「・・・・・」
 上杉滋郎(うえすぎ じろう)は、じっと自分を見上げてくるつぶらな6つの目を見下ろす。
(おいおい・・・・・これは現実か?)
泣く子も黙るヤクザの組、羽生会(はにゅうかい)を治めている会長の自分が、広い公園の中、2匹の犬と1人の子供を前に、ど
ういう顔をしたらいいのかも分からないまま、自分を置いていってしまった薄情な恋人のことを内心文句を零しても仕方が無いだろ
う。
(恨むぞ、タロ・・・・・)





 何時もの散歩デート。
30を遥かに超す上杉からすれば苦笑が零れてしまいそうなほどにお子様なデートだが、動物好きの恋人は大好きな犬と好きな
恋人(犬と同列なのが何とも言えないが)と共にいるのが嬉しいらしい。
 今日も、上杉は車で何時もの公園へと来たが、ふと気が向いて、今日は自分の愛犬、大福(だいふく)も連れてきた。何時も
は組員に散歩に行かせるのだが、久し振りにまた一段と大きくなった姿を見せてやろうと思ったのだ。

 大福は元々捨て犬で、自分と恋人が知り合う切っ掛けになった犬だ。血統書付きではなく、柴犬と何かの血が混ざっているの
だろうが、飼い主に似たのか、それとも拾ってくれた恋人に似たのか、元気で煩くて・・・・・可愛い。
元々、動物は嫌いではなかったが、こんなにも可愛いと思えるようになったのは、多分、恋人のおかげだろうと思っている。



 しかし、待ち合わせの場所に来た恋人は、何時もの1人と1匹ではなかった。
 「・・・・・タロ、そいつはなんだ」
 「え?会ったことあるよね?俺の弟の伍朗(ごろう)」
 「顔は知ってる。どうしてここにいるんだ?」
 「それがね」

 恋人の話では・・・・・父と母は共働きであったが、何時も弟が帰る頃には母は帰宅していた。
しかし、今日はどうしても残業して欲しいと言われ、帰宅が遅くなると恋人に連絡が入った。今日はたまたま友達とも遊ぶ約束を
していなかった恋人の弟は、家で1人でいるのは寂しいとごねだしたらしい。
 「何時もはそんなこと言わないんだけど、昨日俺の怖い漫画見てさ、1人でいると怖いんだって」
 「そんなの、言ってないよ!」
 「さっき言ってただろ」
 「・・・・・」
(・・・・・まあ、可愛いっちゃ、可愛いが・・・・・)
 まるで2匹の子犬がじゃれあっているようで、これはこれで可愛いとは思う。
もちろん恋人と、セックスは無理だがキスくらいはしたかったが、今日は我慢するしかないか・・・・・そう思っていると、
 「あ」
恋人の携帯が突然鳴った。

 「母ちゃん、もう帰ってきたって!でも、鍵忘れたから家に入れないって困ってる!ジローさんっ、俺急いで行ってくるから、ちょっと
ゴロとジロー見ててっ」
 「お、おい、連れて行けばいいだろ」
 「駄目だって!ゴロ足が遅いんだもん!いいか、ゴロ、このおじちゃんの言うことをよく聞いておけよ?お前が我が儘言うと直ぐに
怒っちゃうぞ」
 「に、兄ちゃん」
 「直ぐ戻ってくるから!」



