日高&郁編
「あ!『君夢の3』が出てる!」
「!」
急に後ろで上がった女の子の歓声に、坂井郁(さかい かおる)はビクッと肩を震わせた。
(今の・・・・・?)
「あ、ホントだ!私も1と2持ってるよっ」
「ケンイチの声の日高さんがいいんだよね〜。色っぽくで、ドキドキするもん」
(日高さんか・・・・・)
「でも、ラン役の郁君だって可愛くない?喘ぎ声なんてさ、もう本物みたい」
「うん、あの泣き声は絶品!」
(お、俺は郁、ちゃん?)
「2人とも生のルックスもいいよね〜。対談とかでも仲がいいし、案外デキてたりして」
「やだっ、ホントにそうだったら面白いよね?」
「この2人が出てるドラマCD、私ほとんど持ってるよ」
「それ貸してよ〜!」
郁はまだはしゃいだように話している女の子達に見付からないように、被っていた帽子を深く被り直してゆっくりとその場か
ら離れた。
「買ってる子、ホントにいるんだ・・・・・」
あれだけ録音をして、実際にCDも貰ってはいるものの、郁は本当にあんなCDが売れているとは疑問だった。
幾らボーイズラブという言葉に変えても、結局は男同士の恋愛話、いわゆるホモの話だ。それが、実際にどれだけの需要
があるかなど、郁には全く想像がつかなかった。
今日は約束があって街に出たが、少し時間があったのでCDと本屋が一緒になっている大型店を覗いてみた。
男の自分が堂々とその売り場に立つのは恥ずかしかったので、その向かいの写真集の棚に前に立ってこっそりと視線だけ
を向けたのだが、実際あれほどのタイトルが出ているとは思わなかった。
煽り文句も、チラッと見ただけだが赤面するほどの過激なもので、郁はこれが本当に普通の女の子が買うのかと呆然と
し・・・・・その間に、今の少女達がやってきたのだ。
彼女達が話しているのは、日高とのコンビで録った『君と見る夢』。学園物のドラマCDで、もちろん・・・・・ボーイズラブ
ものだ。
声を褒められるのは素直に嬉しいが、どうして日高は『さん』付けで、自分は『君』なのだろう。
確かに、日高征司(ひだか せいじ)は自分とは違い、人気も実力もトップクラスの声優だが・・・・・。
それに、生身の自分達で怪しいことを想像されても困る。
(こ、こんなとこで、堂々とあ、喘ぎ声なんて・・・・・っ)
「じゃあ、これ私買おっと!」
「・・・・・」
(あ、ありがとう!)
目の前で自分のCDが買われるのは感激だ。郁は今にも彼女達に駆け寄って礼を言いたいくらいだったが、ぐっと我慢し
て口の中だけで呟く。
「じゃあ、私はまだこれ、『ここから禁止!』買ってないからこれにしよっと」
「!」
(それも、俺の・・・・・ありがと!)
それも、日高とのコンビのボーイズラブものだ。
(本当に売れてるんだ・・・・・連続してタイトルが出るのも当たり前なのかも・・・・・)
去っていく少女達を横目で見ながら感心したように頷いていた郁は、ゆっくりと後ろから近付いてくる人影に全く気付か
なかった。
「郁」
「ひゃっ」
思わず、腰が砕けそうなほどの甘い声が耳元で聞こえ、郁は反射的にそう叫んでしまった。
耳を押さえながら振り向くと、そこにはサングラス姿でも隠すことが出来ない美貌の主が笑いながら立っている。
「ひ、日高さんっ、急に耳元で囁かないで下さいっ」
「ん?なんか可愛い顔してたからさ」
「・・・・・なんですか、それ」
「俺との待ち合わせ、忘れてなかった?」
「・・・・・あ」
郁は慌てて店の時計に視線を向けた。
店の中に入った時はまだ30分近く余裕があったのに、今はもう15分約束の時間から過ぎている。
「す、すみません!」
ここから約束の場所までは5分ぐらいだからと思っていたことが反対にまずかったらしい。いや、自分のCDに感激し、それ
を買ってくれる人間を見ていたら時間のことなどすっかり頭の中から忘れ去ってしまったのだ。
いくら今回の約束が、日高が強引に誘ってきた『休日の恋人同士の会話』の研究という名目だったとしても、時間に遅
れてしまったのは本当に自分のミスだ。
「本当にすみません!」
「なに、実際にCD買ってもらって感激した?」
「は・・・・・はい」
「そっか」
その時、店の中に高い喚声が聞こえた。
「あれっ、日高征司じゃないっ?」
「嘘!写真よりずっとイケテル!」
人気声優として写真集まで出している日高の顔を知っている人間がいたらしい。
郁はパニックになったらまずいと、慌てて日高の手を引っ張った。
「誰っ?あれ、彼女っ?」
「え〜!!」
(お、俺、男です〜〜〜〜〜!!)
「日高さん早く!」
自分の手を引っ張る郁の焦りとは裏腹に、日高は内心この状況を楽しんでいた。
慌てる郁には悪いが、こんなことでもないと郁の方から手を繋いでくることはないだろう。わざと一瞬だけだがサングラスを外
した甲斐があって、目聡いファンは気付いてくれたらしい。
「これ、買おう!」
自分のCDを少女達が手にした瞬間の郁の嬉しそうな顔は、少し離れた場所からこっそりと見ていた。
本当に、思わず抱きしめたくなるほど可愛らしかった。
(さて、これからどうするかな)
真面目な郁は、何事も経験しないとリアリティーが無いからと言うと、頭の中ではおかしいと思いながらも素直に日高の
言う通りにする。
(喘ぎ声も実践してみるかって・・・・・言ってみるか)
その時郁がどんな表情をするか、日高は想像するだけで楽しかった。
end