拍手ありがとうございます。短いお話ですが、どうぞ楽しんで下さい。














 「いらっしゃいませ!」
 入口の入店を告げるベルが鳴り、元気に声を出して振り向いた水谷和弥(みずたに かずや)は、そこに現れた客を見て思わ
ず口の中で呟いた。
(また・・・・・こいつだ)
 「・・・・・いらっしゃいませ、ご注文は?」
 目の前に立つのは、短めの黒髪にきつめの眼差し、シャツにジーパン姿の男だ。
今年23歳になる自分よりも上だろうが、どこか荒削りな男らしい容貌はただのサラリーマンにも見えず、午後7時という時間に私
服で現れるこの男がいったい何をしているのかと毎回考える。
 「・・・・・エクレアを2つ」
 「はい、ありがとうございます」
(注文も一緒・・・・・)
和弥は小さな箱にエクレアを2つ入れながら、いったいこいつはどんな顔をしてこれを食べているのかと不思議に思っていた。




 和弥の家は、いわゆる町のケーキ屋だ。
最近の、スイーツ・・・・・などというお洒落な横文字が合わないような家庭的な店だが、それでも父と兄の腕がいいこの店はそこそ
こに繁盛していて、高校を卒業して菓子の専門学校に通った和弥は、卒業して自分もこの店の一員になった。
 茶髪にピアスという、今時の格好をしているものの、和弥のケーキに対する情熱は本物で、酒も煙草もやらず、ライバルという存
在の和菓子も口にしないという徹底振りだった。

 まだまだ、和弥自身に任せてもらえるケーキは少なく、どちらかといえば接客の方へと借り出されることが多いが、父の作るケーキ
と、あの甘い香りが大好きな和弥は、こうして一緒に店に出れるだけで嬉しかった。

 そんな和弥の家の店に、ここ半年、ずっと通い続けている男がいた。それが、この目の前にいる男だ。
一週間に二度、決まって閉店間際の火曜日と金曜日にエクレアを買いに来るその男が気になっているのは和弥だけではなく、父
も兄もいったい誰なんだろうと不思議に思っているようだった。
 始めはどこかのライバル店の偵察かもと考えたが、そうされるほどに店が大きいわけではなく、男からは甘いクリームの匂いもしな
い。

 和弥の中では《エクレア男》と命名された男の為に、今ではエクレアを必ず2つ、品切れにならないように取っておくほどに、和弥
の中では男の存在は大きくなっていた。




 小さな箱に2つ入ったエクレア。
和弥は差し出しながら言った。
 「ありがとうございます、300円です」
 「・・・・・」
大きな手が差し出す100円玉を受け取る時、少しだけ指先が触れた。
あっと思った和弥が無意識に手を引いた為、100円玉が音をたてて床に落ちてしまう。
 「す、すみませんっ」
 「・・・・・」
 「・・・・・っ」
(俺っ、何を緊張してるんだ?)




 「今日も買いに来たか?」
 表に閉店の札を掛けて戻ってきた和弥に兄が訊ねてきた。
 「うん、何時もどおり、エクレア2つ」
 「本当に自分で食べているのかなあ」
 「親父の作るエクレアは絶品だからだって、な?」
 「・・・・・まあ、うちのを美味しいと思ってくれているのなら嬉しいが」
そう言いながらも、父の頬が綻んでいるのが分る。元々甘い物が好きな女性ではなく、男性客が付いているのは父としても嬉し
いことなのだろう。
 「それにしても毎週毎週、よく続くよなあ。いったい、何をしてる奴なんだろうな。和弥、お前これだけ通って来ている相手と少し
の雑談もしないのか?」
 「え、あ、だって・・・・・」
女性客に、ケーキのことを話しかけるのは全く何とも思わないし、そもそも、若い女の子と話すのは楽しい。
しかし、あの無口そうな男にケーキの話題を振っても、絶対に無視されそうな気がするのだ。
(それだったら・・・・・なんか、寂しいし)
 「おい、客のことを詮索するなよ」
 「はいはい、分かってるって」
 厨房で後片付けをしながら父と兄が話をしている。
和弥も店の中の掃除を始めながら、今帰ったばかりの男のことを頭から切り離すことが出来なかった。