 「・・・・・」
 「・・・・・」
 上杉がチラッと伍朗を見下ろすと、伍朗も上杉を見上げていた。
 「・・・・・けっこー、でかくなったな」
 「ジローは、おっさんになった!」
 「・・・・・誰に教えられてんだ、その生意気な言葉は」
確か、今年小学校5年生になったはずだが、その年頃としてはまだまだ小さい方だろう。父親はかなり立派な体格らしいし、母親
も身長はある方だ。
ただ、兄である恋人はまだ成長途中(けして止まったわけではないらしい)なので、遺伝というのは親子間ではなく、兄弟間にも通
じるものがあるのかもしれない。
 「・・・・・」
(どうするか)
 上杉にとって、この年頃の子供はエイリアンだ。
全く身の回りにはいなかったし、考えれば自分は子供の頃から可愛げのない、大人っぽい子供で、どんな遊びをしたとか、玩具
が好きだったとかは全く思い出せない。
 少し前、別れた妻が息子達と共に現れたが、あの時の下の息子(自分の子ではないが)と対峙した時も、どうやって対応して
良いのか分からなかった。
 「・・・・・おい、ゴロ」
 「ゴロ言うなっ、ジロー!」
 「お前だって、ジローって言ってるじゃねえか」
 「だって、ジローはジローだもん!ジローさんは、こっち!」
生意気にそう言い放った子供は、上杉がリードを握っている犬の首に抱きついた。



 自分と同じ名前の犬、ジロー。この名前も、恋人が気を許す切っ掛けになった。
今何歳になったのかは分からないが、恋人が頻繁に散歩に連れ出しているわりには動きが緩慢で、本当に生きているのかと時々
疑ってしまいそうになってしまう。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・まあ、喋れるわけねえか」
 犬のジローは上杉の足元に先ほどから寝そべったまま、まるで退屈しているというように大きな欠伸(に、見える)を続けてしてい
る。
そのジローに、上杉の愛犬はじゃれているのだが、ジローはただ尻尾を揺らすだけで自分からは動こうとはしなかった。
 元気な恋人の飼い犬とはとても思えないし、自分と同じ名前の犬がこんな風に年寄り臭いのはどうもなと思う。なんだか、自分
と恋人の歳の差を見せ付けられているような気分になってしまうのだ。
 「・・・・・」
(何時までもここにいても仕方ねえか)
 少し離れた所に、確かコンビニがあったはずだ。ジュースと菓子でも与えていれば大人しいだろうと、上杉はジローに抱きついたま
ま、チラチラと自分を見ている伍朗に向かって手を差し出した。
 「菓子でも食うか?」
 「・・・・・」
 「それとも、アイスにするか?」
 「・・・・・知らない人に、お菓子もらっちゃ駄目って言われてる」
 「それは立派な心がけだな。でも、安心しろ、俺は金には困ってねえし、子供に興味もない」
 「・・・・・兄ちゃんと友達のクセに」
 「タロは特別なんだよ。で、タロの弟のお前も、特別の端っこにはいるってわけだ。ほら、行くぞ」
 上杉はそう言いながら伍朗の小さな手を握る。
一瞬、逃げ出そうとした手だったが、やがてキュッと自分から力を入れてきた。
(なんだ、可愛いじぇねえか)



 上杉は気分がよかった。
恋人の弟のことを可愛いとは思うが、それ以上の感情は全く生まれなかったからだ。
(俺はロリコンじゃねえって言うんだよ)
 優秀な上杉の側近は、それまで上杉が付き合ってきた大人の女達とは全く正反対の恋人を選んだことを、

 「あなたは、隠れロリコンだったんでしょうねえ」

と、意地悪く笑いながら言っていた。
もちろん、上杉は自分はけしてロリコンではないと思っていたが、幼過ぎる恋人を見ていると時々・・・・・本当に、時々、自分の性
癖に自信がなくなる時があったのだ。
 だが、こうして小学生の、可愛い子供を見ても、悪戯しようという気持ちは起こらない。男と女は違うのだとまた言われそうだが、
小学生の時はどちらもたいして差はないだろう。
 「何食う?」
 自分の腹くらいの身長しかない子供に、出来るだけ優しく話し掛けてみる。
 「お前の兄ちゃんは何でも食うけどな」
 「俺も食べるよ!納豆、食べられないだけだもん!」
 「お、それ以外は好き嫌いないのか?」
 「・・・・・魚も、好きじゃない」
 「魚は頭にいいぞ?」
しかし、どうやら前に骨が喉に刺さって以来、どうしても魚は苦手になったのだと小さな声で続ける。
気落ちした様子はまるで怒られた子犬のようで、上杉はしかたないと笑って見せた。
 「年取れば、自然に魚も食うようになるか」
 「・・・・・ジローは食べろって言わないの?」
 「俺はお前の親父じゃない。タロが好き嫌いをすれば少し考えるが、お前にとってのその役割はオヤジがするだろ」
 自分だって、人に褒められた人生を送ってないし、それこそ好き嫌いだってかなりあったように思える。
だが、それを叱ることが出来るのは自分ではないはずだった。



