ガキ大将と子分
「とーえん!早く来いってば!」
甲高い少年の声が山肌に響く。
「ま、待ってよ、こーや!」
それに答える声も、まだ幼い声だ。
「早く来ないとおいていくぞー!」
「嫌だよ!」
山の中を駆ける小さな影。半ズボンから覗く足には草や木切れで付けた掠り傷がたくさんあり、顔や手足には何個もの絆創
膏も貼ってある。
それでも、全く勢いを止めない眩しい背中を、龍巳(たつみ)は必死に追いかけた。大好きな昂也(こうや)に置いて行かれたく
ない一心で。
行徳昂也(ぎょうとく こうや)と、龍巳東苑(たつみ とうえん)。
母親が幼馴染で、家も近所。誕生日も、昂也の方が二週間だけ早く生まれた2人は、赤ん坊の頃からの幼馴染といえる存
在だった。
昂也は生まれた時の体重が3500グラムもあったが、龍巳の方は2600グラムという少し小柄な赤ん坊で、身体も弱く、心
配した母親が、昂也の母親に相談し・・・・・その頃から、2人はずっと一緒だった。
幼稚園に通う頃になると、性格にもはっきりと違いが出てきた。
昂也は身体は標準だったが、一日中遊びまわるほどに元気が良く、転んでも、喧嘩をしても泣くことがないほどに意地っ張りで。
龍巳はまだ少し小柄で、おとなしく、誰かにからかわれるだけでも泣き出してしまうほどに気弱だった。
そんな、おとなしい幼馴染を守るのは昂也の役目で、龍巳が泣かされたと聞けばどんなに身体の大きな相手でも、年上でも怯
まずに向かっていき、相手が昂也のしつこさに降参して謝るまで、絶対に引くことは無かった。
その後に、その相手とも友達になるのもオマケとしてついてきた。
そんな昂也が、龍巳は大好きだった。
両親よりも、祖父よりも、ずっと長い時間一緒にいる。
情けない自分より、父や祖父に昂也が可愛がられても、妬きもちをやくことはなかった。
そして、何時しか2人の関係は決まる。ガキ大将と、子分。しかし、たとえガキ大将になったとしても昂也は我が儘な俺様では
なく、常に弱い者の味方のヒーローだった。
「どうして、とーえんだけこーやと遊ぶんだよ!」
「そうだよ、俺たちとサッカーしようぜ!」
「じゃあ、とーえんもいい?」
「・・・・・とーえん、ぶつかっただけですぐ泣くんだもん」
「そんなことないよ、なっ?」
明るくて元気で。運動神経が抜群に良い昂也は仲間の中でも人気が高く、そんな昂也と何時もくっ付いていた龍巳は頻繁
に責められた。
昂也の傍にいるには弱過ぎる子分は要らないのじゃないかと、昂也が言われているのを見たことがあるし、龍巳に直接文句を
言ってくる者もいた。自分自身でも自分の情けなさを分かっていたが、それでも龍巳は昂也の傍を離れたくなかった。
小さな頃から大好きな昂也を、誰かに取られたくなかったのだ。
「こーや・・・・・」
「行こうっ、とーえん!」
きっと、昂也の中でも自分に対する苛立ちがあったはずだと思う。それでも、何時でも立ち止まり、その手を差し伸べてくれる
昂也の手を、龍巳はしっかりと掴んでいた。
龍巳の家の神社がある山は、2人のかっこうの遊び場だった。
近所の友達が一緒の時もあったが、その多くは2人で冒険と称してよく山に登った。
大人から見ればそれ程大きな山ではないのだろうが、まだ子供だった2人にはこの山はとてつもなく大きくて、毎回毎回新しい発
見があって・・・・・小学校に入学した夏、ようやく龍巳の父から許可をもらった小さな滝壺で泳ぐことが楽しかった。
「ほらっ、俺一番!」
昂也はその場で全て服を脱ぎ去ってそのまま飛び込もうとする。
「だめだよっ、こーや!ちゃんとじゅんびうんどーしなくっちゃ!」
