綺麗な人が大好きで、見ていたらどんどん惹かれていった。
好きだと伝えるのは半ば自己満足だと思っていたし、相手がそれに応えてくれるとは・・・・・実は思っていなかった。
それは、自分が男で、好きな相手も同じ男だから。友人にはなれるかもしれないと思ったが、さらに深い関係になるとは考えて
もいなかった。
「止めとけ、あいつはタラシだって」
「女以外、目なんか向けないぞ」
「顔は綺麗でも性格は最悪。男同士っていうのは置いておいても、人間として駄目な奴だよ」
始めはそう言って自分を止めていた友人達も、諦めないで追い掛ける自分を呆れたように笑って見て。今では頑張れと応援
してくれている。
自分の気持ちを分かってもらえた気がして、絶対に頑張ると大声で誓った。
追い掛けて、追い掛けて。
冷たい想い人は自分の言葉になどいっさい耳を傾けず、何時も冷たい眼差しを向けるだけで、自分以外の女達と奔放な関係
を続けていた。
それも仕方ないなと、分かっているつもりだった。
綺麗な彼には、綺麗な女の人が似合う。彼が綺麗な女の人と一緒にいるのを見ただけでほうっと溜め息が付き、またなと笑っ
て手を振れるほどに、自分はあの光景をごく普通だと受け入れていた。
心のどこかでそんな風に諦めていたのに、なぜか、本当になぜかは全く分からないが、その人は自分を振り返ってくれた。
いや、こちらを振り向いてくれるとは全く考えていなかっただけに、向き合ってしまうとどうしたらいいのか分からない。
永江基紀(ながえ もとき)は追い掛けてばかりいた自分の気持ちをどう変化して言ったらいいのか分からなくて、ずっと相手か
ら逃げ続けていた。
自分の容姿がどんなものか、まだ幼い頃からちゃんと自覚していた。
どんな性格なのか、内面を知られる前に、綺麗な顔だけを目的に言い寄られ、その中身の無さに何度も裏切られてしまううち、
何時しか相手に何も期待しないようになった。
身体が気持ち良ければいい。
軽い言葉などいらない。
そんな自分の目の前に、いきなりあいつが現れた。
「好きです!」
「あんたに一目惚れしたんだ!お願いします!俺と付き合ってください!」
少し直情的だが、これまでも数え切れないほどに聞いてきた愛の言葉。
違っているのは、それを言ったのが自分と同じ男だということと、信じられないほどに空気の読めない馬鹿だったことだ。
会うたびに好きだと言われ、付き合ってと懇願され。自分と同じ男には全く興味がないので断り続けた。
話している時に女が間に割って入っても、直ぐに諦めて立ち去って行くそいつの思いなど、本当はとても軽くて一過性のものだ
と思っていたのに・・・・・。
どうやら、馬鹿というのはうつるらしい。
何度も何度も告白されるたびに、あいつの存在を頭の中で認識して、突然姿を見せなくなった時は意外なほどに動揺してし
まった。
あれほど好きだと言ったくせに、どうして今日は言わないのだろう。
あの真っ直ぐな眼差しを、自分以外に向けているというのだろうか。
それがどんな気持ちなのか、知りたくて、わざわざ立ち止まってあいつを見た。
「俺と、セックスしてみる?そうすれば、お前が俺に本気かどうか、俺がお前をどう思っているのか、どっちも分かるような気がす
るんだけど」
しかし、そう言った途端に、あいつは逃げた。
セックスのことなど考えたこともないと言われ、あからさまに動揺した風でいまだに逃げ回っている。
追い掛けられていたのは自分の方なのに、今はあいつを追い掛けているという立場の違いが、腹が立つのに・・・・・なぜか、
