江坂&静編





 日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の理事である江坂凌二(えさか りょうじ)の日常はかなり忙しい。
江坂自身は自分の組を持っていないのだが、それだけに身軽だろうと様々な組の雑事を任されてしまうのだ。
理事の中でも一番年少である江坂が重鎮達の依頼を断れるはずもなく、その上江坂自身それらの経験がこの先の自
分の力になると思っているので、苦に思わずに動いていた。
 しかし、そんな江坂も、仕事と同等に・・・・・いや、ある意味仕事以上に大切なことがあった。
それは・・・・・。



 「江坂さん、この後予定はどうなってますか?」
 「・・・・・なぜです?」
 「宜しければ・・・・・」
 上納金の金額を話し合った新興の組の組長は、笑いながら後ろを振り返った。
目立たないようにと、話し合いはこの組の息が掛かっているバーで行われたのだが、何時の間にか数人の女が姿を現わ
していた。
それぞれタイプの違う、しかし十分美しく艶やかな女達。その意味を江坂が分からないはずがなかった。
 「1人じゃなく、2人でも3人でも、どうぞ」
 「・・・・・」
 女達は長身で知的な美貌の主である江坂に、命令とは関係なく触れられてもいいと思っているのだろう、どの目も熱を
帯びた本気で誘うものになっている。
こういった『接待』はままあることなので驚きもしないが、こんなことで自分が報告に色を付けるのかと思われていることが情
けなくも呆れてしまった。
 「江坂理事?」
 「・・・・・申し訳ないが、あれでは食指が動かない」
 「・・・・・っ」
 「なっ?」
 江坂の言葉に、女達がいっせいにざわめいた。
それなりに自分の容姿に自信を持っている者達ばかりなのだろうが、江坂にとってはその造作もただの皮でしかない。
 「え、江坂理事っ、あのっ、もっと他に用意をっ」
 「悪いが、私にも好みというものがある」
 「好み、ですか」
 「誰にでも股を開く女など、触れるのもごめんだな」
 「そ、それはっ」
 「失礼する」
 「江坂理事!」
 これ以上この場にいるのは無意味だと思った。
女を紹介するということを切り出したことに付いて細かく言うことはないが、底の浅さは考慮した方がいいだろう。
(無駄な時間だったな)
こんなことで足を止めてしまったことも惜しくなって、江坂は憮然としたまま待たせてあった車に乗り込んだ。



 ヤクザといっても、今の世の中力だけでは生き残っていかれない。
物を言えるほどの財力を持っていなければ、しょせんならず者という煙たがられる存在にしかなれないのだ。
 「どちらに」
江坂はすぐにポケットから携帯を取り出すと、そのまま待ってくれているだろう相手に電話を掛けた。
 「・・・・・私です」
 その第一声は、先程の女達に向けた言葉とは雲泥の違いで限りなく甘く、優しい。
 「・・・・・ええ、もう帰りますよ。1時間くらいですか・・・・・ええ、静さんの手料理、楽しみにしていますよ。・・・・・静さん
が作ってくれるのなら何でも美味しいはずですから」
電話の向こうで、恥ずかしがっている気配がする。
今朝、グラタンに挑戦すると言っていたが、どうやら少し失敗してしまったと後悔しているらしい。
そんなものは江坂にとっては少しの問題にもならない。自分の為に作ってくれた事実が大事なのだ。
 「・・・・・ええ、もう直ぐですから、待っていてください」
 優しい言葉でそう締めくくると、江坂は電話を切った。
 「急げ」
そして、その途端江坂の声の調子はがらりと変わった。行く先など、言葉にしなくても分かって当然だろう。
 「はい」
 「・・・・・」
意識して切り替えているわけではなく、自然と線引きをしているのだ。
大切で愛しい者と。
どうでもよいその他大勢と。
目に入れる価値の無いものを。
江坂の心の中に入り込めるのは、本当に極々限られた者しかいなかった。



 「お帰りなさい!」
 「ただいま」
 ようやく、愛しい者の笑顔を見ることが出来、江坂の頬にも本物の笑顔が浮かんだ。
 「ごめんなさい、電話でも言ったんですけどホワイトソースが上手く出来なくて・・・・・それに焼く時も焦がしちゃったし」
目を伏せて落ち込んだように言う一番大切な相手・・・・・静を抱きしめ、江坂はからかうように言う。
 「1人で作るからですよ。今度、私と一緒に作りましょう」
 「・・・・・はい」





 大東組の理事である江坂凌二の日常はかなり忙しい。
しかし、その忙しさは愛しい者の笑顔があれば、一瞬にして癒えてしまう程度のものだった。





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