「Trick or Treat!」
 「・・・・・え?」
 高塚友春(たかつか ともはる)は、いきなり目の前に立ちふさがった白いシーツを頭から被った人物を見て足を止めてし
まった。
丁度人間の目の辺りがくり抜かれたその姿は、多分幽霊のつもりかもしれない。
ただ、こんな昼間から現れても少しも怖いという雰囲気ではなく、むしろ驚きの方が先にたって、友春はただじっとそのシー
ツお化けを見つめることしか出来なかった。
 「何だよ、驚いてくれないんだ」
 しばらくして、残念そうな声が聞こえた。
その声の主には十分覚えがあって、友春はようやく怪訝そうな表情を緩めた。
 「なに、それ?」
 「もうばれちゃったのか」
笑いながら布を外したのは友春の友人、小早川静(こばやかわ しずか)には間違いはなかったのだが・・・・・布を取った
その姿に、友春は更に驚いたように言った。
 「どうしたんだよ?」



 同じ大学に通う2人は、この春無事に2年生に進級した。
本当は、歳から言えば友春の方が1歳上になるのだが、諸事情があってもう1回2年生をやっていた。
大人しく、控えめな友春と、人形のように整った容姿をしながら、中身は少し天然が入っている静が、周りが親友だと見
るようなほどに付き合い始めたのはそんなに昔ではなかった。

 静の保護者であり、今は同棲中の恋人と、友春に異常な執着を抱いている求愛者が、仕事上の関係を持ったことで
知り合いになったのだ。
容姿と家柄のせいで本当の友人と言えるものは少なかった静と、大人し過ぎてなかなか1歩踏み出すのも勇気がいって
いた友春は、誰もが親友だろうという目で見れるほどに親しくなった。

 それまでは同じキャンパス内でもすれ違うことも無かった2人が、かなり頻繁に一緒にいる姿を見られるようになったのは
春も終わる頃からだった。
お互いの名前を呼び合い、笑いながら話す2人は、どちらもかなり目立つのでかなりの視線を集めることになったが、人の
視線というものに鈍感な静と、出来るだけ目立たないようにしたい友春は、結果的に周りをシャットアウトするように2人だ
けの空気を作っていた。



 だが、今日の静の姿は、嫌でも周りの目を引いていた。
何時ものようなノーブルな格好ではなく(それもかなり高価なものだというのは見る者が見れば分かるが)、シャツにジーパ
ン姿、その上から例のお化け仕様のシーツを頭から被っていたのだ。
その上、シーツを取った静は、赤くて丸い付け鼻と、頬にはカボチャお化けの絵を描いていた。
 「それ、どうしたの?」
 とても普段の静とは結びつかない姿に、友春は途惑ったように聞いてしまった。
すると、静は自分の姿を楽しそうに見下ろしながら説明をしてくれる。
 「学祭の執行部に友達がいて、どうしても宣伝を手伝ってくれって言われたんだ」
 「学祭の?」
(あ、そっか・・・・・明日からか)
 「そう。今日はハロウィンだし、お化けの格好で是非にって」
 「・・・・・」
(その友達って勇気あるな・・・・・)
サークルに入っておらず、友人も多くない友春は、明日から3日間学園祭があることをすっかり忘れていた。
どうりで今日も休講の講義が多かったなと、ようやくそれで理由が分かったくらいだ。
(でも、静がお化けの格好なんて・・・・・なんか変)
 「キャンパスの中だけ?」
 「ん〜、駅の周りまでって言われたんだけど、やっぱり少し恥ずかしいだろ?だから、俺かどうか分かるかちょっと確かめよ
うと思って」
恥ずかしいと言いながらも、静の口調は楽しそうだった。
それにつられた様に友春も笑った。
 「俺は声で分かっただけ。頭からすっぽり隠れてるんだから分からないよ」
 「そう?俺、結構この格好気に入ってるんだよね。江坂さんに見せたら驚くかな」
 「え、江坂さんに?」
 「うん」
恥ずかしそうに、しかしそれ以上嬉しそうに静は笑った。





