可愛い素顔
2週間のイタリア出張から戻ってきた綾辻は、空港からそのまま事務所にやってきた。
長旅と、結構きついスケジュールだったので、海藤からはそのまま帰宅してもいいと言われたのだが、2週間も倉橋の顔
を見ていないので、お土産を渡すという口実でこちらにきたのだ。
「あ、綾辻幹部」
「あら、何そんなに慌ててんのよ?」
丁度、ビルの入口でかち合った組員の顔は僅かだが引き攣っているようで、綾辻は軽い口調ながらも厳しい視線を向
けて言った。
「それが・・・・・」
「克己が倒れたって本当かっ!」
最上階の役員用会議室に飛び込んだ綾辻は、そこに真琴の姿を見つけて思わず足を止めてしまった。
「あ、綾辻さん?」
突然現れた綾辻に真琴は驚いたようだったが、綾辻もこの場に真琴がいるという事に内心うろたえた。
「・・・・・マコちゃん」
「え、あ、出張に行ってたんですよね?今日帰ってきたんですか?」
「え、ええ、ついさっき」
「お帰りなさい」
「ただいま、マコちゃん。お土産あるわよ」
「すみません、わざわざ」
ここになぜ真琴がいるのかは分からなかったが、綾辻は先程の自分の慌てぶりを誤魔化そうと頬に笑みを浮かべながら
言った。
自分と倉橋の関係を言葉で説明しようにも難しいし、何より倉橋は他人に知られることを好まないだろう。
出来ればはっきりと宣言して、倉橋に伸びる誘惑の類は全て断ち切りたい綾辻は不満もあったが、一応そんな倉橋の
意思は尊重していた。
それでも心配は心配で、綾辻は部屋の中を見回しながら聞いた。
「さっき下で聞いたんだけど、克己が倒れたって・・・・・」
「そうなんですよ、急でみんなびっくりして・・・・・。ついさっきお医者さんが帰ったんですけど、過労と寝不足と貧血が重
なったって」
「・・・・・そう」
(なにやってんだ、他の奴らは・・・・・っ)
開成会では年功序列というものがなく実力主義なので、名ばかりの幹部という存在は少ない。
会長の海藤自身がかなりの激務をこなしているが、その段取りを整えるのは全て倉橋の役目だ。
今回、綾辻が海外に出張中で、何時もなら綾辻に回るような仕事も倉橋がこなしていたのだろう。他の人間に手分けし
てさせるという楽な方法を取らないだろうそんな事情が直ぐに想像出来て、綾辻は僅かに眉間に皴を寄せた。
それでもともかく、命に関係ないと分かってホッとする。
「それで、マコちゃんはどうしたの?呼び出されてこき使われてる?」
やっと、心境に余裕が持てた綾辻がからかうように言うと、真琴は慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違いますよっ。俺はたまたま海藤さんと約束があって。倉橋さんが急に倒れたって聞いて、少しでもお手伝いでき
ればと思ったんだけど・・・・・片付けくらいしか出来なくって」
真琴の言葉通り、会議室のテーブルの上には様々な書類が広げられている。
それは真琴の目に入っても支障がないようなものなので、海藤も任せようとしたのだろう。
「今眠ってますけど、会われますか?」
真琴の言葉に、綾辻は迷いなく頷いた。
役員用のフロアにある仮眠室。
そこは幹部以上の者しか利用出来ない場所で、ちょっとしたビジネスホテルのシングルの部屋くらいには設備が整ってい
た。
「今、注射で眠ってるんです」
真琴の言葉通り、何時もなら人の気配に敏感な倉橋が、2人人間が顔を覗き込んでもいっこうに目を覚まそうとはし
なかった。
「倉橋さんて・・・・・綺麗な顔してますよね」
「ん?」
「そう言ったら怒られそうだけど・・・・・」
「そうね、きっと怒るわね」
何時も鎧の様に掛けている眼鏡を外すと、驚くほど端正な顔がそこにあった。
身長はそれなりにあるものの、体格的には華奢な部類の倉橋。
秀麗な自分の顔も気に入らないらしく、それほど視力は悪くないはずなのに、わざと眼鏡を掛けているようだ。
かえってそれがストイックな色気になっているのにと、綾辻は常々思っていたが・・・・・。
「眼鏡止めてコンタクトにしたらいいのに」
「それ、克己に言ったら怒るわよ」
「え?」
「それに、マコちゃん、考えてみたら?もし、社長が眼鏡をしてなかったとしたら・・・・・どうなると思う?」
「海藤さんが?」
真琴は不思議そうに繰り返し、考えたようだったが・・・・・やがて可愛い皴を鼻の上に作って呟いた。
「なんか・・・・・今以上に心配しそう・・・・・」
「ふふ。眼鏡で少しは顔が隠れているものね。素顔が見えたら今以上にモテちゃうかも」
「あ、綾辻さんっ」
「多分、克己も同じよ。少し、人間嫌いなとこがあるから、出来るだけ人を近付けない様に武装してるの」
「・・・・・綾辻さんは倉橋さんのこと、よく分かってるんですね」
「さあ、どうかしら」
じっと倉橋の寝顔を見つめる綾辻に、真琴は心配性だなと苦笑しながら言った。
「俺、会議室片付けてきますから」
「そんなこと、組員にやらせればいいわよ」
「少しでも役に立ちたいんです。綾辻さん、倉橋さんのこと、見ててくださいね」
海藤が聞けば喜びそうなほど健気なことを言って真琴が部屋を出て行く。
その後ろ姿を見送った綾辻は、そのまま視線を倉橋に戻した。
「克己・・・・・お前、無茶し過ぎ」
綾辻が止めても、多分、海藤が止めたとしても、元来生真面目な倉橋は仕事の量を減らそうとはしないだろう。
そんな倉橋の性格をよく知っているだけに、綾辻は出来るだけ傍にいて自分が当人に代わって気に掛けてやろうと思って
いたのだが、今回はどうも予定以上の仕事が詰まってしまったのだろう。
「・・・・・」
元々色素が薄い倉橋の顔色は本当に透き通るように白い。少し頬がほっそりとした印象を受けるのは気のせいだろう
か。
綾辻はそっと倉橋の頬に指を触れた。
(温かい・・・・・)
何時もは少し体温の低い倉橋だが、今は眠っているせいか僅かに温かい気がする。確かに生きているのだと改めて思う
と、綾辻はそのまま倉橋の唇に唇を重ねた。
「・・・・・」
少し乾いている倉橋の唇を、ペロッと舌で舐めてみる。
起きていたなら絶対に烈火のごとく怒るだろうその行為を、今の倉橋はまるで眠り姫のように静かに受け入れていた。
「早く・・・・・目を覚ませ、克己・・・・・」
(早く俺を怒鳴ってくれよ)
自分でも、もう終わっていると思うが、倉橋の怒鳴り声を聞かないと楽しくない。
綾辻はもう一度倉橋にキスをした後、そのままベットを背に床に座り込み、目を閉じた。
数時間後、目を覚ました倉橋は、ベットに寄りかかったまま眠っている綾辻の姿を見つける。
「風邪をひいたらどうするんですか!!」
響く怒鳴り声を綾辻は眠ったふりをしたまま、唇に笑みを浮かべて聞いていた。
end
