「ねえ、サラン、どちらが勝つか勝負してみる?お互いの唇を賭けて」
 「答えが分かっている勝負をするつもりはありませんし、そんな不誠実なことをしていると黎に言い付けますよ」



 通り掛った中庭を臨める渡り廊下。
黎は少し先の柱の影に洸竣とサランの姿を見付けて声を掛け様としたが、楽しそうに笑いながらサランの耳元に唇を寄せる洸竣
の姿を見て思わず自分の方が姿を隠してしまった。
(洸竣様・・・・・笑っていらっしゃる)
 いつも朗らかで、人をからかうことが好きな派手で華やかな光華国の第二王子、洸竣。しかし、彼の軽い言動の奥に、国に対
する強い思いや、親兄弟に対する深い愛情があることを黎は知っている。

 そんな洸竣から真摯に告げられた愛の言葉。
一国の王子がただの召使いの自分に想いを寄せてくれるなどとても考えられなかった。押し倒された時も、ただ身体を慰める相手
が必要なのだ・・・・・そう思った。
 いや、多分、自分はそう思い込もうとしているのだと思う。
後で、やはりいらなくなったと、自分に相応しい相手は他にいるのだと、あっさりと言われても笑って頷けるように、最初から何も期
待せずにそう諦めるようにしているだけなのかも・・・・・知れない。
(やっぱり、洸竣様はサランさんのように綺麗で大人っぽい方がお好きなんだ・・・・・)
 「僕なんか、からかわれているだけ・・・・・だよね」







 「街に出ようか、黎」
 「街・・・・・ですか?」
 「少し前から旅芸人が来ているらしい。どんな出し物をしているか、少し覗いてからかってみないか?」
 昼過ぎからずっと元気の無い黎の気持ちをどうにか浮上させたくて、洸竣は街へ出ることを提案した。今から出掛ければ夕食時
を過ぎてしまうだろうが、久しぶりに外の食事を取るのもいいのではないだろうか。きっと、王宮に上がる前に口にしていた懐かしい
味もあるだろう・・・・・そう思っての洸竣の提案に、黎は強張った表情のまま頷いた。

 口先で騙し、そのまま身体を奪おうとして・・・・・結局何も出来なくなって部屋を出て数日。
そのことに洸竣は触れなかったし、黎も何も言っては来なかった。ただ、時折もの言いたげな視線を向けてくるが、その意味を聞くの
が洸竣は怖かった。
色事に長けていると思っていた自分がこんなにも情けない男だとは思わなかったが、本気の相手の真実の想いを聞くというのは予
想以上に怖いことのようだ。
(そう思えば、兄上は勇気があるな)
 あれほどの矜持の塊のようだった洸聖は、悠羽が帰国してから直ぐに奏禿にまで自ら赴き、そして悠羽を再びこの光華国へと連
れ戻してきた。
(色恋とは、数ではないということだな、兄上)
 「会いたい友人はいないのか?」
 黙ったまま、自分の少し後ろを歩く黎を振り返ると、黎は首を横に振った。
 「僕は、お屋敷から外には滅多に出なかったので・・・・・」
 「屋敷か・・・・・行きたい?」
 「・・・・・」
黎は顔を上げ、じっと洸竣を見詰めてからいいえと答える。
 「お屋敷には、戻りたくありません」
 「・・・・・そうか」
(まあ、そうだろうな)
今どうかは分からないが、あの屋敷には自分に襲い掛かろうとした義兄がいるのだ、好き好んで自分から行きたいとは思わないだ
ろう。
(全く、私は何をしているのか)
らしくも無い失態に、洸竣は苦く笑ってしまった。



