海藤&真琴編
マンションの地下駐車場まで送られた海藤は、そのまま部屋に直通のエレベーターに乗り込んだ。
チラッと見た時計の針は、まだ午後八時を少し過ぎたくらいだ。
今日は予定されていた接待がなくなり、思いのほか帰宅が早くなった。真琴の方もバイトが休みのはずなので、今頃は
部屋で海藤の帰りを待っているだろう。
誰かが待っている部屋に帰るというのがどんなに心地好いものか、海藤は真琴と暮らし始めてずっと実感している。
人を鬱陶しいと、関係を持った女達でさえ煩わしいと、ひと時でも一緒にいる時間を持たないようにしていた自分がすで
に懐かしく感じる。
変わっていく自分には戸惑うこともあるが、これはけして悪いことではないと思った。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
当たり前の言葉を交わすと、ごく自然に重なる唇。
玄関でその気になっても困るので触れるだけのものでしかないが、いまだ初々しいままの真琴の顔は既に真っ赤になっていた。
「今日は早かったですね」
「ああ、一つ約束が流れた。・・・・・どこか行くのか?」
海藤は真琴の手にあった財布に視線を向けながら聞く。
すると、真琴は近くのコンビニに行ってくると答えた。
「急に甘い物が食べたくなっちゃって。あ、海藤さん、夕飯は?」
「まだだ。お前は」
「俺もまだです。じゃあ、夕飯を先にした方が・・・・・」
そう言いながら部屋に戻りかけた真琴を海藤は止めた。
一緒にコンビニに行こうと言った時、真琴はかなり驚いたらしく目を丸くしていた。
実を言えば、海藤はコンビニに行ったことがない。必要なものはあらかじめ用意されているし、移動の途中に寄るということ
もなかった。
行きたくないわけではなく、単に行く機会が無かっただけなのだが・・・・・真琴からすれば海藤とコンビニはあまりにもミスマッ
チのようにしか思えなかったようだ。
しかし、もちろん一緒に行くのが嫌というわけではないようで、真琴は直ぐに嬉しそうな顔になって頷いた。
たった今上がってきたばかりのエレベーターを、今度は2人一緒に降りる。
そのままエントランスを出て外の空気に触れると、真琴は楽しそうに海藤を振り返って言った。
「こんな風に2人で歩くのなんて初めてですよね」
「・・・・・そうか?」
「そうですよ。それも、行き先がコンビニなんて・・・・・なんかおかしい」
・・・・・そうかもしれないと思った。
学生の頃はともかく、この世界に入ってからは色々な周りの事情を考えて、出来るだけ1人で行動しないようにしている。
警備上のことももちろんだが、海藤自身思いついて突然何かをするということがほとんどないのだ。
(コンビニなんて、真琴と一緒じゃなければ行くこともないしな)
「・・・・・」
「・・・・・」
少し離れたところには、海藤の護衛が一定の距離をあけて付いて来ている。立場上どうしても完全に1人きりにはなれ
ない海藤だが、付いている護衛は海藤のそんな心情もちゃんと察して、真琴には気付かれないように万全を期して行動
していた。
「あんまり、人がいないですね」
高級住宅地の一角であるこの辺りは、時折犬の散歩をしている者以外の姿はあまり無い。
海藤はチラッと向けてきた真琴の視線に、静かに笑いながら言った。
「真琴」
「はい?」
「手」
「あ・・・・・」
そっと海藤が真琴の手を握ると、真琴は真っ赤になりながらもそのままキュッと握り返してきた。
あの視線の意味は手を繋ぎたいということだと思った自分の考えに間違いはなかったらしい。
暗い夜道のこんな時ではないと、男同士・・・・・それも見るからに兄弟には見えない自分達が気兼ねなく手を繋ぐことも
出来なかった。
(俺が、真琴の人生を歪めたからな・・・・・)
本来は明るい日の光の下で、優しい少女と手を繋ぐことが似合う真琴。
暗いこんな夜にしか一緒に手も繋ぐことが出来ない恋愛を強いていることを可哀想だとは思う。
それでも海藤は真琴を手放すことは出来なかったし、真琴の隣に自分以外の人間が立つことも考えられなかった。
(お前は、俺のものだ)
真琴が海藤のものであると同時に、海藤も真琴のものだ。
この先、真琴以外の人間を抱くことは無いだろうし、欲しいとも思わない。
「何を買うんだ?」
「新作のデザートが出てないかなって思って。コンビニって意外と品数があるし、珍しいものも揃ってるんですよ」
海藤に教えることが楽しいのか、真琴は最近食べたというデザートやお菓子の話を批評を加えながら説明をした。
その内容も珍しいとは思うが、海藤にすれば楽しそうに話している真琴の表情を見ているだけで、こうして今夜一緒に出
掛けたことが間違いではなかったことを確信する。
「あ、海藤さんは甘いものあまり食べないですよね?」
「お前が食べているのを見る方が楽しいからな」
「俺の?な、なんか、変な顔して食べてます?」
慌てたように繋いでいない方の手で自分の顔を触る真琴が可愛い。
海藤は思わずクッと笑みを漏らした。
ごく普通の、たわいのない会話。
車ではなく、徒歩でゆっくりと2人で歩く道。
何気ないこんな日常を、ヤクザである自分が送れるなんて思ったことは無かった。このかけがえの無い幸せを、この大切で
愛しい存在を、絶対に不幸にはしたくない。
「お前が選んだものなら1つくらい食べてみようか」
「本当にっ?わ〜、すっごく悩んじゃいますよ〜」
コンビニまではもう10分。
もうしばらくはこの繋いだ手を離さなくてもいいだろう。
海藤は今にも繋いだ手を揺らしそうなほどに弾んだ足取りになる真琴に付き合うように、何時もより遥かにゆっくりとした足
取りで歩いていた。
end