眼福







 「・・・・・ん・・・・・」
 瞼の向こうに感じる明るさに、静は僅かにシーツの中で身じろいだ。
(どうして・・・・・明るいんだろ・・・・・あ)
 「・・・・・あ」
半分覚醒していた意識の中で考えていた静は、その要因に思い当たってゆっくりと目を開いた。
きっちり閉められているはずの厚手のカーテンのほんの僅かな隙間から漏れる陽の明かりが、丁度静の顔の上に差し込んでい
たのだ。
 「・・・・・った」
 そっと起き上がろうとした静だったが、下半身に今だ残る甘い痛みに思わず眉を顰めた。
(まだ何か・・・・・挟まってるみたい・・・・・)
 昨夜、翌日が休みだという夜、年上の恋人は優しく情熱的に静を抱いた。
一週間ほど、恋人の仕事の都合で顔を合わせることもままならないほどに慌しかった時間分、明け方近くまで苛まれた静の
身体は、疲れてはいるがその分充足していた。



 小早川静(こばやかわ しずか)はこの春から大学2年に進級する19歳の青年だ。
父親は大手ゼネコンの小早川商事の専務で、それなりの裕福な生活を送っていた。
しかし、静が大学に入学する前後から急激に業績が悪化し、そんなどうすればいいかという段階の時、融資を申し込んできて
くれた相手がいた。
それが、江坂遼二だ(えさか りょうじ)だった。
株の売買をしている会社を経営しているという江坂は、億単位の融資をかなり破格な条件で受け入れてくれた。
その条件というのは、静が江坂の元に行くということだった。
 始めはかなり慄き、警戒した静だったが、江坂は紳士で、初対面の時から静に優しくしてくれた。
そんな江坂を好きになるのに時間は掛からず、江坂も静の思いを受け止めてくれて、今ではとても幸せで穏やかな日々を過ご
していた。



 「ふう」
 ようやくベットから起き上がった静は、自分がきちんとパジャマを着せてもらっていることを知った。
抱かれた後は何時も気を失ってしまうように眠りに落ちてしまうが、そんな静の情事の後始末は江坂が全てやってくれていた。
申し訳なくて、絶対に起こしてくれと言った静に、

 「あなたのお世話は全て私がしたいんですよ」

と、にっこり微笑まれながら言われ、静はさすがに何も言ず、身体中を真っ赤にして俯くしかなかった。
(昨日も迷惑掛けちゃった・・・・・)
 江坂が聞いたなら絶対に違うと否定されそうなことを考えながら、静はそのままリビングへと向かう。
空調も効き、床暖房も完備しているマンションは、パジャマに裸足でも少しも寒くなかった。



(・・・・・いた)
 リビングに通じるドアを少しだけ開けて中を覗くと、ベランダ近くのソファに座った江坂の姿が見えた。
マンションでもきちんとした格好をする江坂はシャツにスラックス姿で、足を組んで新聞を読んでいた。
(・・・・・眼鏡、してない)
 珍しく素顔のままで新聞を眺めている江坂の姿はまるで1枚の絵のようで、静は痛む身体を引きずってでも起きてきて良かっ
たと笑みを零す。

 一緒の夜を過ごしたある日、何時もより遅く起きることになった静は、自分を待つ江坂の姿を偶然見て、何て絵になる綺麗
な光景なのだろうと思った。
仕事に対する時の厳しさも無く、自分に対する時の甘さもない、江坂が本当に無防備になっている瞬間がそこにあった。
それほどに気を許してもらっているのかと思うと嬉しかった。
その後、直ぐに気付かれてしまったが、それから静は時折1人でいる江坂を隠れて見つめることが多くなった。

