芳野聖(よしの ひじり)の朝は早い。
それは、自分の弁当を作るためだからだ。
 「・・・・・」
 ネギの入った卵焼きに、ソーセージに、煮物。五穀米を入れた飯は小さな俵型に握り、それを器用に弁当箱に詰めていく。
普通の高校生の食欲から考えればかなり少なめなのだが・・・・・今の聖に旺盛な食欲というものはとても期待出来なかった。



 この春、高校に進学した聖が、込み入った事情で同居をしている高須賀(たかすが)家。
家長であるトップ企業家の42歳の高須賀圭史(たかすが けいし)と、その長男で、今年大学4年生という立場と、自分でた
ちあげたコンピューターソフト会社の役員という立場の亘(わたる)。
 ごくごく、平凡・・・・・と、いうよりは物静かで大人しく、母親に似た色白の肌と柔らかな面差し、そして片頬に出来るエクボの
せいで幼く見える聖は、自分とは違う生活力が旺盛で男らしい2人にいまだひけ目があり、数ヶ月一緒に暮らしているのだがま
だまだ慣れない。

 逃げた母の代わりに家事全般を任せられている上、なぜか花嫁の立場としておかえりなさいのキスをしたり、信じられないよう
な悪戯を仕掛けられたりしているものの、ここ以外に頼る場所の無い聖は、何とか自分の心と折り合いをつけて、高須賀家で
日々を過ごしていた。








 高校には学食があるものの、もちろんそれなりの金が掛かってしまう。
この家の主人である高須賀からは、かなりの金額を自由に使っていいと渡されているが、聖の性格ではとてもそんなことは出来
ずに、切り詰めた食事代の中から弁当のおかず代だけは貰うようにしていた。
 「出来た」
 高校生の男が作ったとしては上出来な出来上がりに、聖は思わず頬を綻ばせる。中学の頃から弁当作りをしていたので慣れ
ているといってもいいのだが、その時は忙しい母親の分も作っていて・・・・・。

 「聖、天才!女の子に生みたかったわ!」

そんなふうに言う母に笑いながら文句を言っていた日々が懐かしい。
 「・・・・・」
 聖は自分の弁当を見下ろして溜め息をついた。
(母さん、何してるんだろ・・・・・)
意識的に考えないようにしているものの、ふとした時に母親のことを思い返してしまう。
もう直ぐ自分の誕生日・・・・・その時までには、何らかの連絡をくれないだろうか・・・・・そう、思っていた。
 「・・・・・考えててもしかたないか」
 そろそろ、高須賀親子を起こさなければならない。
会社の社長と大学生。そんな2人をこんなにも朝早く起こすことは本来必要ないのかもしれないが、自分がいる時に朝食を食
べてもらわなくてはならないのだ。
 「よしと」
 弁当を包み、身に着けていた自分専用のピンクのエプロンを解こうとした聖は、
 「おはよ、聖君」
 「!」
いきなり後ろから抱きしめられ、耳元を軽く噛まれる。聖の身体はビクッと震えた。



 元々寝起きのいい亘は起こしてもらわなくてもいいのだが、躊躇いがちに声を掛けてくる聖が可愛くて何時も頼んでいた。
だが、今日はふと思いついてそのまま1階のキッチンに下りてみる。自分達が起きてくる前に忙しく動いているその姿を見ようかと
思ったのだ。


 父との結婚式をドタキャンした女性の息子。
母親が死んでからはかなりの女達と付き合ってきた父が、結婚まで決めた女性だということで亘も興味をもった。
 莉子(りこ)という女性は華やかで頭がよく、その息子という少年も大人しくて可愛くて、亘は思った以上に新しい家族が出来
ることを楽しみにしていたが、どういった理由からか・・・・・莉子は表面上は他の男と共に、父を捨てて逃げてしまった。

 あの父親が、花嫁に逃げられたというのに妙に冷静なことは気になり、もしかしたら裏があるのかとも思っているが、結果的に今
の生活を亘は気に入っていた。
 思った以上に可愛くて素直な聖を手に入れることが出来る・・・・・それがたとえ男の子でも、こんなにも惹かれる相手を自由に
出来るのだ。

 ただ、父も聖を気に入り、その身体を手に入れようと乗り出してきたことは少々予想の範囲外だが、同じ血が繋がっている相
手なのでその気持ちも分からないことも無い。
今はただ、性的にノーマルで、常識的な聖を、早く自分達がいるところまで引きずり下ろしたい・・・・・亘はそんな気分だった。


