「ソウ様!お待ちください!まだ勉強の時間は終わっていませんよ!」
 「・・・・・」
(また逃げ出したのか)
 遠くでカヤンの叫び声がする。
数日ごとに聞こえてくるカヤンの怒鳴り声。普段は物静かなカヤンが、あの少年を前にした時だけ、感情豊かに声を張り上げ、
走り回る。
 当初はたった1人に、それも自分が仕えるべきバリハンの皇太子、シエンにではなく、異国の少年に対してそんな態度をとるカ
ヤンを呆れた表情で見ていたはずが、何時しか己もまた、あの少年の前では何時もの平常心も崩れてしまうことを自覚しないで
はいられなかった。




 エクテシアに現れた《強星》らしい少年は、とてもおとなしく、神秘的な存在に見えた。
彼があのままシエンと共にこの国に来ていたのならば未来はまた違った形だったかもしれない。
だが、現実にはあの少年はそのままエクテシアの王アルティウスと共に生きることを決意し、シエンの想いは叶わなかった。

 その後、シエンの前にあの少年・・・・・ソウが現れて、新しい《強星》の出現と、シエンが愛する対象が出てきたことを嬉しく思っ
ていたはずなのに・・・・・。
 ベルネの心の中には、相反するソウへの思いが幾つもある。

シエンと終生添い遂げて欲しい。
《強星》としての力をバリハンのために発揮して欲しい。
おとなしく、シエンのためだけに生きて欲しい。
危険なことはしないで欲しい。
自分のためにだけ、笑って欲しい。

 それは、自分の中のどういった思いから生まれたものなのか、ベルネは深く考えることは止めた。どう考えても結局この複雑な
思いが叶う時は来ないだろうし、もしも来てしまったら・・・・・それこそ、シエンの側にはいられなくなってしまうだろう。
 「・・・・・」
 唇を歪めたベルネは、渡り廊下の角を曲がった所でカヤンと鉢合わせをした。
 「どうした」
 「いや」
 「ソウはまた逃げ出したのか」
 「私も悪い。早くこの国のことを覚えて欲しくて、少々強引に知識を詰め過ぎてしまった」
 「・・・・・お前は甘い」
自然に苦々しい口調になってしまったベルネに、カヤンは人の良い笑みを浮かべた。
 「ベルネは少し厳し過ぎるんだ。ソウ様はまだこの国に来られて日が浅い。私達も出来るだけ配慮をして差し上げるべきだと思
うが・・・・・違うか?」
 もちろん、カヤンの言葉は正論だ。
それに加え、ソウが懸命に知識を吸収しようとしていることも分かっている。ただ・・・・・。
 「逃げ出すのは容認出来まい」
 「まあ、それは・・・・・。今はセルジュ達もいるし、逃げやすいのかもしれないが」
 「・・・・・あいつらか」
 ベルネが眉を寄せると、言葉に注意するようにカヤンが続ける。
 「一応は我が国に留学している方々になる」
 「・・・・・それも、認めたくは無いがな」
(大体、あいつらの目的はソウだろう)
シエンもカヤンも分かりきっているというのに、もっとはっきり物を言ってもいいように思うのだが、どうしてだか無理に静観している
ような雰囲気を感じてしまうのだ。

 セルジュとアルベリックは、未開の地、アブドーランの一民族を束ねる族長とその供だった。
旅先でソウと出会い、そのままこのバリハンにまでやってきて、建国のために学びたいと訴えてきた。それが、ソウの側にいたいだ
けの虚言だとベルネははっきりと分かるのに、シエンはそのまま男達に滞在を許している。
 執務に忙しいシエンがソウと会えない間に、セルジュ達がどんどんソウに近付いていく様を見ているのは腹立たしく、ことあるごと
にベルネは邪魔をしているのだが、一筋縄ではいかないあの男はノラリクラリと逃げ続けていた。
 「・・・・・今も一緒か?」
 「今回は違う」
 「では、ソウは1人で逃げ出したというのか?」
 「多分、将軍のもとに行かれたと思うが・・・・・」
 それはベルネも想像出来た。それならば丁度いい。
 「では、私が追おう」
 「ベルネ?しかし、お前はまだ・・・・・」
 「今丁度手が空いている。お前は勉学が目的だと言っているあいつらに、せいぜい小難しい理論をぶつけておけ」
 「おいっ」
軽くカヤンに片手をあげて見せると、ベルネの足は訓練場へと向きを変えた。

