海藤貴央(かいどう たかお)は教壇に立つと教室の中を見回した。
立っている自分を見返すのは当たり前だが男ばかりだが、中等部からの持ちあがりの者がほとんどなので気心も知れている。
「じゃあ、明日は絶対に休むなよ」
「おーっ!」
「桜祭りをサボる奴なんていないって」
口々に勝手なことを言うクラスメイト達を苦笑しながら見た貴央は、窓際に置いた椅子に座って今までの流れをじっと見ていた
担任に視線を向けた。
「先生、以上です」
春に高校に入学した貴央はクラス委員に選ばれた。
友人に面白がって推薦された時はどうしようかと思ったものの、実際に選ばれると覚悟が決まった。
近隣では進学校と噂の男子校だが、実際に中にいればどこにでもいる男子高校生と変わらない。特に貴央のクラスはノリがい
いので、担任は毎回まとめるのに苦労していて、ほとんど貴央にその役を押し付けていた。
今回は明日の桜祭りに付いて注意事項が話された。
この学校では春の入学式の一週間後、中高合同で行われる催し物があった。祭りと言っても文化祭とは違い、外部の人間は
入れないで生徒たちだけの大掛かりな親睦会だ。
幾つかある出店は部活ごとで、3月から新しく2、3年になる者たちがあらかじめ準備をしている。
新しく中等部や高等部に入るそれぞれの1年生のための歓迎会のようなものだが、高等部の1年生は既に中等部で経験して
いるので緊張感などあまりない。
さらには桜祭りに限っては部活内でも一番下っ端になる1年生はお客様扱いなので、返って楽しみにしている者の方が多かっ
た。
「よし、じゃあ、残り時間は・・・・・」
「じしゅー!!」
「あまり煩くするなよ」
担任はそう言い、教室から出て行った。
「おい、貴央」
「ん?」
自分の席に戻った貴央に、前の席の友人丹波啓輔(たんば けいすけ)が振り返って話し掛けてくる。
金髪に染め、耳にも何個かピアスの穴を開けている丹波は一見遊び人風だが、これでも中等部の時は3年間学年一位の成績
の主だ。自由な校風だが多少目立ち過ぎる格好をしていても、成績が良かったら見逃してもらえると何時も嘯いている。
「お前、知ってた?」
「何を?」
「・・・・・」
「何だよ」
自分から言い掛けたくせに、丹波はなかなか次の言葉を口にしなかった。面白そうに目を細めて口角を上げているその様子は
ご機嫌なライオンのようだ。
「桜祭りの今年の中等部の姫、お前の幼馴染に決まったらしいぞ」
「え・・・・・?」
「ミキ情報。速報だぞ」
携帯を振りながら自身の弟の名前を言って凄いだろうと笑う丹波に、貴央は驚きに固まった顔を見せてしまった。
高等部の門の前にある桜の木の陰に立った綾辻優希(あやつじ ゆうき)は、目当ての人物が出てくるのを今か今かと待って
いた。
ちょうど満開の桜がそよ風に吹かれてハラハラと舞い散り、柔らかな栗色の癖毛を彩っていた。
最初の頃は頻繁にそれを払い落していたが、10分も経つと諦めてしまう。これが嫌ならこんな所に立たなければいいのだが、
姿を見せずに(実際は丸見えだが)門から出てくる生徒たちを見張るにはここが絶好のポジションだった。
本当は校舎の中まで行って早く大好きな幼馴染・・・・・貴央に会いたかったが、自分よりも大きな高校生達のいる空間には入り
たくない。いまだ身長が155センチの優希にとって、高等部は異世界と言っても良かった。
「あ、ユウちゃん」
「・・・・・」
「今日も可愛いね〜」
「・・・・・っ」
明日の行事の準備のために今日は午前中授業だ。部活をしていない生徒達はさっさと帰宅しているが、彼らはなぜか優希
の顔や名前を知っているらしい。
(たかちゃんが有名だから・・・・・)
中学時代から人気のある、文武両道の貴央に何時もくっ付いている金魚のフン。そんな認識かもしれないが、どうせなら声な
ど掛けないで欲しい。野太い声で名前を呼ばれるたび、ビクビクと肩が揺れてしまうのだ。
「ユウ」
その時、待ちかねた声が聞こえる。
「たかちゃん!」