 「・・・・・」
 「静さん、そんな格好でそこに立っていると風邪をひいてしまいますよ?中に入ってらっしゃい」
 「・・・・・っ」
(気付かれたっ)
気配を殺さず、じっと熱い視線を向けていた静の存在に江坂が気付かないはずが無く、静はゆっくりとドアを開いて中に入った。
 「おはようございます」
 「・・・・・おはようございます、遅くなってごめんなさい」
 リビングの中に入ってから視界に入ってきた時計は、既に午前10時を過ぎていた。
あまりにものんびりと寝過ごしたのに気付き、静は申し訳なくて謝ってしまう。
 「昨夜無理をさせたのは私ですからね。もっとゆっくり休んでいても良かったのに」
 「・・・・・っ」
と、恥ずかしげも無くそう言いながら歩み寄ってくると、江坂は静の髪を軽く指で梳きながら頬にキスを落とした。
 「身体は大丈夫ですか?」
 「は、はい」
 「無理はしていない?」
 「江坂さん、優しくしてくれたから・・・・・」
 真っ赤になりながらもそう言うと、江坂は嬉しそうに頬に笑みを浮かべた。
知的で整った美貌。静寂の中の無防備な顔もいいが、こんな風に柔らかく笑み崩れている表情も好きだ。
(俺だけの、特権だもん)
 「・・・・・あ、英字新聞」
 「ええ、海外の情報も把握しておかないといけませんから」
 「これ・・・・・全部読めるんですか?」
 「形だけですよ」
 そう言う江坂がかなり頭がいいことも知っている。
多分、静にしてみればただの模様としか見えないこの英文は、江坂にはきちんと理解出来るのだろう。
尊敬と、憧れと、好きだなと思う気持ちが混ざり合う。
静は自分の為に甘いカフェオレを作ってくれる江坂の姿を見つめながら、今日も朝から綺麗で嬉しいものを見たとひっそりと微
笑んだ。




 無防備にソファに座って、ぼんやりと自分を見つめてくる静を見て、江坂は深い笑みを頬に浮かべた。
(相変わらず、可愛い)
翌日が休みの時は何時も思う存分静を抱いていたが、昨夜は久し振りだったせいか少し度を過ぎて可愛がってしまったようだ。
自分も年甲斐も無く我を忘れてしまったなと思う。
 しかし、抱いた翌朝の静は普段の硬質なイメージはまったく消え失せて無防備で・・・・・とても綺麗だった。
この表情は江坂しか見ることは出来ず(見せるつもりもないが)、自分だけの特権に優越感さえ抱ける。
 「はい、熱いですよ」
 「ありがとうございます」
 渡されたマグカップを両手で持ち、静は子供のようにフーフーと口を尖らして冷ましている。
 「今日はどうしますか?最近どこにも連れて行ってませんから、静さんの行きたい所に行きましょうか?」
江坂にそう言われた静は少し首を傾げ・・・・・やがて、パッと顔を上げた。
 「・・・・・あ、じゃあ、桜が見たいです」
 「桜?」
思い掛けない言葉に、江坂は少し面食らってしまった。
 「昨日テレビで、こっちの方も満開になったって言ってたから、江坂さんと見たいなあって」
 「・・・・・それは、光栄ですね」
 些細な光景を、共に見たいと言ってくれる気持ちが嬉しい。
それに、桜の花びらが散る中に立つ静もきっと綺麗だろう。
江坂は素早く、ある料亭を思い浮かべた。
 「では、夜桜を見に行きませんか?知っている料亭の庭に見事な桜の木があるんですよ、きっと満開でしょうし、煩い花見客
もいません」
 「え、あ、でも、わざわざ・・・・・」
 「私が静さんと見たいんです。付き合ってもらえませんか?」
こんな風にお願いの形を取った江坂の言葉を静が断わることはない。
 「・・・・・はい」
素直に頷く静を目を細めて見つめながら、江坂は今夜また違った静の表情を見れるかと楽しみになる。
もっともっと、トロトロに静を甘やかしたい。
江坂はそう思いながら、無防備に自分を見つめてくる静の手からマグカップを取ると、そのまま挨拶代わりのキスを与えた。





                                                                    end





「border line」の江坂&静です。

今回は休みの日の一コマを書いてみました。

この後、「盛宴」に続くという流れになるんですねえ。