海藤&真琴編
「え?海藤さん?」
その日、バイトの早番が終わって店の裏口に出た西原真琴(にしはら まこと)は、そこに立っていた人影を見て思わ
ず声を上げてしまった。本来は何時も運転手をしてくれる海老原がいるのだが、今日は真琴にとって最愛の人、海藤
貴士(かいどう たかし)がそこにいたのだ。
驚きの次には嬉しさが溢れて、真琴はパッと海藤の傍へと駆け寄った。
開成会というヤクザの組の会長である海藤と、普通の大学生である自分が出会ってもう2年以上経つ。
当初は出会った方法や、海藤の生業。それに、男同士ということにどうしても弱気になってしまった真琴だが、海藤とい
う男を知るにつれて惹かれる気持ちは止められず、今はこうして一緒に暮らす仲になっていた。
ヤクザであると同時に、企業の社長でもある海藤はとても忙しく、真琴もバイトをしているので四六時中一緒にいると
いうわけではないが、海藤は出来るだけ真琴との時間を作ってくれようとする。
深夜に近いバイト終わりに迎えに来てくれることも多いが、何も連絡が無くて来ることはあまりなく、今日も全く迎えに来
てくれることを知らなかった。
「びっくりした!」
「丁度仕事が終わった時、時間が合いそうだと思ってな」
「ありがとうございます・・・・・嬉しい」
申し訳ないと思っていても、海藤には素直な感情をぶつけることにしている。彼がその方が喜ぶし、真琴も嬉しいとい
う感情の方が大きいからだ。
「何か食べて帰るか?」
「そうですね〜」
(今から帰って作るのも時間掛かるかな)
料理はほとんど海藤がしてくれるし、自分はようやく助手が出来る程度なので、今から夕食を作るのには海藤の方に
負担が掛ってしまう。
時間は午後8時過ぎ、まだ店は開いてるなと思っていた時、
「マコッ、忘れ物!」
いきなり裏口のドアが開くと、そこから同僚が顔を覗かせた。
「あ・・・・・っと」
「すみませんっ」
その同僚の手に握られていたのは、大学で使う資料を入れたバックで、てっきり手ぶらで来たと思っていた真琴はすっ
かり忘れてしまっていたようだった。
「・・・・・」
「あの?」
「・・・・・魔王、だ」
「?」
小さなその言葉が聞き取りにくくて、真琴は思わず首を傾げてしまった。
顔を覗かせたバイトの顔を見て、海藤は直ぐに名前が出て来た。
真琴が関係する場所、バイト先や大学の特に親しい者は全て調査済みだ。それは真琴に対する独占欲からだけでは
なく、安全のための必須条件だった。
バイト先の人間はそれほど入れ替わりは激しくなかったが、以前、真琴を弟のように世話をしてくれていた男が就職と
共にいなくなってしまい、歯止めになる人間がいないことがネックだ。
今時ゲイも珍しくは無いものの、その対象が真琴とあっては黙っていられないが、真琴はバイト先の人間を家族のよ
うに思っているので、注意することも容易ではなかった。
(・・・・・丁度、いいか)
「真琴」
「え?」
「挨拶してもいいか?」
「挨拶?」
「そう、一応、な」
今までも何度か店を訪ねはしたが、今年入ったバイトにはまだ直接顔を合わせていない。子供相手に大人げないと
言われるかもしれないが、自分もただの男だと海藤は認めざるを得なかった。
「真琴が何時も世話になっています」
「え、あ、いえ、こちらこそ」
上等なスーツに身を包んだ端正な容貌の海藤が、店長に向かって頭を下げた。
(な、なんだか、恥ずかしいんだけど・・・・・)
自分と海藤の関係は、一部の人間(古河と森脇)にははっきりと告げていたが、他の者に対しては同居人で、世話に
なっている人としか説明をしていなかった。
それが、こんな風に挨拶をしてもらうと、何だか自分達の関係をはっきり悟られそうな気がする。
