愛しい存在
※ ここでの『』の中は日本語です。
「こ、これ、きる?」
「ええ、あなたの白い肌によく似合う、鮮やかな赤い色ですね」
マクシーの用意した衣装は、昨夜見た踊り子が着ていたものに良く似ていた。
まだ夜は明けきってはいないが、シエンは早々に出立する用意を始めていた。有希がいないことにアルティウスが気付くまで、
出来るだけ距離を稼ぐ為だ。
「身体の方は痛みますか?しばらくは休まずに国境に向かわねばなりませんが・・・・・」
身体のことを言われた有希は、たちまち青白かった頬を赤く染めた。
自分とアルティウスの間で何があったか、土に汚れた手足を拭いてもらった時、聡いシエンはその痕跡に気付いたのだろう。
昨夜は寝台を譲ってくれ、身体に掛けた布の上から、ただ優しく背を撫でてくれた。
その手があまりに優しくて、有希は陵辱を受けたばかりの身体と心が、貪欲にそれを吸収するのを自覚していた。
「おうじ」
「何でしょう?」
「ほんとに、いい?きけん、だめ、だから、わたし・・・・・」
「ユキ、心配することはありません。私も、私の部下達も、それなりに剣術を学んでいます。確かにあなたを連れていれば危
険なのは確かでしょうが、それは承知の上ですし、何より私が望むのです」
「のぞむ?」
「あなたを私の国に連れて行くこと、それが私の願いです」
「・・・・・まだ、にかいめ・・・・・それなのに?」
「会った回数など、心の動きには関係ないのですよ」
謁見の間に入ってきた有希を初めて見た時、シエンは心を奪われるという経験を初めてした。
この世界のどの国でも伝えられてきた伝説の星の存在。
しかし、その星は想像していた強い存在ではなく、か弱く儚げな、しかし・・・・・美しい存在だった。
縋るようなその視線に気付かなければ、シエン自身がその身体を我が物にしたかも知れないほどだ。
「ありがと、おうじ」
深い信頼を込めた目で見つめられると、暴走しかける気持ちも抑えることが出来る。
これ程の想いを、シエンは国にいる許婚にも感じたことはなかった。
「さあ、着替えましょう」
「ひ、ひとり、できるっ」
「しかし、これは後ろで複雑に布をかみ合せねばなりません。踊り子の衣装を着るのは本意ではないでしょうが、私の言うこ
とを聞いていただけますか?」
もともと有希を匿う為に考えてくれた作戦だ。
嫌と言えるはずもなく、風呂と体育以外で人前で脱いだことはないなと躊躇いながらも、有希は着ていた寝巻きを脱いだ。
「うえから、きる」
胸の谷間を強調する為か、気恥ずかしいほど小さな胸を覆う布を巻きつけて背中で結び、下は下着の代わりか、極短い
スカートのようなものを付け、その上から足首まである透ける布を腰に巻きつけた。
額飾りを付け、手首と足首には金色に輝く何重もの輪で作られた飾りを付ける。
「お、おもい・・・・・」
「ユキ様、少し目を閉じて下さいね」
カヤンが器用に化粧をする。現代ほど複雑なことはしないようで、目を強調するように緑色の香料を塗りつけ、唇には赤い実
から取れる紅を付けられた。
急なことなのであまり道具が揃わなかったが、どこから見ても初々しい踊り子がそこにいた。
「・・・・・へん?」
驚いたように自分を見つめる一行に、有希は不安になってシエンを見つめる。やはり女装は無理があったのかと思ったが、シ
エンはいきなり有希の足元に跪くと、その細い手を取って口付けをした。
「とても、美しい。こんな可憐な踊り子を、私は見たことがありません」
「お、おうじ?」
「本当に・・・・・美しい」
肉感的ではないがほっそりとバランスの良い体付きはまだ丸みを残していて、露出している肌は眩しいほど白かった。
大きな目も、化粧のせいで艶かしくなり、赤い唇はいつでも盗まれるのを待っているように濡れて光っている。
手に入れたいと、強烈に思った。
「おうじ?」
「私のサファタ・・・・・」
シエンは震える声で感慨深く呟く。
耳慣れない言葉に、有希は首を傾げた。
「サファタ?なに?」
「私の国の言葉です」
「きれいなことば。いみ、なに?」
「・・・・・それは、あなたがバリハンの地を踏んだ時、お教えしますよ」
そう言うと、シエンは手早く自分の身支度を整え、控えていた部下達に力強く命令した。
「私は今からアルティウス王に面会してくる。他の者は先に門前で控えて、直ぐに出立できるように。出来うる限りユキは人
目に晒さぬよう、必ずバリハンまで連れ行く覚悟で守るのだ」
「は!」
「では、ユキ」
シエンは心細そうな有希を抱きしめ、優しく諭した。
「しばらくのお別れですが、私の部下を信じて、くれぐれも無茶なことはなさらないように」
「はい」
「参るぞ」
今からアルティウスに面会し、その足で直ぐ出立したとしても、国境に無傷で着くかどうかは未知数だ。
しかし、シエンは必ず有希と共にバリハンに帰るつもりだった。やっと出会えた唯一の相手を、このままこの手からすり抜けさせ
るつもりはない。
(私のサファタ・・・・・必ず共に・・・・・!)
シエンは深く深呼吸をした後、ゆっくりと謁見の間に歩いて行った。
サファタ・・・・・それはバリハンの言葉で、【愛しい人】・・・・・。
end
はい、もう私の想像以上の支持を集めているシエン登場です。主人公のアルティウスよりも人気があるなんて、おいおい・・・・・
これはエクテシアを脱出しようとした日の朝の出来事。紳士なシエンですが、スキンシップはしているようで・・・・・、会ってまだ2回目の相手にこれ程の運命
を感じるなんて、アルティウスもそうですが、この世界の人はロマンチストです。