面白くも感じて。
何時の間にかこんなにも心の中に入り込んできたくせに、自分の許容範囲を越すと、あっさりと逃げてしまう子供なあいつ。
誰かの背中を追い掛けるという初めての経験をしながら、今更逃がすわけが無いと心に誓っていた。
その一方で、こんなにもイラつき、焦り・・・・・それでも気持ちが萎えないものだということを知った。
絶対に、あの元気で無知な子供を捕まえるぞと思う。
(今更逃げは許さないからな)
ここまで来て、散々自分の心の中を引っ掻き回して、はい、さよならと言わせるわけにはいかないと、吾妻(あがつま)は今日も
隠れているあの小さな背中を必死で捜すことになるのだ。
「はあ〜」
自分の目の前で項垂れた基紀を見下ろした、友人の志水達郎(しみず たつろう)はニヤッと人の悪い笑みを浮かべた。
「何疲れてるんだよ」
「だって、休みのたびに違う便所に隠れてるんだぞ?いい加減疲れるって」
「自業自得」
「え〜っ?」
「自分から好きだって告白して追い掛けていたくせに、向こうが振り向いた途端に逃げ回るなんて。性質の悪い女みたいだぞ、
お前」
「・・・・・」
基紀は唇を尖らせるが、その言葉に反論はなかった。
確かに志水の言う通り、最初に追いかけまわしたのは自分だが・・・・・あんな言葉を聞いて、それでもヘラヘラと笑いながら吾妻
を追い掛けることなど出来なかった。
「寝てみる?」
(あ、あんなこと言うなんて・・・・・)
寝るというのが、一緒の布団で寝るというのとは全く意味は違うはずだ。さすがに基紀もそのニュアンスは分かっていたし、どち
らが上でどちらが下かとも想像がついた。
「俺が吾妻と、セ、セック・・・・・なんてっ、出来るはず無いじゃん!」
「どうして?」
「どうしてって・・・・・」
「男同士でもセックス出来るって知ってるだろ?」
「お、おまっ、こんなとこで堂々と言うな!」
いくら昼休みの教室とはいえ、自分達以外にも人はいるのだ。変なことを言って変な目で見られてはたまらないと慌てて視線を
巡らしたが、どうやら今の志水の言葉は聞こえなかったらしい。
ホッとした基紀は、先程よりも随分声を落として言った。
「知らないことはないけど、ぐ、具体的には知らない」
「へ?」
「だ、だって、男には女と違って、その、あそこが無いわけだろ?男同士って・・・・・擦り合うだけ?」
真剣に聞いたのに、志水はいきなり盛大に笑い始めた。
まさかここまで子供だとは思っていなかった。
(吾妻も、こんな子供相手に大変だ)
男同士のセックスというものを正確に理解していない基紀は、今はその響きだけで恐れて逃げ回っているらしい。これでは吾妻が
どんなに説得しようとしても意思の疎通は一方通行で終わってしまいそうだ。
セックスを十分知っている吾妻と、歳の数だけチェリー歴な基紀。
(・・・・・くっ付いたら面白そうだけど)
「なあ、基紀」
「ん〜」
モソモソとサンドイッチを口にしている基紀は、上目づかいにこちらを見た。唇の端に卵が付いているその格好はガキそのもので、
自分はまったくそそられないが。
「お前、ちゃんと吾妻と話せ」
「え〜っ?何話していいのか分かんないんだって!」
「じゃあ、話題を提供してやる」
「はあ?」
吾妻は苛立っていた。
受けている講義が違うのでなかなか基紀を捕まえることが出来ないからだ。
(いったい、どこに隠れてるんだ、あいつは)
吾妻が基紀を追うようになったのは、何時しかキャンパス内でも周知のことになった。それまで基紀が子犬のように吾妻を追い
