意地っ張りなスイート・ハニー








 引き出しの中にしまい込んだ袋を取り出した楓は、珍しく大きな溜め息をついた。
(こんなの・・・・・やっぱり渡せない)
ずっと慕ってきた伊崎と恋人同士になって初めて迎えるバレンタイン。
クリスマスも正月も、なにもかも初めてだった楓はただ出来事を受け止めるだけが精一杯だった。
 しかし、今回のバレンタインは違う。真琴や太朗に誘われたからということもあるが、自分から恋人である伊崎に何か
をしてやりたいと思って行動したのだが、なかなかその結果が付いてこなかった。
別に、料理が出来なかったとしても生きていくのに不便なわけではないと思うが、好きな相手に何も作ってやることが出
来ないのだと改めて思ってしまうと、なんだか自分が欠陥品のように思えてしまう。
そして、そう思う自分がまた嫌で・・・・・楓はずっと繰り返し同じことを考えてしまっていた。
 「・・・・・こんなイベントがあるから悪い」
 楓がチョコを渡さなかったとしても、伊崎が何事か文句を言うことは絶対にない。
元々期待をしてはいないだろうし、極端な事を言えば10円のチロルチョコでさえやっても、感激して嬉しがることだろう。
でも、それでは楓の気が治まらないのだ。
 「・・・・・」
 どの位経っただろうか・・・・・部屋をノックされた。
時計を見ると、午後9時を回っている。こんな時間に楓の部屋に来るのは家族か・・・・・。
 「失礼します」
 声を掛けて入ってきた伊崎は、じっと自分に視線を向けたまま黙っている楓を見て眉を顰めた。
 「具合でも悪いのですか?」
 「・・・・・」
 「ここのところ元気がありませんでしたね。先日、お出掛けから帰ってからずっと・・・・・喧嘩でもなさったんですか?」
 「俺は子供じゃない」
 「楓さん」
 「・・・・・」
伊崎を困らせたいわけではないが、自分に対して腹が立ったままでは誰かに優しくするのも難しい。
ふと、視線を逸らした楓の視界には、入口近くに置かれた数個の紙袋が映った。
 「・・・・・それ、みんなに分けてくれ」
 「廊下にもダンボールが置かれていますよ」
 「それも、全部」
 「見られなくてもいいんですか?」
 「見たって俺にはどうしようもない」
 今日1日で、楓は1年分以上のチョコを受け取った。
本来は女が男に渡すはずだと思うが、通学の途中で、学校内で、それに郵便でも楓宛のチョコは届いた。
それらのかなりの数が女からではなく、男からというのが皮肉だが、昔からのことで慣れている楓には今更のことだ。
 それよりも・・・・・。
(伊崎も・・・・・貰った、よな)
 組のシマ(縄張り)の中にもかなりの飲み屋がある。
そこに勤めている女達の間でも伊崎はかなりの人気だ。1度だけでも抱かれたいと言っている者達も数え切れないほど
だと、以前下っ端の組員達が話しているのを聞いたことがあった。
このイベントの時に行動してくる女はかなりいてもおかしくない。
 「恭祐」
 「はい」
 「お前・・・・・今日・・・・・」
 「・・・・・」
 「今日・・・・・チョコ、貰ったか?」
女々しいと思うが、聞かずにはいられなかった。



 ここ数日の楓のふさぎ様が気になった伊崎だったが、その理由はいっこうに予想が付かなかった。
先日出掛けた先の苑江太朗は、楓の数少ない同世代の友達で、そこには楓が好きだと公言している真琴も来ていた
らしく、まさかそこでそんなに気に障ることがあったとは思えない。
 いったい何があったのかと今日こそ聞き出そうとして部屋に来たが、質問をされたのは伊崎の方だった。
(チョコ・・・・・か?)
全く想像していなかった言葉だったが、伊崎は躊躇することも無く直ぐに応えた。
 「貰っていません」
 「嘘だ!」
 「楓さん?」
 「お前が貰ってないなんて嘘!うちの組で一番モテルのはお前だろう!」
 「・・・・・それは、楓さんですよ」
 「茶化すな!俺は本当の事を聞きたいんだっ」
 キッと睨むような視線を向けてくる楓だが、その姿は鮮烈で思わず見惚れてしまうほどに美しかった。
誤魔化しているつもりのない伊崎は楓の足元に跪くと、ギュッと握り締めた手に自分の手を重ねながら、その顔を下か
ら見上げるようにして言葉を続けた。
 「楓さんに嘘は言いません。本当に貰っていませんよ」
 「・・・・・」
 「いや、正直に言えば、受け取りませんでした」
 「・・・・・」
 「今日が何の日かは俺も知っています。だからこそ、今日だけは受け取れません。俺の恋人は・・・・・楓さん、あなたな
んですから」
 女が自分をどういった対象で見ているのか、伊崎が知らないはずが無かった。
今日という日を切っ掛けに告白してくる者も多く、遊びでも、1日だけでもと言い寄ってくる者も限りない。
ただ、これまでの伊崎は楓に対して一途に思いを寄せていたので他の人間を受け入れる余裕は無かったし(本当に遊
びだと割り切れる関係は別にして)、だからこそ楓への思いを自覚してからはチョコも受け取らないようにしていた。
 そして、今年は・・・・・。
 「最愛のあなたを手にすることが出来て、他に目が向くということはありえません。確かにシマの女達からは渡されそうに
なったのは事実ですが、全て断わりました、本当です」
 「・・・・・」
 「信じてもらえませんか?」
 「・・・・・お前が俺に嘘をつくことはないって・・・・・分かってる」
まるで泣きそうに声を震わせながら、楓はそっと伊崎の手を握り返した。



