目の前に大きなプリンの山があった。
高いところは大好きだが、あんなにも大きな山のてっぺんに登るのは怖い。
でも、食べたくてたまらない太朗は、プヨヨンとしたプリンの壁に齧りついた。
(うま・・・・・く、ない?)
「いてーぞ、タロ」
(・・・・いてえ・・・・・って)
「じ、ろ・・・・・?」
あれほど大きかったプリンがパチンと消えてしまい、次に現れたのは大きな手だ。見ただけで温かくて優しいとわかるそれに頭を撫
でられ・・・・・いや、頬を抓られて太朗はパッチリと目を開いた。
「起きたか、タロ」
「・・・・・ほんとにいた」
驚いて眠気が覚めてしまった太朗を、にっといつもの意地悪な笑みを浮かべながら見た上杉は、両脇を掴んでずるっと布団の中
から引きずり出した。
「ちょっ、なにすんだよっ」
「ほっとけばこのまままた寝るだろ。今年一番におめでとうを言ってくれるはずじゃなかったのか?」
「へ?」
「約束の初詣、そろそろ起きないと見られないぞ」
「あっ」
相変わらず自分を荷物扱いにする上杉に怒鳴ろうとした太朗だったが、改めてそう言われてようやく今夜のことを思い出した。
1月1日、初日の出を見るのと初詣を一緒にする計画を立て、何時ものように保護者代わりに付き添いを上杉にお願いをした。
上杉は直ぐに頷いてくれ、太朗は仲の良い友達も誘って、わざわざ集合する手間を省くために太朗の家にみんなお泊まりをした
のだが、寝ている間にすっかりそのことを忘れてしまっていたのだ。
「タロ?」
目線の直ぐ先にいる上杉はすっかり出掛ける用意ができているようだ。相変わらずカッコいいなあとぼんやりと思っていると、上杉
が目を細めて意地悪く言ってくる。
「タロ、挨拶」
「い、いま、いうとこだった!」
忘れていたとは思われたくなくて、太朗は上杉の耳元で大きな声で叫んだ。
「あけましておめでとー!」
「おお、おめでとう」
笑いながらそう返してくれた上杉は、太朗の鼻にカプっとかぶりついてきた。
「いたいだろー!おれ、ぷりんじゃないぞ!」
どうしてそこにプリンが出てくるのかと不思議だが、太朗の思考は何時もとんでもなく突飛なので、いちいち気にはしていなかった。
それよりも、思った通りの反応を見て、朝4時という時間に迎えに来てよかったとつくづく思う。
『じろー、はつもーでしよー!』
2日前に突然掛かってきた太朗からの電話。
上杉も暇な身ではなく、年末から年始に掛けて実家の用もあったし、色んな遊び相手から誘いも掛けられていた。だが、上杉にと
って最優先事項は・・・・・。
『いいな。でも、ちゃんと起られるのか?』
断るという選択肢はまったくなく、そのまま話を進めて、生徒会のいつものメンバーも引きずり出した。
幼稚園から大学までエスカレーター式の男子学校、私立羽生学園。
女性理事長である苑江佐緒里(そのえ さおり)のもと、自由な校風ながら、勉強もスポーツも盛んな学校で、近隣の女子生徒
達の間では、イケ面率が高いことでも有名だ。
特に、今期の生徒会は抜群の人気を誇っている。
圧倒的なカリスマを持つ、かつては派手に遊びまわっていた生徒会長の3年の上杉滋郎(うえすぎ じろう)に、副会長は同じ3年
生で大物政治家を親に持つ、冷静沈着な海藤貴士(かいどう たかし)。
会計には、上杉の幼馴染でお互いの弱みも握り合っている、同じく3年の小田切裕(おだぎり ゆたか)。
書記には真面目な堅物の2年生、倉橋克己(くらはし かつみ)と伊崎恭祐(いさき きょうすけ)。
風紀委員には、小田切の従兄弟で仕切り屋の3年、綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)がいる。
また、イタリアから羽生学園に来ている留学生、アレッシオ・ケイ・カッサーノと、生徒総代(生徒会長とは違う学園側代表で、学
園側が選出)の、3年生、江坂凌二(えさか りょうじ)という、こちらも容姿、頭脳と共に秀でた生徒もいて、入試の競争率も相
当なものらしく、この学園は生徒不足という世間の流れとは正反対の道を堂々と歩んでいた。
そんな彼らだ、上杉に負けず劣らず忙しい立場だったが、待っているぞという子供たちの名前を出せば、必死にスケジュールを調
整したらしい。
それは、同じ羽生学園の幼稚園に通っている子供達。
理事長の佐緒里の子供、太朗(たろう)の友人、西原真琴(にしはら まこと)、日向楓(ひゅうが かえで)、小早川静(こばやか
わ しずか)、高塚友春(たかつか ともはる)だ。
高校生のくせに幼稚園児を気にするのかと言われたらそれまでだが、気持ちがそう動くのだからどうしようもない。
なにより、今年一番最初に太朗の顔を見れた自分は、こんなにも嬉しく思っているのだ。
「あれ?かいどーさん?」