掛けていた姿が見られていたが、それがすっかり逆になったことは皆の興味を誘ったらしい。
ただ、吾妻に直接それを聞いて来る者はおらず、もっぱら基紀が質問攻めにあっているようだが(志水から聞いた)、自分から
逃げている基紀にはざまあみろと思ってしまうのは仕方が無いだろう。
「基紀なら3階の自習室で見たぞ」
「さっき、学食にいたけど?」
もたらされる情報の通りに動いてもタッチの差で逃げられてしまい、今吾妻は志水を問い詰め、基紀の家に直接押し掛けてや
ろうかと思い始めていた。
「あ、吾妻」
「・・・・・っ」
その時、名前を呼ばれた。少し震えているその声の主は、本当に後ろにいるのだろうか。
何度も逃げられたので振り向くのが怖かったが、それでも吾妻は一縷の望みを抱いてゆっくりと振り返った。
「・・・・・今日は逃げないのか?」
「う、うん」
「・・・・・」
「お、俺、吾妻と話そうと思って。あのっ」
「ストップ」
唐突に話を遮ると、拒絶されたと思ったのか基紀は泣きそうに顔を歪める。今まで散々逃げたくせにと文句を言いそうになった
が、ここでそれを言ってしまうのはあまりに大人げないだろう。
それよりも、興味津々に自分達を見ている周りの視線から早く逃れたくて、吾妻は俯く基紀の手を掴んだ。
「あ、吾妻」
「こっち」
誰もいない、2人きりになれる場所。この構内でそんな場所があっただろうかと吾妻は柄にもなく必死に考えた。
吾妻につれて行かれたのはある研究室だった。
丁度そこを使っている教授は研修旅行中だと聞いていたが、なぜか吾妻はポケットの中から鍵を取り出すと堂々とそれで開けて
中へと入った。
「そ、それ」
「留守中の餌やりを頼まれてる」
「餌」
「そこ」
吾妻が指さした方を見れば、小さな水槽の中に金魚が泳いでいる。ああ、これかと直ぐに納得がいった基紀は、その瞬間ここ
が2人きりだということを忘れてしまっていた。
「!!」
いきなり肩を掴まれ、そのまま抱きしめられてしまった。
抵抗する暇もなく、本心ではこうして吾妻にギュッとしてもらいたかった基紀は、顔を真っ赤にして瞳を泳がせ、身体を固くしたま
まだが・・・・・その腕から逃れようとはしなかった。
「ようやく捕まえた」
「う、うん。捕まえ、られた」
「どうして逃げた?お前、俺のことが好きなんだろう?」
少しだけ拗ねたような響きに聞こえたのは気のせいではないかもしれない。気を持たせてしまった自分の行動を反省し、基紀は
正直に自分の気持ちを伝えようと思った。
「・・・・・好き、だけど・・・・・吾妻が俺のこと、振り向いてくれるって・・・・・思わなかったし」
「・・・・・自信が無かったのか?」
「うん、多分。だって、俺、その・・・・・セ、セック・・・・・フレンド?ってやつになれるような経験なんて、無いし」
「・・・・・はあ?」
「だ、だって、吾妻って言い寄ってくる相手にそう言ってるんだろ?俺は最初から眼中にないって感じだけど・・・・・その、どの辺
でアピール感じたんだ?」
吾妻の方からわざわざ声を掛けてもらうほどに、基紀は自分の身体に自信はない。あれほど積極的にアタックをしたせいか、慣
れていると思われても仕方が無いが、それでも今まで吾妻が相手をしてきた者達には顔も負けるし、技術なんてそれこそ全く無
いのだ。
「志水にも言われた、吾妻とちゃんと話せって。俺があの、ま、全くの素人だってことをちゃんと伝えてみろって。吾妻、俺、吾妻
のこと好きだけど、エ、エッチ、出来ないよ」
吾妻は何と言うだろうか?