 コンビニに行こうとした上杉だったが、丁度公園の傍に移動のパン屋の車があった。
目玉商品らしいメロンパンに目が奪われている伍朗の様子に、上杉がこれにするかと訊ねるとコクンと頷く。
 「2つくれ」
 「ありがとうございます!」
 「ジローも食べるの?」
 「タロが戻ってきたら、お前だけが食ってると拗ねるだろ?」
 「あっ、分かる!兄ちゃん、母ちゃんが俺だけに残った饅頭とかくれると、後ですっごく怒るんだよ?兄ちゃんは、自分だけがもらえ
なかったのを怒ってるんじゃない、仲間外れになるのが寂しいんだって言うけど」
 「なんだ、上手いこと言うな」
 「でも、兄ちゃんなんか、父ちゃんのお土産のたい焼き、一匹余分に食べるんだよ?お前は身体がちっちゃいから、その分アンコ
の入る量は決まってる。兄ちゃんはお前の為に、勿体無いから食うんだって」
 「はは」
 近くのベンチに伍朗と並んで腰を下ろした上杉は、子供特有のとりとめのない話を笑いながら聞いた。
上杉からしたら随分と成長したと思っている恋人も、どうやら家の中では小学生の弟と同じレベルで争っているようだ。
(今度この手でからかってやろう)
 恋人の好きなもの、それこそ、たい焼きでもケーキでもいい。余分に買ってきて、それを目の前で自分が食べてしまうのだ。

 「お前の身体の容量は小さいからな。その分俺が食ってやろう」

(どんな顔をするだろうな)
自分が弟に言った言葉だということが直ぐに分かるだろうか?それとも、すっかりそんなことは忘れてしまって、ずるいと上杉に食って
掛かるだろうか?
(どっちにしろ、面白いしな)
 くくっと笑いが漏れた上杉だったが、
 「・・・・・?」
ドンッという衝撃と共に、膝の上に犬の顔と足が乗っかってきた。



 「・・・・・どうした、お前」
 それまで、どんなに大福が遊ぼうとじゃれ付いていても動こうとしなかった犬のジローは、何を思ったのか上杉のズボンの上に涎を
垂らしながら真っ直ぐに顔を伸ばしてくる。
 「おい」
 「ジロー、ジローさん、メロンパンが食べたいんじゃないの?」
 「犬がパンをか?」
 「犬だって食べるよ。本当は、人間の食べる物をやったら駄目だって母ちゃん言ってるけど、父ちゃんは時々お饅頭とかパンとか
あげてるもん。ジローさんは甘いのが好きなんだ」
 「甘いのって・・・・・糖尿になるぞ、お前」
 「とーにょー?」
 「大人の話だ。・・・・・仕方ねえな」
 犬だって、目の前で美味しいものを食べられたら欲しくもなるだろう。
すると、その上杉の気配を感じたのか、リードが伸びる分だけ一匹で遊んでいた大福がダッシュで戻ってきて、ジローと同じ様に上
杉の膝に前足を乗せてきた。
 2匹の犬の涎と土汚れでスーツは結構汚れてしまったが、まあ、仕方ないかと上杉は気にしない(しても仕方がない)。
 「大福、こっちのじいちゃんと半分こだ。いや、お前の方が身体が小さいから少なめだな。文句は受け付けないぞ」
そう言って、上杉は恋人の為に買っておいたメロンパンを大小に分けて2匹にやった。
 「あー、水もいるだろうな。おい、あっちの自販機で水を買ってきてくれねえか?」
 「うん!」
 上杉から小銭を受け取った伍朗は、直ぐに近くの自動販売機へと走っていく。
どうして自分がと文句を言わず、ちゃんと犬の為に動く伍朗が恋人の姿と重なった。
(兄弟だな・・・・・)