 気になって、気になって。
2つだけエクレアを買っていく男がどんな人物か、知りたいという欲求はどんどん大きくなっていった。
 そして、そう思い始めてからまた一ヵ月後、とうとう和弥は決意した。客の詮索をするものではないと分っていながら、どうしてもあ
の男がどんな顔をしてエクレアを食べているのか、一度だけでも見たいと思ったのだ。




 「ありがとうございました!」
 金曜日、何時ものようにエクレアを買ったあの男が店を出て行くと同時に、和弥は慌てて厨房にいる父に言った。
 「親父っ、俺この後友達と会う約束してんだよ!掃除勘弁してもらっていいだろ?」
 「まあ、たまにはいいだろ。明日も店があるんだから飲み過ぎるなよ?」
 「おう!」
急いで家に戻って着替えた和弥は、直ぐに男が消えた方向へと自転車を走らせる。
幸運にも徒歩らしい男の後ろ姿は程なく見付かって、和弥はドキドキしながらその後を追いかけた。
(今、7時だろ?今から会社に帰るってことは・・・・・ないよな?)
 男は長い足の大きな歩幅で黙々と歩いている。
30分ほどは歩いただろうか、不意に男が大きな道から脇道へと方向を変えた。
(あれ?この辺は・・・・・)
 確か、この道の奥には行列の出来る老舗の和菓子屋《朱のや》があるはずだ。まさか、エクレアを買ったその足で和菓子屋にも
寄るのかと、和弥の眉間には自然と皺が寄ってしまった。
(クリームと、餡子、どっちかはっきりしろっていうんだよ!)
 和弥の頭の中では、もう男が和菓子を買いに来たのだということで決定していた。
 「・・・・・あっ」
案の定、男は和菓子店の裏側へとそのまま進む。
ちらっと見えた店の前は、この時間だというのにまだ客で賑わっているようだ。
(・・・・・くそっ)
 「・・・・・!」
 店の前から無理矢理視線を引き剥がし、男の姿を追おうとした和弥の目に映ったのは、若い女にケーキの箱を渡す男だった。
(・・・・・え?)
 「いつもありがとう、向井(むかい)君」
 「・・・・・いや、ついでだし」
 「ふふ」
女が着ているのは、多分この店の制服なのだろう。可愛らしい着物の前掛けに、この店の名前が書かれてある。
 「向井君のお菓子、全部売れちゃって・・・・・。明日はもう少し多めに作ってもらうことになりそう」
 「作り置きは好きじゃないんだけど」
 「贅沢〜」
 2人は話しながら店の中へと入っていく。
和弥はしばらく・・・・・足が動かなかった。




 自分でも訳が分からないショックを抱えたまま、和弥は家に戻ってきた。
向井と呼ばれていた男がいったい何の為にわざわざ30分以上も歩いてこの店にエクレアを買いに来ていたのか・・・・・。
 「・・・・・」
 パッと顔を上げた和弥はパソコンを開いた。
あの和菓子店の名前を打ち込むと直ぐにホームページが出てくる。そこには様々な和菓子の写真の他に、職人が作業をしてい
る姿もランダムに映し出された。
 「!」
 その中に、確かに見覚えがある姿を見つけてしまった和弥は、う〜っと唸りながら机に突っ伏してしまった。まさかと思ったことが本
当だったことが、なぜかとても・・・・・ショックだった。
 「何だよ・・・・・彼女の為に来てただけか・・・・・」
 毎週毎週、欠かさずにエクレアを買いに来たのは自分がそれを食べるわけではなく、可愛い恋人へ差し入れる為に足を向けて
きたのだ。
 「・・・・・バーカ」
(和菓子屋は餡子だけ食ってりゃいいんだよっ)