 まだ幼い頃から、やがてシエンの側近になるのだと言われてきた己とカヤン。その性質に違いはあっても、シエンに対する忠誠
心や、バリハンに感じる愛国心に違いは無い。
 ただ、ソウに関しては少し立場が違っていた。
優しく、まるで兄のように接するカヤンと、厳しく、距離をおく自分。
別に、ソウを嫌っているわけではない。
むしろ、これ以上近付くのを恐れているという部分の方が大きく、それを改めて考えるのが嫌で、ベルネは軽く頭を横に振った。




 カツッ ガッ

 「・・・・・」
(やっているな)
 木刀で剣の練習をする者は限られている。
身軽で、こちらが思いもかけないほどに剣筋の良いソウだが、真剣はかなり重いのでその動きが自然と鈍ってしまう。
それゆえ、ソウは剣の練習をする時は木刀を使うことが多いのだが・・・・・。
 「ベルネ様っ」
門番の兵士がベルネの姿を見て礼をした。
 「ソウ様が来られているな」
 「はい、先ほど」
 「相手をしているのは?」
 「将軍です」
 「それは・・・・・」
(全く、こちらの御仁もソウには甘い)
 バウエル将軍は豪放磊落な武将で兵士達にも厳しいと評判だが、なぜか自分の息子ほど年若いソウには甘く、自ら剣の練
習相手になることも多いようだ。
小柄な身体で、己よりも大きな体躯の兵士と互角に戦えるソウの剣術の腕に惚れ込んだのか、それとも子供のように全開の笑
顔で懐いてくるソウに絆されたのか。
 どちらにせよ、バウエル将軍にとってソウは特別な存在で、周りの兵士もそれを認めているというのが・・・・・問題だと思う。
 「ベルネ様?」
 「・・・・・中に入る」
ベルネはそのまま練習場の中へと向かった。




 「はっ、ほっと!」
 「どうした、足が付いてきていないぞっ」
 「まだまだあ!」
 「・・・・・」
 練習場の中で大柄なバウエルと剣(木刀だが)を交えているソウ。
周りの兵士達も自分達の訓練の手を止めて2人を見ている。
ソウもバウエルも楽しそうに戦っている姿は、見ている者の心を湧きたてるもので・・・・・それはベルネも同じで、しばらくは無言の
ままで2人の戦う姿を見ていた。




 ガツッ

 「ああっ!」
 「あ〜」
 「惜しい!」
 どのくらい経ったのか。やはり体力の差はかなりあるようで、バウエルの木刀がソウの木刀を弾き飛ばしてしまった。
その途端、見ている兵士達から零れた溜め息は、彼らがどちらを応援していたのか如実に分かるものだった。
 「やっぱり、バウエルは強いな〜」
 「ソウも、また上達しているぞ」
 「まだまだだって!いつ勝てるんだろう」
 皇太子妃とはいえ、バウエルは練習場に一歩足を踏み入れたソウを特別扱いはしない。そしてソウも、そんなふうに扱われるこ
とが嬉しいようで、向ける笑顔はとても嬉しそうだった。
(俺が声を掛けたら、どんな顔をするだろうな)
 ベルネは何時もソウに小言を言う。それは、彼にとって必要だから言うのだという思い以外に、ソウに甘い他の者の分も自分が
叱ることによって、己がソウにとってどこか特別な存在になれるのではないかと思う気持ちも・・・・・全く無いことは、ない。
 「ソウ」
そんな自分の気持ちを振り切るように、ベルネは意識して声を低くし、ソウの名前を呼んだ。