(・・・・・いた)
 キッチンに続くリビングに足を踏み入れた亘は、そこに求める姿を見つけて思わず笑った。
高校のカッターシャツの上から来ているピンク色のフリフリのエプロン。自分達の目が無いところでは外していても分からないという
のに、律儀に身に着けているのが微笑ましい。
 「・・・・・考えててもしかたないか」
 小さな声が聞こえてきた。
多分、聖は聖で色々考えることがあるのだろうが・・・・・それを自分の中に全てしまい込んでいるのがどこかじれったく、頼って欲
しいと思うものの、聖の性格からは(知っている限りでも)今はまだ無理だろう。
 「よしと」
 どうやら、自分達を起こそうとするようだ。
その前にと、亘は足音を忍ばせて背後に近付き、
 「おはよ、聖君」
 「!」
 まだ小さな身体を抱きしめると、ビクッと腕の中で大きく震える。石鹸の香りがする瑞々しい身体を楽しむかのように、亘は赤い
耳たぶを噛んだ。



 「わ、亘さん」
 「おはよう」
 もう一度同じ言葉を言われ、聖はハッと顔だけ後ろに向けると、強張った笑みを浮かべながら言葉を返した。
 「お、おはよう、ございます」
 「朝飯、出来た?」
 「はい、あの、後はお味噌汁の味噌を入れるだけで、今から起こしに・・・・・」
 「うん、分かってるよ。別に聖君が遅かったというわけじゃないから」
行動が遅かったことを指摘されるのではないのだと分かって、聖は内心ホッとした。
ここの主人である高須賀はもちろん、亘にそっぽを向かれてしまったら聖は行く場所が全く無い。たとえ媚を売っていると言われる
としても、亘の機嫌を損なうことはしたくなかった。
 「・・・・・」
 だからこそ、聖は言われた挨拶をする為に腕の中で身体の向きを変えると、自分よりも随分背の高い亘の腕を引く。
その意味が分かっている亘が腰を屈めてくれると、聖は唇にチュッと触れるだけのキスをして朝の挨拶を済ませようとしたが、
 「んっ」
 軽いキスでは済まないらしい亘は、そのまま聖の後頭部を抱えるようにして深く唇を重ねてきた。
口腔内を自在に味わうディープなキス。もう慣れたといってもいいのかもしれないが・・・・・やはり、言い切ることはまだ出来なくて、
聖は抵抗を示すかのように2人の身体の間に自分の手を差し入れていた。
 「・・・・・ぁっ」
 やがて、満足したらしい亘が唇を離す。
唾液で濡れてしまった唇をあからさまに手で拭うことは亘の目の前では出来なくて、聖は所在無げに俯いてしまった。



 聖のそんな様子を苦笑しながら見つめた亘は、ふとその視線をキッチンのカウンターの上に向けた。
 「あれ」
 「え?」
 「弁当作ってるの?」
 「え、あ、はい」
多分、何時もは聖がこの弁当箱を鞄の中に入れてから起こされていたのだろう・・・・・こうして弁当を作っていることを亘は初めて
知った。
 亘は凄いと思ってそう言ったのだが、どうやら聖は違う意味に取ったようだ。
 「ご、ごめんなさいっ」
 「え?」
 「お弁当のおかず代、食事代から出してもらっていて、あの、本当は前もって相談しなくちゃいけなかったのに・・・・・」
 「・・・・・」
(ホント、真面目っていうか・・・・・臆病な小動物って感じだな)
本来は昼食代として堂々と父に請求して来ればいいのに、僅かな弁当代を出すのも恐縮している。
これが、本当の家族になっていたらこれほどまでに気を遣わなかったかもしれないが、聖にすれば自分達親子は当然のように他
人なのだろう。
 「・・・・・」
 だが、こんな状況は後もう少しで終わる。聖の16歳の誕生日を迎えたら、その身も心も自分のものにして、けして他人などと
は思わせない。
 後もう少し・・・・・それまでは、別の理由をつけてやらなくてはならないだろう。
 「聖君、僕の分も作ってくれない?」
 「え?」
驚いたように顔を上げた聖の唇は濡れている。その原因を作ったのは自分だなと思いながら、うんと亘は頷いた。
 「時々外食するのが面倒で、昼抜きにすることも多いんだ。でも、聖君が作ってくれるんなら、規則正しい食事が出来そうなん
だけど」
 そんな申し出をされると思わなかったらしい聖は、戸惑ったような眼差しを向けてくる。
(可愛いなあ)
 「あ、あの、でも、おかず、普通のしか出来ないんですけど・・・・・」
 「何時もの食事ほど美味しいのなら十分」
強く言えばそのまま頷くだろう。そう思っていた亘は、ふと感じた視線に眉を顰めた。
(もう少し、2人きりにしてくれてたらいいのに・・・・・)
どうやら、煩い人物が登場してきそうだった。