 身も心も結ばれて、伊崎のすべてを手に入れたはずなのに、何かある度にその心を疑ってしまう自分がいる。
それは自分が余りに子供で・・・・・伊崎が大人だからだ。
楓の目から見ても最高の男の伊崎が、本当に自分のような子供で満足しているのか?口にはけして出せない不安が
どうしても積み重なって、時折こうして爆発してしまうのだ。
(こんなの・・・・・恭祐だって嫌だよな)
 今更自分の性格を変える事など出来るはずも無く、楓は何度も同じ後悔を繰り返す。
しかし・・・・・。
 「・・・・・」
楓は少し躊躇ったが、伊崎の手をそっと外して机の中から小さな袋を取り出した。
 「やる」
 「・・・・・俺に?」
 「・・・・・」
今までならば、楓が癇癪を起こせば伊崎が宥めて・・・・・楓は謝ることもないままなし崩しに元に戻っていた。
しかし、今の自分達は恋人同士で、楓にだって恋人である伊崎に対して謝ることは出来る。
楓は袋を開く伊崎の手元を、まるで祈るような気持ちで見つめた。



 「これは・・・・・」
 袋の中に入っていたのは、板チョコだった。
綺麗にラッピングをしているわけでもないし、それほど高いものでもない。
しかし、今日という日に渡すチョコの意味を分かっているだろう楓のこの行動に、伊崎の頬にはたちまち笑みが広がって
いった。
 「私に下さるんですか?」
 「お前以外いないだろ。・・・・・本当は、タロの家でチョコを作ったんだけど、どうしても気に入らなくて・・・・・自分で食
べた」
 「楓さん・・・・・」
 「恭祐には、もっとちゃんとした高いものをって、誰にも負けないぐらいなチョコを渡したかったんだけど、どこも女ばっかり
で店に入ることも出来なくて・・・・・結局、今日の帰りにコンビニで買ったんだ」
 「・・・・・」
 「ごめんな・・・・・っ」
 楓のいじらしい告白を最後まで聞かず、伊崎はその唇を奪った。
こみ上げた楓への愛しさに、何時もは効く自制が全く役に立たなかった。
 「んっ・・・・・きょ、きょ・・・・すけ・・・・・」
 「愛してる、愛してる、楓」
 「・・・・・っ」
 「こんなに嬉しいなんて・・・・・あなたを手にしてから、俺はどんどん欲張りになってしまう」
自分の為に悩む楓が愛らしい。
自分の為に、目に見えない相手にさえ嫉妬する楓が可愛い。
そして・・・・・一心に自分に想いをぶつけてくる楓が・・・・・愛おしい。
 「・・・・・こんなチョコでも、怒らない?」
 「当たり前です。それに、これはただのチョコレートじゃないでしょう?」
 あなたの愛情がたくさん込められている・・・・・。
そう言うと、楓は少し申し訳なさそうに眉を顰めた。
 「ごめん、恭祐、来年はちゃんとした物贈るからな?絶対、毎年グレードアップさせるから!」
 「はい、楽しみにしています」
 どんな形のものであれ、伊崎にとっては楓から貰うということに最大の意味がある。
そして、それは来年だけではなく、この先もずっと続くのだ。
(お返しは何がいいんでしょうね、楓さん。あなたが喜ぶことを考えるだけでワクワクする)
 笑みを浮かべる伊崎の唇に、今度は楓の方から軽いキスを落とす。
 「女からチョコを受け取らなかった褒美だ」
威張ったように言う愛しい恋人に、伊崎はありがとうございますと囁きながらお返しのキスを返した。




                                                                end





伊崎&楓編です。
こちらも相変わらずのカップルです。もはや伊崎はMなのではないかと疑ってしまいますね(笑)。
ともあれ、結構幸せな2人です。