ハッと振り返って見えた大好きな貴央の姿に、優希は満面の笑みを浮かべた。
親同士が知り合いで、物心ついた時から貴央が自分の前にいた。
少し特殊な家庭環境で気持ちが弱った時も貴央が励ましてくれたし、強くて優しくてカッコいい貴央は優希の憧れの人であり大
好きな人だった。
ようやく中学に進学し、大好きな貴央が行く学校の中等部に通えるようになったが、中学生と高校生の差はとても大きい。
今までは家庭の中で会っていたせいで感じなかったそれも、学校という空間の中ではヒシヒシと感じてしまい、優希はことあるご
とに貴央の中の自分の存在を確かめるために彼に会いに行った。
今日は、特に早く貴央に会いたかった。
自分の意思とは関係なく押しつけられたものを断ることも出来なかったことを忘れたかった。
貴央には、とても言うことは出来ない。
(女装、なんて・・・・・)
そうでなくても女顔ということがコンプレックスになっているのに、わざわざ化粧をし、ドレスまで着るなんて絶対に苛めだと思う。
「待った?」
貴央が軽く頭を撫でながら言ってくれる。
その優しい指先の動きに、優希はううんと即座に首を横に振った。
「さっき来たばっかり」
「そっか」
貴央は剣道部に入っているが、今日は部活は休みだ。それはちゃんと確かめていたので、優希は自然に綻ぶ顔を向けてその
腕を引っ張る。
「今日、たかちゃんちに行ってもいい?」
「ユウ」
「何?」
「お前、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
その言葉に、優希の頬が強張った。
(たかちゃん、それって・・・・・)
貴央の黒い瞳が真っ直ぐに向けられている。優希はその視線からぎこちなく目を逸らすと、そのままキュッと口を噤んだ。
湯船に浸かった貴央は、ふーっと声を出しながら空を見上げる。
(あれ・・・・・絶対に隠してる)
今日の下校中、貴央は優希にそれとなく桜祭りの件を聞こうと思ったのに、何時もと変わらない表情の優希を見ているとつい直
接的な言葉を口にしてしまった。
それをどう思ったのか、優希は結局最後まで女装のことを言わず、最初は遊びに来ると言っていたのに結局は途中で別れてし
まった。
外見の甘さからか、優希は女の子扱いをされることはもちろん、可愛いという言葉にさえ嫌がることを貴央は知っている。
きっと、「姫」に選ばれたことは嫌で仕方がないだろう。だが、どうしてそれを言ってくれなかったのだろうかと考えてしまった。
実は貴央も、中学1年生の時に桜姫になりかけた。
ただ、あまりに目付きが悪かったせいか、結局はその役は流れて、後で聞いてホッと胸を撫で下したという経験がある。
(嫌だっていうのは分かるし、文句だって聞いてやるのに・・・・・)
それこそ、中学に入学するまで自身の親にも言わないことを貴央には何でも言ってくれていたのに。
(・・・・・なんだか・・・・・)
優希の全幅の信頼が無くなってしまったのかと思うと、かなりショックだ。
貴央は濡れた頭をプルプルと振ると、いい加減長風呂になってしまったので出ることにした。
「あ、お帰り」
貴央がタオルで髪を拭きながらペタペタとリビングに向かうと、今日は遅くなると言っていた父が帰っていた。
まだ腰を下したばかりなのか、スーツの上着はソファに掛けていたものの、ネクタイは少し緩めただけの姿だ。
(・・・・・父さんみたいに頼り甲斐があったら・・・・・)
優希ももっと自分を頼ってくれたのにと思っていると、父がふと目を細めて言った。
「どうした?」
ヤクザという生業から、外では厳しい表情の多い父だが、伴侶である真琴に向ける眼差しはとても優しくて甘い。
それは、子供である自分に対してもそうで、眼鏡を外した目が促すように自分を見つめていた。
たった一言だけでもこんなにも自分の気持ちを軽く出来る父はやはり凄い。生きてきた年月の違いはあるかもしれないが、多分
人間としての資質も関係があるはずで・・・・・。