「おはよう、真琴。眠いだろうが、目を覚ましてくれ」
寝起きのよい真琴だが、ここに海藤がいることがよくわからないらしい。不思議そうに首を傾げている様子に、普段表情の動かな
い海藤の頬にも甘い笑みが浮かんでいる。
「楓さん、起きてください」
「んんぅ〜、ねむい〜」
枕にしがみつく楓を、伊崎は何とか優しく起こそうとしているが、布団にしがみついた楓はなかなか離れそうになかった。
「起きてたんですか?」
「たろくんのこえでおきたの。りょーじおにいちゃん、あけましておめでとうございます」
布団の上にきちんと座り、丁寧に新年の挨拶をする静を満足げに見つめた江坂は、自身も頭を下げる。
「おめでとう、今年もよろしく」
「はい」
アレッシオは、まだ眠っている温かな友春の身体を抱き上げた。ここまでしてもまったく目覚めない警戒心は心配だったが、それだ
け自分の腕の中が安心だと思ってもらえていると考えれば自尊心が擽られる。
「トモ、起きろ」
「・・・・・」
まろやかなピンク色の頬に唇を寄せる。目覚めて欲しいような、このままでいて欲しいような・・・・・アレッシオは珍しく複雑な思いを
抱いた。
子供たちの目が完全に覚めるまで、それから30分も掛かってしまった。
その一番の原因となった楓は、太朗にさんざん文句を言われている。
「ぜったいはやくおきろっていってたの、かえでじゃん!」
「うるさい!たろーがおそくまでとらんぷしよーっていったからじゃん!おれははやくねたかったのにー!」
「おれのせいじゃないもん!」
「たろーがわるい!」
「ちがうってば!」
どうやら、大晦日の昨日は幼稚園児にしては夜遅くまで起きていたらしい。佐緒里には叱られないし、翌日の初詣は楽しみだし
と、子供たちにとっては嬉しいことばかりで余計に眠れなかったのだろう。
直ぐに想像できた高校生組は出発時間が遅くなっても特に問題はなかったが、子供たちにとっては1分1秒が惜しくてたまらな
いようだ。
綾辻はふっと口元を緩めたが、直ぐに片手でそれを覆い隠す。笑っているところを見られたら余計に反発されるだろう。
「綾辻先輩、そろそろ」
「もう?」
生真面目な倉橋は、子供たちが楽しみにしている初日の出を絶対に見せたいと思っているらしく、時間が気になって仕方がない
ようだ。
今もチラチラと腕時計に視線を落としながら話しかけてくるその様子に、綾辻の笑みはさらに深くなった。
(やっぱり、可愛い)
容姿は綺麗で、纏っている雰囲気は清廉なのに、綾辻の抱く倉橋のイメージはどうしても《可愛い》から抜けだせない。これが惚
れた弱みかどうか、別にどうでもよかった。
真っ白いマフラーにコート、手袋。
風邪をひかせないようにと着せると、まるで雪だるまのようになってしまった。可愛い顔立ちの真琴は性別も女の子にしか見えない。
それでも、クリスマスプレゼントに渡した白いふわふわのコートを気に入っている真琴の機嫌を失言で損なうつもりもなく、海藤はフー
ドの上から軽く頭を撫でて視線を背後に向けた。
子供たちはみな同じように温かい服装をし、それぞれの保護者兼相棒に確認をされている。
全員が少年とは思えないほど可愛らしい顔立ちをしているので格好もそれに付随したものになっていたが、太朗と楓はどうも用意
されたコートが気に入らないらしい。
「どーしておれがぱんだなんだ!」
「似合ってるんだからいーじゃねーか」
どうやら太朗はフード部分がパンダ仕様になっているコートが気に入らないようだ。
すると、その声に被せるように楓が叫んだ。
「おれなんてねこさんだぞ!どーしていぬさんじゃないんだよ!」
「猫もよく似合ってますよ?」
「おれっ、つよいいぬさんがいーの!かおがぶーっとしてる、こわいかおのいぬさん!」
小さな猫耳のフードは可憐な楓によく似合っているが、本人はどうして犬ではないのかとお怒りだ。海藤から見たら犬でも猫でも
一緒じゃないかと思うが、本人は男らしさのバロメーターがその一線上にあるらしい。
「きょーすけはしゅみわるい!」
「すみません」
立派な体躯の高校生が、自分の腰ほどの身長しかない幼稚園児に頭を下げる姿は友人として情けない。だが、ここで楓がヘ
ソを曲げたままだと、出発時間はどんどん遅くなっていくばかりだ。
「ねこさん、かっこいーよ?」
その時、海藤の隣に立っていた真琴が、トコトコと楓の側に歩み寄った。ほとんど目線が変わらないというのに小さな手を伸ばし、
楓の頭の猫耳を楽しそうに撫でている。
「おれも、ねこさんいーなー」
「・・・・・ほんと?」
伊崎の言葉は耳に届かなかったくせに、真琴の褒め言葉はすんなりと耳に入ったようだ。いや、《可愛い》ではなく、《カッコいい》
という言葉が効いたのかもしれない。