 そろそろ聖が起こしにくるだろうと思った高須賀は、その姿が寝室の中に現れるのを今か今かと待っていた。
毎朝起こしに来てくれる聖をベッドに引きずりこみ、思う存分口腔内を味わうのが日課となっていたのだが・・・・・何時もの時間
になってもなかなか現れない。

 どうしたのだろうとそのままキッチンに降りてきた高須賀は、そこに息子の姿を見て思わず口元を緩めた。
かなり聖のことを気に入っているらしい息子の行動には、悔しいというよりは自分の子供だなという感覚の方が強い。
(まあ、味見くらいは何時でも、な)


 この女とならば楽しく過ごせるだろう・・・・・美しく、頭のいい莉子を選んだ時、高須賀はそう思っていた。
その莉子が、他の男と逃げ、自分との結婚式をドタキャンした・・・・・そのあたりのちょっと込み入った事情はあるのだが、高須賀
は莉子を恨んではいないし、今となっては感謝に近い気持ちも抱いている。
 それは、可愛い聖を自分の手の内にしたからだ。
未成年とか、男だとかは関係ない。
自分に対して罪悪感を抱いているとしても、構わない。

 とにかく、欲しいと思ったものは今まで全て手にしてきた高須賀。しかし、高須賀にとってこんな幼い子供を丸め込むのは簡単
だと思っていたが、臆病な子供は意外にしぶとくて、今だその身体を手に入れてはいない。
一応、誕生日ということを目安にしているものの、それまでにだって機会があればと実は思っていた。
(亘も、同じことを考えていたりしてな)
 どんなに図体がでかく育ったとしても自分の血の分けた子供で、その子供に少しくらいは分けてやってもいいが、肝心の本体は
自分が必ず手にするつもりで。
ただ、ある程度の歳の自分には幾分余裕があるので、こうして2人が一緒にいる場面を見ても、自然に笑っていられるのだ。


 「聖」
 「あ・・・・・っ」
 声を掛けると、聖はパッとこちらを向いた。隣にいた亘は自分の出現に気付いていたらしく、少し苦々しい表情を向けてきた。
 「・・・・・」
 「お、おはようございますっ」
黙って視線だけを向けていると、聖は慌てたように駆け寄ってきた。
 「おはよう」
 聖が届くように腰を屈めてやると、亘の存在が気になったのか一瞬視線を向けた聖だが、直ぐに諦めたように高須賀にキスを
してきた。
口紅の味のしない小さな唇の中に当然のように舌を差し入れて口腔内を弄りながら、高須賀はチラリと亘を見る。その表情が
落ち着いているのは、多分亘の方が先にこの唇を味わったからだろう。
(我が息子ながら・・・・・)
 「・・・・・っ」
 その時、腕の中の聖の表情が一瞬辛そうに歪められた。どうしたのだろうかと、高須賀はキスを解き、それでも唇が触れ合いそ
うなほど近くで訊ねた。
 「どうした?」
 「ひ、髭・・・・・」
 「髭?」
 「す、少しだけ、チクッてして・・・・・」
 「ああ、そうか」
 今までも何度か同じような表情を見たと思ったが、どうやら自分の髭が顔に当って痛かったようだ。
女だったらそれさえも快感に変えるし、色っぽいと言ってくれるのだが、まだ子供の聖にとってはそれは単に感覚の問題のようだ。
高須賀は笑いながらすまんなと言った。
 「いいえっ、大丈夫です」
 直ぐに否定してくる聖を笑いながら見た高須賀は、カウンターの上にある見慣れない包みに視線を向ける。
(これは・・・・・)
 「・・・・・これ、弁当か?」
 「あっ」
聖は直ぐに隠そうとしたらしいが、その手を傍にいた亘が軽く捕まえる。その間に高須賀は悠々と布を解き、中の弁当箱の蓋を
開けた。



