Jealousy Voice







 郁(かおる)は、チラッと視線を上げる。
そこには俳優張りに整った容姿の男が難しい顔をし、嫌味なほど長い足を組んでいた。
 「・・・・・で?」
 「で?」
 「神林(かんばやし)に愛してると何度言った?」
耳に心地良い、低く甘い声。
しかし、男がかなり気分を害していると、郁は声を聞いただけで悟っていた。



 坂井郁(さかい かおる)・・・・・つい最近までは、2年前、爆発的ヒットを飛ばしたアニメの主人公の声をした声優と
枕詞が付かなければなかなか知られなかった存在だが、今ではある特別なジャンルでは名前を言えば「ああ、あの」とか
なり知られるようになってきた。
 それは、ボーイズラブという、世の女性達の夢を具現化したジャンルだ。
男同士の恋愛という、男の郁からすればなかなか理解出来ない世界だが、少年のように軽やかで優しい声で、さらに
実際の容姿も線の細い可憐なタイプの郁は、かなり色々な妄想をしやすいらしく、役以外の郁自身としての人気もか
なり出てきていた。
 郁自身はあまり踏み込みたくなかった世界だが、一番初めに出演したボーイズラブのドラマCDがかなり評判になってし
まい、今や郁はこの世界の受け(男同士の恋愛で受身の方をそう呼ぶらしいが)の代表格となってしまった。

 その郁とコンビを組んでいるのは、声優の中でもトップクラスの人気と実力を持つ日高征司(ひだか せいじ)だ。
郁よりも7歳年上の29歳の彼は、キャリア的には10年ほどだが、演技力と声の良さで、かなり早い時期にこの地位ま
で上りついていた。
 そんな、人気も実力もある日高が、ボーイズラブという、ある種特別な世界にわざわざ足を踏み入れた理由は郁には
分からない。
ただ、日高が相手役に郁を指名してくれたからこそ、今のこの忙しさと人気があるのも事実だった。

 声優の先輩として尊敬していた日高が、なぜか初対面から自分に迫って来たのには参ったが、郁としてはそれはボー
イズラブの音撮りの延長上・・・・・つまりは仕事上演じた恋人の雰囲気を勘違いしているだけだと思いたかった。
郁としては同性の日高を好きになるとは考えられないし、考えたくない。
 ただ、日高の手でイかされてしまったという事実もあり、全てが錯覚と言い切れないところが困るが、それでも何とか郁
は最後の一線だけは死守しようと、何時も日高には緊張感を持って対峙していた。



 そんな日高との1ヶ月ぶりの仕事は、やはりボーイズラブのドラマCDだった。
仕事としては1ヶ月ぶりだが、3日に一度は電話をくれる日高の意外なマメさにあまり久し振りという感じはしない。
それでも、日高の心地良い声を生で聞くのは楽しいので、郁はそれなりに楽しみにスタジオまでやってきた。
しかし・・・・・。
 「日高さん、今日はよろしくお願いします」
 「・・・・・ああ」
 「日高さん?」
 「・・・・・」
 挨拶をした時から日高はあまり機嫌が良くないようで、郁以外のスタッフや監督にさえも口数は少なかった。
(何だろ・・・・・?何かあったのかな・・・・・)
元々、後輩の郁の方から気軽に声を掛けられるというわけではなく、午前中の打ち合わせは重い雰囲気のまま終わっ
てしまった。
録音は午後からなので少し時間はあったが、このまま気まずい時間を日高と過ごすのも嫌なので郁は会議室を出よう
としたが・・・・・。
 「郁」
 「・・・・・あ、はい」
 不意に名前を呼ばれた郁は、慌てて足を止めて振り返った。
 「・・・・・先週、神林と撮りがあったって?」
 「え、あ、はい」
日高が言う神林とは、日高より1歳年は上だが、芸歴は2年下の声優だ。
日高と同じ様な甘い声の持ち主である神林も、ボーイズラブの攻め役の常連で、人気で言えば日高と肩を並べるくら
いらしい。
 その神林と先週初めて仕事をした(もちろんボーイズラブのドラマCD)郁は、陽気で話しやすい神林との仕事を思い
出して思わず笑みを浮かべた。
そんな郁の表情を見た日高は、しんなりと眉を顰めて言った。
 「・・・・・で?」
 「で?」
 「神林(かんばやし)に愛してると何度言った?」
 「はあ?」
 「『聖フォンヌ学園シリーズ』の撮りだったろ?ルイス役のお前はリック役の神林に何回愛してるって言ったんだ」
 「・・・・・」
 いったい、どういう理由でそんな事を聞いてきたのかは分からないが、機嫌が悪い日高をこれ以上怒らせたくなくて、郁
は何とかその日の撮りの事を思い出しながら答えた。
 「え・・・・・と、20回、くらい?」
 「・・・・・バカ」
 「え?」
 「俺以外の相手とラブシーンするなって言ったろ?それも、女相手じゃなく男相手に」
 「ひ、日高さん?」
(何言ってるの?)
 日高が言っていることは言いがかりといってもいいことだった。
確かに神林相手に愛してるとは言ったが、それはあくまでも仕事の上でプライベートではない。
それは日高も分かっているはずだ。
 「あ、あの、日高さん」
 「愛してるなんて軽々しく言うな」
 「・・・・・」
 「郁」
 「・・・・・だって、仕事ですよ?」
 「仕事でもだ」



(・・・・・子供と一緒・・・・・)
 それまで、郁にとっては日高ははるかに大人で、何時も余裕でからかわれていた。
そんな日高に勝てるはずが無くて、半ば引きずられるように付き合ってきたのに、今目の前にいる日高は子供と同じに無
理な我が儘を押し付けようとしてくる。
郁は驚きと共に・・・・・何だかおかしくなってしまった。
 「・・・・・日高さんだって、色んな人に愛してるって言ってるじゃないですか」
 「俺は仕事とちゃんと割り切ってる」
 「俺だってそうですよ」
 「・・・・・お前は駄目だ」
 「だから、どうしてですか?」
 「・・・・・お前の声はそそるから。相手が本気になったらどうする」
 「・・・・・」
(すっごい欲目・・・・・)
 誰もが同性相手に欲情を抱くとは限らないのに、そんな小さなことにさえ妬く日高が急に可愛く思えた。
自分の事を本気で好きなのか、それとも仕事上の相手としての独占欲かは分からないが、日高ほどの男がこんな風に
理不尽な我が儘を言うのは・・・・・。
 「分かったか?」
 仕事の内容はほとんど事務所が決めるので郁が言い切ることなど無理なのだが、それでも何時も余裕の日高を翻
弄出来るせっかくの機会をみすみす見逃すのは面白くない。
 「郁」
 「・・・・・どうしようかな」
郁の好きなあの甘い声が、ねだる様に、甘えるように自分の名前を呼ぶことを、郁はくすぐったく思いながらもなぜか嬉し
く聞いていた。




                                                                end





「Lovely Voice」・・・・・声優ものの日高&郁です。
何時も余裕で郁をからかっている日高ですが、あの声で自分以外の人間に愛を囁くのは面白くないようです。
声に対しては余裕が無いとこなんか可愛いと思うんですが。