愛しい男と可愛い男








 今日はここでいいと言った海藤が車に乗り込んで行ってしまうと、頭を下げてそれを見送っていた倉橋はほっと小さな
溜め息を漏らした。
今日の接待の相手は表の会社の相手だが、少し酒癖が悪いらしく隣に座ったホステスよりも倉橋の腿をしきりに撫で
ていた。
 関係のない相手ならば手酷く撃退をするところだが、今回は大きな取引が目の前にぶら下がっていたので、さすがの
倉橋も頬に強張った笑みを浮かべたまま我慢をしていた。
 「・・・・・エロ爺め」
 後ろから、吐き捨てるような声がする。
倉橋は振り向かないまま歩き始めた。
 「克己、送る」
 「飲酒運転でしょう」
 「今日は飲んでないって。あのジジイに浴びるほど飲ませてさっさと潰すつもりだったんだ。酒癖が悪いって聞いていたか
らな。まさか女じゃなくお前に手を出してくるなんて・・・・・っ」
 「報復は取引が終わってからにしてくださいね」
 「ああ。搾れるだけ搾り取ってやる。なあ、克己、送るって」
 綾辻が何時ものような女言葉ではなく、普通に男として話しているのは、彼にとっても先ほどの酒宴は不愉快なもの
だったのだろう。
倉橋もさすがに疲れたので、
 「真っ直ぐ送ってくださるならお願いします」
そう、念押しをした。



 「新しい車ですか?」
 「ディーラーが1台も売れないって泣き付いてきたのよ」
 「相変わらずの外車好きですね」
 「克己も何か趣味を持ちなさいよ。仕事が趣味なんて親父の発想よ」
 「私ももう親父ですから」
 「ふふ」
(可愛い顔して、何を言ってるんだか)
 倉橋がどんな態度をとっていても、綾辻の機嫌はいいままだ。
倉橋が綾辻の運転する車に乗るのは片手で数えるほどしかなく、今日はやっと両手になるという貴重な機会だった。
可愛い倉橋の小言ならば鳥のさえずりよりも耳に心地いいくらいで、綾辻は無意識の内にポケットに入れていた煙草を
咥えた。
 「・・・・・」
 すると、不意にその煙草は横から取り上げられた。
 「禁煙です」
 「・・・・・私の身体を心配して?」
 「・・・・・どんなことでもいいように考えられるのは羨ましいですよ」



 車の中は、僅かな煙草の匂いと、綾辻が何時も付けている香水の香りがして、倉橋は次第に落ち着きなく視線を動
かした。
(・・・・・大丈夫)
 綾辻は一見いい加減なように見えるが、一度約束したことは絶対に違わない男だ。
間違いなく送ってくれると言った言葉に嘘はないだろうが、倉橋は限られた空間の中に2人きりだということに圧迫感を感
じてきた。
 「克己」
 「あ、はい」
 そんな倉橋の心の動きを知ってか知らずか、綾辻は指先でダッシュボートを軽く叩いた。
 「開いて」
 「私が?」
 「俺は運転中」
いったい何をしようとしているのかは全く分からないが、倉橋は綾辻に言われた通りそこを開いてみる。
中には、綺麗にラッピングされた箱が入っていた。
(・・・・・誰から貰ったんだ?)
 きっと、倉橋の目を盗んで(そう思うのさえ嫌なのだが)飲み屋の女からでも貰ったのだろう。
それをわざわざ自慢したいのかと胡乱な視線で横顔を睨みつけると、綾辻はまるで歌を歌うかのように軽やかに言った。
 「克己に」
 「・・・・・は?」
 「今日が何の日か分からない?」
 「今日?・・・・・ああ」
(くだらない・・・・・)
 さすがに倉橋もバレンタインのことは知っている。
過去何人かから貰ったこともあるし、事務所では・・・・・。
 「そう言えばそんな時期でしたよね・・・・・」
毎年、海藤や綾辻(そしてなぜか自分にも)送られてくるチョコの後始末をしているのは自分だった。
ただ、今年はここ数日スケジュールが立て込んでおり、すっかりこのイベントのことを忘れていたのだ。
そういえば事務所に邪魔なダンボールがあったなと思い返しながら、倉橋は改めて自分の手の中にある包みを見下ろし
た。
 「で、誰から預かったんですか?その場で断ってくれたら良かったのに」
 「・・・・・本人だもん」
 「本人?」
 「だから、私から克己にプレゼント。手作りよ」
 丁度赤信号で車を止めた綾辻は、笑いながらウインクをしてくる。
倉橋は急に手の中の物が重くなったように感じた。
 「この間マコちゃん達がチョコを作るのに居合わせてね、楽しそうだから参加することにしたの。私が渡すんだったら当然
克己でしょ?」
(・・・・・当然って・・・・・言われても困るのに・・・・・)
 いりませんとはっきり言えば早いのだが、なぜだか倉橋は綾辻にそう言えなかった。
男から男に渡すチョコなど考えられないのに、気持ち悪いとは思えない自分が嫌になる。
 「ほら、開けてみて」
 「・・・・・」
 「克己」
 まるで呪文を掛けられているかのように、倉橋はラッピングを解いて箱を開く。
中にはとても手作りだとは思えないほどの綺麗なチョコが収まっていた。
 「これ・・・・・本当にあなたが作ったんですか?」
 「ええ。意外と可愛い男でしょ?」
 「・・・・・」
 「自分の手作りのものを贈るなんて、健気だと思わない?」
 「・・・・・そう、で、しょうか」
 「食べてみて」
 「・・・・・」
 「毒なんて入ってないから」
 「・・・・・」
 少し躊躇った倉橋だったが、せっかく開いたものをそのまま仕舞うのも申し訳なく思い、1つだけ食べればいいだろうと口
に含んだ。
 「どう?」
 「・・・・・美味しいです。何か、中に入ってるんですか?」
 「さあ、なんでしょう」