 江坂凌二(えさか りょうじ)・・・・・彼は、関東随一、そして、日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の理事の1
人だ。
まだ36歳という若さではあるが、彼は組織内では理事という立場という他に、世に出れば会社の社長という立場もある
らしい。
普通の大学生である友春がなぜヤクザの幹部と知り合ったのか・・・・・それはもう1人の人物、アレッシオ・ケイ・カッサー
ノというイタリア人を介してだった。
 去年、知り合いのパーティーに手伝いに行った友春は、薬を使われてアレッシオの手に落ちてしまった。
意に沿わぬまま、同じ男であるアレッシオに身体を奪われた友春は、流暢な日本語を操るアレッシオに彼がイタリアマフィ
アの首領だと言うことを聞かされた。

 そのまま、イタリアまで連れて行かれ、友春はそのまま半年近くイタリアで囚われの住人となってしまった。
友春の想像以上にイタリアマフィアとしてかなり高い位置にいるらしいアレッシオ。側にいた友春は、かなり嫌なことも辛い
こともあった。
 そしてこの春、何度も何度も頼んでいた帰国をようやく認めてくれたアレッシオ。
だが、それで別れたというわけではなく、アレッシオは頻繁に日本にやってきて友春に会っている。
会うたびに身体を重ね、以前とは比べ物にならないほどに友春を気遣うようになってくれたアレッシオを何時までも憎むこと
も怖がることも出来ず、友春は今自分の気持ちさえ分からなくなっていた。

 そのアレッシオと江坂が仕事上の付き合いがあると分かったのは春を過ぎた頃。
そして、江坂が自分と同じ大学の、美人で評判だった静と恋人だと知ったのも同じ頃だ。
今では、他にも年少の明るい友人達が出来て、結果的にはこの出会いも良かったのだと思えるようになってきた。

 ただ、アレッシオとの関係をどうすればいいのかと友春は途惑っている。
後何回、自分の気持ちをちゃんと持っていられるだろうかと考えてしまう。
今度会ったら・・・・・どうなるか分からない気持ちが・・・・・。





 「な、どう思う?」
 「う、うん、びっくりすると思う」
 「やっぱり?このまま帰ろうかなあ」
 黙って立っていれば人形のように綺麗な静だが、知れば知るほど突拍子も無いことをさらっとしてしまう豪胆な性格だ。
(本当にこれで帰りそう・・・・・)
とても冗談には思えないなと友春が少し笑った時、不意に周りがざわめいたような気がして友春は振り返った。
 「あ」
同時に、静の弾んだ声がする。
 「江坂さん!」
 明日からの学園祭の準備でかなりの学生達が行き交うキャンパスの中、異質な存在が悠然と現れた。
明らかに学生ではない大人の、それも只者ではないオーラを消そうともしない男。
一見して、エリート弁護士のように知的で鋭利な雰囲気を持つ江坂は、じっと静に視線を向けているがその頬には笑み
が浮かんでいる。
普段は近寄りがたい雰囲気の彼が静に対してだけは違うことを知っていた友春は、周りで色めき立ったように騒ぎ始めた
女子学生達を気の毒に思った。
 「静さん」
 江坂に名前を呼ばれた静は嬉しそうに駆け寄ると、あっと思い出したかのように手に持っていたお化け仕様のシーツを
頭から被って言った。
 「Trick or Treat?」
 「ああ、ハロウィンですか。困りましたね・・・・・残念ながら何も用意してないので、素直に悪戯をされましょうか」
とても困ったようには思えない口調。
静は今視界が狭まっているので気付いていないかもしれないが、江坂の頬には先程とは違う種類の笑みが浮かんでい
ることに気付いた友春は、この後の静の運命を心配してしまった。
(絶対、全部知ってたような感じだけど・・・・・)
 だが、そんな友春の内なる声が聞こえたかのように、江坂の視線がゆっくりと自分の方に向けられてしまった。
 「高塚君」
 「は、はい」
静と友人関係になってから、江坂とも顔を合わす機会は増えた。
基本的に江坂は静以外の人間に対してはほとんど感情のブレは無いようだったが、これまで何回か会っているだけに、い
や、もう1つの大きな理由から、江坂は友春に対して邪険な態度は取らない。
それでも明らかに静へ向ける柔らかな視線とは全く違うが・・・・・。
 「あなたへのお客様を連れてきました」
 「ぼ、僕の?」
 「校門の外でお待ちですよ」
 「・・・・・」
(ま・・・・・さか、今日来るって聞いてないのに?)
 江坂がわざわざこんな所まで案内してくる人物。
その相手は1人しか考えられず、友春はどうしようというように思わず江坂を見てしまった。
友春も江坂が助言などしてくれないと分かっていたが、それでもいきなりのことに足が動かなかったのだ。
 「手を出しなさい」
 すると、意外にも口元に笑みを浮かべた江坂がそう言った。
どういう意味か分からないまま今だ動けない友春の面前で、江坂は自分のスーツのポケットから、とても彼が持っていると
は思わなかった数個のキャンディーを取り出し、そのまま友春の手に握らせた。
 「これで少しはマシでしょう」
 「え、江坂さん、これ持ってたんですか?でも、さっきは・・・・・」
 静の言葉に何も用意していないと言っていた・・・・・。
困惑する友春に、江坂は静には聞こえないような小さな声で友春に言った。
 「私は静さんに悪戯をして欲しいんでね」