 「あ、洸竣様!寄っていって!」
 「ああ、また今度」
 「王子!いい酒入ってるよ!」
 「次に寄らせてもらうよ」
 「洸竣様!遊んでいってよ!」
 「今日は連れがいるから」
 「・・・・・」
 賑やかな通りに入ると、洸竣には様々な声が掛かってきた。
若い女や、男。店の主人のような年配の男に、遊び人風な男。様々な人間に声を掛けられるたびににこやかに返事をする洸竣
は、黎の目には別世界の人間のように見える。
(僕が一緒にいてもいいのかな・・・・・)
 ただの召使いの自分が、こんな風に洸竣と肩を並べて歩いてもいいのだろうか・・・・・そんな風に思った時、いきなり腕を掴まれた
かと思うと、グイッと顎を取られて上向きにされてしまった。
 「なんだ、王子。毛色の違う奴を連れていると思ったが、やっぱり面食いなんだなあ。お前、何て名前だ?」
 「ぼ、僕・・・・・」
 「僕?可愛いな」
王子である洸竣に馴れ馴れしい口を利き、着ている服もそれなりに上等なもののようだ。多分、貴族か、裕福な商家の子息か、
どちらにせよ自分よりもはるかに洸竣に相応しいであろう男に何と答えていいのか、黎は身体が硬直して動かなかった。
もしかして・・・・・そんなことは無いと思うが、このままこの男について行けと言われたら・・・・・いったい、自分はどうするだろう。そんな
風に悪い考えばかり頭の中に渦巻いていた黎は、
 「これは駄目、俺のだから」
そう言いながら自分を抱き寄せてくれる洸竣を、思わず目を丸くして見詰めてしまった。



 「僕?可愛いな」
 遊び仲間の貴族の息子が黎の顔を間近で見詰めた時、洸竣の胸の中に湧き上がったのは激しい嫉妬だった。
自分でさえ容易に触れることなど出来なくなった黎に、何の躊躇いもなく手を伸ばしてきた男が憎らしかった。
 「これは駄目、俺のだから」
そう思った瞬間、黎の身体を抱き寄せたのは無意識だ。
驚いたように自分を見上げてくる黎に少し困ってしまったが、それでも自分同様に快楽に弱いこの目の前の男を牽制しておかなけ
ればならない。もしものことなど、あってはならないのだ。
 「この子にだけは手を出すなよ?」
 「ん?なんだ、本気か?」
 「本気。これから2人で食事なんだ、またな」
 きっぱりと本気だと言い切った洸竣を呆気に取られたように見る男を置いて、洸竣は黎の肩を抱いたまま歩き始めた。
手を繋ぐのもいいが、こうして肩を抱く方がもっと自分達の関係を深く見せるだろう。先程のようにただ並んで歩くだけでは黎は可愛
過ぎる。
 「洸竣様」
 「ん?嫌かもしれないがもう少しこのまま。あいつが追いかけて来ないようにね」
 「は、はい」
 「よし。じゃあ、何を食べようか?」
 最近笑顔が少なくなってしまった黎をどうすれば笑わせることが出来るだろうか、洸竣はしきりに色んなことを話し掛けながら頭の
中で考えていた。





 蒸し饅頭が美味しいと評判の店。
王宮の他の召使達が話していたことを思い出した黎が食べてみたいと控えめに言うと、洸竣はこれで夕食が決まったと笑いながら
頷いてくれた。
どちらかといえば家族連れや子供が喜びそうな料理ばかりで酒の種類もあまり無く、洸竣にとっては面白くないかと内心心配だっ
たが、思いの外洸竣はこの状況を楽しんでいるようだった。
 「こういう場所にはなかなか1人で来れないからな、黎がいてくれて良かった」
 「ほ、本当に良かったんですか?」
 「黎と一緒ならどこでも楽しいけど」
 「・・・・・」
本当に軽く言うので、それが洸竣の本気なのかどうかが良く分からない。それでも、自分を見詰めてくる視線は優しいし、表情も
柔らかくて、黎はなんだか恥ずかしくなって俯いてしまった。
 「お待ちどう!」
 その時、大きな男の声がして、俯いた黎の視界の中に湯気をたてている大きな蒸し饅頭が入ってくる。
 「うわあ」
自分の両手で作った輪よりも大きなその饅頭に、黎は思わず声を上げてしまった。



