閑話 〜昂也のいない風景〜
紅蓮と9人の赤ん坊達
最後の報告書に目を通した紅蓮が立ち上がった。
「紅蓮様、どちらに?」
「子供達の所だ」
返ってきた言葉に、黒蓉がしんなりと眉を顰める。
「紅蓮様自らが足を運ばれなくても、子供達は神官達が手厚い世話をしています」
確かに、竜人界でも希少な新しい命は大切に保護され、きちんとした世話をされていることは分かっていた。
実際、皇太子だった紅蓮は世話をされてもすることはなく、何が出来るということはなかった。それでも、もしもコーヤがここにい
たとしたら・・・・・きっと言うであろう言葉が思い浮かぶのだ。
「大事な子供たちなんだろう?ちゃんと目を見て話してやてよ」
「私の民だ。健やかな成長をこの目で見るのは当然だろう」
「紅蓮様・・・・・」
はっきり言ってしまえば、子供にどう対したらいいのかはよく分からない。
泣かれたら焦ってしまうし、こちらを向いてくれなければ当惑してしまう。それでも、幼い子供達が紅蓮を王だと認識するのは無
理なのは分かるので、紅蓮は出来るだけ穏やかな気持ちで接するように心掛けていた。
「紅蓮様」
紅蓮が部屋の前まで行くと、丁度神官が中から出てくるところだった。腕に沢山の布を抱えている様子を見ると、どうやら着替
えさせた直後のようだ。
「よい」
そのまま腰を折ろうとした神官を紅蓮は止める。手に荷物を持ったままで負担になるようなことはしなくてもいい。
「様子は」
「着換えさせたばかりですので、今は目覚めております」
「状態は」
「皆健やかに成長しております」
「そうか」
聖樹との戦いで気が乱れた時、まだ弱い存在の子供達にどんな影響があっただろうかと心配だったが、どうやらその成長を妨
げられることはなかったようだ。
案内しようとする神官を下がらせると、紅蓮はそのまま静かに扉を開けた。
子供達は温かい気に包まれた一室にいた。
起きていた彼らは、姿を現した紅蓮に這い寄って来る。
「あー」
「青丹(あおに)」
八人の中で一番成長の早い青丹は紅蓮の腕の裾にぶら下がろうとしていた。まだ立ち上がることも出来ないのにと思いながらそ
の小さな身体を抱き上げると、今度は足元に二人がやってきた。
「柑子(こうじ)、山吹(やまぶき)」
「あー」
「うぁー」
「千草(ちぐさ)、桔梗(ききょう)、珊瑚(さんご)・・・・・ああ、真朱(まそお)は眠っているのか」
「・・・・・」
部屋の中央にある温かな布に包まれたまま眠っている子供達の顔を見ると思わず頬に笑みが浮かんでしまう。
しかし、後一人いないことに気付き、辺りを見まわして、
「白銀(しろがね)」
隅に、小さく丸まっている子供を見付けた。一番最後に孵化したこの子は他の子供達よりも一回り小さく、色素も薄かった。
それなのに、背中や腹の鱗は、成長していってもなかなか薄くなっていかない。成長の度合いとは別に、祖竜の血を多くひいてい
るのかもしれなかった。
「・・・・・」
紅蓮は床に腰を下す。
途端に寄ってくる子供達の目には自分はどんなふうに映っているのか興味があった。
(逃げられないだけいいか)
子供達を膝に抱けば、いつかこんな光景を見たなと思う。
それは、もう諦めていた卵が孵化をした時、目覚めたばかりの赤ん坊達はコーヤに抱きついていて、まるでコーヤが親であるよう