 「美味そうじゃねえか」
 「・・・・・」
(お、怒ってない?)
 みすぼらしく弁当を作っているとか、この材料費はどこから出ているのだとか。どうやら高須賀はそんなふうには思っていないらし
く、それだけでも聖はホッと胸を撫で下ろした。
母が残してくれた通帳のお金は出来るだけ使いたくは無かったし(今後何があるか分からないので)、そのためには、高須賀に甘
えることしか出来ないのだ。
 「学校に食堂は無いのか?」
 「父さん、学食は毎日だと結構な金額になるんだよ」
 「ん?」
 「聖君は立派な主婦だから、ちゃんと切り詰めて考えてるんだよね?」
 「・・・・・」
(す、少し、違う気もするけど)
 大前提として・・・・・学食は金が掛かるとか、食費を切り詰めるとかいうことは正しいのだが・・・・・立派な主婦という例えは合わ
ないような気がする。ただ、ここでそう言い返すのもやっぱり変な気がして、聖は大人しく目の前の親子の会話を聞くことしか出来
なかった。



 自分の説明を全て聞き終えた父は、なるほどなと言って聖を見た。その視線はけして怒っているわけではなく、珍しく困ったとい
うようなものだ。
(確かに、今まで付き合ってきた女達とは違うだろうしね)
 金を持っている父は当然それを使うものだと思っていただろうし、女達も貢いでもらうことを望んでいた。そんな彼女達と、弁当
代でさえ心苦しいと思っているらしい聖は、元々のスタートが違う。
 ただ、そんな聖を自分同様父も好ましく思っているのは、少々面白くなかった。
 「俺も、作ってもらうか」
 「え?」
 「父さん?」
まさか、父がそう言い出すとは思わず、亘は聖よりも大きな声を上げてしまう。そんな亘に対し、父はにやっと何か含むような笑み
を向けてきた。
 「どうせ、お前も同じようなことを言ったんだろ」
 「・・・・・」
 「愛妻弁当を持っていくのは新婚ならではだしな。夫である俺の当然の権利だ」
 「父さん・・・・・」



(ふ、2人共、本気?)
 高須賀にしても、亘にしても、金に困っているわけは無いだろうし、自分の料理の腕だって、特別に優れているというわけではな
い。多少家庭料理が出来るというくらいで、おかずだってごく普通のものしか作れないのだが、それでも構わないと2人は言うのだ
ろうか?
 「あ、あの」
 「聖君、僕は学生だから弁当を持っていくのも当たり前だよね?」
 亘は、にっこり笑って言ってくる。
 「聖、愛する旦那に弁当を作りたいと思わないか?」
高須賀は、寝乱れた髪をかき上げながら、口元を笑みの形にする。
 「・・・・・」
 聖は2人の顔を交互に見つめて・・・・・やがて、コクンと頷いた。
 「じゃあ、あの、今日の帰り、弁当箱買ってきますね」
多分、これは2人の気まぐれだと思う。手作りの弁当を珍しく思って、食べてみたいと思ったのだろう。
(1、2週間位したら飽きるだろうし)
聖としては、弁当のおかずを堂々と買えるだけでもホッと出来るし、1個作るのも3個作るのも、手間はそれほどに掛からない。
 「明日から、持って行ってくださいね」
聖はようやく笑みを浮かべた。



(可愛い)
 素直な聖の笑顔を見て、亘はそう思う。
(食べてくれって言ってるよーなもんだよな、この顔は)
そう、高須賀は苦笑する。
 たかが弁当、されど弁当である。
今まで高須賀が付き合ってきた女達はそんなものを作る者はいなかったし、亘は愛情を押し付けられるような気がして全て断っ
てきた。
だが、その相手が聖だというだけで、2人の意識はがらりと変わってしまう。
 「愛妻弁当か」
 「愛情弁当だよね」
 「・・・・・ただの、昼のお弁当です」
 そこだけは、小さな声でもきっぱりと打ち消した聖は、朝食の仕上げをする為にキッチンへと向かう。
ピンクのエプロンをしている男子高校生という、一風変わった景色を見ながら、高須賀と亘は視線を合わせた。
 「早く来ないかな、誕生日」
 「・・・・・だな」





 獣の親子の考えることは、どうやら共通しているようだ。
後は、どちらが聖のバージンを奪うかが焦点になるだろうが、どちらも自信家のこの親子は、自分が負けるとは欠片も思ってはい
なかった。





                                                                      end