 「うわあ」
 子供のように驚いた表情で皿を見詰める黎に、洸竣も嬉しくなった。
白と、緑と、黄色。鮮やかな色と、思った以上の大きさに洸竣も内心驚いたが、久しぶりに黎に子供のような表情をさせたこの店
主に代金を二倍払ってもいいくらいの気持ちになる。
 「果物が入っているのと、肉餡と、辛い野菜炒めの三種類だったな」
 「そうだ。間違えないようにな、白いのが肉餡、緑のが果物入り、黄色が野菜入りだ」
 「ああ、分かった」
(まあ、とても食べられそうに無いがな)
 どうやら悠羽に土産にでも持って帰ることになりそうだと思いながら、洸竣はまだ驚いた表情のままの黎の前に皿を差し出した。
 「黎、好きなものを食べなさい」
 「あ、はい、洸竣様は?」
 「私も食べるよ。甘いのはちょっと苦手だから、野菜入りにでもしようかな」
 「じゃ、じゃあ、僕は果物入りを」
それぞれが色の違う蒸し饅頭を手に取る。
洸竣の手でも余るくらいの大きな饅頭を、黎はまるで小動物のように両手で持ってぱくっと口にした。
(可愛い)
 「あ、甘い!」
 季節の果物がたっぷり入った饅頭を口にした黎は、本当に美味しそうにふにゃっと相好を崩した。王宮ではもちろん毎日色んな
食事が出され、それはそれで美味しいのだが、外で食べるとまた違った美味しさがある。
まぐまぐと食べる姿を思わず笑って見ていると、その気配に気付いたらしい黎が顔を赤くして小さく抗議した。
 「洸竣様も食べてください」
 「はいはい」
(見ているだけで楽しいんだけど)
 そうは思うが、自分だけ食べているのは心苦しいのか、黎は洸竣の手が動くのをじっと待っている。
それに苦笑し、洸竣は黄色い饅頭を手に取った。
 「辛いってどのくらいなのかな」
 「噂では、凄く辛いそうですけど」
 「ふ~ん」
黎が感想をじっと待っているようなので、洸竣は思い切り口を開けて饅頭を頬張った。
 「ぐ・・・・・?」
 「え?」
 「う・・・・・」
 「ど、どうしたんですかっ?そんなに辛かったんですかっ?」
 洸竣の反応に黎は思わず立ち上がったが、洸竣は直ぐにそれに答えることが出来なかった。
 「・・・・・ふっ」
やがて、口の中の物体をどうにか飲み込んだ洸竣は、顔を顰めたまま店主に向かって怒鳴る。
 「おいっ、黄色なのに果物が入っていたぞ!」
 「え?」
 「あ~?悪い悪い、間違ってたか?うちのばあさん、もう年だからなあ」
わざわざ自分が色で注意を促してきたくせに、その根本が間違っていてはどうにもならないだろう。苦手な甘みが口の中からなかな
か消えなくて、出されたお茶を一気に飲んだ洸竣はまだ眉を顰めていたが、ふと気付くと目の前で黎は饅頭を握り締めたまま笑い
続けている。
 「おい、黎」
 「ご、ごめんなさい、でも、何時も人を驚かせている洸竣様が騙されるなんて・・・・・おかしくて・・・・・」
 何が黎の琴線に触れたのかは分からないが、こうして笑顔を見せてくれると自分の無様な失態も一応は意味があったのかなとも
思えた。
 「そんなに笑うな、黎」
 「ふふ」
今度はわざと情けない顔をすると、黎はますます楽しそうに笑い続ける。
(店主、今回は不問にしよう)
黎の笑顔に免じて料金を負けさせるのは止めてやろうと、洸竣は今度こそと口直しに白い饅頭を口にした。




                                                                       end





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