 慌てて校門まで走った友春は、そこに大きなリムジンが止まっているのが見えた。大学にはとても似合わない車に学生
達が興味津々の視線を向けているのが分かる。
何時もの友春ならばそんな目立つ場所に自分から近付く事は無かったのだが、誰がいるのかを江坂から伝えられた友春
は思い切って車に歩み寄った。
 『・・・・・』
 近付いてくる友春の姿に、ガードだろうか・・・・・外に立っていた外国人の男の1人が後部座席のドアを開けた。
ゆっくりと中から現れたのは・・・・・。
 「・・・・・ケイ」
 「トモ」
碧の瞳を真っ直ぐに友春に向けてきた長身の男は、いっせいに向けられる視線をものともせずに友春に歩み寄ってきた。
アレッシオ・ケイ・カッサーノ・・・・・間違いなく、彼だった。
 「い、何時、日本に?」
 「2時間ほど前だ」
 「ぜ、全然、何も言ってなかったから・・・・・」
 「昨日、急に休みが2日取れることが分かった。空いてる時間は全てトモの為に使うと言わなかったか?」
 「・・・・・」
 確かにそんな言葉を聞いたような気がするが、まさかそれを実行しているとは・・・・・いや、それがアレッシオなのかもしれ
ないが。
そんな友春の動揺を知ってか知らずか、アレッシオは友春に言った。

 「Trick or Treat?」

 「あ・・・・」
 「トモ、答えなさい」
 とてもこんなハロウィンの可愛らしい言葉が似合わないアレッシオが、いきなり自分にそう言うのに友春は目を丸くした。
もちろん、ハロウィンが日本だけのものではないことは知っていたし、それがイタリアでも同様に行われていてもおかしくは無
いかもしれないが、とてもアレッシオが堂々と口にするとは思えなかったのだ。
 「Trick or Treat?」
 しかし、アレッシオはもう一度同じ言葉を言う。
友春は唐突に、先程の江坂の言葉を思い出した。

 「これで少しはマシでしょう」

(江坂さん、ケイがこれを言うことに気付いてた?)
 まさか最初から分かっていたとは思えないが、大学まで来て江坂は今日がハロウィンだということが分かったのかもしれな
い。
だが、アレッシオの味方なら分かるが、わざわざ友春に逃げ道を作ってくれたのはどうしてか?
友春は手の中にあるキャンデーを握り締めた。
 「トモ」
 最後に会ったのは、もう夏も終わる頃だった。
もちろんそれからも・・・・・それこそ昨夜も、メールや電話はあったものの、こうして直接顔を見ると、友春は自分の感情の
揺れがかなり激しくなるのを自覚してしまう。
(僕はケイに会いたかったのか・・・・・それとも・・・・・)

 「Trick or Treat?」

 なかなか答えない友春に焦れたのか、アレッシオがその細い顎を捉えて、瞳を覗き込むようにしてもう一度言ってくる。
一瞬目を閉じた友春は、やがて小さな声で答えた。
 「・・・・・Nothing」
その瞬間、友春の身体は大きな腕の中にあった。

 「仕方ないな、トモ。私の時間が許す限り、お前にたっぷり悪戯をしてやろう」







 自分がどうしてそう答えてしまったのか、友春には良くは分からない。
(少し・・・・・変なだけ・・・・・)
自分の気持ちの揺れを誤魔化すようにアレッシオの胸に顔を埋めた友春は、手に握り締めていたキャンデーをその場に落
としてしまったことも、それを見たアレッシオが笑みを浮かべたことにも・・・・・気づくことが出来なかった。




                                                                  end







少し遅れてしまいましたがハロウィンの話です。

今回はアレッシオ&友春、江坂&静のカップル編。少し物足りないでしょうか(苦笑)。