に甘えた様子を見せていたあの時と同じ・・・・・。
「・・・・・」
(コーヤは、どのように思うだろう・・・・・)
白鳴に、いいかげんに子供達に名前を付けてやって欲しいと言われ、紅蓮は初めて人の名付け親になった。
本当ならばこれはコーヤの役割だったのではないかと思いもしたが、王である自分が新しい自身の民に名を付けることは当然の
役割だと思い直した。
ただ、呼ぶための名前では無く、その子供達が一生背負うに相応しい名前を考え、ようやく名付けたのはつい昨日のことだ。
「ありがとうっ、グレン!みんな喜んでるよ!」
「・・・・・コーヤ?」
まるで、直ぐ傍で聞こえた気がするコーヤの声。
自分の今していることをコーヤが認めてくれていると思えて何だか嬉しい。
「あー」
「あう」
「うぅ〜」
「あうあ〜」
そして、まるで何かを見るように顔を上げている子供達。
紅蓮も同じ方向を見たが当然そこには何も無くて、がっかりとした思いで大きな溜め息をついてしまった。
コーンコーン
その時、扉が何かで叩かれたかと思うと、ゆっくりと押し開けられて姿を現したのは青嵐だ。まだ満足に歩くことも出来ないくせ
に、青嵐は勝手に一人で動き回るのだ。
「青嵐?一人で来たのか」
角持ちである青嵐は外見と内面の成長が桁違いに違っている。赤ん坊とはいえ心配することはないが、コーヤが何時も抱いて
気にかけていただけに、紅蓮もつい保護者のような気持ちになってしまった。
「お前も来い」
「う〜あ」
青嵐はゆっくりと這ってくると、他の子供達とは少し距離を置いた所で蹲る。
「お前もここに来ていいのだぞ」
「・・・・・」
「それとも、お前が眠るのはコーヤの膝の上だけか」
返事は、無かった。
「・・・・・」
(早く戻ってこい)
コーヤは戻って来なければならない。待っている者がこんなにもいるのだ。
「・・・・・私も・・・・・」
この空間にコーヤがいないことだけが不思議で、胸が締め付けられるようだ。
紅蓮は優しく虚しいこの時間をやり過ごすために、温かな子供達の身体を抱きしめながら目を閉じた。
end
江幻と愛弟子
「予想していたよりもボロボロだな」
江幻は長年暮らしてきた愛着のある我が家を見上げ、しかたがないなと苦笑を浮かべた。
そんなに長い時間留守にしていたつもりはなかったが・・・・・。
「そう言えば珪那(けいな)はどうしているだろうか」
正式な官位を貰ってはいない自分を慕ってくれ、神官見習いとしてこの家に通ってくれた。
のんびりとした自分に代わって身の回りの世話もテキパキとしてくれていた彼のことを忘れていたわけではなかったが、何も伝え
ないままこの地を離れてしまったことを怨まれてはいないだろうか。
「とにかく、少し整理をしてからまた出掛けないと」
コーヤを捜しに行く前にと立ち寄った火焔(かえん)の森は、変わらずに優しく江幻を出迎えてくれた。
蘇芳も自身の家に寄ると言っていたので別行動を取ったのだが・・・・・この様子を初めに知っていれば蘇芳も呼んで、小屋の掃
除に手を貸してもらえば良かったかもしれないと思った。
ガタガタッ
音を鳴らして木の扉を開けると、案外中は埃っぽくはない。いや、それどころか・・・・・。
(中は片付いている?)
