江坂&静編
小早川静(こばやかわ しずか)はソファに座ってじっと考えていた。
「どうしようかな」
それは、二日前の話だ。
「戻ってきたら、久しぶりに食事に行きましょうか?ドレスアップした静さんをエスコートしたいですね」
一泊二日の出張に出掛ける前にそう言ったのは、静の最愛の恋人だ。
日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の理事である江坂凌二(えさか りょうじ)。
多少家は裕福ながらも、普通の大学生である静が、ヤクザと言われる男と知り合うには色々と事情があったが・・・・・今
ではもう、傍にいるのが当然のように大切な存在になっている。
ヤクザといっても、江坂は一見弁護士のような知的な雰囲気を持つ大人の男で、実際に仕事も暴力では無く頭を使
うようなので、静はあまり江坂の生業を意識はしていなかった。
なにより、江坂はとても自分を大事にしてくれる。
静が戸惑うほどに愛してくれる。
男同士だとか、歳が離れているとかは、全く関係なく。江坂以上に自分を愛してくれる人はいないと分かった静は、自
分も江坂に出来る限り愛情を返したいと思っていた。
「ドレスアップ・・・・・」
大手ゼネコンの社長を父に持つ静は、まだ中学生の時から大きなパーティーにも出席していた。だから、ドレスアップと
いう意味は十二分に分かっているはずなのだが・・・・・。
(普通じゃ・・・・・面白くない、かな)
わざわざ、江坂がドレスアップと言ったのだ。その言葉の意味を考え、静はようやく考えをまとめると、傍に置いてあっ
た携帯を手に取った。
「お疲れさまでした」
「ああ」
一泊二日の関西出張。
本来、江坂は東京を離れるようなことはないのだが、今回だけは関西の一番大きな組織と込み合った話し合いがあり、
その話を任せられるのはお前しかいないと言われて、渋々その任を引き受けたのだ。
(全く、他にも人材はいると思うが・・・・・)
静という最愛の人間を手に入れてから、江坂は出来るだけ長期の出張は受け入れないようにしていた。それは、たっ
た1日でも同じ意味だ。
それなのに、こうしてわざわざ自分が出なくてはならなかったのは、ひとえに馬鹿なことをした理事のせいで、江坂は
そろそろ本格的な代替わりが必要なのではないかと思う。
(そうなると・・・・・使えるのは海藤と上杉ぐらいだな)
余計な言葉を言わず、命令以上の成果を出す海藤のことは、江坂も気に入っている。しかし、上杉は・・・・・あの男は
少し扱い難い。いい加減なくせに、頭は良くて・・・・・そのうえ、あの小田切がついてくるのだ。
(・・・・・考えものだな)
車はそのまま、静と待ち合わせをしている銀座の鮨屋へと向かった。
本当はマンションに静を迎えに行くつもりだったが、今日の昼、携帯にメールが来たのだ。
『今日は外で待ち合わせしませんか?』
静を1人で外を歩かせることはあまり賛成ではなかったが、もちろん静の望みを嫌だというわけはなかった。心配だと
思いながらも、魚好きな静のために探した鮨屋の場所を教え、くれぐれもタクシーで来るように言った。
人形のように綺麗な静は同性に狙われやすく、今までも電車やバスなどで痴漢に遭ってきたらしい。本人はただ手
が当たっただけだと思っているらしいが、話を聞いた江坂は全てが痴漢だと断定した。
分かる範囲はそれなりの報復をしたものの、それでも静に常に車での移動を約束させるわけにはいかなかった。あくま
で彼を縛るのではなく、見守る立場というのを強調したかったからだ。
「着きました」
江坂は思考から意識を浮上させた。
腕時計を見れば約束の20分前。静を待たせるわけにはいかないと、江坂はゆっくりと開けられたドアから外に出て、店
の暖簾の前に立つ。
「幹部、車の中でお待ちに・・・・・」
「構わない」