それならば用は無いと言って背中を向けるのか、騙されたと怒るのか。それでも、逃げ回っていたせいで余計に話をややこしくし
てしまったのは自分のせいなので、基紀はちゃんと謝らなければと思った。
(こいつ・・・・・本当に馬鹿だ)
吾妻は目の前で肩を落とす基紀を見て深い溜め息をついた。
確かに、試しにセックスをしてみないかと言ったが、ちゃんとその前に、お互いがお互いをどう思っているのか知りたいと言ったは
ずだ。どこでどう間違えて、セックスフレンドにするなんて発想になったのか、吾妻はますます基紀の思考が謎になった。
しかし、もう一つ分かったことがある。それは、基紀が自分とのセックスを嫌がったわけではなく、セックスをして未熟な自分が呆
れられてしまうことが怖いと思っているらしいということだ。
(始めから、お前にセックスの技巧なんて期待していないって)
「永江」
「・・・・・な、なに」
「お前、男同士のセックスがどういうものか知ってるのか?」
「え?」
反射的に顔を上げた基紀は、目が合うと顔を赤くして視線を逸らしてしまう。そんな姿が可愛いと思っているなんて、今まで焦
らされた仕返しに伝えてやろうとは思わない。
「え、え〜っと・・・・・なんとなく?」
「俺は知らない」
「え?」
「今までセックスをしたのは女だけだ。それなら、なんとなくでも知っているお前の方が俺よりも知識はあるということだろ」
「・・・・・そうなのか?」
女相手でも、後ろを使ってセックスをしたことはある。要はあの要領なのだろうと見当はつくものの、それは基紀には言わない。
「それに、俺は男のセックスフレンドが欲しいわけじゃないし」
「・・・・・じゃあ、俺は?」
どうして自分が声を掛けられたのか、本当にこのガキは分かっていないのか。こんな駆け引きは初めてで、苛ついて仕方が無い
のに・・・・・。
(・・・・・くそっ)
それが面倒で無いと思うほどには、自分は基紀を気に入っているのだ。
「お前は本当に馬鹿だな」
「そ、そんなに馬鹿馬鹿言うなよ〜」
「馬鹿だから馬鹿といった。その答えくらい自分で考えろ」
誰にも本気にならなかった自分をここまで振りまわしたのだ。多少苛めても構わないだろう。
「とにかく、今日から逃げるな」
「吾妻ぁ」
「今度逃げたら、後悔するほどに苛めてやる」
「い、苛め・・・・・」
何を考えているのか、基紀は情けない表情になったが、とりあえずこのまま逃げる様子は見えない。
(後は俺が教育すればいいか)
どんなふうに自分が変わるのか、それが人に影響されてというのならば面白くは無いが、自ら望んだ変化ならば受け入れてもい
い。
久し振りに上機嫌に笑うと、吾妻は無意識のうちに基紀の髪をかき撫でた。
(あ、吾妻に撫で撫でしてもらっちゃった・・・・・!)
それだけで、飛び上がりたいほどに嬉しいが、そんなことをすれば吾妻が怒ることは分かっているので必死に我慢する。
「あ、あのさ、吾妻、今日、お昼ご飯・・・・・」
「先約あり」
「・・・・・そっか」
(仕方ないよな、急に言っちゃって・・・・・)
落ち込んだ基紀が、それでも諦めた時、急にぽかんと頭が叩かれた。
「そこで引き下がるな、馬鹿」
「え?」
「そういう時は、俺を優先しろって言え。・・・・・出来る限り、そうしてやるから」
「吾妻〜っ!」
「行くぞ」
早口で言った吾妻は、直ぐに背中を向けて歩きだす。しかし、一瞬見えたその横顔が少し赤くなっていたような気がして、基紀
は思わずニンマリと笑ってしまった。
(なんか、吾妻可愛いかも)
一方的だった想いは相手が振り向いてくれた時点でいったん途切れ、今度はお互いが向き合う形になった。
今のところは何とか引き分けに持って行けたような気がするが、頭の良い吾妻に自分は勝てるのかどうか。
(でも・・・・・負けないし!)
好きになったのは自分が先だし、吾妻の思いはまだまだ好きという所にまではきていないはずだ。
この先の見えない勝負、仕掛けた自分が絶対に勝ち、吾妻を振りまわしてやると心に誓った基紀は、改めて目の前の背中に向
かって叫んだ。
「吾妻っ、大好き!」
end
大学生同士。この2人のシリーズは三回目ですが、これで一応の決着がついたかなと。
お互いがお互いを振りまわして、まだまだ恋人同士という関係には遠い感じですけどね(苦笑)。