アシュラフ&悠真編




                                                           『』はガッサーラ語です。





 「・・・・・」
 永瀬悠真(ながせ ゆうま)は首が痛くなるほどにじっと上を見上げている。
そうしても全容が見えるわけではなく、ただただ、驚くというよりも呆気にとられたという心境で、この馬鹿馬鹿しいほどに大きな存
在に視線を向けていた。
 「どうだ、ユーマ、美しいだろう?」
 「う、うん、綺麗だけど・・・・・」
 「そうだろう。このガッサーラ国の皇太子妃であるお前に贈るものだ、これくらいのツリーを飾るなど当然のことだ」
 「・・・・・」
(そ、それも、限度っていうものがあると思うんだけど・・・・・)
 皇太子妃である自分が住む宮殿の玄関広間。2階に届くほどにある大きなツリーはどこから運んできたものか。
その手間暇と金額を考えるだけで一般人である悠真は怖くなって、とりあえず張り付いたようにツリーから動かなかった視線を辛
うじて隣に立つ男に向けた。
 「ア、アシュラフの気持ちは凄く嬉しいけど」
 「そうだ、居間にお前への贈り物が有るぞ。ガッサーラの者はクリスマスという習慣があまりないが、今回は皇太子妃であるお前
のために親族から続々と贈り物が届いている。入りきらない物は別の部屋にも置いてあるから、後でゆっくりと開けてみよう」
 「は、入りきらない?」
(居間って・・・・・30畳以上もあるんだけど・・・・・)

 日本人である悠真は、小国ながら、豊富な油田を持っているガッサーラ国の皇太子である、アシュラフ・ガーディブ・イズディハ
ールと見合いの場で出会い、そのままお互いが一目惚れして、高校を卒業すると同時に結婚した。
 名目はガッサーラ国への留学だが、この国で正式に式を挙げ、籍にも入っている悠真は立派な皇太子妃だ。
王族の権力が絶対であるこの国では、男である悠真が妃になっても異を唱える者はおらず、国王や王妃、そしてアシュラフの兄
弟達からも祝福を受けて、悠真はこれ以上なく幸せに過ごしていた。
 ただ一つ難を言えば、アシュラフの愛情が強過ぎて、悠真に対して様々に金を掛けて尽くしてくれることだ。なまじ財力があり、
皇太子という立場から、それは悠真の許容量を遥かに超えるものばかりで、今回のクリスマスツリーも、どこかの国の公園にでもあ
るのではないかと思うほどに立派で、華やかな飾り付けがされていた。
 「ユーマ様、いかがでしたか?」
 「ア、アリー」
 そんな悠真とアシュラフの世話をする召使い達の頭、侍従長のアリー・ハサンが、恭しく頭を下げながら声を掛けてきた。
 「私もクリスマスツリーというものに詳しいわけではないので、一応調べた中でも最上級のものをご用意したのですが」
 「う、うん、最上級っぽいよね」
 「モールや星、ベルまで、全て本物の金や銀で作られていますので」
 「ええっ?」
まさかそこまでしているとは思わなかった悠真が、思わずアリーを振り返ろうとしたが、
 「ユーマ、私はこちらだ」
悠真の身体を自分の方へと向け、にっこりとアシュラフが笑みを浮かべる。
 「ア、アシュラフ」
 「アシュラフ様、今宵の夕食はダチョウを用意しております。クリスマスに食すのは鳥だということですが、お2人のお口に入れるの
ならば、世界で一番大きな鳥がよろしいかと」
 「そうだな、いい判断だ」
 「・・・・・」
 2人の間で交わされている言葉は確かに日本語なのに、悠真は自分の思考が麻痺されて意味がしっかりと聞き取れない。
とにかく、スケールが大きすぎて、それが自分のためということならば尚更、悠真はどうしていいのかも分からずにただ、深い溜め息
をつくことしか出来なかった。



 悠真の大きな目が更に大きくなってツリーを見上げている。
驚かせることに成功し、アシュラフは十分に満足していた。
(本当ならば、アメリカやヨーロッパを回って、クリスマスの雰囲気を味わわせてやりたかったんだが・・・・・)
 皇太子としての雑務は年末年始は事の他多く、アシュラフは自国から出ることはなかなか叶わない。それならば、どこよりも美し
く、大きなツリーを悠真に贈ることこそが愛だと、12月に入ってからずっと準備をしていたのだ。

 留学をしていたアシュラフは、クリスマスというイベントを割合身近に感じることが出来るが、ガッサーラの民の多くにこのイベントは
それ程浸透していない。
それでも、自分と悠真が暮らすこの宮殿の中だけは完璧に整えろとアリーに命令したのだが、有能な男はアシュラフの言葉以上
に万端に準備をしてくれた。

