「溺れるほどの快感を、感じてみたいとは思いませんか」
「今日も1日頑張ろう!」
午後6時、恒例の朝礼(この世界ではこの時間が常識)でホストクラブ『DREAMLAND』No.1の牧野紘一(まきの こう
いち)が元気に言った。
見掛けは繊細な容貌で、まるで精巧に出来たビスクドールのような紘一だが、中身はとても人間臭くお人よしで、優しい男だっ
た。
仕事に対しても真面目で後輩の面倒見もいいので、ここ『DREAMLAND』の雰囲気はとてもいい。
「タイガ、今日もよろしくな」
「はい」
解散した後、牧野に肩を叩かれたNo.2の楠見大雅(くすみ ひろまさ)は笑いながら頷いた。
24歳の牧野より1歳年下の楠見だが、その物腰は洗練されていると同時に優美で、大人の男の魅力を十分に備えていた。
牧野が月なら、楠見は太陽と、お互いのウリが違うのでバランスがいい。
どちらもNo.1に構わない性格なので争いは無く、楠見は純粋に後輩として牧野を尊敬していた。
開店の準備は全て整い、午後7時に店は開く。
人気店なので直ぐに座席は埋まり、楠見と牧野だけではなく、他のホスト達もかなり忙しくなってきた。
そんな時。
「タイガさん、いいですか?」
楠見が入っているボックス席に来たボーイが声を掛けた。
「ん?どうした?」
「タイガさんご指名の新規のお客様なんですが・・・・・」
「新規?じゃあ、直ぐに挨拶に行かないとな」
「それが・・・・・」
普段は滅多に見せない躊躇いの表情を浮かべてボーイは言葉を続けた。
「・・・・・男性客なんです」
「男?」
ホストクラブに男・・・・・昔は珍しかったかもしれないが、今時は男の客も珍しくなかった。
純粋にホストとの会話を楽しみに来るものや、ゲイという趣向の為に来る者もいる。しかし、大抵は美人の牧野に惹かれた哀
れな男が多いはずで、見るからに自信家な男っぽい容貌の楠見が指名されることはほとんど無かった。
(珍しいな、俺を指名なんて)
「いいよ、行く」
「・・・・・」
「なんだ、まだあるのか?」
楠見の返答を聞いてもなかなか立ち上がらないボーイに、楠見は怪訝そうに眉を顰めた。
「・・・・・『白柳会(はくりゅうかい)』ってご存知ですか?」
「白柳会?ああ、名前だけは。まだ新興の組だよな?」
「来られているのはそこの若頭なんです」
「こんにちは、タイガです」
ボーイからの予備知識を頭に入れて席についた楠見は、そこにいる人物の意外な外見に内心目を見張った。
(・・・・・ホントにヤクザか?)
黒・・・・・いや、濃い紫か、きっちりとしたスーツに身を包んだ姿は意外なほどに細身だった。
「・・・・・」
そして、楠見を見上げたその顔は、とてもヤクザの組の若頭には見えないほどに綺麗に整っている。眼鏡の奥の切れ長の目が、
楠見の姿を認めて僅かに細められた。
「・・・・・っ」
すると、雰囲気が驚くくらい艶っぽく変わり、楠見はただ呆然とその美貌の主を見下ろすことしか出来ない。
「・・・・・どうぞ」
「あ、失礼します」
柔らかな声で着席を促され、楠見は何時に無く緊張した面持ちで男の隣に腰を下ろした。歳は自分よりも年上だろうが、30
以上には見えないほどに若い。
「ご指名頂いてありがとうございます」
「・・・・・」
「お名前聞かせて頂いても?」
「もうご存知でしょう?」
「・・・・・」
「神津です。神津倫(かみづ りん)。街であなたを見掛けたんですよ・・・・・とても、印象に残ったので」
「倫、さん」
それから、神津は2日に一度の割合で店を訪れるようになった。
初対面の時の接待はほとんど気の聞いた言葉さえ話せなかったというのに、自分のどこが気に入ったのだろうか・・・・・しかし、そ
う訊ねる隙も与えてくれない神津は、今日も30分ほど楠見相手に酒を飲んで立ち上がった。
「・・・・・」
既に一ヶ月近く、ほとんど同じその行動に楠見も慣れ、店の外まで神津を送って出る。
店の前には、これも何時もと同じ様に黒塗りの車が待っていて、神津の姿を認めた瞬間に外に立っていた男が後部座席のドア
を開けた。
「ありがとう」
「また、お待ちしています」
社交辞令とも言えない言葉を口にすると、神津は何時ものように僅かな笑みを見せて背を向けた。
「・・・・・」
「何だろうな、あれ」
「コウさん」
同じ様に客を店外まで送ったらしい牧野が、楠見の隣に立って呟いた。
「お前、あれどう思う?」
「・・・・・気分転換じゃないですか?」
「2日に一度?」
言うほどに楠見もそうは思っていなかったので、困ったように牧野を見下ろした。
「どういうことでしょうね」
「引き抜きってことはないだろ?あそこの組はこの業界には手を出してないはずだし、お前をヤクザにってのはちょっと考えられな
いし」
「・・・・・ですよね」
「・・・・・まさか、本当にお前に惚れたとか」
「・・・・・まさか」
「だよなあ」
何だろうなと言いながら店に戻っていく牧野の後ろ姿を見ながら、楠見もこれ程に通ってくれる神津の真意を測りかねていた。
男から言い寄られたことは・・・・・実は何度かある。
しかし、それは本当に片手で数えられるぐらいで、楠見の相手は100パーセント女だ。
それはプライベート、仕事と共通していて、男はどちらかといえば楠見には反感を覚える相手の方が多い。
(倫さんは・・・・・どうなんだ?)