 そして、また火曜日が来た。
週末、散々面白くない思いをした和弥は、何時もの愛想の良さをいっさい無くしてしまってレジに立っていたが、さすがにその顔で
店には出されないし、ケーキを作るのも禁止と言われ、昼からはずっと奥で雑用をこなしていた。
(今日も来るかな、あいつ)
 来ても、絶対に顔なんか出さないと誓う。
別に、あの男が和弥にケーキ好きと言ったわけではないし、あのくらい(無愛想だが)男前ならば彼女がいたって当然だと思う。
ただ、和弥の頭の中では、仏頂面でエクレアを頬張っている男の姿があって、その姿が何だか可愛いと・・・・・そう、全ては和弥が
勝手に考えたことなのだ。
(・・・・・バカだ、俺・・・・・)

 午後7時少し前。

チャリン

 何時ものように入口のベルが鳴って、例の男が現れた。和弥はもちろんそれに気付いたが、自分が対応に出ようとは思わなかっ
た。
何時ものように俯き加減にショーケースを見た男は、
 「エクレア、2つ」
そう、言いながら顔を上げる。
 「エクレアですね」
 すると、愛想良く答えた兄の顔を見て少しだけ目を見張ったような気がした。
(・・・・・なんだ?)
その視線が、大きくは無いが周りに向けて動かされるのを見て、いつもとは違う様子に少しだけ違和感を感じたが、それでも和弥
は店には出ようとは思わない。
 「300円です」
 「・・・・・何時もの、彼は?」
 「え?」
 「飴色の髪の・・・・・」
 「あ、ああ、弟なら今日は下がっていて・・・・・何か用事ですか?」
 「・・・・・いえ」
男はそう言うと、小さなケーキの箱を持って店から出て行った。
(飴色?何だよっ、和菓子屋の例えをしやがって!)
 とっさにそんな言葉が出てしまうくらい、男にとって好きなのは和菓子で、エクレアはただのお使いだ。
何だか悔しくなった和弥は、店の制服そのままで裏口から飛び出した。



 「待てよ!!」
 和弥の言葉に男は立ち止まって振り向いた。
 「・・・・・」
 「お前っ、《朱のや》の人間だろう!」
 「そうだ」
誤魔化すかと思ったが、男は即座に認めた。それが更にバカにされたようで面白くない。
 「そのエクレアッ、あんた一度でも自分で食べたことがあるのかよ!クリーム嫌いなら一生餡子を食ってろ!」
 何だか、自分が言いたいのはもっと他のことのような気がするのだが、それだけしか頭の中に浮かばなかった。
(どうせ俺はケーキバカだよっ)
 「もう来るなよなっ、エクレアぐらい、どこの店でも置いてあるだろ!」
 もう、この男と会うのはこれっきりだと思った。これだけ言えば、彼女へのプレゼントのエクレアは別の店で買うだろう。
唇を噛み締めた和弥は、そのまま背を向けて店に帰ろうとしたが、
 「え?」
 なぜか、男に腕を捕まえられて、和弥はカッと頭に血がのぼった。
 「何気安く触ってんだよ!」
 「お前が、もう来るなって言うから」
 「はあ?」
 「店以外、お前と会える場所なんて無いのに」
 「何言ってんだ、お前?」
店での会話は、何時も『エクレア2つ』だけ。それが、こんな風にまともに会話をすると、男の声が妙に低く、腰に響くことが分ってし
まった。
(何いきなり喋ってんだ!)
 自分の顔が熱く感じるのは、きっと怒りを感じているせいに違いない。
そう思った和弥は手を振って振り解こうとしたが、男の手の力は意外に強く、暴れる和弥の身体を更に抱きしめるように手を回し
てきた。
 「なにすんだよ!お前っ、俺をバカにしてんのかっ?」
 「馬鹿にしてない」
 「じゃあ、いったい・・・・・」
 「一目惚れしたから」
 「・・・・・は?」
 「半年前、店の子に頼まれてエクレアを買いに行って・・・・・そこで、ケーキを嬉しそうに試食している顔を見て、惚れた」