 「夜になればもっと美しいだろうな」
 夕べ、悠真が眠ってから設置の作業を行い(寝室は完全防音)、今朝目覚めるまでに整った。
そして、起き抜けにこれを見た悠真は、アシュラフが思った通りに驚いた表情をしてくれ、アシュラフを楽しい気持ちにさせてくれた。
 後は夜の食事と、その後の夫婦の甘い時間だ。
(このツリーを見ながら抱くのも悪くないかもしれないな)
そんなことを考えていたアシュラフは、
 「・・・・・アシュラフ、話があるんだけど」
 「話?」
どんな感激の抱擁を与えてくれるのか、アシュラフは笑みを浮かべながら頷いた。



 贅沢過ぎだと言った途端、にこやかだったアシュラフの眉が顰められた。
(分かってよ、アシュラフ)
自分のことを考えて、色々と手を尽くしてくれるのは本当に嬉しいが、それが度を越してしまうと素直に受け取ることは出来なかっ
た。
生まれた時から皇太子であるアシュラフに倹約と言っても通じないかもしれないが、自分がこの国で暮らして行こうと思っているくら
いに、アシュラフも自分の考えを少しは分かって欲しい。
 「お前の言うことは分からない」
 「アシュラフッ」
 「出来ないことを無理してするのではなく、出来ることをして何が悪い?お前のために使っている金は私の私財で、けして国の金
を使っているわけではないんだぞ」
 「う、うん、それは分かってるよ」
 アシュラフが公私を分けて、きちんと王子としての務めを果たしていることは、この国に来て、彼の傍にいて、悠真は嫌というほど
分かっていた。
皇太子がこんなに大変な立場で、それでいて頻繁に自分に会いに日本にまで来てくれていたことが、本当はとても凄いことなのだ
ということも。
(だから、分かって欲しいんだ)
 必要以上の贅沢をしても、人の心は豊かにはならないのだと、アシュラフが立派な王様になってくれるためにも、今のうちに知って
おいて欲しかった。
 「アシュラフの気持ちは嬉しい。綺麗なツリーを見るのも、驚いたけど、楽しかった。でも、アシュラフ、俺のことで無理をするのは
止めてよ。アリーや皆を、俺のことで使わないで」
 悠真はじっとアシュラフを見つめて言う。どうか、自分の気持ちを分かってくれるように、少しでも、今の状況を変えてくれるように、
どうか分かって欲しいと願った。



(嬉しいのに、もうして欲しくない?ユーマは一体どう考えている?)
 喜ぶと思ったのに、確かに最初は喜んでいたのに、今は悲しそうな顔で自分を見つめてくる。アシュラフは悠真のこんな表情を見
たくは無かった。
 「・・・・・」
 アシュラフはアリーを見る。すると、有能な側近は穏やかに笑った。
 『アシュラフ様は本当に素晴らしいお妃様を貰われた。謙虚で、お優しい心根、私も感服しました。ここは、ユーマ様のお言葉
を聞いて、ダチョウの丸焼きは止めましょう』
 『・・・・・仕方ないな』
 『それでも、皇太子妃という立場の方が最上級のものに触れることは悪いことではありません。これからはユーマ様の分からぬよ
うに、それらをご提供いたしましょう』
 『ユーマが分からないように?』
 『はい。やがて、長くこの国で暮らしていただければ、ユーマ様の価値観もアシュラフ様と同様のものになるでしょう。それまで、少
しずつ慣らしていくのも楽しい作業ではないでしょうか?』
 アリーの提案は魅力的だった。
確かに、長く共に暮らせば価値観も似てくるだろうし、それまで悠真の知らないところでこっそりと贅沢をさせるというのも楽しいかも
しれない。
何より、今は悠真を泣かせたくは無くて、アシュラフは心細げに自分を見つめてくる悠真に頷いてみせた。
 「分かった、出来る範囲で、倹約をしよう」
 「アシュラフ!」
 「慎み深い妻のためだ、協力する」
 「あ、ありがとう!」
 悠真の顔は喜びに輝き、アリーがいるというのに抱きついてきた。
もちろん、有能な側近は一礼し、そのままその場から静かに立ち去る。
 「だが、今夜は共にクリスマスの祝いをしよう」
 「うんっ、もちろんだよ!」
 「私からのプレゼントもあるしな」
 「プレゼント・・・・・」
 「もう買ってあるものだ、受け取ってもらわなければ勿体無い」
 「・・・・・うん、そうだよね、次からってことだし。俺も、アシュラフにプレゼント有るんだよ?日本から取り寄せた浴衣・・・・・っと、後
は見てのお楽しみ」
 楽しそうに笑う悠真に頷き、アシュラフは強く抱きしめた。
悠真宛の荷物や手紙は全て把握しているのでプレゼントの中身は知っているが、これは言わない方がいいだろう。
 後は、自分のプレゼントである南の島の話をした時、悠真はどういう反応をするかなと思う。また目を丸くしてしまうのかなと、ア
シュラフは苦笑を浮かべた。
(それでも、今回のものは受け取るという約束だしな)
 誰もいない南の島で、ゆっくりと悠真と愛し合う。星の下で抱き合うのはどんなに気持ち良いものだろうと想像しながら、アシュラ
フはキスをねだるように上を向く悠真の唇にキスを落とした。





                                                                      end