静は待ち合わせと言った。それは、こうして店の前で待つことだろう。自分の身を守るのは周りの役目だろうと思ってい
る江坂は、自分は悠然とした態度で立つ。静を待つためだ、全く苦にならない・・・・・そんなことを思っていた時だった。
「・・・・・」
店の前に丁度タクシーが止まった。
何のためにと江坂の前に護衛の人間が立ちふさがろうとしたが、江坂は下がるように軽く視線を動かす。乗っているのが
静だということが直感で分かったからだ。
ゆっくりと、タクシーの後部座席が開いた。
じっと視線を向けていた江坂は、彼にしては珍しく驚いたように目を見張った。
出てきたのは、白い足袋に、草履。
そして・・・・・紫と赤い色が鮮やかなコントラストをなしている色留袖を着た・・・・・静だった。
「・・・・・静さん?」
「江坂さん」
静は既に江坂がそこにいたことに驚いたような表情になったが、直ぐに照れ臭そうな笑みを浮かべて、自分の襟元を少
し直しながら言った。
「驚きました?」
「・・・・・驚きました。どうしたんですか、その着物は」
「友春のお母さんに借りたんです」
「・・・・・高塚君の?」
せっかく、江坂がドレスアップしてと言ったので、静は何時もと違った格好がしたいなと思ってしまった。
たった1日とはいえ、一緒にいられなかった日が挟んだので、余計にそう思ってしまったのかもしれないが・・・・・少し考
えた静は、何時もは着ない和装はどうかなと思いついたのだ。
直ぐに家が呉服屋の友人、高塚友春(たかつか ともはる)に連絡をし、彼の実家に相談に行ったのだが、丁度対応
してくれた友春の母親が面白がって着せてくれた女物の色留袖姿を、友春もその母も絶賛し、化粧までしてくれて、江
坂を驚かすように言われたのだ。
綺麗な顔だとはよく言われるが、かといって女装が好きだというわけではない。それでも、確かにこの恰好をすれば江
坂は驚くだろうなとも思って、静は恥ずかしさを横に置いてここにやってきたのだ。
「笑ってくれてもいいんですよ?」
首をかしげながら静はそう言うが、江坂はまさかと首を横に振った。
(まさか・・・・・こんな手があったとはな)
静に女装させるなどとは考えたこともなかったが、こうして見るとかなりのレベルの女よりも静は美しい。化粧をしている
としても薄化粧なのだが、それが返って素顔の美しさが際立って・・・・・街を歩く人々が見惚れるように振り返って見てい
るのが鼻が高かった。
「とても・・・・・綺麗ですよ、静さん」
「・・・・・なんだか、複雑です」
「女装がというわけではありません。あなた自身が綺麗だから、どんな格好でも・・・・・」
そう言いながら、江坂は静の肩を抱き寄せ、そのままキスをした。
街中でこんなことをするなんて馬鹿なカップルだけだと思ったが、今だけはそんな男達の気持ちが分かった気がする。
これは自分のものだという独占欲が、キスという衝動を起こさせるのだろう。
「・・・・・」
キスを解いた後、静は恥ずかしそうに俯いたが、江坂は目を細めてそんな静を見つめて言った。
「大丈夫。男同士だとは思われませんよ」
「・・・・・な、なんだか、この恰好・・・・・段々恥ずかしくなってきます」
「では、食事をしないで、このまま家に帰りますか?綺麗なあなたをじっくりと見させて欲しい」
夕食は、この店の鮨を持ち帰ればいい。
今はそれよりも、自分のために思い掛けないドレスアップをしてくれた静の姿を堪能し、その内側を暴きたくて、江坂は
もう一度抱きしめて耳元に囁いた。
「その着物、買い取りましょうね」
「え?でも、着る機会なんて・・・・・」
「きっと、汚れてしまうでしょうから。あなたの身体を包んだ物を、他の人間に着せたくはありませんしね」
静がどういう意味だろうと考える前に、江坂は少し強引にその背を押して、まだ停まっていた自分の車の中へとさりげ
なく誘導した。
「帰りましょう、私達の家に」
end