでいること・・・・・なんでも分かっているみたいだから」
「・・・・・」
恵まれた生まれで、きちんと教育を受けて、誰もが憧れるような容姿を持っているくせに、どうして静はこんなふうに慎ましやかで控
えめなのだろうか。手を繋ぎ、キスをするという、普通の恋人同士がするようなことをして喜んでいる静を、もっともっと、喜ばしてや
りたいと思ってしまう。
せっかく、魔法使いに例えてくれたのだ、江坂は立ち止まり、ほらと静の手を引いた。
「魔法を見せてあげましょうか?」
「え・・・・・?」
「あなたが望むなら、今直ぐに飛行機に乗って北海道に行きましょう。ホワイトクリスマスを迎えられますよ」
「そ、そんなこと・・・・・」
「もっと、私に甘えて下さい、静さん。私はあなたのためならどんなことだって出来るんですよ」
さすがに、雪を降らすことは出来ませんけどと笑う江坂の言葉に、静は嬉しくて、苦しくて、胸がつまってしまった。
どうしてこの人はこんな風に、自分を優しく甘えさせてくれるのだろう。静は泣きそうになるのを我慢して唇を噛みしめたが、
「・・・・・あ」
俯いた足元に、白い物が映った。
「え?」
パッと顔を上げると、そこにはパラパラと雪が降っている。
「・・・・・嘘みたい」
本当に僅かに降る雪。周りの人達も思い掛けない雪に歓声を上げているのが、これが静の目にだけ見えているものではないと教
えてくれた。
「・・・・・江坂さん、本当に魔法使い?」
「愛情ゆえです」
偶然だと言わない所が江坂らしくて、静は思わず笑ってしまった。
雪が降ったのは、ほんの数分だった。もちろん積もることは無く、地面も濡れてはいない。
「止んじゃいましたね」
「どうせなら、もう少し降ってくれたら良かったのに」
「でも、北海道にまで行かなくても、ホワイトクリスマスになりましたよ」
「・・・・・そうですね」
視線を交わし、笑い合い、江坂は静のマフラーを直してくれながら言う。
「もう少し、歩きましょうか?」
「はい、もう少しだけ」
ちらっとでも雪が降るくらいに今夜は寒いが、こうして江坂と繋いでいる手は熱いくらいだ。
静はずっとこの手を離さずにいられたらいいなと思いながら、再び江坂と歩調を合わせ、イルミネーションの輝く街をゆっくりと歩き
始めた。
end