風邪の特権
「ほっ、本当に、ゴホッ、もっ、申し訳・・・・・」
「い、いいです、倉橋さん、それ以上しゃべらないで下さいっ」
「は、はい」
苦しそうな咳を何度もしながら頭を下げる倉橋に、真琴は慌てて言いながら寝室を振り返った。
2日前、気の進まない泊りがけの接待ゴルフに嫌々付き合わされた海藤は、夕方帰った時には何時も以上に口数が少
なくなっていた。
急な雨に降られた為、万が一風邪を引いていたらうつるからという理由を聞き、その夜は海藤に言い含められて勉強部屋
としている部屋で別々に眠った。
そして今朝、会社に向かう海藤は少し顔色が悪いものの、それでも何時もと変わらず出掛けたのだが、帰ってきた時、運
転手に肩を借りるようにして現われたので、真琴は何事かと一瞬息が止まりそうになった。
「休む」
一瞬呆気にとられた真琴だったが、続いて現われた倉橋の真っ青な顔と酷い咳で、どうやら心配していた通り風邪をひ
いてしまった事が分かった。
「後はお願いで、ゴホッ、出来ますか?」
「はい、大丈夫です。でも、倉橋さんは?良ければここで休んで・・・・・」
「私のことはお、お気になさらず、社長をお願いします」
「はい、あの、お大事に!」
帰り際に医者には寄ってきたらしいが、まず何か胃に入れなければ薬は飲めない。
台所に立った真琴はおかゆを作ろうと悪戦苦闘し、何とかおかゆらしきものが出来た。
「・・・・・」
そっと寝室を覗いて見ると、ベットの上の膨らみは少しも動いていない。
心配になって近付いて見ると、目を閉じている海藤の姿があった。
(寝顔・・・・・初めて見たかも)
気を許していないからというわけではないだろうが、海藤は何時も真琴より後に眠り、先に起きる。
朝の講義がなくて寝坊した時など、起きると既に朝食の支度がしてあるほどだ。
(甘えてばかりだ、俺・・・・・)
出来るだけ気を遣っているつもりだったが、それ以上に海藤に気を遣わせているのかもしれない。
「ごめんね、海藤さん」
眠ったままの海藤に、真琴は小さく呟いた。
目が覚めると、海藤は先程まで重くて仕方がなかった頭が少し軽くなったような気がした。
「起きた」
「・・・・・真琴?」
すぐ傍にいたらしい真琴の姿を見つけ、海藤はなぜかほっと安堵した。
「頭、痛くないですか?」
「・・・・・寝てたのか」
普段なら気付くはずの人の気配に気付かず眠っていたのかと聞けば、真琴は部屋の時計に目をやった。
「2時間くらいですよ。また日付も変わってません」
「・・・・・参ったな」
身体が弱い方ではないし、ここ最近風邪などひかなかったが、大事な相手が出来て気が緩んだのかと苦笑を漏らして、
海藤は顔を覗き込んでいる真琴に視線を向けた。
海藤の声は少し掠れていたが余計に色っぽく感じ、真琴は少しドキドキしながら視線を逸らした。
「おかゆ・・・・・作ったんですけど、食べれますか?」
「お前が作ったのか?」
「はい、あの、ご飯をお水で炊いただけで・・・・・」
言葉に出して言うと何だか食べれるものなのかどうか不安になってきた。あれだけ舌が肥えている海藤に、そんなものを食
べさせてもいいのだろうかと今更に思う。
「え・・・・・と、ちょっと出てきますね」
まだコンビニのインスタントの方が食べれるかもしれないと思い、真琴は立ち上がろうとする。
しかし、海藤は手を伸ばして真琴の腕を掴んだ。
「お前が作ったものでいい」
「お、美味しくないと思いますよ?」
「いや、それがいい」
「じゃあ、準備しますね」
海藤の手をそっと離して真琴は立ち上がった。
「悪いな」
「ううん、何だか得したから」
「得?」
その言葉ににっこり笑いを返すと、真琴はそのままキッチンに向かう。
「ホント、得しちゃった」
風邪をひいている海藤には申し訳ないが、無防備な海藤の寝顔を見れたことが嬉しかった。自分に気を許してくれている
ようで、思わず頬が綻んでしまうほど嬉しい。
何時も海藤に守ってもらっている立場なので、その立場が反対になるとなんだか張り切ってしまいたくなった。
「風邪の時だけの特権かな」
そう呟くと、真琴は冷めてしまったおかゆを温め始めた。
ベットルームから真琴の姿が消えると、海藤は深い溜め息をついた。
(情けない・・・・・)
自分の体力を過信するものではないと思いながら、張り切って世話をしようとする真琴が可愛くて仕方がない。
立場が逆転したようで嬉しいのかもしれないが、海藤にとっても世話をされる自分というものが新鮮で、今日は真琴にイニ
シアティブを渡すのもいいかと思った。
(これも風邪の特権だな)
その時、そう思ったタイミングに合わせるように軽いノックの音が聞こえた。
「起きてますか?」
柔らかなその声に、海藤の頬には自然と笑みが浮かんでいた。
end