 倉橋のマンションに向かってしばらく車を走らせていた綾辻は、しばらく静かだった隣から聞こえた僅かな吐息に思わず
視線を向けてみた。
 「・・・・・克己?」
 「・・・・・ん・・・・・っ」
 小さくいらいを返した倉橋は、目を閉じたままシートに身体を沈ませていた。
閉じた瞼もほっそりとした頬も、うっすらと赤く染まっている倉橋は、明らかに・・・・・酔っている。
綾辻は口元に笑みを浮かべると、倉橋の膝の上に置いたままの箱からチョコを1つ取って口に含んだ。
 「お前には強かったかな」
 「・・・・・ふ・・・・・」
 「克己」
 酔わせてどうこうとは思わなかったが、酔った倉橋を見るのは楽しかったので、綾辻は機会があれば倉橋を飲みに誘っ
てはいた。
しかし、最近警戒を深めた倉橋はなかなか誘いには乗ってくれず、2人きりで過ごす時間もほとんどない。
そんな現状を少し変えてみようかと酒入りのトリュフを作ってみたが、案の定というか、予想以上に倉橋は簡単に酔ってく
れた。
 「色っぽいなあ〜」
 「・・・・・」
 「このままホテルに行ったら怒るだろうな」



 綾辻は路側帯に寄って車を止めた。
深夜とはいえ車の通りは止む事はなく、車の中を照らすライトが倉橋の白い顔を撫でていく。
 「・・・・・もう少し、近くに来てくれたらな・・・・・」
 昔と比べればかなり性格も柔らかくなっている倉橋だ。
最後まではいかなかったが、肌も合わせたし、キスもしている。
しかし、臆病な愛しい男は、なかなか次の一歩を踏み出してはくれなかった。
可愛くて、愛しくて・・・・・待つことは苦にはならないが、少しのご褒美は貰ってもおかしくはないだろう。
しかも今日はバレンタイン。海外では恋人同士がお互いにプレゼントを交換する日だ。
 それでも、きっと倉橋にそう言えば、

 「何時私達が恋人同士になったんです?」

そう、冷たく言い返されるだろう。
しかし、多分その後に、少し後ろめたいような縋るような目を向けてくるはずだ。
ずるくて、臆病な、愛しい男。
このまま身体を征服することはしないが、甘い唇を味わうことは許してもらいたい。
 「・・・・・」
 綾辻はそっと、倉橋に口付けをする。
既に意識が朦朧としている倉橋は、無意識の内にそれを返すように舌を絡めてきた。
(明日・・・・・殴られるだろうな)
それでも、この唇を味わうことは止められないと、綾辻はどうせ怒られるなら存分に味わってやろうと更に深く唇を重ねた。




                                                                 end





綾辻&倉橋編です。
ここもお酒がキーワード。酔った倉橋さんはホントに可愛いです(笑)。
この後綾辻さんは鉄の意志で倉橋さんを送っていきますが、明日の朝には痛い一発が待っています。