 「うわあっ、ベルネッ?」
 「・・・・・」
 「ごっ、ごめんなさい!」
 直ぐに頭を下げたのは、ソウも叱られる要因をちゃんと分かっているからだろう。
そんなソウの様子と自分の表情を見て、バウエルが苦笑を浮かべながらソウの頭を撫でた。
 「なんだ、また抜け出してきたのか」
 「だって・・・・・」
 「だって?」
 「・・・・・ごめんなさい」
 ソウは言い訳をすることは無い。ただ、それ程潔いというのに、なぜ同じことを繰り返すのだろうかと思わないでもないが、それが
ソウだと言えば納得してしまうのが悔しい。
 「カヤンが誰のために教えていると思っている」
 「・・・・・」
 「それとも、お前は我が国の歴史など知らなくてもいいと思うのか?商業の仕組みを知らなくても、王子の庇護があれば生きて
いけると、気楽に考えているのではないか」
 「・・・・・っ」
 「ベルネ」
 さすがに言い過ぎだとバウエルが注意をしてくるが、ベルネはソウから視線を離すことなく、ソウも、唇を噛みしめるものの大人し
くベルネの言葉を聞いている。
 ・・・・・いや。
 「俺、この国大事だと思ってる」
 「・・・・・」
 「もどって、べんきょーする。ごめん、ベルネ」
深く頭を下げて謝罪するソウを見て、ベルネは眉を顰めて視線を逸らした。




 「あまり強く叱るな、ベルネ。子供というのは後悔しながら成長していくものだ。お前だって誰かに反抗したことがあるだろう」

 バウエルの取りなしの言葉を背に、ベルネはソウと共に王宮に戻る。
自分の隣を歩くソウの身体は細く、華奢で、周りの者が守ってやりたいと思うのは当たり前だ。これだけ小言を言っている自分さ
え、そう思ってしまうのだ。
 「ベルネ」
 「・・・・・」
 「ベルネ、怒ってる?」
 見上げながら、心細そうな眼差しを向けてくるソウにチラッと視線を向け、ベルネは早口に言った。
 「カヤンに謝れ」
 「う、うん、あやまる」
 「それなら・・・・・いい」
 「うんっ」
途端にホッとしたように頬を緩めるソウは悔しいほどに愛らしく、ベルネは少しだけ触れ合ってしまう腕が心地悪くて少し足を速め
てしまった。すると、急いでいると思ったのか、ソウの足も速くなってしまう。
(少しは離れて歩かないか)
 しかし、そう言ってしまえばなぜだと問い返されることも分かっているので、居たたまれないベルネの眉間の皺はますます深くな
るばかりだ。
 「ベルネ」
 「・・・・・なんだ」
 「いつも、ごめんね」
 ベルネの服の裾を引っ張り、ソウは言葉を続ける。
 「何を謝る?」
 「ベルネが怒るの、俺のためって分かってるけど・・・・・俺、こんじょーないから。怒るの、すごく大変だって分かってるけど、俺、う
れしいって思ってるんだ」
 「・・・・・っ」
(そんなことを言うな・・・・・)
これ以上、どうしろというのだ。
シエンの妃であるソウ。そして、《強星》でもある彼を己の手のうちに出来るはずが無いのは分かりきっている。
ソウ自身、シエンのことを深く愛しているのは見ていて分かり、2人がこの先分かれることなど考えることも出来なかった。
 「そんなふうに思うのならば、今後カヤンの手を煩わすことが無いようにしろ」
 「う、うん」
 ただ、ソウはとても魅力的な存在だった。外見も、性格も、周りを惹きつけるものを多く持っているソウの周りには、シエンの他に
も何人もの男が取り巻いている。
セルジュもそうだし、メルキエ王国皇太子、エルネストもそう。そして・・・・・。
(どうして、こんなことを思わなければならないんだ)








 いっそのこと、この世界からその存在が消えて欲しい。
だが、そうなればシエンが深く嘆き、悲しむだろう。

それならば・・・・・己のこの目を潰してしまった方が早いのかもしれない。








 「カヤン!」
 「ソウ様っ」
 王宮に着くと、ソウを捜していたらしいカヤンの姿が見え、ソウは自分の隣から離れて駆けだした。
頭を下げて必死に謝るソウの肩を抱き、カヤンは苦笑しながら何かを言い・・・・・その姿を見て、ベルネは踵を返した。




 自分が忠誠を誓ったのはシエンただ1人だ。
その誓いは破られてはならないが、ベルネの心の奥底ではさらに深い、この命を懸けて・・・・・もしかしたら、シエン以上に守りたい
という存在がいる。
 それは、けして口に出してはならない想いだとも分かっていた。
だからこそ・・・・・その想いはさらに深くなるのかもしれない。








 永久の忠誠を、あなたに───────ソウ────────。






                                                                       end