 まだ、太朗がいなくなってから20分と経っていない。
始めはどうやったら間が持つのかと思っていたが、意外にも伍朗は上杉に自分から話しかけ、2匹の犬と遊んだ。
 「ねえ、ジロー、どうして兄ちゃんと友達になったんだ?」
 「お前の兄ちゃんが拾った犬をもらったんだよ」
 「それが、大福?」
 「笑える名前だろ」
 「え〜、可愛いよ。さすが兄ちゃん、カッコいい名前付けるよな」
 「・・・・・」
 口では文句も出てくるくせに、伍朗が上杉の恋人、自分の兄をとても慕っているのはよく分かる。それは上杉が少し妬きもちを
やいてしまうくらいのものだ。
ただ、それでも微笑ましいという気持ちの方が大きく、上杉は久し振りにのんびりとした気持ちで煙草を咥える。
 「あ!」
 「あ?」
 「タバコ、駄目だよ!動物にも悪いし、俺にも悪い!」
 「ああ、すまんな。口寂しいとつい」
 「くちさびしい?」
 変な言葉を教えるなと太朗が怒りそうだなと思うが、伍朗の年ではまだその意味は良く分からないだろう。上杉はさも凄く難しい
問題だというようにわざと眉を顰めてみせた。
 「お前の兄ちゃんが来れば解決する問題だ」
(何時でもキス出来る相手がいれば、タバコなんか吸わなくても済むしな)
 「へえ・・・・・兄ちゃんって難しい問題解けるんだ?」
 「お前ももう少し大きくなれば分かると思うぞ」
 「大きくって、後どのくらい?」
 「せめて、毛が生えるくらいだな」
 「け?」
 「チンチンの毛。お前、生えてるか?」
 「!それって、セクハラだぞ!ジロー!!」
その怒鳴り方が恋人そっくりで、上杉は思わず声を出して笑ってしまった。







 「あ!兄ちゃん!」
 それから、15分くらい経っただろうか。
思ったよりも早く公園に戻ってきた恋人の姿に、かなり走ったんだろうなということがよく分かる。
(結局、今日はデートは無しか)
 伍朗がいるので、多分今日はこのままで別れることになるだろう。残念だとは思うものの、面白い動物(?)を見れたような気も
して、差し引きゼロといったところか。
 「おっ」
 そして、恋人の声がした途端、伍朗だけではなく、2匹の犬まで走っていってしまう。
それまで、ほとんど動こうともしなかったジローまで、どこにそんな力が残っていたのかと思えるようなその走りに、呆れるというよりも
楽しくなって笑うしかない。
 「動物ってのは、本能で生きてるな」
 好きなもの、嫌いなもの。
媚を売るわけでもなく、きっぱりと見えるのがいいところかもしれない。
 「さて・・・・・俺も出遅れないようにしないとな」
 弟だけではなく、犬達にまで恋人を取られては情けない。
上杉はベンチから立ち上がり、軽く服の泥を払うと、ゆったりとした足どりでじゃれあって遊ぶ犬達のもとへと歩み寄った。
 「早かったじぇねえか、タロ」
 「ジローさん!」
 「面倒見たご褒美はもらえるんだろうな」
 「そこでメロンパンの車見付けたんだ!買ってあるよ!4個!」
 その返事に、上杉はクッと笑みを零す。
恋人とその弟を動物に例えてしまっていたが、その恋人と同じ様な発想をする自分も十分動物のようなものかと、自分を見つめ
る8つの瞳を上杉は目を細めて見返した。





                                                                      end






人気投票、第三位のジローさんです。
以前も出たことのあるタロの弟ゴロ君と、2匹の犬の登場です。
子供と、犬と、ジローさん・・・・・結構合うかも。