色付けたくちづけ
「そういえば、お前キスの経験あるのか?」
「え?」
口に入れかけたサラダを運ぶ手を途中で止めた坂井郁(さかい かおる)は、突然の日高征司(ひだか せいじ)の言葉にとっ
さに返事が出来なかったようで、目を丸くしてこちらを見ている。
歳以上にその幼い表情は見ていても楽しいが、今の質問にはきっちりと答えてもらわなければならなかった。
日高は学生時代から始めた声優の仕事が自分で思っていた以上に順調に行き、今では日本でもトップクラスの声優となっ
ていた。
毎日が忙しく、刺激に満ちた日々を送っていた日高だったが、そんな彼には気になっている人物がいた。
それが、郁だ。
数年前にテレビアニメの主人公役に大抜擢されたまだ若い声優の声を聞いた日高は、自分の官能がゾクゾクと刺激された
のだ。
それまで、声優というのはあくまで演じるものであって、ある種別人格のものだと思っていたし、日高自身そうやって演じてきた。
しかし、この主人公役の声優の声は、なぜか演じている者の素を感じさせ、日高はどうしても会ってみたいと思ってしまったのだ。
爆発的なアニメの人気のせいで一躍有名になった郁だったが、そのイメージがあまりにも強過ぎてなかなか次の仕事が目立つ
ということが出来なかった。
日高が見に行ったのもほんの端役のシーンだったが、日高の想像以上に郁は自身が売り物になるほどに整った容姿の持ち主
だった。
華やかな外見ながら、その性格は素直で引っ込み思案・・・・・あまりのギャップの大きさに、もう少し郁の本質を見たくなって、
丁度捜していた自分の相手役に郁を抜擢したのだが・・・・・。
(嵌まったのは俺の方だったよな)
官能をくすぐる声に、男でも全く構わないと思わせるような容姿。
そして、真面目で大人しい性格と、何もかもが日高の郁への好意を増大させた。
「え、あの、ど、どうしてですか?」
「ん〜?知りたいと思ったから」
今はその唇に触れることが出来るし、身体にも・・・・・まあ、最後までは言っていないがかなりいい雰囲気だと自分では思って
いる。
多分に郁は流されたという感じだろうが、始まりというものは何でも構わないのだ。
(最終的に俺のものになればな)
「・・・・・」
「どうした?言えないくらいヘビーな経験でもしたのか?」
「そ、そんなことないです!」
黙っていても日高が諦めないようだと分かったらしい郁は、顔を真っ赤にしながら小さな声で言った。
「・・・・・高校の時、あります」
「相手は女?男?」
「お、男であるはずが無いでしょう!」
「そうかな」
(現にこうして俺はお前を口説いてるじゃないか)
見掛けによらず頭の固い郁は、日高とペッティングまでしたということをどう思っているのだろうか。
(まさかセクハラと思ってるんじゃないよな?)
立場的には日高の方が上で、今も録りの休憩中に強引に食事に誘っている。
報われないなと思うが、そんな焦れったさも楽しいと思えてしまっているところが・・・・・終わってるのかもしれない。
「付き合ってたのか?」
「は、半年だけ」
「セックスは?」
「高校生同士ですよ!」
「それが?」
「・・・・・俺の常識では、高校生でセ・・・・・エッチはしないんです!」
「・・・・・」
(何時の時代の人間だ、お前は)
日高としても、精神年齢が低いままでのセックスを推奨するわけではないが、それでも高校生とは・・・・・と、声高に言うほど
聖人君子でもなかった。
ただ、郁がそう言うのは余りに似合っていて、思わずふき出してしまった日高に、郁はジトッと上目遣いに睨んできた。
「・・・・・どうせ、俺は見かけとは違う頭でっかちですよ」
「い〜や」
「・・・・・嘘」
「郁らしくて嬉しいよ」
「・・・・・っ」
そう言うと、郁はたちまち真っ赤になって俯いてしまった。
彼曰く、日高の声は余りにエッチっぽいということだが・・・・・それならばと、日高は更に声を落として甘く囁いてみせた。
「郁とキスしたいんだけど・・・・・いい?」
「!!だ、駄目です!」
録音中、ボーイズラブ物の特性上色んなきわどいシーンがあるが、郁は何時も自分の腕に吸い付いてキスの音を出してい
た。
喘ぎ声はかなり上手くなっていたが、キスの音や舌を絡める音などは、今だ出すのに慣れないようだ。
そのぎこちなさが初々しくていいと監督達は言っているが、日高としてはもう1ランク上がってきて欲しい。
「郁」
「・・・・・」
「郁」
「何ですか」
顔は真っ赤にしたまま、それでも出来るだけぶっきらぼうに言ってくる郁に、日高は少し身を乗り出して言った。
「覚えろよ、この音」
「え・・・・・!!」
不意に重ねた唇。
一瞬呆然とした郁が我に返る前に更にその中に舌を差し入れた。
「!!」
他の業界人も使う、スタジオ近くの喫茶店。
打ち合わせの声が漏れないようにか、個室っぽい造りと所狭しと置かれてある観葉植物のせいで、このキスシーンが見えるとい
うことはないだろう。
それでも、郁の耳には小さなボリュームで掛かっている店内の音楽よりも、自分達の舌が絡み合う音の方が大きいような気がし
たのだろう、やがてバンッと胸を押され、2人の唇は離れてしまった。
「ひ、日高さん!あ、あなたは・・・・・っ」
「午後からは絡みだぞ」
「は?」
「今の音と感覚、覚えておけよ」
「・・・・・っ」
この言葉を言えば、郁が強気に出れないことはもう分かっている。卑怯かもしれないが、好きな相手に触れる為の手段は有
効に活用するだけだ。
「分かった?」
先輩のような顔をして言うと、郁はしばらく黙って・・・・・やがて小さく頷く。
「よし、じゃあもう行こうか」
(この手が使えるのは後どれくらいかな)
キス一つするのに言い訳がいらなくなるようになるのは何時だろうか。
日高はそんな可愛らしい悩みを持つのも久しぶりだなと思いながら、今だ何か言いたそうな郁ににっこりと笑って囁いた。
「俺を本気で感じさせてくれよ、郁」
end
社会人部屋のオムニバス「BAISER」、第四弾は【声優】シリーズの日高&郁です。
そういえば最近ドラマCD聴いていない事に気付きました。
ちょっと色んな妄想しながら聴くのも面白いかも(笑)。