「えー!」
「お父さんにおこられるよっ」
「・・・・・わかった」
昂也に対しても我が子のように叱る龍巳の父親のことは怖いと思っているらしく、昂也は裸のまま準備体操を始めた。
その間に龍巳も服を脱いでいたが、
「終わった!」
「あっ」
どれ程の体操をしたのか、水飛沫を上げながら昂也が水の中に飛び込む。
「ぷはっ、おまえも早く来いよ!」
「う、うん」
何時も、何をするにも昂也が先で、龍巳はその後を追うだけだ。もちろん、何時か昂也と同時に出来たらいいなと思っていたが、
頼もしい背中を見るのも好きだった。
「ひゃー、冷たい!」
楽しそうに泳ぐ昂也。そういえば、泳ぎも昂也に教えてもらった。
(すごいよな、こーやは。何でもできちゃうんだもん)
「とーえん!」
「う、うん、今行く!」
昂也といるとワクワクする。何をするにも、たとえそれが悪戯でも、凄く楽しくて。
怒られて、同じように拳骨をされても笑っていられるほどに、龍巳にとって昂也と過ごす1日1日がとても大切だった。
それから10年。
「え?トーエン、俺と一緒の高校?」
「うん、当然だろ」
「だって・・・・・お前、もう一個上狙えるんじゃ・・・・・」
「俺は昂也と一緒がいいんだ。絶対に楽しい高校生活だと思うから」
「・・・・・馬鹿、何時まで子分のつもりなんだよ」
市内の男子校である私立霧島高校に、龍巳は当然のように昂也と進学した。
本当は成績の良い龍巳はもうワンランク上の高校を勧められたのだが、昂也と一緒の高校を選ぶことに迷いは無かった。
その高校のレベルも悪いものではなかったし、なにより絶対に昂也といれば充実した高校生活が送れると思うからだ。
それは、幼稚園、小学校、中学校と、ずっと一緒でいたからこそ分かる確信だった。
「やっぱり、行徳か?」
「俺のためです」
溜め息混じりの担任に、龍巳はきっぱりと言い切り、結局、龍巳は自分の意志を貫いた。
高校は別だろうと覚悟していたらしい昂也も、龍巳の決断に始めは文句を言っていたが、家で凄く喜んでいたと、母を通じて教
えてもらった。
もちろん、永遠に一緒にいられるとは思っていないが、それでも出来るだけ傍にいたい。昂也と共に成長したいと、龍巳は考え
ていた。
しかし、2人の関係は変わらなくても、外見や周りは変化していった。
中学3年になる頃から、龍巳はそれまでの成長の遅れが一気に来たかのように成長した。
あっという間に昂也の背を追い抜き、力も増して、高校1年が終わる頃には、身長も180センチを軽く越してしまった。
「・・・・・お前、何食べてんの?」
「ん〜、普通の和食?」
「嘘だ。なんか、秘密兵器あるだろ?」
「ないよ。昂也だってしょっちゅううちに食べに来るだろ?」
昂也は向かい合って弁当を食べながら納得いかないように眉を顰めていたが、龍巳もそれ以上何も言えなかった。
昂也からすれば、それまで小柄でひ弱で、何をするにしても自分が引っ張っていかなければならなかった幼馴染が、急に自分よ
りも縦も横も大きくなるとは考えもしなかったのかもしれない。
(昂也・・・・・可愛いままだもんな)
こんなことを言ったら絶対に殴られると思うが、幼い頃は自分よりも大きく、力強いと感じた身体は、年を重ねるごとにその成長
が鈍くなり、今は170センチもないし、体重だって軽い。
それでも、けして女々しく見えないのは、その意地っ張りな性格と、強気な眼差しのせいだろうが、ごつい男が大勢いる男子校
の中では、どうしても可愛いという部類に入っていた。
昂也には言えないが、実際に昂也を恋人にしたいと思っている者は多くて、それとなくアプローチもしているようだが、そういう方