もちろん、それが嫌だというわけではないし、男の恋人がいたということで同僚達が自分のことを偏見の目で見ることは
無いと信じているが・・・・・やはり恥ずかしいのだ。
「・・・・・」
「あー・・・・・あの、うちのピザ、どうですか?」
「ありがたいですが、これから食事に行きますので」
「そうですか。また今度でもどうぞ」
「ええ、ぜひ」
低く響く声で海藤が言うと、とてもピザの持ち帰りを遠慮している風には見えない。カッコいい人はどんな時でもそうな
のだなと、真琴は思わず見惚れてしまった。
いや、それは自分だけではない。他の同僚達も、たまたま店に来ていた若い女性客も、皆チラチラと海藤を見ている。
海藤がモテることはもちろん知っているが、それを自分の目で見るのはあまり楽しいものではない。はっきり言って妬
いているのだが・・・・・海藤には知られたくなかった。
相手が自分に威圧感を感じているのは見ていて分かる。
海藤は自分が顔を見せたことで一応の成果を感じると、隣で大人しくしている真琴の腰を抱き寄せた。
「帰ろうか」
「は、はい」
男が男の腰を抱き寄せるというのはなかなか無いだろう。これだけでも自分達の間の特別な空気を分かる者は分か
るはずで、海藤はそのまま真琴と共に裏口から外に出た。
「どうした?」
少し、元気が無いような真琴に訊ねると、真琴はチラッと海藤を見、直ぐに俯いてしまう。迎えに来た時はあれほど嬉
しそうな顔をしてくれたのに、この短時間で何があったのだろうか?
(・・・・・嫌だった、か?)
海藤としては、牽制するために必要な顔見せだと思っていたが、ここで実際に働いている真琴にとっては迷惑だった
のかもしれない。
「・・・・・悪かったな」
「え?」
「お前のテリトリーに無遠慮に入り込んだ」
「え・・・・・ち、違いますよっ?」
「真琴?」
「・・・・・あんまり、言うの・・・・・恥ずかしい、です、けど・・・・・」
海藤の言葉を直ぐさま否定してくれたものの、真琴はなかなかはっきりと言わない。海藤は焦らすこと無く、真琴が自
分から理由を言ってくれるのを待っていた。
本当のことを言って、海藤は引いてしまわないだろうかと思うと、なかなか口に出して言うことが出来なかった。
自分の情けなさもそうだが、まるで海藤の愛情を信じていないような感じで、それも知られることが嫌だ。
(でも・・・・・)
きっと、海藤は自分のことを心配して、わざわざバイト先に顔を見せてくれたのだろうと思えば、自分の子供じみた情け
なさを知られるのも仕方が無い気がした。
「・・・・・みんなが海藤さんを見るの、なんだか・・・・・面白くなくて」
「面白くない?」
「・・・・・妬いちゃいました、ごめんなさいっ」
「妬いたのか?」
「・・・・・」
はいと、小さな声で答えた途端、真琴は強く身体を抱きしめられた。
「あ、呆れないんですか?」
「どうして?」
「だって・・・・・なんか、女々しいっていうか・・・・・」
「お前が俺のことを想ってくれているという証だろう?」
嬉しいという言葉と同時に重なってきた唇があまりにも優しくて、真琴は強く海藤の背中にしがみついてしまった。
愛しいという気持ちをどういう風に表せばいいのか、海藤は今もよく分からない。それでも、こうして抱きしめ、温もりを
交わし合えば、真琴にも伝わってくれるのではないか。
「・・・・・んっ」
やがて、唇を離した海藤がじっと真琴を見つめると、真琴の顔は真っ赤になっていた。
「帰ろうか」
「・・・・・はい」
早く、自分達の家に帰ろうと思う。そうして、誰にも可愛らしい真琴の姿を見せずに抱きしめる。
(夕食は・・・・・どうするかな)
今の真琴は食欲は感じていないようだし、後で何か作るかと思いながら、海藤はその腰を抱いたまま車へと向かった。
end