?&昂也編
『』は日本語です。
行徳昂也(ぎょうとく こうや)は、ふと気配を感じて後ろを振り向いた。
『・・・・・?』
(誰か、見ていると思ったんだけど)
そうでなくても静まり返っているこの建物の中では、誰かの気配を感じるということも難しい。それでも、だからこそ感じると
いうものがあるのだが・・・・・。
『気のせいか』
考えても分からず、それに命の危険を感じないのならば見て見ぬ振りをするのが一番だ。
あっさりとそう頭を切り替えた昂也は、お腹が空いたと言いながら厨房探しを再開した。
高校2年生の昂也が、竜人界という世界に来てしまったのは、もちろん自分の意思ではなかった。
この世界で色々な事情があったようで、そのせいで王子様のアオカが昂也が生活する世界へと来ることになり、その入れ
替わり要員として呼ばれてしまった・・・・・らしい。
どうして自分がと文句も言いたいし、早く家に帰りたいとも思うが、何時しか昂也自身がその流れの中に巻き込まれて
しまった状態で・・・・・今は、どうしようもないかとさえ思い始めている。
ただ、言葉が通じないのはどうしたものかと思い、せめて《お腹が空いた》くらいは早く覚えようと思っていた。
「行ったな」
「そのようだ」
「どうしてあの人間を自由に歩かせている?紫苑はどうした?」
「紫苑も神殿での仕事があるし、そうそうあの少年に付いていることは出来ないんだろう」
白鳴(はくめい)の淡々とした言葉に、黒蓉(こくよう)は苛立たしげに唇を噛んだ。
常に竜の王に寄り添って護衛し、雑事の補佐も行う守役の黒蓉と、政務全般を取り仕切る宰相の白鳴。
そこに、神事全般の責任者の神官長の紫苑(しおん)と、軍を統べる将軍浅緋(あさひ)を加えて四天王と呼ばれてい
る自分達にとって一番大切なのは、次期竜王の皇太子、紅蓮(ぐれん)だ。
その紅蓮は以前から人間を毛嫌いしており、黒蓉もその影響を色濃く受けているが、先日、盗まれた翡翠の玉を探し
に人間界へと向かった碧香の代わりにこちらにやってきた人間の少年、コーヤは、今までの自分達の常識を覆すような
言動ばかりをしている。
紅蓮を敬わないし、相手との距離を取ろうともしない。
恐れてもいい自分達に堂々と歩み寄ってわけの分からない言葉を言う様は、黒蓉にはとても理解出来ないことだった。
自ら世話を買って出た紫苑には四六時中見張っていろと言いたいところだが、彼にも職務があることは分かっている。
(だが・・・・・どうしてこちらが隠れなければならんっ?)
話したくない、接触したくないという理由があるにせよ、自分達が隠れなければならないのはおかしい。本来は向こう側
が宛がわれた部屋でじっとしているものだ。
「そう苛立つな、黒蓉。コーヤは私達に何も出来ない」
「なぜ、私達があ奴から隠れなければならないっ?」
「私は、お前に腕を引かれたからだが」
「白鳴っ」
「確かに、人間は愚かな存在だと聞くが、私はあの子供と相対することは苦ではないけどね」
年上の余裕なのか、白鳴は少しだけ面白そうに口元を緩めた。自分のことを笑ったのではないと思うものの、何だか黒
蓉は、自分の方が逃げているのだと言われた気がして、鋭く舌を打つと顔を上げ、今コーヤが姿を消した方へと向かって
いった。
厨房はどこだろうとキョロキョロ視線を動かしながら歩いていた昂也は、
「シオン!」
反対側からこちらへと向かってくるシオンに気付いて駆け寄った。
まだ会ったのは数えられるほどの人数しかいなかったが、その中で唯一自分に対して穏やかで優しい態度を取ってくれる
相手。まるで唯一の味方を見付けた気分で、昂也は満面の笑みを向けた。
「シオンッ」
「コーヤ」