面にはとことん鈍い昂也は全く気がついていない。
相手のためにはその方がいいだろう。昂也がそんな思いを知れば、女じゃないのだと烈火のごとく怒り狂うのは目に見えているか
らだ。
たとえ細く華奢でも、可愛いといっていい容貌でも、昂也ほど男らしい男はいないと龍巳は知っている。ありえないとは思うもの
の、昂也を手に入れたいと思う男は、その身体だけでなく心も、昂也以上に大きな男でなければ受け入れもしないだろう。
「トーエン、お前また告白されたって?」
放課後、試験前で部活のない2人は一緒に帰宅していたが、唐突に言った昂也の言葉に龍巳は眉を顰めた。
(誰だ?昂也に余計なこと言った奴・・・・・)
「誰から聞いた?」
「誰だっていいじゃん。お前、また振ったって・・・・・彼女作る気ないのか?」
「・・・・・今のところはね」
男子校に通っている2人に女気はないが、その登下校ではもちろん近隣の女生徒と出会う機会はある。
龍巳は何度か手紙をもらったり、告白をされたり(何度ではなく、頻繁だろうと昂也は怒る)したが、その気は無かった。
昂也には秘密だが、龍巳は既に女の肌を知っている。気持ちは良かったし、それなりに楽しいと思ったが、それでもその行為に
溺れるということは無かった。
今はまだ、昂也といる方が楽しいと、素直に思えるのだ。
「お前さあ」
「ん?」
「・・・・・」
「昂也?」
「なんでもない!」
昂也は怒ったように言って口を尖らし、龍巳は宥めるようにその頭をポンポンと軽く叩いた。
「それ、止めろ」
子供に対するような行為は止めろと言われ、素直にごめんと言う。すると、昂也は立ち止まり、その顔を振り返って苦笑を浮か
べた。
「情けない顔すんなよ、トーエン。・・・・・ごめんな、お前に先に彼女が出来たらやだなって思ってたくせに、お前が俺に気を遣っ
て告白断ってるんじゃないかって思うと嫌でさ」
「昂也、俺は」
「うん、トーエンがそんな奴じゃないってこと、俺が一番分かってる。お前、本当に好きな相手が出来たら、俺よりもその相手を
ちゃんと一番に考える奴だって。今はまだ、そんな相手が出来てないってことなんだよな?」
うんと頷いたものの、自分の顔はどんな表情なのか龍巳は心配でたまらなかった。
ただの好奇心だけで、誰かと肌を合わせることが出来る自分と、純粋に恋愛を考えている昂也と。自分の方が世慣れた・・・・・
いや、あまり良い方向に成長していないような気がしてしまう。
「ま、しばらく寂しい者同士、仕方がないから目一杯楽しく遊ぼうな!」
「・・・・・うん、そうだな」
昂也は龍巳に恋人が出来ることを考えているようだが、龍巳も昂也に好きな相手が出来た時のことを考える。
真っ直ぐで、誠実な昂也は、きっとその相手のことだけを見つめるだろう。
(少し・・・・・妬けるかも)
「ほらっ、早く帰って遊ぼうぜ!今日はこの間のゲームのリベンジだ!」
そんな龍巳の沈みそうになる意識を、強引に浮上させる昂也の力強い声。
心配などしなくてもいいかもしれない。昂也の中で、自分という存在は確かな位置を占めているのだから。
「手加減しないぞ、昂也」
「上等!」
試験前だというのに遊びを優先し、じゃれあいながら家路へと急ぐ。
まだまだ続くであろう昂也との時間を、龍巳も目一杯楽しもうと思った。
デコボココンビだと、仲が良過ぎると冷やかされることもある。
それでも、2人は「羨ましいだろ」と笑って言える強い結びつきがあったし、どんなに外見が変わっても、ガキ大将の昂也と子分の
龍巳という図式は変わることはなかった。
end