外見の汚れからすれば、中はかなり綺麗だ。一体どうしてだと考えた理由は、唐突に響き渡った声で分かった。
「江幻様っ?」
「珪那か。相変わらず元気そうだ」
「げ、元気そうだじゃない!」
喚くような声で言ったかと思うと、ドンという衝撃と共に小さな身体が腕の中に飛び込んでくる。
(それほど変わってはいないか)
抱き締めた感触ではそれほど時が経ったという感覚ではなくて、江幻は怒りながら泣いている珪那の身体を抱き締めてよしよ
しと頭を撫でた。
いったいどこで何をしていたのだと言う珪那に、どこまで説明していいものか分からなかった。
あまり細かなことを言っても、珪那が理解出来るとは思えない。ただ、少し前の大きな気の揺れは感じ取っていたらしく、そのこ
とで自分が手を貸しに行ったのだと告げた。
「それならそうと、説明をして行って下さいよ!いきなりいなくなられて、どうしたらいいのか分からなかったじゃないか!」
「少し急いでいたから」
「ま、毎日来てもっ、江幻様、い、いなかったし!」
こうして話していても、珪那は江幻が逃げないようにしっかりと裾を掴んでいる。
母親にしがみつく子供のようなその仕草を馬鹿にすることなど出来なくて、江幻は珪那の目を真っ直ぐに見つめながら彼の言葉
を聞いていた。
「ひ、一人じゃ、何をしていいのかも、分かんなくってっ」
「うん」
「ど、どうしたのか・・・・・って・・・・・」
「心配掛けたね」
弟子にすると言葉で認めたわけではなかったものの、自分を慕ってくるこの少年を可愛がってはいたつもりだ。
ただ、ここまで慕われていたとは全く考えていなくて、身寄りなどいないと思っていた江幻は何だかくすぐったい思いがした。
「お一人ですか?」
「ううん、蘇芳も一緒だった」
その名を出した途端、やっぱりと眉を顰めた珪那の蘇芳への信頼度は低い。
江幻を引っ張りだしたのは蘇芳だという認識が珪那の中で確定をしてしまったようだが、今それを訂正するつもりが江幻には無
かった。
「また直ぐに出掛けなければならないんだ。荷物を取りに寄っただけなんだが・・・・・」
「また出掛けられるんですか・・・・・」
やっと帰ってくれたのにという小さな呟きに、江幻はその頭を撫でる。
「一人でも出来る修行はあるだろう?しっかりと頑張りなさい」
「・・・・・はい」
珪那は引き止めはしなかった。江幻がそう言い切ったからには、既に決定事項なのだと彼の中では納得をしたのだろう。
その辺りは師弟関係がはっきり出来ているなと江幻は笑みを浮かべた。
「中を掃除してくれていたんだろう?ありがとう、珪那」
「あ、当たり前のことだし」
褒められた珪那はわざとぶっきらぼうに言い放つが、耳まで赤くなっている様が微笑ましい。
「直ぐに行かれるとおっしゃいましたが・・・・・直ぐに?」
「・・・・・今夜はここで休むよ」
「本当にっ?」
本当は、このまま蘇芳のいる町へと向かうつもりだったのだ。久し振りに賑やかな人々の中に混じり、酒を酌み交わして新たな
気持ちでコーヤを捜しに行くつもりだったのだが、毎日ここに通って来てくれていた珪那にここでさよならとは言えなかった。
今も、江幻がそう言うと、こんなにも嬉しそうに目を輝かせている。
「一緒に食べれるかい?」
「直ぐ準備します!」
火を起こそうと台所に走って行く珪那に、江幻は慌てなくて良いからと笑いながら言った。
久し振りに二人で食事の支度をした。
これが日常だったのに、意図しない間に随分と自分の周りは変わっていた。過去を振り返るつもりはないが、穏やかで優しいこ
の時間は心地良い。
「ねえ、江幻様」
「ん〜」
「コーヤ、どうなりました?」
「・・・・・コーヤ?」
「江幻様と同じくらいから姿が見えなくなったから一緒かと思ったけど・・・・・。あいつ、角持ちとも一緒だったし、ちゃんと無事で
いるのかなって」
共に過ごした時間は短かったというのに、珪那の中でしっかりとした位置を占めていたコーヤ。
江幻は自分達以外にもあの存在を覚えている者がいることを素直に嬉しいと思う。
「コーヤのことが心配?」
「江幻様?」
「そうだね、どんな話をしようか」
思いがけなく大きな役割を持つことになってしまったコーヤの冒険を全て話してみたい。
それが無理でもコーヤの持つ温かな雰囲気を、珪那ならば感じていたはずでそれについて話してみようか。
(コーヤのことを話せるだけ・・・・・嬉しいし)
今は傍にいない存在を、けして幻ではなかったのだという証が欲しいと思うのは・・・・・それだけ江幻も、寂しいという気持ちが
強いからかもしれない。
コーヤの失敗話をすれば、顔を真っ赤にしたコーヤが戻ってくるかもしれないという馬鹿なことを考えながら、江幻は戸惑ったよ
うに自分を見上げる珪那に微笑みかけた。
「全部話すには時間が足りないかもしれないな」
end