芳しき君 ーかぐわしききみー





 ドアを開けて中に入ってきた途端、綾辻は嬉しそうに頬を緩ませて口笛を吹いた。
 「克己!似合うわ!」
薄暗くなり掛けた街の風景をバックに、殺風景なオフィスのガラスの窓に映る倉橋の姿は、まるで静かに呼吸する色鮮やかな森の
木々の豊かな実を連想させる。
 「・・・・・ありがとうございます。お2人の準備は?」
 「バッチリ!もう、私、自分のセンスの良さに惚れちゃうわ〜」
 「まさか、私の分も用意しているとは思いませんでしたよ」


 話は先週にさかのぼる。
土曜日、珍しく仕事が早く片付いた海藤は、自ら真琴を迎えに行ってバイト先まで送ることになった。
その時偶然に事故による渋滞を回避した裏道で、真琴は懐かしい光景を目にしたのだ。
 「あっ、土曜市!」
 それは夏の間(主に夏休み期間)土曜日の夜開かれる夜店の市だ。
故郷では兄弟とよく行ったと懐かしがった真琴の為に、海藤は今日真琴を土曜市に連れて行くことにしたのだ。
 俄然張り切ったのは綾辻で、この一週間で真琴と海藤の浴衣(もちろん手縫い)を用意した。
まさか、自分と倉橋の分まで用意しているとは、倉橋も30分前までは知らなかったことだ。


 「マコちゃんは淡い萌黄(もえぎ)色でしょ?社長は藍墨茶(あいすみちゃ)で、克己が黄橡(きつるばみ)、私が海老茶(えびちゃ)
ね。ね?イメージぴったり」
 「そうでしょうか?」
ワザと難しい言い方をしているが、要は真琴が黄緑、海藤が濃いグレー、綾辻が赤茶で、倉橋が黄色がかった橙色だ。
少し派手な感じがして気が進まなかったが、こうして着てみると、しっくりするような気もした。
 「でも、残念!克己の着付けしてあげたかったのにい〜」
 「私は母から教わっていましたので」
 「ふ〜ん。でも、和服ってやっぱりいいわね〜」
 綾辻は綺麗に浴衣を着こなしている倉橋の背中に回った。
ほぼ同じ身長の2人。
意外と鍛えている綾辻は着痩せする方で、スーツなど着ている時はほっそりとしたシルエットだが、こうして身体の線が目立つ浴衣
などを着た時は、肩から胸に掛けてしっかりとした筋肉が着いているのがよく分かる。
それに反して倉橋の方は、普段はタイトな背広を着ているせいかしっかりとした体付きに見えるが、浴衣から覗く首筋はほっそりとし
てどこか頼りなくさえ見えてしまう。
今も綾辻は倉橋の白く綺麗なうなじに触りたくなって、そっと指を触れさせた。
 「!」
 ビクッと身体を震わせた倉橋は、慌てて綾辻の傍から離れる。
 「なっ、何をするんですかっ?」
 「ん〜?綺麗だな〜って思って」
 「本当に欲望に忠実な方ですね。こんな見るからに男と分かる身体に触れなくてもいいものを」
 「だからいいんじゃない。特に克己は禁欲的でそそるわよ?」
 「嬉しくありませんよ」
 男とはかくあるべしといった父親に育てられた倉橋は、身長はある程度伸びたものの、鍛えてもなかなか筋肉の付き難かった自分
の身体には多少のコンプレックスを抱いている。
だからこそ、綺麗に筋肉の付いている綾辻に対してはコンプレックスさえ抱いているのだ。


 頑なに自分の手を拒絶する倉橋が可愛く、綾辻はどうしてもからかいたくなってしまう。
それでも今までは仕事ばかりでなかなか隙を見せなかった倉橋だが、海藤が真琴と付き合うようになり、男同士というイレギュラー
な関係に、常識人の倉橋は戸惑うことも多くなって、その分綾辻に相談してくることが多くなった。
それまでは、堅い倉橋はチャランポランに見える綾辻を苦手にして、何時もどこか距離をおいた感じだったのだ。
 「ね〜、克己〜、最近女いないでしょ?」
 「・・・・・今はとても忙しくて、女に構っている時間はないですね」
 あなたと違ってという倉橋が、どこか子供っぽくて笑いを誘う。
 「や〜ね〜。私もここのところ全然無しよ?社長はこき使ってくれるし、克己は可愛く誘ってくるし」
 「なんですか、それは」
ヤクザという家業に就きながら、どこか清廉潔白な感のある倉橋には、綾辻の屈折した感情は想像出来ないだろう。
白いものほど黒く汚してしまいたいという思いは。
 「ねえ、克己、キスしていい?」
 「・・・・・私は女ではありませんよ」
 「そんなの分かってるわよ」
 「じゃあ、却下です」
 「ケチッ」
 そう言いながらも綾辻は笑う。
急ぐ必要はないし、待てば待つほど禁断の蜜の味は甘いはずだ。
見かけとは違い気の長い綾辻には、その時間さえ楽しいものだった。
 「ほら、社長とマコちゃんが待ってるわよ、急がなくちゃ」
 「誰が足止めしてたんですか」
 呆れたように言いながら、倉橋は先にドアを開けた。
その後ろに立った綾辻は、目線の先にある白い首筋に頭の中で歯をたてる。
口の中で、甘い血の味が広がったような気がした。



                                                                end






影で人気のある倉橋+綾辻です。
綾辻さんがどういった意味で倉橋さんにちょっかいをだしているのか、少しだけでも見えてきたでしょうか?
自由人綾辻勇蔵、恐るべしです。