何かを要求するでもなく、ただ静かにグラスを傾ける神津の真意が分からなくて、楠見は少しイラついている自分を自覚してい
る。
今では他の客を相手にしている時も神津の事を考えてしまうし、来るだろう日には他人には分からないだろうがソワソワと落ち着
きがなくなってしまう。
ホストという、万人を愛さなければならない職業なのに、たった1人をここまで気にしてもいいものか・・・・・。
「いや・・・・・」
楠見は呟いた。
このままでは生殺しのような状態だと思った楠見は、今度神津が来店した時その理由を聞こうと決心した。
「来なかったなあ」
「・・・・・ええ」
最後に神津が来店してから一ヶ月が過ぎた。
今度来た時はその理由を聞くぞと決意していた楠見の出鼻は挫かれてしまい、ただ神津が訪れてくれるのを待つ日々が続く。
(俺、何かしたか?)
神津が最後に店に来た時・・・・・その時も何時もと変わらない時間を過ごした。
いや。
「楠見が一番欲しい物はなんだ?」
源氏名ではなく、楠見を苗字で呼ぶ神津は、珍しくそんな質問をしてきた。
女相手ならば『君の愛だよ』と冗談っぽく言うくらいだが、なぜか神津には真面目に答えなければならないような気がした。
あの時自分は何と答えたか・・・・・。
「焦がれる想い・・・・・ですか。誰かを欲しいと本気で思う気持ち」
「!」
(もしかして・・・・・これがそうなのか?)
神津に会いたいと思うこの気持ちは、もしかして愛なのだろうか。
今まで仕事で数限りなく愛の言葉を囁いてきた楠見には、本当に大切な言葉というものが良く分からない。恵まれた容姿で、
自分が手を伸ばす前に向こうから落ちてくるばかりだった恋愛。
いや、そもそもこれまでのものは恋愛といえるものなのだろうか。
「欲しいと・・・・・思う・・・・・か」
時間は緩やかに流れる。
その間も、楠見の神津に対する気持ちは一向に薄まることは無かった。
かえって、この『焦がれる気持ち』を真っ直ぐに見つめることが出来、自分が神津倫という男に惹かれているのだということを自覚
した。
綺麗な顔だけではなく。
しなやかな肢体だけにではなく。
あの、深く何かを湛えたような目を自分のものにしたい。
白柳会の事務所に神津を訪ねるのは簡単だった。
しかし、神津の投げかけた答えはそんなに簡単なものではないと思う。むしろ、この状況をもっと楽しむようにと、最後に笑ってい
た目が言っていた気がして、楠見はただ神津の訪れを待った。
それから、10日程して・・・・・。
「タイガさん、神津さんがご来店ですっ」
「・・・・・っ」
ボーイの言葉に、思わず走り出してしまいそうになるのを何とか抑え、それでも楠見は早足で玄関まで向かった。
「倫さん・・・・・」
「ああ、楠見」
その口調に、一ヶ月半ほどのブランクは全く感じなかった。
相変わらずの綺麗な顔に、読めない不可解な笑み。
しかし、楠見が不安になることはない。この時間に考えることは色々あったし、何より焦がれているのは自分だけではないはずだ。
「何時ものでいいですか?」
「ああ」
席に座り、グラスに酒を注いでいると、じっと横顔に視線を感じる。
楠見はそれに何も言わず、そっとグラスを差し出した。
「どうぞ」
「・・・・・」
どちらが先に口を開くか・・・・・勝負ではないのに、楠見はドキドキと気持ちが弾む気がしていた。
あちらが先に仕掛けて、自分が受け取った。
次は・・・・・。
「倫さん」
楠見が名前を呼ぶと、神津はチラッと視線だけを向けてきた。
「プレゼント、ありがとうございます」
「・・・・・」
「たっぷり、堪能出来ましたよ」
そう言うと、神津は少し笑った。
「それは良かった」
「次は俺ですよね」
「・・・・・」
楠見は手を伸ばし、グラスを握っている神津の手を上から握った。
見た目以上にほっそりとした指に触れたのは今日が初めてだ。
「楠見?」
そして、今まで押されっぱなしだった自分が反撃に出るのも今日が初めて・・・・・いや、これから先を考えれば最初になるだろう。
「溺れるほどの快感を、感じてみたいとは思いませんか」
自分の手の下の指がピクッと震えるのを感じる。
簡単な恋愛などではとても感じることが出来ないだろう駆け引きが出来る相手。相手がヤクザでも何でも関係なかった。
「倫さん、どうです?」
薄い唇がゆっくりと開く。
楠見は出てくる言葉をじっと待っていた。
多分、イエスとしか言わないだろう答えを・・・・・。
end
読みたい話、「ホスト×ヤクザ受」。リクエスト回答第14弾です。
一応片方がヤクザなので、ヤクザ部屋のお礼SSとしてみました。社会人部屋「RESET」の牧野さんもゲストで出てます。