(だからユウも、俺に相談もしないのかな)
「父さん」
「ん?」
「俺って・・・・・頼りないよね」
優希の名前を出すのは躊躇われ、それでもどうしても気になったことを口にしてみる。
すると父は頬を綻ばせ、そうなのかと反対に訊ねてきた。
「俺は、俺のいない間の真琴のことを守ってもらうほどには頼っているぞ」
「・・・・・っ」
何よりも真琴のことを大切に思う父の、それは最上の褒め言葉だと思う。
「・・・・・ありがと」
なんだか顔が熱くなってくるような気がしたが、それでも嬉しい気持ちを伝えたくてそう言うと、父はただ笑って頷いてくれた。
「あー、2人で何内緒話してるんだよ」
そこに、父の遅い夕飯の支度を終えた真琴がやってくる。
貴央は何でもないよと言いながら、大好きな真琴にじゃれつくように背中から抱きついた。
その夜、貴央は考えた。
誰かのために動くことは、もしかしたらその誰かのためにならないこともあるかもしれない。
してあげるということは、ただの自己満足かもしれない。
それでも、ずっと側にいるということは伝えたい・・・・・大切な相手ならばなおさら、と・・・・・。
優希は深い溜め息をつき、鏡に映る情けない自分の姿を見つめた。
どこで用意したのか、ピンク色のフリルがたっぷりのワンピースを着て薄化粧までされてしまった鏡の主は、きっと誰が見ても男と
は思われないだろう。
「すごいっ、可愛いーじゃんっ、綾辻!」
「ホント、女の子にも負けないって!」
「・・・・・」
支度を手伝ってくれた同級生たちが口々にそう言うが、優希にとってはどう見ても女の子にしか見えない自分が嫌で嫌で仕方が
なかった。
(こんな女装が伝統なんて・・・・・聞いてないよ・・・・・)
男子校ゆえか、今回の桜祭りを始めとして、体育祭や文化祭というイベント事に、様々な「女装」が企画されているらしい。
その大半は笑いを誘うものが多いそうだが、4月の桜祭りだけは入学まもない1年生の中から本当に容姿的に女装が似合う者
が選ばれることになっているとニコニコ笑いながら担任が言った時、優希は本当に泣きそうになってしまった。
こんな容姿だから、男に見られないのか。
守られるだけしかないのか。
「綾辻?」
「・・・・・」
せっかく中高合同の行事で、学校内ではなかなか会えない貴央と一緒に楽しもうと思っていたのに、今日1日この恰好でいな
ければならないのなら会えるはずもない。
(たかちゃん、怒ってるかも・・・・・)
昨日、心配して声を掛けてくれた貴央を半分無視してしまった。
貴央の口から今回の女装のことを言われたら嫌だからだったが、そんな自分の態度に貴央は呆れていないだろうか。
今朝は用意のために早く登校しなければならず、父親に車で送ってもらったので貴央に会わないままで・・・・・なんだかよけい
に気持ちが落ち込んでしまっていた。
「泣いてばかりじゃ、たかちゃんに笑われてしまうわよ?」
あまりに優希がグズグズとしていたので父は苦笑しながらそう言ったが、嫌われるくらいなら笑われてしまった方がよほどいいと
今なら思う。
今回の女装のこともちゃんと話したら、嫌だという気持ちは今ほど強くは無かったかもしれない。
いや、自分の気持ちを一番よく知ってくれている貴央はきっと慰め、宥めてくれたはずだ。
「僕・・・・・」
「綾辻、時間だって」
「・・・・・え?」
「壇上に上がったら、高等部の桜姫と一緒に《楽しんでね》って一言だけ言えばいいから」
中学に入学してから初めての大きなイベントに、同級生は既に興奮しているのか頬が真っ赤だ。まだ子供っぽさの抜けない容
貌は自分の代わりに女装したっておかしくないだろうに、
「俺はぜーったい、ヤダ!」
その一言で断ったらしい。
(僕もそんな風に断れたら良かった)
だが、もう今日は当日で、ここまで来て逃げることは出来ない。
壇上に上がった自分を見て貴央がどんなふうに思うのか・・・・・そう考えるだけで優希は泣きそうな気分になった。
ウオォォォーーー!!!