それは楓だけでなく、少し離れた場所に立っている太朗の身にも起きていた。
「たろくん、ぱんださん、すごいね」
にこにこ笑いながら言う静に、唇を尖らせたままの太朗が振り向く。
「ぱんだなのに?」
「おれ、ぱんだすき」
「ぼ、ぼくも、すき」
友春も続けると、太朗の口元がふにゃっと崩れた。
(こっちも、どうやら大丈夫そうだな)
幼稚園児でも、男としてのプライドをくすぐられると弱いようだ。
「副会長、そろそろ」
「ああ」
タイムリミットだ。倉橋の言葉に頷いた海藤は、まだ太朗をからかっている上杉に声をかける。
「会長、行きますよ」
「ん〜?もうか?」
「このままだと、車も動けなくなりますよ」
少々脅かせば、さすがに上杉も渋々手を引っ込めて、パンパンっと手を鳴らした。
「おい、いつまでも駄々捏ねてると初詣行かねえぞ」
今の今まで自分も余計なちょっかいをかけていたというのに、上杉はさらりとそう言って子供たちをおとなしくさせる。江坂やアレッ
シオはしんなりと眉を顰めているが、さすがに自分が気に入っている子供の前では文句も言えないようだ。
(今からだと、もう参拝客も多いだろうな)
始めは明治神宮に行くつもりだったが、あまりにも参拝客が多いということで止めることになった。もちろん、子供たちが迷子になっ
たり怪我をしたりしないように十二分に注意をするつもりだが、人が多すぎると万が一ということもある。
改めて考えた初詣の場所は、神楽坂の赤城神社。
場所もそうだが、抜けるような空が見渡せる場所なので、天気が良ければ初日の出も見られるんじゃないかと思った。子供たちは
初日の出も見に行くと張り切っていたが、それと初詣を続けていくのは少し大変だろう。この神社ならば一度で済むだろうと、倉橋
が考えてくれたのだ。
「ほら、行くぞー」
「は〜い!」
ここから徒歩では遠いので、近くまでは車で送ってもらう。さすがにバスではなく、佐緒里が手配してくれたタクシーでだが、少々不
便だなと思った。
自分で車を持っていれば、もっと自由に動けるのに。
真琴を連れていろんな場所に行けるのになと、海藤は真琴の小さな手を握りしめながら考えていた。
まだ薄暗い街の風景を車窓から見続ける友春に、アレッシオは頬を寄せるようにして話しかけた。
「眠くないか、トモ」
「うん、だいじょーぶ」
寝起きが悪かった友春だが、完全に目が覚めた後はテキパキと自分で準備をした。世話をしてやる気満々だったアレッシオは当て
が外れたが、1日から友春の顔を見れたことだけでも満足だった。
「ねえ、ケイ。ケイははつもーでしたことある?」
「私か?そういえば初めてだな」
イタリアでは新年を迎えたからと言って特定の場所に祈りを捧げに行くことはない。特にアレッシオは神を信じてはいないので、無
駄な労力は極力排除していた。
日本に留学して来てからも、神社や寺には行っていない。今日は友春の顔を見に来ることが一番大きな目的と言ってよかった。
「じゃあ、はじめましてっていわないといけないね」
「・・・・・そうだな」
「あのね、おまいりのしかたもあるんだよ」
「トモは知っているのか。すごいな」
この先もずっと日本にいるわけでもないし、日本の神の加護など必要ない。それでも、楽しげに説明をしてくれる友春の言葉を遮
ろうとは思わなかった。
後部座席で交わされるアレッシオと友春の会話に、江坂は皮肉気な笑みを浮かべてしまった。
今アレッシオが何を考えているか、気性が似ているのか江坂には手に取るようにわかる気がした。だが、わざわざ楽しそうにしてい
る子供に言うこともないだろうと視線をサイドミラーに向ければ、おとなしく座っている静が見える。
(まったく・・・・・)
アレッシオに押し切られ、後部座席にはアレッシオと友春、そして静が乗りこみ、江坂は助手席へと追いやられた。車中で会話
をするかと言われれば特にないのだが、静の隣に座れないことは寂しい。
目的地は遠くなく、数十分も我慢すればいいだけなのにそんなことを考える自分がおかしくてふっと息を吐いた時、
「りょーじおにいちゃん」
後ろの座席から身を乗り出すようにして静が話し掛けてきた。
「どうしました?酔いましたか?」
「ううん。でも、りょーじおにいちゃんのおかおがみれないの、さびしいなっておもったから」
「・・・・・そうですか」
何のてらいもなく言われる言葉に、らしくもなく照れてしまう。
「直ぐに着きますから。そうしたらまた、手を繋ぎましょう」
「うん」
後、何分くらいだろうか。江坂は腕時計を見下ろして時間を確かめた。
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2013年は、「KIDS TYPHOON」の第五弾から。
今回は初詣編。