突過去を消したいと思ったことはない。
過去をバネになんて、カッコをつけようとも思ってない。
ただ、あった・・・・・それは事実。
麗らかな春の日なんて年寄りくさいだろうか。
茅野広海は大きな欠伸をしながら、桜並木の下をゆっくり歩いていた。
さすがに今日の入学式を遅刻させる訳にはいかず、何事も完璧を誇る兄に早朝から起こされた。寝起きの悪い(兄よりは
ましだと思ってる)広海は、当初かなり不機嫌だったが、通常は自転車通学の道を今日は歩いて行かねばならず、結果と
してかなり余裕を持って歩いて行けることに、広海は『やっぱアニキのやることにはそつがない』と感心していた。
【行っておいで、広海。気を付けるんだよ】
・・・・・ただ、まるで小学生のような気分だったが。
「茅野!」
耳に慣れ親しんだ声に振り向くと、そこには思った通り、同じ中学からは唯一同じ高校に通うことになった小林芳樹が駆
け寄ってきた。
「おはよう」
「オス。お前今日は早いんじゃないか」
怪訝そうにいうと、小林はさすがにと苦笑した。
「入学式から遅刻なんて、目立つとは出来ないよ」
「・・・・・」
(今でも十分目立ってるって)
中学の頃からその長身と王子様のようなルックスで近隣ではかなり有名だった小林だが、高校生になって更にパワーアッ
プしたのか、すれ違う女生徒達はかなりの確率で視線を向けてくる。
(うっとうしい)
せっかくの気分の良い朝の空気を乱されたような気がして少しムッとした広海だが、さすがに小林にあたるのも大人気ない
かと、黙ったまま歩き出した。
「クラス、同じになれるかなあ」
「・・・・・」
「せっかく茅野と同じ学校になれたのに、離れたらさびしいよなあ」
「何、女みたいなこといってんだ?クラス別だって変わんないだろ?」
「分かってないな、茅野は。高校生活の始まりの一年なんだよ?バシッと見せつけとかないと」
「意味わかんねえよ」
隣に立つ小林は春休みの間にまた背が伸びたのか、見上げる視線の高さが変わった気がした。
そうでなくても途中でやめたクラブ活動が響いたのか、縦だけでなく横も随分と差を付けられた。
面白くない思いが再び沸きあがり、広海は前を向いたまま、肘で小林の横腹をどついた。
「いてて、茅野、酷いなあ」
言葉とは裏腹に嬉しそうに頬を緩ませている小林が薄気味悪い。
広海は無視が一番だったと後悔しながら、少し歩く速度を速めた。
「ちょっと、茅野〜」
「・・・・・」
「一緒に行こうって」
「・・・・・ウザイ」
「まあまあ」
広海の肩に手を置いて、少し抱き寄せるような仕草をする小林。
その途端、ザワッと空気が揺れた。
「俺さあ、なんとなく同じクラスのような気がするんだよなあ。赤い糸で結ばれている感じ?」
周りの同様など眼中にもない小林は、また広海の理解を超えたことを言っている。
(あ〜もう)
結局無視しきれず、広海は深い溜め息をついた。
運というのは誰にでも平等に訪れるのか・・・・・いや、悪運というものは常に望むものに訪れるのか、広海は校舎の正面
玄関に張られたクラスワ分けの表を呆然と見上げた。
「ほら!やっぱり同じクラスだ!神様っているんだよ!」
朝からハイテンションで嬉しさを表す小林を後ろに引き連れ歩き出すと、同じ新入生達もワラワラと後に続き出す。
『あの人カッコいい!どこのクラス?』
『ヒットだよ〜!声掛けてみる?』
きゃあきゃあと騒いでいる女生徒の声とは反対に、探る様な視線を向けてくる男子生徒達。
『あの目つき、ただ者じゃないぜ』
『視線合わせたら因縁つけられるんじゃないか?』
『まさか同じクラスじゃないだろうな』
『うわっ、だったら俺どうしよ』
(どうも出来ないんじゃないか?)
勝手に聞こえてきた言葉に、頭の中でそう返してやる。
見掛けだけで勝手に想像している奴等に、いちいち睨みつけるのも馬鹿馬鹿しい。
教室に着き、ドアを開けようとした広海の手を突然掴んだ小林は、怪訝そうに睨む広海ににっこりと笑いかけた。
「一年よろしく、茅野」
「何だよ、改まって」
「いいじゃない。よろしく、茅野」
繰り返し続ける小林に、広海はぷっと吹き出した。マイペースなこの男には敵わない。
「おう。よろしくな」
やんちゃなその笑顔は、ごく親しいものしか拝めない貴重なものだ。意識しているわけでもない、自然にこぼれる様な笑顔
は、普段の広海からは想像できなくて、誰もが思わず惹きつけられてしまう。
例外なく顔を赤くした小林にもう一度笑い掛け、広海は教室のドアを開けた。
おわり