 半年前、たまたま得意先に商品を届けに行った向井将孝(むかい まさたか)は、店のバイトの女の子達から隠れた名店だから
と強引に土産を買ってくることを頼まれた。
高校を卒業して直ぐに実家の和菓子屋を手伝うようになっていた向井だが、実は甘い物があまり好きではなく、餡子はさすがに
商売柄試食程度は食すものの、クリーム系の菓子はほとんど食べることもなかった。
 顔を近づけなければ気にならない餡の匂い(蒸す時は別だが)とは違い、店に入った瞬間に襲い掛かってきた甘いクリームの匂
い。
早く店から出たくて、早々に注文しようとした向井の目に映ったのは、奥の厨房で年配の職人に差し出されたケーキを美味しそう
に頬張る白い制服を着た若い男の姿だった。
 20歳を過ぎているだろうに、美味しそうにケーキを頬張るその顔はまさに子供だ。
商売といえど、今まで少しも美味しいと思ったことがない自分の店の和菓子。しかし、この青年は自分達が作ったケーキを本当
に美味しく思っているのが分って・・・・・なんだか目を離すことが出来なかった。




 「それから、時間が出来ればこの店に来るようにした。最初の頃はエクレアも自分で食べていたが、そんなに続けて食べることは
無理で・・・・・でも、お前の顔を見たくて店に通い続けた」
 「ちょ、ちょっと、待ってくれよっ」
 「俺は餡子が好きじゃない。悪いが、クリームもそれ程美味しいとは思わない。でも、お前の事が好きだし、その唇を味わってみ
たいとも思ってる」
 「え・・・・・」
 疑問の言葉は、男の唇の中に消えてしまう。
和弥は自分の口の中に柔らかいものを感じて、初めて男にキスをされているのだと気付いた。
 「・・・・・っ!」
 思わず向井の胸を突き飛ばした和弥は、慌てて唇を手の甲で拭う。心臓がバクバクして、眩暈がしそうで、恥ずかしくて、怒っ
て、戸惑って・・・・・とにかく、頭の中がグルグルと混乱していた。
 「嫌だったか?」
 「い、嫌に決まってるだろ!」
 「・・・・・お前、クリームの香りがするな」
 「・・・・・っ」
 「その匂い、嫌じゃなかった」
(な、何を恥ずかしいこと言ってんだよっ、こいつ!)
 始めの勢いは全く消え去り、和弥はとにかくここから逃げようと思った。色々と考えたりしてはいけない。
 「名前、教えてくれ」
 「ど、どうして!」
 「知りたいから。俺は向井将孝。25歳。和菓子職人」
 「ちょっ、別に聞いてないって!」
 「そっちは?パティシエ?」
それだけはちょっと違って、答えまいと思っていた和弥は思わず反論してしまった。
 「違う!ケーキ職人だ!」
答えた途端、男の目元が緩んだ。まるで、好きなものを見ているような甘い眼差しに、和弥はどうしていいのか分からなくなって慌
てて目を逸らす。
 「名前は?」
 「水谷和弥!もういいだろっ」
 「ああ。今度また聞けばいいことだし」
 「今度なんかないっ!」
 関わりあっては駄目な相手だと心の中で叫びながら、和弥は今度こそ向井を置いて踵を返した。これ以上傍にいたら、自分ま
で甘いクリームを食べた時のような気分になってしまうようで怖い。
(か、彼女じゃなかったけどっ、あいつが和菓子屋だっていうのは本当だったしっ、もう、絶対に店には入れないからなっ!)
 向井が自分に会いに、苦手なクリームの匂いが充満する店に通ってきてくれたということが嬉しいなんて思っていない。
和弥は首を大きく横に振ると、今の向井の言葉を早く忘れようと思った。







 チャリン

 「!」
 金曜日、午後7時の閉店間際に、何時もと同じ様に鐘が鳴った。
反射的に顔を上げた和弥は、今までと違って真っ直ぐに自分を見つめている男・・・・・向井の姿にドキッと胸を高鳴らせてしまう。
(な、なんだ?俺・・・・・)
 ゆっくりとショーケースに向かって歩いてきた向井は、呆然と立ち尽くす和弥に向かって言った。
 「エクレア2つ。それと・・・・・」
 「え?」
何時もは無い追加注文を告げる向井の声に、和弥は思わず声を上げる。
そんな和弥に、向井はふっと眼差しを緩めて・・・・・少し声を落として言った。

 「目の前の、甘い香りのする和弥が欲しいんだが」





                                                                      end





今回は和菓子職人&ケーキ職人の話。
ちなみに、私は和菓子もケーキも好きですけど。



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