お互い、まだ名前しか満足に言えないし、聞き取れないが、それでも昂也は分かろうとしてくれるシオンに対して心を開
いていた。
『お腹空いたんだけどさ、何かないかな?』
食べる仕草をし、腹をポンポンと叩くジェスチャーをすると、シオンは直ぐに頷いてくれた。
「食事か?それならば今から・・・・・」
「紫苑!」
『?』
会話の途中で、怒鳴り声に近い声が割り込んできた。パッと振り向いた昂也の目には、黒の長髪、碧の瞳の、まるで睨
むように自分を見ている相手が映る。
(うわ・・・・・)
赤い目の男の後ろで、何時も自分を睨んでいる男。
何を言っているかは分からないが、明らかに自分を敵視していることは昂也も感じていた。しかし、その理由が全く分から
ないので、怖いというよりは不思議な生き物といった感じに見えてしまう。
(でも、わざわざ俺に何の用だろ?嫌なら口きかなけりゃいいのに)
自分の方が逃げたということは認めたくなくて、思わず後を追ってきたが、今目の前の少年は紫苑の服の裾をしっかりと
握り締め、自分に対しては眉を顰めて視線を向けている。
黒蓉はますます苛立った。
「ここはお前などが気安くうろつく場所ではない。宛がわれた部屋で大人しく・・・・・っ」
「何を騒いでおる」
「・・・・・っ!紅蓮様!」
コーヤのことばかり見ていたせいか、黒蓉は紅蓮が直ぐ傍まで来ていたことに気付かなかった。それが申し訳なく、そし
て恥ずかしくて、黒蓉は直ぐにその場に跪いた。
「騒ぎ立てまして申し訳ありませんっ」
「・・・・・おい、こ奴がなぜここにいる」
背後に数人の召使を連れて立っている紅蓮は、コーヤを見て目を眇めている。
「紅蓮様、この者は私が連れて行きますので」
突然現れた紅蓮にそう言うと、紫苑がコーヤの肩を抱いた。
自分の宮殿の中を人間が自由に動いていることが面白くなく、それと同時に、自分の目の前から勝手に連れだされよ
うとしていることにも苛立ちを感じ、
「待て、紫苑」
そう言いながら紅蓮は手を伸ばした。
『・・・・・てっ』
「・・・・・」
丁度その時コーヤが身じろぎをしたので、紅蓮の長い爪先が頬を掠り、そこに赤い線が出来る。自分達とは違う、人間
の赤い血の色を見て、紅蓮だけではなく、黒蓉も紫苑も動きを止めてしまった。
『いったあ〜、男なんだから爪くらい切っておけよなっ』
眉間に皺を寄せながら何事かを言い、コーヤは自分の指先を口に含むと、唾液で濡れたその指先で赤い血の滲む頬
に触れる。
(何をしているのだ?)
怪我というほどのものではないだろうが、傷が出来た場合はそれなりの手当て、薬草などを塗るのが普通だった。
(人間は、自分の唾液で治癒が出来るというのか?)
『まー、舐めてたら治るけど』
赤い血と。
赤い唇と。
赤い、舌。
この世界にやってきた直後にコーヤを犯した時、その下半身は容量以上の自分のものを受け入れるのに悲鳴を上げて
傷付き、裂けた部分から赤い血を流していた。
しかし、その唇は・・・・・。
(・・・・・味わっては、いなかった)
人間などと唇を合わすことはとても考えられないと思っていたが、今この瞬間、紅蓮はあの時味わっていればとふと考え
てしまう。
「お目汚しになるでしょう。コーヤ」
黙って立ちつくす紅蓮をどう見たのか、紫苑はそう言うと一度丁寧に頭を下げ、そのままコーヤの背中を押して歩き始め
る。
『シオン、俺腹が減ってたんだけど』
「部屋に戻る前に、何か食べるものを用意しよう」
言葉が通じていないはずなのに、コーヤと共に歩く紫苑はまるで普通に会話をしているように見える。
その横顔が普段の静かなものではなく、どこか温かな雰囲気を感じさせるもので・・・・・紅蓮も、黒蓉も、言葉も無く、た
だ見送るしか出来なかった。
end