「まずはっ、今年の中等部の桜姫、綾辻優希君!」
「・・・・・っ」
俯いたまま震える足で壇上に上った優希は、その途端うねるような歓声を浴びでビクッと肩を竦めた。
中高合わせて1000名弱の、それも男ばかりの歓声はあまりの迫力だ。
そうでなくても内心嫌々だった優希は、今にもここから走って逃げだしたくなってしまった。
(こ、怖い、よっ、たかちゃん・・・・・っ)
こんな時、優希が頼るのはやはり貴央しかいなくて、必死に拳を握り締めながら何度も口の中でその名を呼ぶ。
「たかちゃん・・・・・」
「続いてっ、高等部の桜姫、海藤貴央君!」
「・・・・・え?」
聞こえてきた名前に、優希は反射的に顔を上げた。
そこには、白いチャイナ服を着て、肩までの黒髪のウイッグをつけた、綺麗な綺麗な大人の女性になった貴央がいた。
「・・・・・たか、ちゃん?」
父親の海藤に良く似た整った容貌の貴央は、身長も高いし、強い眼差しのせいかとても女の子には見えないのに、堂々とチャ
イナ服を着こなしていた。
太腿近くまで開いているスリットからすんなりと伸びた足、真っ直ぐな背中。少し足を開いて腰に手をやっている姿は不思議な存
在に見えるのに、文句なく綺麗だ。
「ユウ」
そして、赤い口紅を塗った貴央は、自分のように顔を伏せないまま、真っ直ぐな目を向けて笑い掛けてくれた。
「せっかくの桜祭りだ、楽しもう」
「た、たかちゃん・・・・・」
「今日の俺達は飲み放題、食い放題だぞ」
そう言って、優希の手を握り締めてくれる。嬉しくて、昨日のことも謝りたいのに、声が出ない。
それでも、コクコクと頷きながら貴央の手を強く握り返すと、貴央は目の前のマイクを握り締めた。
せっかく男に生まれたのに、わざわざ女の子みたいだと言われるのが嫌だという優希の気持ちはよく分かる。
だが、貴央は優希の顔が好きだったし、可愛らしいとも思っていた。
【そのままでいいって、どうしたら分かってくれるだろう】
そう思った時、貴央は自分も優希と同じ立場になればいいんだと思い付いた。
高等部の桜姫は隣のクラスにいて、本人が嫌だと喚いている話は聞いていた。それならばと当日の朝貴央が身代わりを申し出
ると、嬉々として変わってくれ、さらには一週間分のジュース代まで奢ってくれると言った。
実際に来た服はさすがに気恥ずかしかったが、同じ思いを優希もしているのかと思うと我慢出来たし、さらには割り切って楽し
めばいいと気持ちを変えて。
今、目の前で目を丸くして自分を見上げている優希はやっぱり可愛くて、本当は似合ってると言いたいが止めておく。
「せっかくの桜祭りだ、楽しもう」
そう言った自分の言葉に半泣きになりながらも頷いてくれた優希の手をしっかりと握り締めると、貴央は目の前のマイクを握り締
める。
眼下には、制服やジャージ姿の男ばかり。
目が合った丹波が、面白そうに笑いながらも軽く手を振ってくるのが見えた。
(こんな恰好が出来るのも、今だけだ)
貴央は大きな声で宣言する。
「みんなっ、今日は楽しもう!」
それに返ってきた返事は先程よりも大きくて、口々に貴央や優希の容姿を褒めてくる。それらを聞いていると、貴央はやっぱり自
分の口で言っておこうと優希を振り返った。
「ユウ、その格好、可愛いよ」
end
未来予想図の一つ、第三段です。
入学して一週間後の桜祭りの話。